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2020年9月

木管五重奏(六重奏) ディヴェルティメントK.136(モーツァルト)2楽章

木管五重奏(六重奏) ディヴェルティメントK.136(モーツァルト)2楽章
編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
コントラバスやコントラバスクラリネットで低音を重ねて演奏すれば六重奏になります。
変更可能楽器はオーボエ→クラリネット、ファゴット→バス・クラリネットです。

16歳モーツァルトの名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

木管五重奏(六重奏) ディヴェルティメントK.136(モーツァルト)2楽章
編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
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変更可能楽器はオーボエ→クラリネット、ファゴット→バス・クラリネットです。

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参考音源
https://youtu.be/FuY2F0G_iSg

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)はザルツブルク生まれました。
幼少のころから父レオポルトと同じく、ザルツブルク大司教の宮廷音楽家として活動しました。
父は彼に新しい音楽に触れさせ、多彩な音楽様式を学ばせるため、ロンドンやパリ、イタリアなどを
親子で旅行しました。


■ディヴェルティメントK.136~138
K.136~138までの3つのディヴェルティメントは,モーツァルト16歳の年にザルツブルクで書かれています。
いずれも弦楽合奏または弦楽四・五重奏のための曲です。通常ディヴェルティメントといえば,
もっと楽章数が多いのですが,この3曲は,いずれもメヌエットなしの3つの楽章から成っています。
このことから,後で交響曲にする予定だったのではないか,と言われています。
そのため,ザルツブルク・シンフォニーと呼ばれることもあります。
いずれも,イタリア風の瑞々しい感性に満ちた親しみやすい曲です。
ロッシーニの弦楽のためのソナタなどとも似た雰囲気のある愛すべき作品群です。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
ディヴェルティメント ニ長調  K.136 (125a)

《ディヴェルティメント》K.136は1772年、モーツァルトが16歳で書き上げた作品で、
父とともに訪れたイタリアの諸都市からザルツブルクへ戻った時期の創作です。
1772年=16歳の年の前半に、3曲セットで作曲されたディヴェルティメント(K.136~138)の第1作にあたります。
今日では、弦楽合奏で演奏される機会がほとんどですが、本来は4つのパートそれぞれ1名ずつによる
四重奏のための作品と推測されます。当時の演奏慣習では、弦楽四重奏を弦楽合奏で行なうこともあり、
演奏形態については特定できません。

ディヴェルティメントは、日本語では「嬉遊曲」と訳されることもあり、
その多くは夜会などの場で演奏されました。
明朗で軽やかな楽想が特徴で、特に楽章数や楽器編成の定型はないのですが、
一般的には楽章数は多い。18世紀後半に盛んに作曲され、ヨーゼフ・ハイドンはこのジャンルを
数多く手掛けています。モーツァルトのこの作品は3楽章構成で、第1楽章と第3楽章はソナタ形式、
そして第2楽章も簡素なソナタ形式です。また、ディヴェルティメントやセレナーデの定番となっている
メヌエット楽章は含まれていないことから、夜会目的の作品ではなかった可能性も考えられます。

モーツァルトは、1769年12月~1771年3月と1771年8月~12月にイタリア旅行を行いました。
この曲は、2回目の旅行から故郷ザルツブルクに戻って間もない時期に書かれた作品です。
急-緩-急の形をとるイタリアの「シンフォニア」(交響曲の起源のひとつ)に基づく構成と明朗な曲調に、
その影響が感じられます。
ただし作曲の経緯や用途はわかっていません。ディヴェルティメントは「自由な様式の器楽組曲」ですが、
当時は晩餐のBGM的な用途がメインですので、場を持たせるために多楽章で構成され、管楽器の使用が一般的でした。
ですから、交響曲のような3楽章構成+弦楽器のみの編成による本作は、いささか異例の存在でもあります。
いずれにせよ、流麗で瑞々しい音楽はすこぶるチャーミング。彼の10代の作品中、最上位の人気を獲得し、
弦楽合奏の重要レパートリーにもなっています。
16歳の天才少年の瑞々しい感性がほとばしる楽曲に、聴く者の心が軽やかになり、
一点の曇りのないスッキリと晴れ渡った青空を感じることができる作品です。


第1楽章 
アレグロ ニ長調。第1ヴァイオリンによる明るく清々しい主題は、この楽章を特徴づけています。
いきなり第1ヴァイオリンが滑らかなメロディを弾き始めます。
このメロディは,モーツァルトの数ある名旋律の中でも特に爽やかなものです。
3曲の中では,この曲が単独で演奏される機会が多いようですが,このメロディの魅力によるものでしょう。
展開部では短調の部分も出てきて,何ともいえない陰影を作っています。

第2楽章 
アンダンテ ト長調。典雅な趣の緩徐楽章。第1楽章の第1主題の動機が取り入れられており、
楽章間の結びつきが意図されています。スピードの速い,1・3楽章の間にあってホッと一息つくような楽章です。
シンプルな美しさのある楽章です。

第3楽章 
プレスト ニ長調。第1主題では、第1楽章の冒頭の主題が形を変えて現れます。
展開部では、対位法的な書法もみられるロンド風ソナタ形式の楽章です。
はねるような序奏に続いて,第1楽章の主題に似たメロディが出てきます。
第2主題は小刻みな感じで,展開部では,この2つが絡み合います。
一気に吹き抜けていく爽やかな風のような楽章です。

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  2020/09/18   animato

木管五重奏(六重奏) ディヴェルティメントK.136(モーツァルト)3楽章

木管五重奏(六重奏) ディヴェルティメントK.136(モーツァルト)3楽章
編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
コントラバスやコントラバスクラリネットで低音を重ねて演奏すれば六重奏になります。
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16歳モーツァルトの名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

