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2020年9月

打楽器四重奏「ノラ」

打楽器四重奏「ノラ」
編成はGlock.、Xylo.、Vib.、Marim.です。
クラリネット四重奏、木管四重奏にも変更可能です。
サックス四重奏は発売中です。

優雅で楽しいラグタイムの魅力をぜひ味わってください。

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参考音源
https://youtu.be/DS9mXDWuLkk

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

フェリックス・アルント(Ragtime、1889年5月20日 - 1918年10月16日)は、
アメリカ合衆国のラグタイム音楽のピアニスト、作曲家です。
1916年に、ラグタイムとしては最初のノベルティ的なピアノ曲と考えられている『Nola』を作曲しました。
この曲は複雑なスタイルで、ピアニストの腕前を披瀝することが意図されています。アルントは1918年に、
世界的流行(パンデミック)となったスペインかぜのために、29歳でニューヨークに没しました。

フェリックス・アルントは、1889年5月20日に、ニューヨークで生まれました。
母親のシャルロッテ・アーピュア・アルント (Charlotte Harpeur Arndt) は、
フランス人の父(フェリックスの祖父)とスペイン人の母(フェリックスの祖母)の間に、
スペインで1851年に生まれた。母は、フェヴリエール女伯爵 (comtesse de Fevrier) と称されており、
ナポレオン3世につながる血筋でした。フェリックスの父は、アンドレアス・W・ユーゴ・アルント (Andreas W. Hugo Arndt) という、
スイス生まれの大工でした。夫妻は、1888年にマンハッタンで結婚していた。フェリックスには、1890年生まれの妹、
シャルロッテ・A・アルント (Charlotte A. Arndt) がいました。フェリックスは公立学校で教育を受けたが、
ピアノは独学で学び始めました。やがて、和声と楽理を学ぶようになったが、その教師のひとりは、
フランツ・リストの弟子だったピアニスト、カール・ラッチムンド(英語版)でした。

1908年、19歳のときに、アルントは最初のワルツ作品を出版した。1912年には、
バンジョー奏者の兄弟フレッド・ヴァン・エプス (Fred Van Eps)、ビル・ヴァン・エプス (Bill Van Eps) とともに、
ヴァン・エプス・トリオ (Van Eps Trio) を結成しました。以降、1917年まで、このトリオは多数のラグタイム曲の録音を行ないました。
1914年以降、アルントはピアノロール、つまり自動ピアノ用の巻取紙の製作を手がけるようになりました。
アルントは、デュオ・アート(英語版)とQRSのためにピアノロールを制作し、1919年までに合わせて3000巻以上を残しました。
その中には、クロード・ドビュッシーや、その他クラシック音楽の作品も含まれていました。

他方でアルントは、ラグタイム作品の組曲『A Symphonic Nightmare - Desecration Rag #1』の作曲もしていました。
これに続いて、『From Soup to Nuts』も作曲しました。1915年はじめ、アルントはニューヨークで、
セントルイス交響楽団の専属声楽家で、優れたピアニストでもあった、ノラ・B・ロック (Nola B. Locke) に出会いました。
彼女を見初めたアルントは、彼女に捧げた歌「Nola」を書きましたが、この曲は驚くほど華やかにピアニストの技量を
披露しようとする作品でした。この曲は、これ以降に普及していったノベルティ的なスタイルの最初の例でした。

ノラと結婚したフェリックスは、『An Operatic Nightmare - Desecration Rag #2』とフォックストロット曲『Clover Club』を、
1916年と1917年に出版しました。ノラは、これらの作品の制作を手助けしており、クレジットもされました。
1918年、スペインかぜが世界的流行(パンデミック)となり、ニューヨークはとりわけ大きな被害を受けました。
既に肺炎に罹患していたアルントは、さらにインフルエンザに罹り、10月16日に29歳で没しました。

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  2020/09/13   animato

金管四重奏「流れよ、我が涙」

金管四重奏「流れよ、我が涙」
Flow my tears
編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.2本です。
クラリネット四重奏、木管四重奏、サックス四重奏にも変更可能です。

ルネサンス期の飾らない美しさをぜひ味わってください。

金管四重奏「流れよ、我が涙」
Flow my tears
編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.2本です。
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https://youtu.be/e8FCNVrFFOk

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ジョン・ダウランド(John Dowland, 1563-1626)には、「私の女が泣いている」(”I Saw My Lady Weep”)、
「乞い求めるべきか?」(”Shall I Sue?”)、「カエルのガリヤード」(The Frog Galliard)など、
数多くの優れた作品がありますが、その中でも最も人気があるのがリュート独奏曲「涙のパヴァーヌ」(Pavan Lachrimae)でしょう。
曲調は素朴で冗長、何ともいえない物悲しさが漂います。
この曲はダウランドの生前からヨーロッパ中に知られていたらしく、また、本人も気に入っていたためか、
芳名帳に”Jo.dolande de Lachrimae(ラクリメのダウランド)”と書くこともあった。

「涙のパヴァーヌ」をダウランド自身が編曲して、詞を付けたものが、「流れよ、我が涙」(”Flow My Tears”)です。
その歌詞は、甘美なまでに絶望的な雰囲気です。

これほどの曲と歌詞を作るダウランドは性格は明るく、朗らかであったそうです。
シェークスピアと、ほぼ同じ時期のイギリスに生きた作曲家がダウランドです。


歌詞
Flow my tears fall from your springs,
Exil’d for ever: let me moum
Where night’s black bird her sad infamy sings,
There let me live forlorn.

