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木管七重奏 カプリオール組曲 第2曲 パヴァーヌ

木管七重奏 カプリオール組曲(Capriol Suite)
第2曲 パヴァーヌ(Pavane) Allegretto, ma un poco lento、ト短調
Peter Warlock (1894 - 1930)

編成はフルート2本、オーボエ、クラリネット2本、バス・クラリネット、ファゴットです。
変更可能楽器はファゴット→バス・クラリネット(バス・クラリネット2本)です。
逆の変更(ファゴット2本)も可能です。
また、オーボエ→クラリネットも変更可能です。

ルネッサンスの香り濃厚な作品をぜひ演奏表現してください。

木管七重奏 カプリオール組曲(Capriol Suite)
第2曲 パヴァーヌ(Pavane) Allegretto, ma un poco lento、ト短調
Peter Warlock (1894 - 1930)

編成はフルート2本、オーボエ、クラリネット2本、バス・クラリネット、ファゴットです。
変更可能楽器はファゴット→バス・クラリネット(バス・クラリネット2本)です。
逆の変更(ファゴット2本)も可能です。
また、オーボエ→クラリネットも変更可能です。

ルネッサンスの香り濃厚な作品をぜひ演奏表現してください。

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https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/n5TstuuAcwY

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

Capriol: Suite for String Orchestra (1927) - Based on Dance Tunes from Arbeau's "Orchesographie"(1588):
『カプリオール組曲』(Capriol Suite)は、イギリスの作曲家ピーター・ウォーロックによって1926年10月に作曲された組曲です。
ウォーロックの最も人気のある作品の1つです。もとはピアノ連弾のために書かれ、後に管弦楽と弦楽合奏のためにそれぞれ編曲されました。

 カプリオール組曲は,1588年に出版されたアルボーのオルケゾグラフィ(Orchesographie,舞踏体系)の舞曲を元にウォーロックが組曲にしたものです。
1925年にこの本の英訳版が出版された際に,ウォーロックは音楽関連部分の翻訳を行いました。その2年後の1927年,カプリオール組曲を作曲しています。
 オルケゾグラフィは,この時代のダンスの踊り方を楽曲とともにまとめた指南書です。二人の対話形式になっており,
一人前の法律家だがお嬢様方との付き合いが苦手なカプリオールが,アルボーにダンスを習うという形で話が進行します。
カプリオール(Capriol)とは,ダンスの動作のひとつでジャンプして足を前後に開く動作を指します。
ウォーロックは,このダンス動作にちなんだ登場人物の名前を曲名としたわけです。

 カプリオール組曲は6つの曲から成り,それぞれがオルケゾグラフィに紹介されている舞曲を原曲に近い形で使用していますが,
それらに対位旋律,高声部,コーダなどが付け加えられています。出版時の編成は弦楽合奏のほかピアノ連弾のものがありましたが,
1928年にはウォーロック自身がオーケストラにも編曲しています。その後,Stanley Taylorによりリコーダーにも編曲され,
こちらも重要なレパートリーとなっています。 
作品はブルトン人作曲家ポール・ラドミローに捧げられました。
全6曲によって構成されています。演奏時間は約10分ほどです。

1.Basse-Danse アレグロ・モデラート、ニ短調
2.Pavane Allegretto, ma un poco lento、ト短調
3.Tordion Con moto、ト短調
4.Bransles 、 Presto 、ト短調
5.Pieds-en-l'air 、 tranquillo、ト長調
6.Mattachins (ソードダンス) Allegro con brio、ヘ長調