木管五重奏(六重奏) ディヴェルティメントK.136(モーツァルト)3楽章
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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)はザルツブルク生まれました。
幼少のころから父レオポルトと同じく、ザルツブルク大司教の宮廷音楽家として活動しました。
父は彼に新しい音楽に触れさせ、多彩な音楽様式を学ばせるため、ロンドンやパリ、イタリアなどを
親子で旅行しました。


■ディヴェルティメントK.136~138
K.136~138までの3つのディヴェルティメントは,モーツァルト16歳の年にザルツブルクで書かれています。
いずれも弦楽合奏または弦楽四・五重奏のための曲です。通常ディヴェルティメントといえば,
もっと楽章数が多いのですが,この3曲は,いずれもメヌエットなしの3つの楽章から成っています。
このことから,後で交響曲にする予定だったのではないか,と言われています。
そのため,ザルツブルク・シンフォニーと呼ばれることもあります。
いずれも,イタリア風の瑞々しい感性に満ちた親しみやすい曲です。
ロッシーニの弦楽のためのソナタなどとも似た雰囲気のある愛すべき作品群です。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)
ディヴェルティメント ニ長調  K.136 (125a)

《ディヴェルティメント》K.136は1772年、モーツァルトが16歳で書き上げた作品で、
父とともに訪れたイタリアの諸都市からザルツブルクへ戻った時期の創作です。
1772年=16歳の年の前半に、3曲セットで作曲されたディヴェルティメント(K.136~138)の第1作にあたります。
今日では、弦楽合奏で演奏される機会がほとんどですが、本来は4つのパートそれぞれ1名ずつによる
四重奏のための作品と推測されます。当時の演奏慣習では、弦楽四重奏を弦楽合奏で行なうこともあり、
演奏形態については特定できません。

ディヴェルティメントは、日本語では「嬉遊曲」と訳されることもあり、
その多くは夜会などの場で演奏されました。
明朗で軽やかな楽想が特徴で、特に楽章数や楽器編成の定型はないのですが、
一般的には楽章数は多い。18世紀後半に盛んに作曲され、ヨーゼフ・ハイドンはこのジャンルを
数多く手掛けています。モーツァルトのこの作品は3楽章構成で、第1楽章と第3楽章はソナタ形式、
そして第2楽章も簡素なソナタ形式です。また、ディヴェルティメントやセレナーデの定番となっている
メヌエット楽章は含まれていないことから、夜会目的の作品ではなかった可能性も考えられます。

モーツァルトは、1769年12月~1771年3月と1771年8月~12月にイタリア旅行を行いました。
この曲は、2回目の旅行から故郷ザルツブルクに戻って間もない時期に書かれた作品です。
急-緩-急の形をとるイタリアの「シンフォニア」(交響曲の起源のひとつ)に基づく構成と明朗な曲調に、
その影響が感じられます。
ただし作曲の経緯や用途はわかっていません。ディヴェルティメントは「自由な様式の器楽組曲」ですが、
当時は晩餐のBGM的な用途がメインですので、場を持たせるために多楽章で構成され、管楽器の使用が一般的でした。
ですから、交響曲のような3楽章構成+弦楽器のみの編成による本作は、いささか異例の存在でもあります。
いずれにせよ、流麗で瑞々しい音楽はすこぶるチャーミング。彼の10代の作品中、最上位の人気を獲得し、
弦楽合奏の重要レパートリーにもなっています。
16歳の天才少年の瑞々しい感性がほとばしる楽曲に、聴く者の心が軽やかになり、
一点の曇りのないスッキリと晴れ渡った青空を感じることができる作品です。


第1楽章 
アレグロ ニ長調。第1ヴァイオリンによる明るく清々しい主題は、この楽章を特徴づけています。
いきなり第1ヴァイオリンが滑らかなメロディを弾き始めます。
このメロディは,モーツァルトの数ある名旋律の中でも特に爽やかなものです。
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第2楽章 
アンダンテ ト長調。典雅な趣の緩徐楽章。第1楽章の第1主題の動機が取り入れられており、
楽章間の結びつきが意図されています。スピードの速い,1・3楽章の間にあってホッと一息つくような楽章です。
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第3楽章 
プレスト ニ長調。第1主題では、第1楽章の冒頭の主題が形を変えて現れます。
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  2020/09/18   animato

打楽器四重奏トルコ行進曲楽譜

打楽器四重奏トルコ行進曲楽譜(モーツァルト/編曲 瀬 浩明)
ピアノソナタ第11番 イ長調 K. 331より 第3楽章

編成はGlock.、Xylo.、Vib.、Marim.です。
クラリネット四重奏や他の編成でも楽しめます。
サックス木管四重奏は発売中です。

モーツァルトの名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

打楽器四重奏トルコ行進曲楽譜(モーツァルト/編曲 瀬 浩明)
ピアノソナタ第11番 イ長調 K. 331より 第3楽章

編成はGlock.、Xylo.、Vib.、Marim.です。
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https://youtu.be/Mvx4imiSmH4

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ピアノソナタ第11番 イ長調 K. 331 (300i) は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲したピアノソナタです。
第3楽章が有名な「トルコ行進曲」であるため、「トルコ行進曲付き」と呼ばれることが多く、この楽章だけが単独で演奏されます。
第3楽章 トルコ風ロンド:アレグレット
イ短調 - イ長調、4分の2拍子、ロンド形式(A→B→C→B→A→B'→コーダ、B'はオクターヴを分散して16分音符化した旋律)です。
有名な「トルコ行進曲」です。当時流行していたトルコ趣味を取り入れたものです。
左手の伴奏がよくトルコの軍楽隊の打楽器の響きを模倣しています。
テンポは楽譜上ではアレグレットです(初期の出版ではAllegrinoとなっています)が、
多くの演奏家はアレグロで演奏することが一般的です。