Down vain lights shine you no more,
No nights are dark enough for those,
That in despair their last fortunes deplore,
Light doth but shame disclose.

Never may my woes be relieved,
Since pity is fled,
And tears, and sighs, and groans my weary days,
Of all joys have deprived.

From the highest spire of contentment,
My fortune is thrown,
And fear, and grief, and pain for my deserts,
Are my hopes since hope is gone.

Hark you shadows that in darkness dwell,
Learn to contemn light,
Happy, happy they that in hell,
Feel not the world’s despite.


流れよ、我が涙 泉より
永遠に追放され、私は嘆きに沈む
夜の黒い鳥が、悲しい辱めを歌うところで
私はひとりぼっちになっている

失せよ、むなしい光よ もう輝くな
夜の闇は、深すぎることはない
絶望の内に、末期の運命を嘆く者には
光はただ辱めを暴くだけなのだ

我が悲しみは、決して癒されはしない
なぜなら、憐れみは消え失せ
涙と、ため息と、呻きにより 私の疎ましい日々は
あらゆる喜びを失ってしまったのだから

幸せの最高の絶頂から
我が運命は転げ落ち
恐れと、嘆きと、苦痛が 私の不毛な日々にて
望みが消え失せた後は、我が望みとなる

聞け、暗闇に住む影たちよ
光を軽蔑するがよい
幸いなるかな、幸いなるかな 地獄に在りて
この世の侮蔑を、感ずることなかれ

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  2020/09/13   animato

金管四重奏 アヴェ・ヴェルム・コルプス(ウィリアム・バード)

金管四重奏 アヴェ・ヴェルム・コルプス(ウィリアム・バード)
編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.です。
クラリネット四重奏、木管四重奏、サックス四重奏にも変更可能です。

金管四重奏 アヴェ・ヴェルム・コルプス(ウィリアム・バード)
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https://youtu.be/RysTx93pXo4

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Ave verum corpus
William Byrd (c.1543-1623)
ウィリアム・バード
バードはエリザベス一世に代表されるテューダー朝を代表する音楽家で、師のトマス・タリスとともに、
英国教会音楽の黄金時代を築きました。20歳でリンカーン主教座聖堂オーガニストに就任、
29歳で王室礼拝堂オーガニストに就くなど、教会音楽の指導的役割を担うかたわら、
1575年にはタリスとともにエリザベス女王から楽譜印刷及び販売の独占権が与えられ、
多くの作品を作曲・出版しました。教会合唱曲としては、ミサ曲3曲、モテット集3巻78曲、
グラヂュアーレ集3巻109曲にのぼります。
このアンセムは、グラデュアーレ集第2巻(1607年出版)に収録されている彼の代表作です。

歌詞:
Ave verum corpus, natum de Maria virgine, vere passum,
immolatum in cruce pro homine, cujus latus perforatum unda fluxit sanguine,
esto nobis praegustatum, in mortis examine, O dulcis, o pie,
o Jesu fili Mariae, miserere mei, Amen

邦訳:

幸いなるかな、おとめマリアより生まれ出た御体よ。
人々のため、まことに苦しみを受け、十字架の上で犠牲となり、
脇腹を刺し貫かれ、水と血とを流し給う。
願わくは死の試練にあっても、われらにその御体を味わわせ給わんことを。
マリヤのみ子、やさしく恵み深いイエスよ、われらをあわれみ給え。アーメン

アヴェ・ヴェルム・コルプス (Ave verum corpus) は、カトリックで用いられる聖体賛美歌です。
トリエント公会議で確立された対抗宗教改革の一環として典礼に取り入れられ、主に聖体祭のミサで用いられました。
現在では、ウィリアム・バードやモーツァルト、フォーレ作曲によるものが有名です。

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  2020/09/13   animato

クラリネット五重奏 モテット「まことの安らぎはこの世にはなく」

クラリネット五重奏 モテット「まことの安らぎはこの世にはなく」
(Nulla in mundo pax sincera)
編成はCl.4本、Bs.Cl.です。
サックス五重奏、木管五重奏に変更可能。

バロック期の美しい名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

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(Nulla in mundo pax sincera)
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https://youtu.be/z3t-0QfqnxE

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アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日 - 1741年7月28日)は、
ヴェネツィア出身のバロック後期の作曲家で、ヴァイオリニスト。カトリック教会の司祭を務めました。
とくに多数の協奏曲の作曲家として知られています。オーストリアのウィーンで没しました。
サン・マルコ大聖堂付きオーケストラのヴァイオリニストで、理髪師の父親からヴァイオリンを学びました。
10歳より教会附属の学校に入り、25歳で司祭に叙階されました。
赤毛であったことから、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれるようになりました。
イ・ムジチ合奏団はヴィヴァルディの『四季』を1955年に世界ではじめて録音し、
レコードはこれまでに2500万枚以上という驚異的な売り上げを記録しています。
これによりヴィヴァルディは一躍有名になり、クラシック・ファンを越えた人気を持つに至りました。