1. バス・ダンス(Basse-Danse)
 フランス語の“basse danse”は,「低い踊り」の意味で,これはスペインの跳躍する踊りアルタ・ダンサ(alta danza)と対照的に,
足を床にすべらせるように踊られたことによります。起源は14世紀,吟遊詩人の時代の南フランスやスペインに遡り,15世紀後半にはイタリアの宮廷や,
当時繁栄したブルゴーニュ公国の宮廷で一世を風靡しました。男女のペアが行列を作り抑制された雰囲気の中で踊られたそうです。
オルケゾグラフィでは「バス・ダンスはレヴェランス(会釈)をして男性が女性からお別れする事で終り。
アンコールとしての後半部分の繰り返し“retour”を踊るように,女性が踊りを始めた位置に戻してあげる」と述べられています。
しかし,アルボーの時代にはすでに旧式の踊りになっていました。
 アルボーの提示したバス・ダンスは,16世紀前半に活躍した作曲家クローダン・ド・セルミジ(Claudin de Sermisy,1495年頃~1562年パリ)のシャンソン,
“Jouyssance vous donneray”「あなたに楽しみをさしあげましょう」からの編曲です(Air de la basse-dance, p34-37)。
ウォーロックはその中から3つのメロディを用い,最初のメロディを繰り返した後,4つ目のメロディの代わりに短いコーダで締め括っています。

2. パヴァーヌ(Pavane)
 パヴァーヌとは北イタリアの古都パドヴァ(Padova 古名:パヴァ)を語源とするイタリア起源の踊りで「パドヴァ風の踊り」を意味します。
2拍子で男女のペアで威厳のある行列をつくって踊られ,オルケゾグラフィには「踊りやすい舞曲で,
踊り手たちの列が舞踏会場を2~3回まわるまで続くように演奏される」と記述されています。
アルボーは“Belle qui tiens ma vie”「我が命をささえる麗しの人よ」という作者不明の歌曲が原曲と思われる4声部とドラムによるリズムからなるパヴァーヌを紹介しています(Pauane a quatre parties, p30-32)。
ウォーロックは冒頭にドラムのリズムを提示した後に,この4声のメロディをそのまま使用しています。

3. トゥルディオン(Tordion)
 トゥルディオンは16世紀の前半に盛んであったフランスの踊りです.3拍子で,リズムは「8分音符三つ/8分音符,8分休符,8分音符」。
しかしトゥルディオンもバス・ダンスと同様にアルボーの時代には目立った存在ではなくなっていました。アルボーの若い頃,16世紀の半ばまでには盛んで,
バス・ダンスの後によく置かれたのは確かですが,パヴァーヌとガイヤルドのように音楽的なつながりを持って複雑な器楽曲となることはありませんでした。

4. ブランル(Bransles)
 ブランル(branle)は「揺れる」を意味するフランス語,ブランレ(branler)に由来しています。15世紀後半にバス・ダンスのステップの一つとしてこの名前が現れ,
16世紀の代表的な舞曲となりました.この踊りは,あらゆる階級で用いられ,西ヨーロッパの各地に現れましたが,主な舞台となったのはフランスです。
陽気で誰にでも踊る事が出来たことから広く流行したようです。基本的には男女の組みが輪を作って左回りに踊るいわゆる「輪舞」でした。
 アルボーは23ものブランルを紹介していますが,ウォーロックはその中から,ブランル・サンプル(Branle Simple, p71),
ブルゴーニュのブランル(Branle de Bourgoigne, p73),オル・バロワのブランル(Branle du hault Barrois, p73-74),
ブランル・クペ「ピナゲイ」(Branle couppe appelle Pinagay, p75),ブランル・クペ「シャルロッテ」(Branle couppe appele Charlotte, p76)の
5つのブランルを組み合わせて使用しています。

5. ピエ・アン・レール(Pieds en l'air)
 最初の1フレーズは「ポワトゥーのブランル」(Branle de Poictou, p79-80)のものですが,その後の3フレーズはオルケゾグラフィには無く,
ウォーロックが展開させたものと思われます。
 「ピエ・アン・レール」(pied en l'air)とは,ダンスで重心を片脚にかけた際に,残った空中にあるもう一方の脚のことを指します。

6. マタシャン-ソード・ダンス(Mattachins - Sword Dance)
 前半は「道化師たち」という踊り(Air des Bouffons, p99-104)の変奏曲です。オルケゾグラフィでは「踊り手たちは小さな胴鎧をつけて,
房飾りの肩章とつるしを絹地の上のベルトにつけている。彼等の兜は金色の厚紙でできていて,腕はむき出し.足の上には鈴をつけている。
右手に剣,左手には盾を構える。2拍子の独特な旋律で踊り,剣と盾のガチガチ鳴る音を伴う」と記載されています。
 後半にはメロディがなく,ウォーロックの尊敬していたバルトークのような不協和音の衝突がありますが,これは剣と盾のぶつかり合う騒々しさを示しているようです。