17世紀後半から18世紀にかけ、西洋の音楽文化にメヘテルのもたらす「異国」の音楽の影響が現れ始めます。
1720年代初頭にはポーランド王アウグスト2世にオスマン帝国第23代皇帝アフメト3世から
メヘテルが送られ(アフメト3世は西欧諸国との平和外交を敷いていた)、
オーストリアではオスマン式軍楽が取り入れられました。
クラシック音楽にもその影響は色濃く反映され、オペラやオーケストラ、器楽曲にも「トルコ風」が取り入れられます。
モーツァルトに限らず当時の作曲家たちは流行りの音楽を進んで取り入れる、いわば「流行に乗った」わけです。
これらの作品に共通して現れる音楽的特徴が、シンバルなどの打楽器の使用、ユニゾンの多用、
鋭い音の為にピッコロを用いるなどでした。しかしこれらはあくまで「西洋人のイメージしたトルコの音楽」。
実際のトルコの音楽とは少し違ったようです。

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  2020/09/16   animato

打楽器四重奏 メンフィス・ブルース

打楽器四重奏 メンフィス・ブルース
Memphis Blues
編成はGlock.、Xylo.、Vib.、Marim.です。
クラリネット四重奏や他の編成でも楽しめます。
金管四重奏は発売中です。

”世界最初のブルース”を、お楽しみください。

打楽器四重奏 メンフィス・ブルース
Memphis Blues
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https://youtu.be/3Xntr1_ZdpU

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1909年「ブルースの父」WCハンディ(1873-1958 アラバマ州出身)は、アラバマ州フローレンスの敬虔なクリスチャンの家に生まれました。
生まれた頃から教会音楽に親しんで育った彼だが、幼少の頃の彼の心を捉えたものは、アラバマ州の田舎町に生息する蝙蝠のはばたく音、
ふくろうの鳴き声、サイプレス・クリークという渓谷で汗ばんだ手や顔を洗った時の音だったそうです。
「オルガン教室や教会の音楽よりも、南部の黒人労働者がシャベルで大地をたたき、そのリズムで歌うのを聞いているのが好だった。
彼らのリズムはクラシック音楽よりも複雑で、彼らの歌は人生の全てを歌っていた。」
後年、ハンディ自らが語った言葉です。

南部の黒人達が歌うフィールド・ハラー(労働歌)が、後に「ブルースの父」と呼ばれるハンディの下地を作ったのでしょう。
音楽家としてそれなりの教養と経験をつんだハンディは、1903年、ミシシッピ州デルタ地帯のタトワイラーという駅でブルースと出会いました。

ブルースという音楽は、決してハンディが生み出したわけではありません。
それまで、音楽的教養のない、南部の貧しい黒人達が演奏していたブルースを、音楽的教養があり、
比較的経済的に恵まれた黒人、WCハンディが世に送り出したのです。

こうして来たる1909年、ハンディはオリジナルのブルース『メンフィス・ブルース(原題ミスター・クランプ)』を発表しました。
そして1912年、この『メンフィス・ブルース』は世界初のブルースの楽譜として出版されました。

この『メンフィス・ブルース』が作品として生み出されるために、ハンディが研究した南部の黒人音楽“ブルース”を、彼はこう語っています。
「南部の黒人達の歌は、3度と7度の音(ミとシ)が微妙に下り、メジャーとマイナーの中間のようなキーを
作り出している(現在のブルーノート・スケール。)また、彼らの歌にはトニック、サブ・ドミナント、
ドミナント・セブンのコード進行が見られた(現在の3コード進行。)そして彼らは、
同じフレーズを2度繰り返して歌い、3度目にその結末のような歌詞を持ってくる(これを整理すると、12小節になる。)」
ブルーノート・スケール、3コード、12小節。
これ以降、全てのブルースの原型となる「12バー(小節)・ブルース」が、こうして完成しました。

WCハンディ作曲の『メンフィス・ブルース』を、スウィング・ジャズの巨匠
『ハーレム・ルネッサンス』のデューク・エリントンも演奏しています。
『メンフィス・ブルース』の楽譜が出版された1912年、ジャズにはまだ正式名称がありませんでした。
Jasshouse Music(ジャスハウス・ミュージック/売春小屋音楽)などと呼ばれていましたが、
Jass(ジャス/性交や女性器を意味する南部の古い俗語)という差別的呼称を避けるために、
Jazz(ジャズ)という正式名称が1920年代に米国シカゴでつけられました。

したがって、1920年代以前には、”ジャズ”という音楽の正式なジャンルはなかったわけです。
ジャズは、ブルースや黒人霊歌などを演奏するための、演奏スタイルの一つだったのです。
したがってジャズの曲名には『~~ブルース』というのが多くあります。

しかし、1920年代以前のニューオリンズやディキシーランドの即興演奏には、ブルースの枠ではくくりきれないものが多くありました。
また、ジャズが確立されてからの発展には、他のどのジャンルの音楽も追随できないものがあります。
こうしてジャズは、音楽のジャンルとしての地位を高め、独立していきました。

W.C. Handyは、彼自身を"ブルースの父"と呼んでいます。
Handyがブルースの形式を発明したわけではないのですが、彼は、曲のタイトルに"Blues"という言葉を使った最初の人の1人です。
(例えば、1912年の"Memphis Blues")
そして、"blue notes"(メジャー・スケールの3番目と7番目の音を半音下げたもの)を作品に使用しています。
Handyは、ブルースという音楽形式を広め、1900年代のアメリカ特有の表現とした点で
初期のブルースの開拓者達と同じ位の功績をしたと言えます。
ソングライターとして、バンド・リーダーとして、出版者として、Handyは、彼自身のある程度出来上がっていた音楽的な基盤のために、
ブルースと一定の距離を置いていたものの、ブルースと同義の存在になりました。
彼はブルースを"原始的な音楽"と呼びました。
その発言は、="騒々しい退屈"というブルースの持つ従来の意味を暗にほのめかしていました。
しかし、Handyは、後年までには、ブルースの王者に返り咲いていました。
Handyのブルースへの貢献の栄誉を称え、Memphisの有力者達は、公園に彼の名をつけました。
そして毎年、ブルースの殿堂が選ばれ、W.C. Handy賞は、ブルースにおいてグラミー賞にも匹敵する価値があります。