この曲は映画「シャイン」で一躍有名になった、ヴィヴァルディのモテット(声楽曲・宗教曲のひとつ)です。
モテット(英: 仏: motet)は、声楽曲のジャンルのひとつです。
一般的に、中世末期からルネサンス音楽にかけて成立・発達した、ミサ曲以外のポリフォニーによる宗教曲を指します。
18世紀後半から啓蒙主義やロマン主義のあおりを受けて、しだいにキリスト教が衰退する中、モテットも次第に顧られなくなりました。
しかし、そのような中でもモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスは有名かつ重要な作品となっています。
その他フランク、ブルックナー、ブラームス、サン=サーンス、フォーレ、
スタンフォード、ヴォーン・ウィリアムズなどがモテットを作曲しています。

この曲は以下のように構成されています。

1 アリア Aria: Nulla in mundo pax sincera
2 朗唱 Recit: Blando colore
3 アリア Aria: Spirat anguis
4 ハレルヤ Alleluia

この「まことの安らぎはこの世にはなく」は、最初のアリアです。


↓ この曲(アリア)のイタリア語の歌詞はこちら。

Nulla in mundo pax sincera
sine felle; pura et vera,
dulcis Jesu, est in te.

Inter poenas et tormenta
vivit anima contenta
casti amoris sola spe.

この世にまことの安らぎはなく
苦渋なき真に純粋なる安らぎは
慈愛にあふれるイエス、御身の中にこそ

苦悩と痛苦にはさまれても
魂は幸せに生きている
しみひとつない愛を待って

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  2020/09/12   animato

歌劇「魔笛」アリア・ハイライツ 吹奏楽譜

歌劇「魔笛」アリア・ハイライツ 吹奏楽譜

モーツァルト3大オペラの最終作「魔笛」の中から有名なアリア4曲を集めました。
愛らしくファンタジックな名曲の数々をPiccolo TrumpetとEuphoniumのSoloで綴ります。
Piccolo TrumpetのソロはEs Clarinetに変更可能です。
原調のままですからSopranoとBaritoneの歌手付きでも効果的なプログラムとなるハイライツです。
演奏時間10分15秒です。

モーツァルトの名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

歌劇「魔笛」アリア・ハイライツ 吹奏楽譜

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Piccolo TrumpetのソロはEs Clarinetに変更可能です。
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https://youtu.be/_SGh29vrE_I

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1.「私は鳥刺し」(パパゲーノ)
第一幕で鳥刺し(鳥を捕まえる仕事)をしているパパゲーノが歌い上げます。
おしゃべりで陽気なパパゲーノのキャラクターが表現されているアリアです。
大きな鳥かごを背負い、奇妙な羽毛の服を着た鳥刺しパパゲーノが自己紹介を歌って登場する愉快な民謡調のアリアです。
もとは当時流行した歌だった。途中にパパゲーノが吹くパンの笛の音が入ります。
《直訳》
おれは鳥刺しだ
いつも陽気で ハイザ ホプササ!
鳥刺しならおれのこと
老いも若きも 国中じゅう誰もが知っている
鳥のおびきよせ方も知ってるし 5本の笛で有名だ
いつも楽しく 陽気に暮らしてる
なにしろ鳥はみんなおれのものだ

おれは鳥刺しだ
いつも陽気で ハイザ ホプササ!
鳥刺しならおれのこと
老いも若きも 国じゅう誰もが知っている
女の子を捕まえる網がほしい
仕掛けたら 1ダースほどつかまえられるかな
そいつを籠に入れたら 女の子はみんなおれのもの

2.「復讐の心は地獄のように胸に燃え」(夜の女王のアリア)
夜の女王が歌うアリアです。曲名よりも「夜の女王のアリア」として呼ばれることが多く、
オペラを知らない人でも聞いたことがあるほど有名な楽曲です。
第二幕で、娘パミーナにザラストロを殺せと命じるシーンで歌われます。
激しい怒りを表現するためモーツァルトは、歌手に対して高い音(最高音ヘ音)を要求しました。
このアリアを歌いこなせる人は世界で数名しかいないと言われるほど、とても難易度の高い楽曲です。
《直訳》
地獄の復讐が私の心に煮えたぎっている
死と絶望の炎が私の周囲で燃え上がる
お前がザラストロに死の苦しみを与えないのならば
もう親でもなければ子でもない

永久に縁は切れ お前は見捨てられるのだ
自然の(親子の)あらゆる絆は永遠に打ち砕かれるのだ
お前がザラストロの息の根を止めないならば
聞け 復讐の神々よ! 聞け この母の誓いを!

3.「恋人は女房があればいいが」(パパゲーノ)
沈黙の試練を受けていてもしゃべらずにはいられないパパゲーノ。
雷で脅されたり、おなかがすいたりで、試練をうけたことを後悔しているところへ弁者があらわれてワインをふるまいます。
ワインを飲んだパパゲーノは今度はできることなら恋人か女房がほしいと魔法の鈴を鳴らし歌います。
陽気な悲しみがこめられた民謡風のアリアです。
《直訳》
彼女か女房を パパゲーノは欲しいんだ
ああ そんな気立てのいい可愛い娘がいたら まさにこのうえない幸せよ

