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2021年5月

木管と打楽器八重奏(九重奏)「バッカス万歳!」

木管と打楽器八重奏(九重奏)「バッカス万歳!」
オペラ『後宮からの誘拐』第2幕第八場から二重唱
Vivat Bacchus! Bacchus lebe!
KV384-14
W.A.Mozart

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットに加えてトライアングル、シンバル、大太鼓(2~3名)です。
フルートはクラリネットに変更可能です。オーボエはクラリネットに変更可能です。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能です。したがってオール・クラリネットで演奏可能です。

若きモーツァルトの魅惑の旋律をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

木管と打楽器八重奏(九重奏)「バッカス万歳!」
オペラ『後宮からの誘拐』第2幕第八場から二重唱
Vivat Bacchus! Bacchus lebe!
KV384-14
W.A.Mozart

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットに加えてトライアングル、シンバル、大太鼓(2~3名)です。
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参考音源
https://youtu.be/lwt7Qst7kEw

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

『後宮からの逃走(Die Entfuhrung aus dem Serail)』は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart/1756年-1791年)によって作曲されたオペラです。
『後宮からの誘拐』とも呼ばれます。
このオペラはオーストリア皇帝ヨーゼフ2世の依頼で作曲されました。
皇帝は「音符が多すぎる」と指摘したそうですが、モーツァルトは自信を持ってそれを否定したそうです。
ザルツブルクからウィーンに移住したばかりのモーツァルトは、このオペラの成功でウィーンでの評判を得ることが出来ました。
またこのオペラはモーツァルトにとって初めての本格的なジングシュピールで、レチタティーヴォはなくセリフで劇は進行します。
社会的な地位には恵まれてないけれど新しい音楽への創造力に満ちた若きモーツァルトの魅惑の旋律と斬新な響きに満ちています。

《簡単なあらすじ》
コンスタンツェ、ペドリッロ、ブロンデの3人は海賊に囚われます。
そして3人は太守セリムの宮殿に奴隷として売られ、そこで生活をしています。
ベルモンテはコンスタンツェたちを救出するために、宮殿へ向かいます。
救出はあと一歩のところで失敗に終わりますが、太守セリムの寛容さで皆は解放されます。
セリムの偉大さが称えられる中、ハッピーエンドで幕は降ります。

モーツァルトの5大オペラのひとつとして高い人気を誇ります。中ではもっとも若い時期の作であり、溌剌としたリズムと親しみやすいメロディにあふれ、
標準的な台詞をふくめた上演時間もやや短めになっています。
『魔弾の射手』の作曲家ウェーバーが『後宮からの誘拐』を次のように賞賛しています。
“青春の清新さが勝利を収めた作品である。もっとも、傑出した和声を時に面白がって厳格にしたり無理にひねったりした結果、
いかにも若気の至りの有頂天とひとりよがりに陥っていることもある。(中略)
だが芸術家としての私個人からの感性から言えば、若さがはちきれそうなこの陽気で汚れを知らぬ優しい作品が大好きである。
私はこの作品の中に、誰一人取り戻すことのできない快活な青春時代を、そして、欠点を除去しようとすればたちまちのうちに
逃げ去ってしまうあの魅力を見る。わが信ずるところをここにあえて表明するとすれば、モーツアルトが芸術的に熟達したのは
『後宮』においてであって、その後は世慣れた作品を作っていっただけである。
『フィガロ』とか『ドン・ジョヴァンニ』とかいったオペラなら、彼はいくつも書けたが、『後宮』のような作品はもう二度と書けなかった。”
(ウェーバー)

当時から東方の異国トルコへの憧れがヨーロッパでは強く、ファッションから音楽にいたるまでトルコ風のものが好まれていました。
第2幕第八場で宮殿からの「逃走計画」を立てる場面で歌われる二重唱が"Duett Vivat Bachus(バッカス万歳!)"です。
第2幕第六場でトルコの太守が去ったところに、ブロンデ、続いてペドリッロが現れます。
ペドリッロはブロンデに
「ベルモンテ様が助けに来てくれたよ!」
「今夜ここから脱走するんだ!」
「梯子(はしご)を部屋にかけて、外に出る計画だよ。」
と、逃走計画を説明します
ブロンデは喜び、計画をコンスタンツェへ伝えに去っていきます。
第八場ペドリッロはオスミンを誘って酒を飲ませ、眠らせようとします、二重唱「バッカス万歳! Vivat Bacchus! Bacchus lebe!」)。
オスミンがペドリロの元気をみとがめます。酒を勧められて怪しみながらも、
第14曲二重唱「万歳バッカス」と、酒にはまってしまうオスミン。眠り薬のせいで眠ってしまうオスミンです。

モーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』から『ばんざいバッカス!バッカスばんざい!』
第14曲 ペドリロとオスミンの二重唱『ばんざいバッカス!バッカスばんざい!』 歌詞

●ペドリロ
ばんざいバッカス!バッカスばんざい!
バッカスはいい男だった!

●オスミン
やってもいいのか?
飲んでもいいのか?
アッラーの神はご覧になっているかな?

●ペドリロ
何をためらっているんだよ?
飲めよ、飲んじまいなよ
いつまで考えているんだよ!

(オスミン飲む)

●オスミン
とうとう飲んでやったぞ
よくやったもんだ!
俺の勇気はたいしたもんだ!

●ふたり
女の子、ばんざい!
ブロンドも、茶色も
女の子、みんなばんざい!

●ペドリロ
こいつはうまい酒だ!

●オスミン
まったくうまい酒だ!

●ふたり
これこそ神の飲み物だ!
ばんざいバッカス!バッカスばんざい!
酒を発明したバッカスばんざい!
女の子ばんざい!

歌が終わると、オスミンが酔いとともに、眠り薬が効いてきて、陽気に、フラフラになってきます。
最後には、あれほど憎んでいたペドリロに、『おい兄弟、これはマホメット様…じゃなくて、太守様には内緒だ、頼んだぞ、お休み、兄弟…』
と言いながら、家に帰っていきます。
人間関係を改善させ、深めてくれるのは酒の最大の効用です。
扱いを間違えると悪化させることもありますね。

トルコ人にとっての飲酒とは、微妙な関係です。
オスミンはイスラムの禁酒の戒律を気にしながら、ペドリロにそそのかされて飲酒してしまいます。
ムスリム(イスラム教徒)は飲酒を禁じられていますが、厳格さは、国、民族、個人によっても違っていて、
トルコは比較的緩いことがこの当時から知られていました。

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  2021/05/10   animato

サックス五重奏ショパン ワルツ(19曲) 第10番 Op.69-2

サックス五重奏ショパン ワルツ(19曲) 第10番 Op.69-2
19 waltzes Valse No.10 h-moll Op.69-2 CT216
Frederic Chopin

編成はサックスのソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
クラリネット五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版が別途発売中です。

ショパンの色彩豊かな名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

サックス五重奏ショパン ワルツ(19曲) 第10番 Op.69-2
19 waltzes Valse No.10 h-moll Op.69-2 CT216
Frederic Chopin

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ワルツ第10番ロ短調作品69-2は、フレデリック・ショパンが1829年に作曲したワルツです。
死後の1852年に友人のユリアン・フォンタナにより出版されました。
ショパンが19歳のときの作品で構成は簡潔ながら、その美しい旋律とスラヴ的な憂いのある曲想に、ショパン後年の円熟を予感させます。
第9番「別れのワルツ」と同様に、感傷的にすぎることから生前の発表が控えられたとされています。

ショパンの『ワルツ第10番op.69-2』は、その感傷的で情緒的な旋律の中に、どこか舞曲らしい雰囲気の漂う曲です。
ショパンのワルツにもいろいろな作品がありますが、その中でもこの曲はわりと簡単なほうだと言えます。
現存しているショパンのワルツの中ではもっとも早い時期の1829年に作曲されました。ポーランド時代である1829年から1830年の間に、
ショパンは5つのワルツを残していて、これらの曲はショパンの死後、姉のルドヴィカが「未出版作品リスト」に含めて、
その後それぞれ出版されたものです。