Handyは、Alabamaに生まれ、若い頃から音楽を学びました。
彼は、南部を旅芸人やテント・ショーと共にまわるバンドでコルネットを演奏しました。
Handyによると、それは、1892年のことだが、彼は、旅の途中で、デルタ・ブルースを初めて聴きました。
Maharaの旅芸人と演奏した後、彼は、1896年に一座の音楽の総合責任者を継ぎ、
1800年代後半~1900年代初期にかけて、Mississippi Deltaで手軽なクラシック音楽や当時のポピュラーなダンス・ナンバー、流行歌を演奏しました。
1908年には、彼は、Memphis市長選挙でE. H. "Boss" Crumpのためのキャンペーン・ソングを書くように要請されました。
Handyはやむなく書き、彼が書いた曲のオリジナル・タイトルは、"Mr. Crump."です。
Handyは、後にそれを"Memphis Blues"に変えて1912年に出版しました。
その曲はビッグ・ヒットになりました。
細かい研究家は、"Memphis Blues"が本当にブルースかどうかを議論していますが、その是否に関わらず、
"Crazy Blues"を書いたPerry Bradford(この曲は、Mamie Smithのために書かれ、
彼女は、1920年に録音し、最初期のブルースの曲となった)のような、
ブルース作曲家にインスパイアされた曲だという事実に間違いありません。
この曲は、今でも、1920年代の古典的ブルースとして知られています。

Handyは、1914年に"St. Louis Blues"と"Yellow Dog Blues"を、1916年に"Beale Street Blues"を出版しました。
そんな中で、1917年にNew York Cityに移動した彼は、1923年まで彼自身のバンドと共に録音し、
1922年には、Handy Record Companyを設立しますが、そのレーベルは、ろくにレコーディングを発表出来ないまま、失敗に終わりました。
1920年代、30年代と、Handyは多くのオーケストラと共演しました。
1938年には、彼は、自伝"Father of the Blues"を書きました。
1940年代、視力の低下のため、Handyは、表舞台からは姿を消し、その後、1958年に亡くなりました。

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  2020/09/16   animato

打楽器四重奏:メイプル・リーフ・ラグ楽譜

打楽器四重奏:メイプル・リーフ・ラグ楽譜
編成はGlock.、Xylo.、Vib.、Marim.です。
クラリネット四重奏や他の編成でも楽しめます。
サックス四重奏は発売中です。

弾むような楽しい名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

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『メイプル・リーフ・ラグ』(英:Maple Leaf Rag)は、スコット・ジョプリンが1899年に作曲した
ピアノのためのラグタイムです。曲名の「メイプル・リーフ」とは、英語で「カエデの葉」のことです。

ジョプリンの作品の中でも有名なものの一つであり、『オリジナル・ラグ』の次に作曲された本作品は、
1973年公開のアメリカ映画『スティング』のBGMとして使われ、
同映画で使用された『ジ・エンターテイナー』と同様の知名度を誇っています。

スコット・ジョプリン(Scott Joplin, 1867年 - 1917年4月1日)はアメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人の作曲家であり、
ピアノ演奏家。ラグタイムで有名な演奏家・作曲家であり、
「ラグタイム王」(King of Ragtime)と呼ばれています。
作風は陽気ではちきれそうな活気に満ちた音楽、心を揺さぶると同時に両足が反応せずにいられない音楽、
聞く者全てに微笑みがこぼれる音楽と例えられます。

彼の存命中、版権から得られる収入はありましたが、重要な作曲家としては認知されず、
1970年代になってようやくその音楽が見直されました。

彼のラグタイム作品の大半が死後何年も忘れられていた中で『メープル・リーフ・ラグ』は
1920~1930年代にも演奏され続けましたた。
ラグタイムとジョプリンへの1970年代の熱狂的リバイバルは終わりを告げましたたが、
スコット・ジョプリンの音楽は今やスタンダードともいえる
レパートリーであり、現代の生活にとけ込んだ音楽なのです。

アトリエ・アニマート
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  2020/09/15   animato

打楽器四重奏:ジ・エンターテイナー楽譜

打楽器四重奏:ジ・エンターテイナー楽譜
編成はGlock.、Xylo.、Vib.、Marim.です。
クラリネット四重奏や他の編成でも楽しめます。
サックス四重奏は発売中です。
落ち着いた雰囲気のラグタイムをコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

打楽器四重奏:ジ・エンターテイナー楽譜
編成はGlock.、Xylo.、Vib.、Marim.です。
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参考音源
https://youtu.be/DI6Gi5rYELg

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

エンターテイナー(英語: entertainer)は、
自身の特技、演技、芸、パフォーマンス、マジック、音楽などを披露し、観客を楽しませる或いは笑わせることで
接待するコメディアン、ミュージシャン、マジシャンを指します。
「ジ・エンターテイナー」(The Entertainer)は、1902年にスコット・ジョプリンによって
作曲されたピアノのためのラグタイムです。後に、1973年のアカデミー賞受賞映画『スティング』のテーマ曲として
使用されたことをきっかけに、1970年代のラグタイム復興の一端を担うこととなりました。