そうなりゃ飲み食い みなおいしくて 王様とだって肩を並べられるだろうさ
人生を賢い人間として楽しみ まるで天国にいるようだろう

彼女ひとりか女房ひとり おれの欲しいのはこれだけさ
優しい小鳩がいてくれりゃ まさに幸せそのものよ

ああ 誰も好いてはくれんのか 魅力的な娘たちの誰にも?
どうか誰か この苦境から助けておくれ さもないと本当に死ぬほどうらむぞ

娘っ子か可愛い女房がひとり パパゲーノは欲しいんだ
ああ やさしい小鳩がいてくれりゃ おれはまったく大喜びさ

4.フィナーレ「パ・パ・パ」(パパゲーノ・パパゲーナ)
パパゲーノとパパゲーナが歌う二重奏です。
二幕の最後、2人が再開しめでたく夫婦になるシーンで歌われます。
冒頭からしばらくは「パパパ」とお互いの名前を歌うとても楽しい楽曲です。
「パ・パ・パ」 と互いに呼びかけ合い、しっかりと抱き合って喜びを歌います。
《直訳》
パパゲーノ 「お前 本当におれの女房か」
パパゲーナ 「そうよ ほんとにあんたの妻よ」
パパゲーノ 「じゃあ かわいい女房になってくれ」
パパゲーナ 「じゃあ あんたも私の大事な人よ」
ふたり一緒に 「うれしい神のおぼしめし 二人の愛のご褒美に かわいい子供をさずかるなら どんなにかうれしかろ」
パパゲーノ 「はじめは小さいパパゲーノ」
パパゲーナ 「それから小さいパパゲーナ」
パパゲーノ 「もひとり小さいパパゲーノ」
パパゲーナ 「またまた小さいパパゲーナ」
ふたり一緒に 「天にも昇る気持ちってもんだ
たくさん たくさん パパゲーノ たくさん たくさん パパゲーナ
二人はたちまち子だくさん 親冥利につきるってことよ」

物語はメルヘンの世界となっていて、ややストーリーにつじつまの合わない箇所があります。
これは、モーツァルトと台本を書いたシカネーダーの二人が、
当時流行っていた秘密結社「フリーメーソン」という一種の宗教の信者で、
作品にその教義を盛り込んだため、少し混乱してしまったようなのです。
しかし、基本的にはメルヘンの優しい世界の中で、楽しいエピソードが繰り広げられます。
いつもは敷居が高くて堅苦しいオペラ鑑賞も、このオペラなら肩の力を抜いて、
ゆっくり楽しむことができるでしょう。

誰でも知っているメロディー、オペラらしいメロディー。
極上のモーツァルトの音楽を聴くことができるのが、この『魔笛』の最大の魅力です。
例えば、夜の女王のアリアと言えば、コロラトゥーラと呼ばれるソプラノ歌手が
綱渡りのように最高音を出すことで、このオペラの名物となっています。
タミーノのアリア「なんと美しい絵姿」を歌う主役テノールは叙情的で優しい声が必要です。
また、パパゲーノとパパゲーナの二重唱「パ・パ・パ」は、何とも楽しい歌ですので、
ぜひ一度、聴いてみることを薦めします。

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  2020/09/12   animato

金管四重奏 セレナード ハ長調作品48よりワルツ

金管四重奏 セレナード ハ長調作品48よりワルツ
Waltz from Serenade
編成はTp.2本、Tbn.またはEup.、Tubaです。
木管四重奏やサックス四重奏でも演奏できます。

甘く美しいチャイコフスキーの名曲を、ぜひお楽しみください。

金管四重奏 セレナード ハ長調作品48よりワルツ
Waltz from Serenade
編成はTp.2本、Tbn.またはEup.、Tubaです。
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参考音源
https://youtu.be/nWfIKtkM928

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

弦楽セレナード ハ長調作品48は、ピョートル・チャイコフスキーが1880年に作曲した弦楽オーケストラのための作品です。
チャイコフスキーの代表作の一つとして広く親しまれています。
この作品は、チャイコフスキーがモスクワ音楽院に着任した時からの親友で
チェロ奏者のコンスタンチン・カールロヴィチ・アルブレヒトに捧げられました。
当時のヨーロッパ音楽について表面的な効果を狙ったものという批判的な感想を持っていたチャイコフスキーが、
自身の敬愛するモーツァルトの精神に立ち返る、という意図から書いたものであり、
パトロンのフォン・メック夫人へ完成を報告する手紙にも「強い内的衝動によって書かれたもので、
だからこそ真の芸術的な価値を失わないものです」と記しています。

第2楽章
Waltz; Moderato (Tempo di valse)
ロンド形式(A-B-A-C-A-B-A)のワルツ。甘く気品のあるメロディーが特徴です。
ソナタや交響曲の楽章にワルツを用いることは、チャイコフスキーの常套手段でしたが、この楽章も例外ではありません。
ワルツのリズムに乗って、第1ヴァイオリンが奏するメロディーは親しみやすく有名です。
この楽章の冒頭部は、NHK衛星第2テレビジョン(BS-2)の番組「クラシック・ロイヤルシート」のオープニングで使用されています。