 「カプリオール」という名前は、16世紀のフランスの聖職者、トワノ・アルボー(1525-1595)の著書「オルケソグラフィー」
(舞踏記譜法、1588年、著者と教え子の対話形式で書かれた、舞踊ステップの解説書)に出てくる教え子の名前「カプリオール」に由来しています。
それぞれの舞曲は、この本を元に書かれており、20世紀の作曲家ウォーロックが書いた16世紀風舞曲集といえます。
 アルボーの生きた16世紀は、実は、バッハ(1685~1750年)よりも100年以上前、我々から見るとどちらも同じ「昔」に見えてしまいますが、
流行っていた舞曲も違うし、同じ名前の舞曲でも内容が異なるものもあります。普段聞きなれた舞曲とは、違った魅力を発見することができます。

この曲の作曲者ピーター・ウォーロック(Peter Warlock)は、1894年、ロンドン生まれのイギリスの作曲家で、「ウォーロック」という名は作曲用のペン・ネームで、
本名はフィリップ・ヘセルタイン(Philip Heseltine))といいます。
音楽評論家フィリップ・アーノルド・ヘゼルタイン(Philip Arnold Heseltine, 1894年10月30日 - 1930年12月17日)が、
作曲家として用いた筆名です(“warlock”とは「魔法使い」の意味である)。 
彼はいくつかの器楽用の小品を残しています。中でも「カプリオール組曲(Capriol Suite)」は恐らく彼の最もよく知られた作品で、
弦楽オーケストラ用、管弦楽用、ピアノ連弾用の版が存在します(この他にもさまざまな組み合わせの編曲がありますが、
これらはウォーロック自身の編曲ではありません)。また弦楽セレナードも代表作の一つにあげられます。

ピアノ独奏のためにも、ケルト民謡を編曲した「民謡前奏曲集」(Folk-song preludes)の一作品があります。 
ウォーロックの音楽の好みは幅広く、ルネサンス音楽からバルトークまで好んだ。彼自身の作品の性格は、
初期には洗練されたヴィクトリア朝様式やエドワード朝様式の模倣であり、その後次第に、より対位法的で、
旋法と独特な和声付けを特徴とするきわめて個性的な様式を確立しました。

ウォーロックは本名をフィリップ・ヘゼルタイン(正しくは「ヘスルタイン」と発音する由) Philip Heseltine といい、
音楽評論などを執筆する際はこちらの名をもっぱら用いています。上に挙げたディーリアスのモノグラフはしたがってヘゼルタイン名義による著作ということになります。
同業者とのいざこざから,1917年よりこのペンネームを使用し始めたようです。ディーリアスと親交があり声楽曲を多く書いていますが金銭的には恵まれず,
1930年,36歳の若さでガス自殺してしまいました。

1894年、というからディーリアスよりも三十年以上あとにロンドンで生まれ、イートン校やオックスフォードで学びながらアマチュアとして作曲に勤しみました。
ケルト文化や16世紀のエリザベス朝音楽、カルロ・ジェズアルドなどに深い関心を寄せる傍ら、ディーリアスやクィルターら同時代の先輩作曲家の静謐なスタイルに共鳴し、
自らは主に歌曲と合唱曲を作曲しました。概して抒情的で穏やかな作風です。
素人作曲家ゆえ長大な楽曲はひとつもありません。

幼いころからグレ・シュール・ロワンに住む伯父の紹介でディーリアス(イギリスの作曲家)と交わり、彼の影響を強く受けました。
このことは、初のディーリアス評伝の出版したり、自身の弦楽セレナーデをディーリアスの60歳の誕生日に捧げていることなどにも表れています。
100曲以上優れた歌曲を残しましたが、器楽作品は少なく、余りある才能に恵まれながら自殺でこの世を去ったことが今なお惜しまれます。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

  2021/02/02   animato
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