「ジ・エンターテイナー」には「ラグタイム・トゥー・ステップ」(A rag time two step)という
副題がつけられています。これは、1911年頃に流行したダンスの一種で、
当時作られたラグタイム曲に良く用いられていたものです。最初はハ長調ですが、途中からヘ長調の部分もあります。
曲の構成はA-B-A-C-Dの形態で、メロディは繰り返しの際に1オクターヴ上にするよう指示されています。

サッカー日本代表やJリーグの各クラブのサポーターのチャントとしてよく使われています。
また、それ以前にはプロ野球オリックス・ブレーブスの応援歌にも使われていました。
最近では、高校野球の応援歌としても使われる他、千葉ロッテマリーンズでも応援歌として使われています。

 

スコット・ジョプリン(Scott Joplin, 1867年 - 1917年4月1日)はアメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人の作曲家であり、
ピアノ演奏家。ラグタイムで有名な演奏家・作曲家であり、
「ラグタイム王」(King of Ragtime)と呼ばれています。
作風は陽気ではちきれそうな活気に満ちた音楽、心を揺さぶると同時に両足が反応せずにいられない音楽、
聞く者全てに微笑みがこぼれる音楽と例えられます。

ラグタイムとジョプリンへの1970年代の熱狂的リバイバルは終わりを告げましたが、
スコット・ジョプリンの音楽は今やスタンダードともいえる
レパートリーであり、現代の生活にとけ込んだ音楽なのです。

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木管五重奏 タイスの瞑想曲("Meditation")

木管五重奏 タイスの瞑想曲("Meditation")
編成はFl.、Ob.、Cl.、BsCl.、Bsn.です。
Ob.はCl.に変更可能。
低音はBsCl.2本、またはBsn.2本でも可能です。
「聖」と「俗」の葛藤を描く際の象徴的な音楽を演奏してみてください。

木管五重奏 タイスの瞑想曲("Meditation")
編成はFl.、Ob.、Cl.、BsCl.、Bsn.です。
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https://youtu.be/HCaPCqSNNnw

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

歌劇「タイス」を作曲したジュール・マスネ(1842-1912)はオペラで知られた作曲家です。
19世紀末のフランスで大作曲家として認められ、人の心をつかむ魅力的なメロディーを生み出す天才でした。
この時代、パリ・オペラ座で上演できる作曲家といえば、作曲の技量はもちろん、
人望、体力、政治力など非常にマルチな才能に溢れたエリート作曲家に限られていた中で、
マスネは最も多くの作品を上演していました。「タイス」は、そんなマスネが51歳の円熟期に書いたオペラです。
意欲的に取り組んだ作品でしたが、テーマの過激さが原因で初演は失敗してしまいます。
しかし、マスネは諦めることなく大幅な加筆をし、再演にかけました。
この改訂版が成功し、「タイス」は世界中で上演される人気作となったのです。

歌劇「タイス」のストーリーは、4世紀の北アフリカ・ナイル河畔の町を舞台に、
娼婦の「タイス」と修道士「アタナエル」が繰り広げる破天荒な恋物語です。
この 瞑想曲 は、タイスがアタナエルの説得により娼婦稼業をやめ、
改心して信仰の道に入ることを受け入れる重要な局面で流れる間奏曲です。
この間奏曲は、これまで生きてきた「俗」世界から「信仰」の世界へと大きく転換する
決定的瞬間を迎えたタイスの心情を表しています。
そしてオペラ「タイス」には、間奏曲の後もこの 瞑想曲 のメロディーがたびたび登場し、
オペラのテーマでもある「聖」と「俗」の葛藤を描く際の象徴的な音楽になっています。

「タイスの瞑想曲」はおよそ5分間の間奏曲ですが、この5分間には、
タイスが娼婦をやめて信仰の道に入ることに悩み、受け入れるまでの心の動きが描写されています。
タイスの心の葛藤がもっとも表れているのが、中間部です。ここではハーモニーが次々と変化し、
タイスの揺れる心情を表しています。そして最初のメロディーがふたたび表れる後半では、
音量がpp(ピアニッシモ)になっていることが印象的です。信仰の道に入ることを受け入れ、
心も浄化したタイスの覚悟を、きわめて小さく弱い音量で奏でることで表現しているといえるでしょう。