チャイコフスキーの弦楽セレナード(ハ長調 作品48)は、1880年に作曲されています。
チャイコフスキーはペテルブルク音楽院を卒業後、1866年にモスクワに移住し、モスクワ音楽院
で教えることになりました。それは12年間続き、その後はヨーロッパ各地を転々としながら作曲活動を
行っていました。その時期に書かれたのがこの「弦楽セレナード」で、作曲は1880年。モスクワ音楽院に
勤めるようになった時期からの友人であったチェロ奏者のコンスタンチン・アルブレヒトにこの作品
は献呈されている。
この少し前の1876年に富豪の未亡人メックから資金援助の申し出を受け、作曲活動に集中でき
る環境を得たチャイコフスキーは、交響曲第4番(1876~77年作曲)をメック夫人に献呈しました。
ふたりは直接会うことはありませんでしたが、手紙を頻繁にやり取りするようになりました。彼女に宛てた手紙の中で
チャイコフスキーはこの「弦楽セレナード」に関して、第1楽章は「モーツァルトの様式を意図的に模倣した」と書いています。
セレナードというジャンルはモーツァルトが得意としており(例えば有名な
「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」など)、特に第1楽章に付けられた「ソナチネ」という単語はモーツァルトを
意識したものでしょう。編成は弦楽5部。オーケストラの弦楽器奏者が全員で演奏出来るのですが、
チャイコフスキーは、その弦楽器奏者の数は多ければ多い方が作曲家の意図に合う、とスコア
に書き込んでいます。

公式の初演の前に、モスクワ音楽院の学生たちがサプライズで演奏しました。1881年の公開初演で
はエドゥアルド・ナプラヴニク(チェコ人の指揮者でロシア在住。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第
1番のロシア初演も指揮した)が指揮を担当しました。

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー (1840~1890)
ウラル地方の鉱山技師の息子として生まれ、最初はサンクトペテルブルクの法律学校へ進み、官
吏となりますが、音楽への意欲は消えませんでした。1861年21歳の時にペテルブルク音楽院に入学。卒
業後はモスクワに移り作曲家として活躍するようになります。1875年にピアノ協奏曲第1番を発表。その翌年に
は大富豪の未亡人メックが援助を申し出て、ようやく作曲に専念する環境を得ます。数々の名作を書
いた後、交響曲第6番「悲愴」の初演直後に亡くなりました。

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金管四重奏 メンフィス・ブルース

金管四重奏 メンフィス・ブルース
Memphis Blues
編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
木管四重奏やサックス四重奏でも演奏できます。

”世界最初のブルース”を、お楽しみください。

金管四重奏 メンフィス・ブルース
Memphis Blues
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1909年「ブルースの父」WCハンディ(1873-1958 アラバマ州出身)は、アラバマ州フローレンスの敬虔なクリスチャンの家に生まれました。
生まれた頃から教会音楽に親しんで育った彼だが、幼少の頃の彼の心を捉えたものは、アラバマ州の田舎町に生息する蝙蝠のはばたく音、
ふくろうの鳴き声、サイプレス・クリークという渓谷で汗ばんだ手や顔を洗った時の音だったそうです。
「オルガン教室や教会の音楽よりも、南部の黒人労働者がシャベルで大地をたたき、そのリズムで歌うのを聞いているのが好だった。
彼らのリズムはクラシック音楽よりも複雑で、彼らの歌は人生の全てを歌っていた。」
後年、ハンディ自らが語った言葉です。

南部の黒人達が歌うフィールド・ハラー(労働歌)が、後に「ブルースの父」と呼ばれるハンディの下地を作ったのでしょう。
音楽家としてそれなりの教養と経験をつんだハンディは、1903年、ミシシッピ州デルタ地帯のタトワイラーという駅でブルースと出会いました。

ブルースという音楽は、決してハンディが生み出したわけではありません。
それまで、音楽的教養のない、南部の貧しい黒人達が演奏していたブルースを、音楽的教養があり、
比較的経済的に恵まれた黒人、WCハンディが世に送り出したのです。

こうして来たる1909年、ハンディはオリジナルのブルース『メンフィス・ブルース(原題ミスター・クランプ)』を発表しました。
そして1912年、この『メンフィス・ブルース』は世界初のブルースの楽譜として出版されました。

この『メンフィス・ブルース』が作品として生み出されるために、ハンディが研究した南部の黒人音楽“ブルース”を、彼はこう語っています。
「南部の黒人達の歌は、3度と7度の音(ミとシ)が微妙に下り、メジャーとマイナーの中間のようなキーを
作り出している(現在のブルーノート・スケール。)また、彼らの歌にはトニック、サブ・ドミナント、
ドミナント・セブンのコード進行が見られた(現在の3コード進行。)そして彼らは、
同じフレーズを2度繰り返して歌い、3度目にその結末のような歌詞を持ってくる(これを整理すると、12小節になる。)」
ブルーノート・スケール、3コード、12小節。
これ以降、全てのブルースの原型となる「12バー(小節)・ブルース」が、こうして完成しました。

WCハンディ作曲の『メンフィス・ブルース』を、スウィング・ジャズの巨匠
『ハーレム・ルネッサンス』のデューク・エリントンも演奏しています。
『メンフィス・ブルース』の楽譜が出版された1912年、ジャズにはまだ正式名称がありませんでした。
Jasshouse Music(ジャスハウス・ミュージック/売春小屋音楽)などと呼ばれていましたが、
Jass(ジャス/性交や女性器を意味する南部の古い俗語)という差別的呼称を避けるために、
Jazz(ジャズ)という正式名称が1920年代に米国シカゴでつけられました。

