1. Edward Johnsonについて
イングランドの作曲家・リュート奏者。Thomas MorleyやByrdと同時代に活動。
合唱曲・リュート音楽・舞曲を残している。
Byrdと同じく Elizabeth I時代の音楽文化圏に属し、互いに影響を及ぼし合った。
2. Byrdによる「set」の意味
「set by William Byrd」は、オリジナル素材(旋律や曲)を 鍵盤用に編曲・再構成したことを意味する。
当時は「consort曲」「声楽曲」「舞曲」を、オルガンやヴァージナル(家庭用鍵盤楽器)で弾けるようにするのが一般的。
Byrdは Johnsonの旋律や構造を尊重しつつ、自身の対位法技法で精緻化している。
まとめ
《Gagliarda a4, Edward Johnson》 は、Edward Johnson が作曲した舞曲を、William Byrd が鍵盤用に再構成(set)した作品。Johnsonのリズム感と旋律を活かしつつ、Byrdが対位法的技術で磨きをかけ、ヴァージナル楽派特有の芸術的完成度に高めています。
スペイン黄金期のオルガン音楽家 José Jiménez (1601–1672)
その代表的作品である 《Batalla 1 de sexto tono》、《Batalla 2 de sexto tono》
José Jiménez (1601–1672)
スペイン・セビーリャ出身のオルガニスト、作曲家。
セビーリャ大聖堂のオルガニストであった Francisco Correa de Arauxo に師事。
1640年以降は トレド大聖堂のオルガニストを務め、当時スペインで最も権威あるオルガン奏者の一人に数えられた。
作風は、スペイン・オルガン楽派の典型として、厳格な対位法と劇的な即興的パッセージを融合させている。
まとめ
José Jiménez はスペイン黄金期オルガン楽派の中核的存在であり、その Batalla 作品は当時の「戦いを描く音楽」の代表。
《Batalla 1 de sexto tono》:典型的な戦闘音楽、明快で教育的。
《Batalla 2 de sexto tono》:発展的・壮麗で、劇的効果が強い。
両曲は、礼拝と世俗的劇的効果の融合を示す17世紀スペイン・オルガン音楽の典型であります。
José Jiménez(ホセ・ヒメネス, 1601–1672) は、17世紀スペインの作曲家・オルガニストで、スペイン黄金時代(Siglo de Oro) に活躍した宗教音楽と鍵盤音楽の作曲家として知られています。彼はイベリア半島のポリフォニー伝統を継承しつつ、バロック初期の和声的・装飾的なスタイルへと移行する過程に大きな役割を果たした人物です。
代表作
《Batalla 1 de sexto tono》および《Batalla 2 de sexto tono》
ジャンル:オルガンのための戦闘的作品(Batalla=戦い)
「Batalla」は当時のスペインで人気の形式で、トランペットのファンファーレや軍隊行進を模倣しています。
ヒメネスの《Batalla》は、明確なリズム、力強い和声、装飾的な即興風のパッセージが特徴で、聴く者を惹きつける英雄的・祝祭的な響きを持ちます。
曲名にある「de sexto tono」は、「第6教会旋法(mode 6)」を意味し、調性概念が未確立だった時代の旋法的音楽構造を示しています。
スペイン・オルガン楽派との関係
José Jiménez は、フランシスコ・コレア・デ・アラウホ(Francisco Correa de Arauxo, 1584–1654)の後継世代にあたります。
彼はその伝統を受け継ぎ、後のJuan Cabanillesへと続くスペイン・オルガン音楽の系譜を形成しました。
この系譜は次のように整理できます:
Correa de Arauxo → José Jiménez → Juan Cabanilles
この流れの中で、ヒメネスはルネサンス的厳格さと初期バロック的自由さの橋渡しをした人物です。
まとめ
名前 José Jiménez(ホセ・ヒメネス)
生没年 1601–1672
出身/活動地 スペイン(主にセビーリャ)
職業 作曲家・オルガニスト
代表作 《Batalla 1 de sexto tono》《Batalla 2 de sexto tono》など
音楽様式 スペイン・バロック初期、対位法的・旋法的・装飾的
影響 Juan Cabanilles など後のスペイン鍵盤音楽家に影響
父親は教会の牧師であり、母親は教会でオルガンを弾いていたという。Fats Wallerは6歳の時にピアノを始め、学校の楽団でも演奏をしていました。
牧師であった父親は息子に宗教音楽を弾いて欲しかったようですが、Fats Wallerが惹かれたのはポピュラー音楽や
James P. Johnsonが弾くようなストライドピアノでありました。
1918年春に学校を中退したFats Wallerは、様々な日雇いの仕事をしていましたが、ニューヨークのRoosevelt Theatreで開催された
タレントコンテストで「Carolina Shout」を演奏し、優勝しました。
このことがきっかけになり、Fats WallerはJames P. Johnson夫妻と親交を持つようになり、非公式なレッスンを受けるようになりました。
1920年代初頭にピアノ・ロールの吹き込みを始め、その後、1922年には初のソロ・レコードをリリースしました。
Fats Wallerの手による最初の楽曲である「Squeeze Me」が作曲されたのもこの頃です。
レントパーティでJames P. JohnsonやWillie "The Lion" Smith等とセッションをしていました。