オペラ「タイス」のあらすじ
オペラ「タイス」の舞台は、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)統治下のエジプト。
「愛と美の女神ヴィーナス」を信仰する高級娼婦タイスと「救い主であるキリスト」を信じている
キリスト教の修道僧アタナエルという真逆な2人が主人公です。
厳格で禁欲的なアタナエルは、タイスの「人を堕落させるほど美しい魅力」を恐れて、
彼女をどうにかしてキリスト教へ改宗させ、まっとうな道へ導きたいと考えていました。
一方タイスは「愛こそすべて、愛こそが真実。私はどんな陶酔も知っているわ!」と強がっています。
そう言いつつも、鏡に向かって「華やかでも中身の無い空虚な日常」や、
「老いて美しさが失われていく」ことに思いをはせる日々です。
老いや死を怖れ、弱気になっている彼女にアタナエルは
「永遠の幸福へ導こう。キリストの花嫁になれば永遠に生きられる。
その愛は、一夜限りでなく永遠に続くものだ。夜が明けるまでは外で待っている」と告げました。
「永遠」という言葉に心が揺らいだ彼女は、長い瞑想(“タイスの瞑想曲”が聞こえる)のあと、
気持ちが決まり神に仕えるためアタナエルについて行くことにします。
ですが、その道は厳しく辛いものでした。
自分の物をすべて灰にして忘れ、知人たち(俗世)とも別れなければいけません。
そして目指している修道院は砂漠の向こうにあり、焼け付くような太陽の下を歩く2人は、身も心もボロボロです。
そんな中で、アタナエルは改心し健気な態度のタイスに対して「愛おしさ」を感じるようになります。
なんとか修道院に着き、アタナエルは修道長にタイスを託しました。
修道院に入ると言うことは、永遠の別れを意味します。
その事実に、彼は自分の目的が達成されたにもかかわらず酷く落ち込み、
彼女が居なくなったことに虚無感を覚え、食事も手につきません。
どれだけの時間・日にちが過ぎたのでしょうか、アタナエルは意識が朦朧としている中で夢を見ます。
美しく妖艶な姿のタイスが現れ、そして遠くからは「タイスが死ぬ」という声が聞こえます。
驚いたアタナエルは、彼女を置いてきた修道院へと駆け出しました。
どうにかたどり着きましたが、やっと会えた彼女は憔悴して体を起こす事さえできません。
3ヶ月もの間、眠らずに祈り続けたからです。
そんな彼女は、アタナエルを見て「あなたなのね…」と儚く微笑みます。
横たわる彼女に「私が教えてきた事はすべてウソだ!人間の命と愛以外に真実はない。
天国なんてないんだ!タイス、君を愛している!」と告げます。
しかし、死の床にあった彼女にはこの言葉も耳に入らず、やがて亡くなります。
自分が信じたキリスト教の教え通り
「美しい薔薇が咲く天国で、花束をかかえた天使が自分を迎え入れてくれる」ことを思い描きながら…
アタナエルは彼女を失った絶望に打ちひしがれるのでした。
悲恋の結末となります。
「タイスの瞑想曲」は5~6分程の短い曲ですが、その中には粛々とした厳かな雰囲気と、
じわじわと込み上げてくる抑えきれない悲しさや官能的な響き、
そして芯の強さや決意も感じ取れます。

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  2020/09/13   animato

金管四重奏 アブデラザール(ムーア人の復讐)組曲からロンド

金管四重奏 アブデラザール(ムーア人の復讐)組曲からロンド
編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
木管四重奏やサックス四重奏でも演奏できます。

バロック期の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。

金管四重奏 アブデラザール(ムーア人の復讐)組曲からロンド
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パーセルはイギリスのバロック音楽を代表する作曲家で、「イギリスのオルフェウス」と称えられます。
その才能は早くから認められ、20歳の時には10歳年上の先輩音楽家であったブロウがウェストミンスター大聖堂の
オルガニストの地位を辞してパーセルに譲り渡したほどです。しかし36歳の若さで世を去りました。
この曲はパーセル死去の年に上演された演劇「アブデラザール、またはムーア人の復讐」の劇音楽として
作曲されたものです。序曲の後に舞曲などの挿入曲が続きますが、なかでも第2曲として演奏される「ロンド」は後に
ブリテンが「青少年のための管弦楽入門」としてフルオーケストラ用に編曲したことにより良く知られています。
イギリスらしい爽やかな弦楽の中に、パーセルの音楽ならではの微妙な和声の移ろいや、一つのフレーズが終わる前に
次のフレーズに移っていくような独特のメロディを味わっていただければ幸いです。

ヘンリー・パーセル(Henry Purcell、1659-1695年:今年生誕350年)は17世紀に活躍したイギリスの作曲家です。
彼はウェストミンスターに生まれ、少年期には王室付属礼拝堂少年声楽隊の一員として、後には王室付きの調律師として活躍し、
更に18歳の若さで王室弦楽団の常任作曲家の地位にまで上り詰めたという偉才の人物です。
僅か36年でその生涯を終えるまでにも、ウェストミンスター寺院や王室礼拝堂などのオルガン奏者を歴任すると同時に
祝賀音楽や劇場の付随音楽、合唱曲などの作曲を通して名声を高め、国王付きの音楽家にまで登りつめました。

彼はそこで自らの才能を惜しみなく発揮し、もっとも優秀なイギリス人の作曲家の1人として知られてます。
イタリアやフランスの影響を受けつつ独自の音楽を生み出しました。
最も優秀なイギリス人の作曲家の1人として知られています。
生涯に残した曲はおよそ400曲以上ありますが、どれもエリザベス朝時代のイギリス音楽が持つ諸要素と彼が取り入れた
イタリア・フランスの風が巧く融合し、自由奔放な彼独特の世界観を醸し出しています。

各曲の解説

ヘンリー・パーセル(1659-1695) アブデラザール組曲~第2曲ロンド

H・パーセルは、バロック期のイギリスというよりは、イギリス音楽史上随一の天才と言われています。
その才能と短い生涯から、「イギリスのモーツァルト」とも呼ばれています。シェークスピアを生んだことでもわかるように、
当時のイギリスは演劇も盛んで、「アブデラザール組曲」は演劇の付随音楽として作曲されました。
この組曲は9曲からなりますが、第2曲「ロンド」は、今世紀のイギリスの作曲家B・ブリテンによる
「青少年のための管弦楽入門」のテーマとして使われたことで有名です。心に染み入る大変美しい曲です。

 「アブデラザール」付随音楽(組曲)

イギリスの女性劇作家・小説家であるアフラ・ベーン(1640-89)の劇作品「アブデラザール、もしくはムーア人の復讐」に付けられた音楽です。
アブデラザールとは、この劇の主人公であるムーア人(ヨーロッパ人が、北西アフリカに住むイスラム教徒をさした呼称)の王女の名前です。
タレガによるギター曲「アルハンブラ宮殿の思い出」で知られるアルハンブラ宮殿を築いたのが、このムーア人です。
アフリカ北西部・フェスの君主であった父をスペイン国王によって殺され、幼くしてその庇護下に入った
アブデラザールは、 やがて策略をめぐらせてスペイン王家に対する復讐を果たそうとすします。
彼は次々と邪魔者を排除し、ついにはスペイン国王の座にまで就こうとするが、最後には腹心の部下に裏切られ非業の死を遂げます。
アブデラザールをはじめ、多くの人間の思惑が交錯する複雑なストーリーです。
ヘンリー・パーセルによる付随音楽にはこうした、どす黒いストーリーにふさわしい陰鬱とした雰囲気も感じられますが、
それ以上にパーセルの持ち味の、その独特の典雅な調べの美しさ、気品がただよっています。組曲は9曲から成り立っていますが、
第2曲目のロンドはベンジャミン・ブリテンの有名な「青少年のための管弦楽入門-パーセルの主題による変奏曲とフーガ」の
主題として親しまれています。