したがって、1920年代以前には、”ジャズ”という音楽の正式なジャンルはなかったわけです。
ジャズは、ブルースや黒人霊歌などを演奏するための、演奏スタイルの一つだったのです。
したがってジャズの曲名には『~~ブルース』というのが多くあります。

しかし、1920年代以前のニューオリンズやディキシーランドの即興演奏には、ブルースの枠ではくくりきれないものが多くありました。
また、ジャズが確立されてからの発展には、他のどのジャンルの音楽も追随できないものがあります。
こうしてジャズは、音楽のジャンルとしての地位を高め、独立していきました。

W.C. Handyは、彼自身を"ブルースの父"と呼んでいます。
Handyがブルースの形式を発明したわけではないのですが、彼は、曲のタイトルに"Blues"という言葉を使った最初の人の1人です。
(例えば、1912年の"Memphis Blues")
そして、"blue notes"(メジャー・スケールの3番目と7番目の音を半音下げたもの)を作品に使用しています。
Handyは、ブルースという音楽形式を広め、1900年代のアメリカ特有の表現とした点で
初期のブルースの開拓者達と同じ位の功績をしたと言えます。
ソングライターとして、バンド・リーダーとして、出版者として、Handyは、彼自身のある程度出来上がっていた音楽的な基盤のために、
ブルースと一定の距離を置いていたものの、ブルースと同義の存在になりました。
彼はブルースを"原始的な音楽"と呼びました。
その発言は、="騒々しい退屈"というブルースの持つ従来の意味を暗にほのめかしていました。
しかし、Handyは、後年までには、ブルースの王者に返り咲いていました。
Handyのブルースへの貢献の栄誉を称え、Memphisの有力者達は、公園に彼の名をつけました。
そして毎年、ブルースの殿堂が選ばれ、W.C. Handy賞は、ブルースにおいてグラミー賞にも匹敵する価値があります。

Handyは、Alabamaに生まれ、若い頃から音楽を学びました。
彼は、南部を旅芸人やテント・ショーと共にまわるバンドでコルネットを演奏しました。
Handyによると、それは、1892年のことだが、彼は、旅の途中で、デルタ・ブルースを初めて聴きました。
Maharaの旅芸人と演奏した後、彼は、1896年に一座の音楽の総合責任者を継ぎ、
1800年代後半~1900年代初期にかけて、Mississippi Deltaで手軽なクラシック音楽や当時のポピュラーなダンス・ナンバー、流行歌を演奏しました。
1908年には、彼は、Memphis市長選挙でE. H. "Boss" Crumpのためのキャンペーン・ソングを書くように要請されました。
Handyはやむなく書き、彼が書いた曲のオリジナル・タイトルは、"Mr. Crump."です。
Handyは、後にそれを"Memphis Blues"に変えて1912年に出版しました。
その曲はビッグ・ヒットになりました。
細かい研究家は、"Memphis Blues"が本当にブルースかどうかを議論していますが、その是否に関わらず、
"Crazy Blues"を書いたPerry Bradford(この曲は、Mamie Smithのために書かれ、
彼女は、1920年に録音し、最初期のブルースの曲となった)のような、
ブルース作曲家にインスパイアされた曲だという事実に間違いありません。
この曲は、今でも、1920年代の古典的ブルースとして知られています。

Handyは、1914年に"St. Louis Blues"と"Yellow Dog Blues"を、1916年に"Beale Street Blues"を出版しました。
そんな中で、1917年にNew York Cityに移動した彼は、1923年まで彼自身のバンドと共に録音し、
1922年には、Handy Record Companyを設立しますが、そのレーベルは、ろくにレコーディングを発表出来ないまま、失敗に終わりました。
1920年代、30年代と、Handyは多くのオーケストラと共演しました。
1938年には、彼は、自伝"Father of the Blues"を書きました。
1940年代、視力の低下のため、Handyは、表舞台からは姿を消し、その後、1958年に亡くなりました。

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  2020/09/12   animato

クラリネット四重奏《弦楽四重奏曲 第15番 イ短調》より 第2楽章 

クラリネット四重奏《弦楽四重奏曲 第15番 イ短調》より 第2楽章 
~病から癒えた者の神への聖なる感謝の歌~
編成はCl.3本とBs.Cl.です。

サックス四重奏、木管四重奏ほかの編成も可能。

ベートーヴェンの重厚な技法をぜひ表現してみてください。

クラリネット四重奏《弦楽四重奏曲 第15番 イ短調》より 第2楽章 
~病から癒えた者の神への聖なる感謝の歌~
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参考音源
https://youtu.be/fyrY3zNuTK0

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番は、実際には13番目に書かれた作品です。
ですので第13番から15番までの大傑作3曲の中では、最も古典的な形式を残しています。
この曲の作曲を進めていたベートーヴェンは腸カタルを悪化させてしまい、一時期病床に伏せていました。
その後、回復して再び作曲に戻りますが、その時の感謝の気持ちがこの曲の第3楽章に反映されています。
1825年11月6日にシュパンツィヒ四重奏団によって初演されました。
全5楽章で構成されています。《第12番》、《第13番》と同じく、ニコライ・ガリツィン伯爵に献呈されました。
作曲順は第12番の次で第13番よりも前です。
1824年より第1楽章と終楽章のスケッチが進められ、この時点ではベートーヴェンは通常の4楽章構成を考えていたようです。
しかし病気のために作曲が中断され、快復して再着手した際に、リディア旋法による第3楽章が挿入されました。