1920年代を通して、ほとんど歌うことのなかったFats Wallerであるが、1931年には、自身のピアノで伴奏して歌った「I'm Crazy ABout My Baby」や
「Draggin' My Heart Around」の他、Ted LewisやJack Teagardenとのセッションにおいても、歌手としての頭角を現し始めました。
「私が"I Can't Give You Anything But Love,Baby"Jimmy McHugh作曲をピアノを弾いていた時のことです。
2階から父が文句を言う声が聞こえ、降りてきてこう言いました。
『息子よ、その曲を私の耳に入る場所では2度と弾いてくれるな。その曲はわしが書いたのじゃが懐が寂しかった時に売ってしまったものなのだ』と。」
モーリスによると"On The Sunny Side of the Street"Jimmy Mchugh作曲】を聴く度に同じことを言っていたそうです。
「Music, some think no music is」は、トーマス・ベイトソン (Thomas Bateson) が作曲したマドリガルの一つです。
この曲は、彼の2つ目のマドリガル集「Second Set of Madrigals in 3, 4, 5 & 6 parts」に1618年に収録されています。
「Music, some think no music is」について
このマドリガルは通常6声(Soprano, Alto, Tenor, Bass の組み合わせ)のために書かれています。
歌詞の内容とテーマ:
このマドリガルは、音楽の本質や、真の音楽とは何かという、やや哲学的なテーマを扱っています。タイトルにある「Music, some think no music is」(ある者は音楽ではないと考えるような音楽)というフレーズは、一見矛盾しているように聞こえますが、これは当時の音楽論や美的感覚、あるいは特定の音楽形式に対する批評的な視点を反映している可能性があります。
この曲名は「音楽を理解できない人もいる」や「音楽を音楽と思わない人もいる」というニュアンスになります。
具体的な歌詞の内容は、「耳に心地よく響くものだけが音楽ではない」とか、「調和や規則性だけではない、もっと深いところにあるものが音楽である」といった、より複雑な音楽の定義を探るものかもしれません。もしかしたら、ある種の不協和音や、当時の慣習から外れた音楽的表現に対する弁護や考察が含まれている可能性もあります。
音楽的な特徴:
テキストへの深い傾倒: トーマス・ベイトソンは、歌詞の内容を音楽で表現するワードペインティングの達人です。この曲では、「music」「no music」といった対比や、音楽の本質に関わる抽象的な言葉に対して、どのような音楽的表現(和声、旋律の動き、リズムなど)が用いられているか注目すると面白いでしょう。
複雑な対位法とハーモニー: 6声という編成は、ベイトソンが複雑なポリフォニーと豊かな和声を駆使できることを示しています。異なる声部が織りなす繊細な対話や、時に意図的な不協和音(ディソナンス)を用いて、歌詞の哲学的な内容や感情の機微を表現していると考えられます。
当時の音楽理論の反映: この時代の作曲家は、音楽が持つ数学的な調和だけでなく、感情や言葉の意味をどう音楽で表現するかを深く探求していました。この曲は、そうした探求の一端を示している可能性があります。
「Music, some think no music is」は、単なる牧歌的な愛の歌とは異なり、音楽そのものについて考察する、知的な奥行きを持ったマドリガルと言えるでしょう。トーマス・ベイトソンの後期のマドリガルに見られる、より洗練された、そして時に実験的な側面を垣間見ることができます。
この曲は、単に美しい旋律を楽しむだけでなく、歌詞と音楽の深い関係性、そしてルネサンス期の人々が音楽にどのような意味を見出していたのかを考えるきっかけを与えてくれるでしょう。
●トーマス・ベイトソン (Thomas Bateson, c. 1570 – 1630) という、イングランドとアイルランドで活躍したルネサンス後期から初期バロックにかけての作曲家がいます。彼は特にマドリガル(Madrigal)の作曲で知られています。
トーマス・ベイトソンは、2つのマドリガル集を出版しました。
"The First Set of English Madrigales to 3, 4, 5 and 6 Voices" (1604年)
"Second Set of Madrigals in 3, 4, 5 & 6 parts" (1618年)
"Ah, Cupid, grant" (ああ、キューピッドよ、与え給え) - 彼の初期の作品の一つで、情熱的なテキストと豊かな和声が特徴です。
"Her hair the net of golden wire" (彼女の髪は金糸の網) - 愛の苦悩を歌ったもので、声部の絡みが美しい作品です。
"Fond love is blind" (盲目の恋は) - 視覚的なイメージと音楽的な表現が結びついた、典型的なマドリガルの特徴を持つ作品です。
"When Oriana walk'd to take the air" (オリアーナが散歩に出かけた時) - これは、エリザベス1世を称えるマドリガル集『トリウムフズ・オブ・オリアーナ (The Triumphs of Oriana)』のために書かれたものですが、実際にそのコレクションには採用されなかった作品です。
マドリガルの特徴
マドリガルは、16世紀のイタリアで発展し、後にイギリスにも伝わった無伴奏の多声世俗声楽曲です。