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  2020/09/13   animato

歌劇「トゥーランドット」よりハイライト 吹奏楽譜

歌劇「トゥーランドット」よりハイライト 吹奏楽譜
1.第1幕 オープニング
2.第1幕 北京の民よ
3.第1幕 お役人さん ひどいよ やめてくれ
4.第1幕 回せ 回せ 砥石を回せ
5.第1幕 月の出はまだか
6.第2幕 めでたし 天子様    
7.第2幕 北京の民よ
8.第2幕 あなたは私の名を知らぬ
9.第2幕 世の光にして王者なる皇帝陛下
10.第3幕 誰も寝てはならぬ
11.第3幕 とこしえの御代を我らの皇帝陛下に
12.第3幕 永遠の命を持つ太陽よ
17分25秒です。
異国情緒が溢れる名曲をコンテストやコンサートに、ぜひどうぞ。

歌劇「トゥーランドット」よりハイライト 吹奏楽譜
1.第1幕 オープニング
2.第1幕 北京の民よ
3.第1幕 お役人さん ひどいよ やめてくれ
4.第1幕 回せ 回せ 砥石を回せ
5.第1幕 月の出はまだか
6.第2幕 めでたし 天子様    
7.第2幕 北京の民よ
8.第2幕 あなたは私の名を知らぬ
9.第2幕 世の光にして王者なる皇帝陛下
10.第3幕 誰も寝てはならぬ
11.第3幕 とこしえの御代を我らの皇帝陛下に
12.第3幕 永遠の命を持つ太陽よ
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『トゥーランドット(Turandot)』は、ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini/1858年-1924年)が作曲した最後のオペラです。
残念ながら「リューが自刃した場面」でプッチーニは亡くなってしまい、
友人フランコ・アルファーノによって、それ以降の場面が書き加えられました。

そのため、このオペラを初演した指揮者のトスカニーニは、二重唱の前のリューの死の場面が終わると指揮棒を置き、
「作曲者はここのところで亡くなりました」と言って演奏を中断し、全曲演奏は翌日に持ち越されました。
また、このオペラでカラフによって歌われる「誰も寝てはならぬ(Nessun dorma)」は
オペラアリアの代名詞的存在となっており、テレビなどでも度々流れています。
特にルチアーノ・パヴァロッティが歌った「誰も寝てはならぬ」は、クラシックとしては異例の
イギリスのシングルチャートでトップを記録し、全英で400万枚以上、全世界で1200万枚以上のセールスを記録しました。

あらすじ
【第1幕】
時は伝説の時代、舞台は中国の北京、紫禁城前の広場。絶世の美女でしたが氷のように冷たい心を持つ皇帝の娘
トゥーランドット姫は、「3つの謎を解いた者を夫として迎えるが、その謎を解けなかった者は斬首の刑」としていました。
この日もまた犠牲者が出て、広場では群衆が刑の執行を待ち異様な興奮に包まれています。
その混乱した広場で、ダッタンの元国王で放浪の身だったティムールと、生き別れになっていたその息子カラフが再会します。
しかしそれも束の間、カラフは斬首の命令を下すために姿を現したトゥーランドットを一目見ると、
その美しさに魅せられ、謎解きに挑戦すると言い出したのです。ティムールに仕えていた女奴隷リューは、
ひそかに王子カラフを慕っており、謎が解けなければ彼は命を取られ、そして老いた彼の父も取り残されてしまうと泣き崩れました。
しかしカラフの決意は堅く、謎解きに挑戦することになりました。

【第2幕】
謎解きの儀式の準備が整い、トゥーランドットが姿を現し、カラフへの3つの謎解きが始まります。
一、毎夜に心によみがえるのは? ………「希望」
二、燃え上がるが火ではないのは? ……「血潮」
三、火をつける氷とは? …………………「トゥーランドット」
カラフは見事に3つの謎を解いたのですが、動揺したトゥーランドットは彼の妻となることを拒みます。
そこでカラフは「夜明けまでに私の名を明らかにできたら、命を捧げよう」と逆に謎を出したのでした。


【第3幕】
トゥーランドットから「夜明けまでにあの見知らぬ者の名がわかるまで北京では誰も寝てはならぬ」と命令が下され、
群衆は血眼になって調べ始めます。
そしてカラフと話をしていたとして捕まったのはティムールとリュー。
リューは自分だけが彼の名前を知っていると言い、拷問にかけられます。しかし、口を割りません。トゥーランドットに
「なぜそんなに耐えるのか」と問われ、リューは「それは愛の力」と言って短剣で自ら胸を刺し自害して果てます。
群衆が去り、カラフとトゥーランドットが二人きりになったとき、カラフは拒もうとする彼女にキスをします。
そして自らの名を明かしたのです。夜が明けて、群衆の前でトゥーランドットは彼の名がわかったと勝利を宣言しながらも、
「彼の名は『愛』」と叫び、二人は結ばれたのでした。

そのトゥーランドットに、ダッタン国の王子カラフは恋をします。
カラフは見事謎を解き、最後にカラフの愛がトゥーランドットの愛を呼び起こします。
二人は結ばれ、皆の歓声の中でオペラは終わります。

アリア「誰も寝てはならぬ」

北京を舞台にしたスケールの大きいグランド・オペラとして、合唱を中心に迫力のある場面が繰り広げられます。
中国調の旋律が流れ、オリエンタルな雰囲気の中に様々な工夫が凝らされていて、3つの謎解きなど見どころの多いオペラです。
また、特に第3幕のカラフのアリア「誰も寝てはならぬ」は、勝利への思いとトゥーランドット姫への愛を
熱烈に歌い上げるテノールのアリアとして、最も人気のある曲となっています。

「誰も寝てはならぬ」歌詞の意味・日本語訳
Nessun dorma!
Nessun dorma!
Tu pure, o Principe,
Nella tua fredda stanza guardi le stelle,
Che tremano d'amore e di speranza!