第2楽章 Allegro ma non tanto
アレグロ・マ・ノン・タント 
イ長調、三部形式
《交響曲第3番》以来ベートーヴェンが繰り返してきたスケルツォというよりも、むしろトリオつきのメヌエットというべきです。
トリオは、主音(ここではラ)の保続音の上に旋律が奏でられるため、ミュゼットを思い起こさせます。
この作品は途中で病気による中断というアクシデントがあったのですが、その事がこの作品の新しいプランとして盛り込まれ、
第3楽章には「病癒えた者の神に対する聖なる感謝のうた」「新しき力を感じつつ」と書き込まれることになります。
さらには、最終楽章には第9交響曲で使う予定だった主題が転用されていることもあって、
晩年の弦楽四重奏曲の中では最も広く好まれてきた作品です。
明るく流麗ですが、決して外面的に聞こえることは無く内省的な印象を受けます。

ベートーヴェンが書いた弦楽四重奏曲の中の最高傑作を第14番と考える人は多いですが、
旋律線が極めて美しい第15番を第14番以上に好んでいる人もまた多いと思います。

己の中にたぎる「何者」かを吐き出し尽くしたベートーベンは、その後深刻なスランプに陥ります。
そこへ最後の失恋や弟の死と残された子どもの世話という私生活上のトラブル、さらには、
ナポレオン失脚後の反動化という社会情勢なども相まってめぼしい作品をほとんど生み出せない年月が続きます。
その様な中で、構築するベートーベンではなくて心の中の叙情を素直に歌い上げようとする
ロマン的なベートーベンが顔を出すようになります。
やがて、その傾向はフーガ形式を積極的に導入して、深い瞑想に裏打ちされたファンタスティックな作品が
次々と生み出されていくようになり、ベートーベンの最晩年を彩ることになります。
これらの作品群を世間では後期の作品からも抽出して「孤高期の作品」と呼ぶことがあります。

「ハンマー・クラヴィーア」以降、このような方向性に活路を見いだしたベートーベンは、偉大な3つのピアノ・ソナタを完成させ、
さらには「ミサ・ソレムニス」「交響曲第9番」「ディアベリ変奏曲」などを完成させた後は、
彼の創作力の全てを弦楽四重奏曲の分野に注ぎ込むことになります。
そうして完成された最晩年の弦楽四重奏曲は人類の至宝といっていいほどの輝きをはなっています。
そこでは、人間の内面に宿る最も深い感情が最も美しく純粋な形で歌い上げられています。

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  2020/09/11   animato

美しく青きドナウ 吹奏楽譜

美しく青きドナウ 吹奏楽譜

美しいドナウ川の情景を思い浮かべながらお楽しみください。
ウィーンの薫り高き曲を、あなたのコンサート・ピースにどうぞ。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ヨハン・シュトラウスⅡ世(Johann StraussⅡ) は、数々のワルツやポルカなどを世に出し、
父ヨハン・シュトラウスⅠ世同様に、ワルツ王の名を得たオーストリアの作曲家です。
シュトラウスⅡ世は作品番号がついている作品だけでも生涯に166曲のワルツを作曲し、
彼独自の明るく夢見るような旋律は初期の作品からみられています。 

美しく青きドナウではウィンナ・ワルツのリズムがとられています。
ウィンナ・ワルツの成立には、ダンスの動きの変化が深く関連しています。
その基本ステップは、前の小節の3拍目から1拍目で長めに滑り出し、2拍目にかけて回転し、
3拍目は軽く両足を揃えるというもので、このようなウィンナ・ワルツの動きが、
早めの2拍目と、浮いた感じでありながら次の小節へ滑り出す3拍目、という特徴を生み出したといわれています。
勢いよく回りながら先へと進み加速をもたらし、規則正しいリズムが崩れ、ワルツの新しいリズムが生まれました。
その動きはメロディにも全く新しい躍動をもたらしたとされています。

不朽の名作である「美しき青きドナウ」は、敗戦に打ちひしがれていたウィーンの人々を励ますために作曲されたものでした。
1866年に普墺戦争に突入したオーストリア帝国はプロイセンに敗北し、
ドイツ諸邦に対する主導権をプロイセンに奪われることになります。
その苦しい空気はウィーンにも漂っていました。それを払拭したいと思ったシュトラウスⅡ世はこのワルツを草案し、
ハンガリーの詩人カールベックの詩の最後の一行を取って、
「美しく青きドナウ(のほとりで)(An der schonen blauen Donau)」と名付けました。

初演の際の合唱の歌詞は警察の役人ヨーゼフ・ワイルによって作詞されたウィーンの人々を励ます内容のものでした。
しかし、ウィーンが敗戦のショックから立ち直るにつれての歌詞も合わなくなり、
この歌詞で上演されたのはわずか7回だけでした。
その後シュトラウスⅡ世はパリのコンサートにてオリジナルに若干手をくわえて歌詞なしでの演奏を行うようになりました。
それが期待以上に好評を得て、このドナウ・ワルツは世界中で演奏される名曲へとなっていったのです。

この曲は序奏から始まり、第一ワルツから第五ワルツ、そしてコーダで構成されています。
序奏では朝もやに輝くドナウのさざなみを表すヴァイオリンのトレモロに乗って、第一ワルツの旋律が夜明けを告げます。
ホルンのソロが牧場に響くアルペンホルンのように鳴り響いてきます。そしてチェロも加わり
本格的な朝が到来して、ワルツへと続いていきます。

ゆったりとした旋律の後ハープを経て第一ワルツが始まります。
第ニワルツでは、ヴァイオリンのトレモロに乗って管楽器が水の精のように戯れます。
やがてトレモロはハープに移行し、フルートとヴァイオリンが流麗な旋律を奏でます。 
第三ワルツは、休符から次の小節のタイで生まれるアクセントのリズムによって生き生きと跳躍する感覚が特徴です。
第四ワルツはこの作品中で最も優雅な部分です。思わせぶりなクレッシェンドと休符を多用して、
楽しみながらアクセントのついた次の一拍目へつなげていくところにウィーンらしさがみられます。 
第五ワルツでは、第一ワルツの音型を逆さまにしたような旋律から始まります。
舞踏会もクライマックスを迎え全員がくるくる輪になって回っている様子を思わせる華やかなワルツとなっています。
コーダでは、急にテンポを上げ、勢いを増していきます。そしてワルツの主要旋律が少しゆっくりになり、
ホルンとチェロで瞑想のように美しく奏でられます。最後にヴァイオリンの小刻みな波の上をファゴットとホルン、
低弦部が刻みながら追い立て、怒涛のように勢いよく下りながら、力強くドナウの物語を完結させます。
ブラームスが「私の作品であればよかったのに」と書いたという有名なエピソードがあります。
今日ではオーストリア第二の国歌と呼ばれて世界に広がり、
現在でもウィーンやヨハン・シュトラウスⅡ世の代名詞となっている名曲がこの「美しく青きドナウ」です。

ウィンナ・ワルツは独特のリズムを持っているので、やはり本場ウィーンの演奏を楽しみたいものです。
他の国のオーケストラでは、なかなかこのリズムは再現できません。
本家と言えばウィーン・フィルの演奏ですが、超一流の指揮者による表現の違いに注目するのは、とても楽しいものです。
今年のドゥダメル指揮も素晴らしいですが、
アーノンクールや印象的な小澤征爾の指揮も避けて通れない名演です。

ウィンナ・ワルツにはひとつの形式があります。ワルツの始まりを感じさせるようなゆったりした「序奏」に始まり、
様々なカラーをもった「連なる5つのワルツ」、そして最後にはそれまでのワルツを回想するかのような「終結部」で締めくくられます。
また曲のメインでもある5つのワルツですが、1つのワルツの中にも前半と後半で曲調は変わり、
10個の色とりどりのメロディーがあるようにも見えます。
この形式はウィンナ・ワルツの代表曲「美しく青きドナウ」にも見られ、
これらの決まり事を理解したうえでウィンナ・ワルツを聴くと、より深く楽しむことができます。

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  2020/09/11   animato

サックス四重奏 ティコ・ティコ

サックス四重奏 ティコ・ティコ Tico-Tico no Fuba
編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
クラリネット四重奏、木管四重奏にも変更可能です。
打楽器四重奏は発売中です。

ラテン音楽のスタンダード・ナンバーを、ぜひお楽しみください。

サックス四重奏 ティコ・ティコ Tico-Tico no Fuba
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https://youtu.be/C69gdY_CKiA

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レイ・コニフ・シンガーズのレパートリーとして世界的に有名です。
『ティコ・ティコ・ノ・フバー』(Tico-Tico no Fuba)は、1917年に作曲されたブラジルの
ポピュラー音楽(ショーロ Choro)です。単に『Tico Tico(ティコ・ティコ/チコ・チコ)』とも表記されます。

曲名のティコ・ティコ(Tico Tico)とは、スズメ目ホオジロ科の鳥類アカエリシトドのポルトガル語での愛称です。

ラテン音楽のスタンダード・ナンバーがカルテット・アレンジで登場しました。
1917年に作曲されたこの曲は、ショーロと呼ばれるブラジルのポピュラー音楽の名曲です。
原題は『Tico-Tico no Fuba』で、小鳥(Tico-Tico)がエサである穀物の粉(Fuba)をついばむ様子を描写した、
軽快でユーモラスなナンバーです。ディズニーのアニメ映画「ラテン・アメリカの旅」で使用された他、
1947年の映画「コパカバーナ」でサンバ歌手のカルメン・ミランダが歌い、世界的に大ヒットしました。

曲名の「Fuba(フバ/フバー)」とは、乾燥させたトウモロコシを挽いて粉にした食品コーンミールのことです。
タコスのトルティーヤ(薄焼きパン)に欠かせない食材です。

曲名は全体で「コーンミールの中のアカエリシトド」といった意味合いになります。
ディズニー映画「ラテン・アメリカの旅」(1943年)で使われたほか、映画「コパカバーナ」(1947年)中で
ブラジル人歌手カルメン・ミランダ(Carmen Miranda)が歌い世界的ヒット曲となりました。
また、1960年代に活躍したレイ・コニフ・シンガーズ(Ray Conniff Singers)のレパートリーとしても人気を集めました。

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  2020/09/10   animato