誰も寝てはならぬ
誰も寝てはならぬ
貴方もですよ、姫様
寒い部屋で星を見上げ
愛と希望に打ち震えながら!

Ma il mio mistero e chiuso in me,
Il nome mio nessun sapra!
No, no, sulla tua bocca lo diro,
Quando la luce splendera!

私には秘密が隠されている
私の名前を知るものは誰もいない
ああ、貴方にそっと口づけて打ち明けよう
日の光が眩しく照らす頃に!

Ed il mio bacio sciogliera.
Il silenzio che ti fa mio!

私の口づけは沈黙を打ち破り
貴方は私のものとなる

[Choir:]
Il nome suo nessun sapra!
E noi dovrem ahime morir, morir!

【コーラス】
誰も彼の名前を知らない
私達(住民)は死なねばならない

Dilegua, o notte!
Tramontate, stelle!
All'alba vincero!

夜よ早く消え去れ!
星よ早く隠れてしまえ!
夜明けには、貴方を勝ち取ってみせる!

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  2020/09/13   animato

サックス四重奏「ノラ」

サックス四重奏「ノラ」
編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
クラリネット四重奏、木管四重奏にも変更可能です。
打楽器四重奏は発売中です。

優雅で楽しいラグタイムの魅力をぜひ味わってください。

サックス四重奏「ノラ」
編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
クラリネット四重奏、木管四重奏にも変更可能です。
打楽器四重奏は発売中です。

優雅で楽しいラグタイムの魅力をぜひ味わってください。

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フェリックス・アルント(Felix Arndt、1889年5月20日 - 1918年10月16日)は、
アメリカ合衆国のラグタイム音楽のピアニスト、作曲家です。
1916年に、ラグタイムとしては最初のノベルティ的なピアノ曲と考えられている『Nola』を作曲しました。
この曲は複雑なスタイルで、ピアニストの腕前を披瀝することが意図されています。アルントは1918年に、
世界的流行(パンデミック)となったスペインかぜのために、29歳でニューヨークに没しました。

フェリックス・アルントは、1889年5月20日に、ニューヨークで生まれました。
母親のシャルロッテ・アーピュア・アルント (Charlotte Harpeur Arndt) は、
フランス人の父(フェリックスの祖父)とスペイン人の母(フェリックスの祖母)の間に、
スペインで1851年に生まれた。母は、フェヴリエール女伯爵 (comtesse de Fevrier) と称されており、
ナポレオン3世につながる血筋でした。フェリックスの父は、アンドレアス・W・ユーゴ・アルント (Andreas W. Hugo Arndt) という、
スイス生まれの大工でした。夫妻は、1888年にマンハッタンで結婚していた。フェリックスには、1890年生まれの妹、
シャルロッテ・A・アルント (Charlotte A. Arndt) がいました。フェリックスは公立学校で教育を受けたが、
ピアノは独学で学び始めました。やがて、和声と楽理を学ぶようになったが、その教師のひとりは、
フランツ・リストの弟子だったピアニスト、カール・ラッチムンド(英語版)でした。

1908年、19歳のときに、アルントは最初のワルツ作品を出版した。1912年には、
バンジョー奏者の兄弟フレッド・ヴァン・エプス (Fred Van Eps)、ビル・ヴァン・エプス (Bill Van Eps) とともに、
ヴァン・エプス・トリオ (Van Eps Trio) を結成しました。以降、1917年まで、このトリオは多数のラグタイム曲の録音を行ないました。
1914年以降、アルントはピアノロール、つまり自動ピアノ用の巻取紙の製作を手がけるようになりました。
アルントは、デュオ・アート(英語版)とQRSのためにピアノロールを制作し、1919年までに合わせて3000巻以上を残しました。
その中には、クロード・ドビュッシーや、その他クラシック音楽の作品も含まれていました。

他方でアルントは、ラグタイム作品の組曲『A Symphonic Nightmare - Desecration Rag #1』の作曲もしていました。
これに続いて、『From Soup to Nuts』も作曲しました。1915年はじめ、アルントはニューヨークで、
セントルイス交響楽団の専属声楽家で、優れたピアニストでもあった、ノラ・B・ロック (Nola B. Locke) に出会いました。
彼女を見初めたアルントは、彼女に捧げた歌「Nola」を書きましたが、この曲は驚くほど華やかにピアニストの技量を
披露しようとする作品でした。この曲は、これ以降に普及していったノベルティ的なスタイルの最初の例でした。

ノラと結婚したフェリックスは、『An Operatic Nightmare - Desecration Rag #2』とフォックストロット曲『Clover Club』を、
1916年と1917年に出版しました。ノラは、これらの作品の制作を手助けしており、クレジットもされました。
1918年、スペインかぜが世界的流行(パンデミック)となり、ニューヨークはとりわけ大きな被害を受けました。
既に肺炎に罹患していたアルントは、さらにインフルエンザに罹り、10月16日に29歳で没しました。

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