初版譜や、残された写譜家不明の手稿譜の多様さから、ショパンが様々な形で試行錯誤していたことが分かります。
曲構成はいずれも単純な三部形式ですが、初期の写譜およびポーランド初版がA-A’-B-Aの形とするならば、フォンタナ版はA-A’-B-A-A’と再現部が引き延ばされ、
ショパンの特徴であるいびつな対称性が修正されてしまっています。また写譜と各初版譜で異なるのは、冒頭嬰へ音の扱いです。
すなわち初版譜では、アウフタクトで一拍早く始まるこの音を、次の小節へとタイでつなげていますが、初期の写譜に基づく版では、
打ち直したりアウフタクトにアクセントをつけるなど多彩です。それだけショパンが最初の一音を大切にしていたということでしょう。

初期のワルツが集中的に作曲された1829年、まだ19歳のショパンはワルシャワ音楽院の歌姫コンスタンツァにはじめての恋をしていました。
友人ティテュスとのウィーン旅行から戻った10月3日、「僕にとっては不幸なことかもしれないが、僕はすでに理想のひとを見つけた」と
ティテュスに打ち明けています。1829年から30年にかけて作曲された8つの歌曲はいずれも恋の不安と憧れを歌っていて、恋の病にとらわれた青年の
悩ましげな「うた」はこのロ短調のワルツにも脈づいています。

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  2021/05/09   animato

組曲「王宮の花火の音楽」第1曲 序曲 金管四重奏(五重奏)

組曲「王宮の花火の音楽」第1曲 序曲 金管四重奏(五重奏)
Royal fireworks
1.Ouverture

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.(オプションTuba)です。
サックス四重奏版は発売中です。

バロック期の壮麗な名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

組曲「王宮の花火の音楽」第1曲 序曲 金管四重奏(五重奏)
Royal fireworks
1.Ouverture

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組曲は5つの楽曲で構成されています。

序曲(Ouverture, ニ長調)
ブレー(Bouree, ニ短調)
平和(La paix, ニ長調)
歓喜(La rejouissance, ニ長調)
メヌエットI(Minuet, ニ短調) - メヌエットII(ニ長調)

序曲は祝典曲にふさわしく華麗で、後に舞曲(軽快な「ブレー」とゆったりした「メヌエット I&II」)が配置されていて、
変化が楽しめます。

ヘンデルが作曲したこの曲は,「アーヘンの和約(戦争を平和的に解決するための約束)」の祝典で行われる
花火大会のための音楽としてつくられたもので,初演は野外で行われました。 
 この組曲は,花火が打ち上げられる前に演奏される序曲と,
花火の合間に演奏されるいくつかの小品からできています。トランペットを中心としたはなやかなものや,
木管楽器を中心とした軽やかなものなどがあります。 
 ヘンデルはこのほかにも,「水上の音楽」という組曲をつくっていますが,
この曲も舟遊びをしている人たちを楽しませるために野外で演奏されました。

曲はフランス風序曲の形式をとっています。

ヘンデルはドイツのハレで生まれ、若くしてイタリアに留学、名声を得て、
ドイツのハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長となりました。
しかし、楽長の仕事はさぼって、英国のロンドンでオペラを上演し、大人気を得ていました。
しかし、よりによって不義理をした主君のハノーヴァー選帝侯ゲオルクが、英国王に即位してジョージ1世となります。
そのご機嫌を取るために『水上の音楽』を作曲したというのは有名な逸話です。

優雅な宮廷文化とは無縁な英国にとって、大陸のフランス、イタリア両先進音楽を自在にあやつれるヘンデルは、
王室、貴族、市民いずれにとってもこの上なく頼りになる存在だったのです。
最後は英国に帰化し、英国人として亡くなり、栄光のうちにウェストミンスター寺院に葬られます。

この頃、8年に及んだこの泥沼の戦争は、1748年10月7日にアーヘンの和約で終結しました。
しかし、どの国も〝勝った〟と主張しているようなあいまいな終わり方だったので、国民の盛り上がりも今一つでした。
自ら戦ったジョージ2世としては、それに不満で、英国の勝利をはっきり国民に示すため、
盛大な 「平和条約祝賀行事」をやろう!と思いつきます。
イベントは、正式に講和が宣言される翌年の1749年2月のあと、4月に予定されました。
そして、会場となるヴォクソールのグリーンパークに、巨大な木造パビリオンの建設が始まりました。
それは、古代建築に範をとったパラーディオ様式で造られ、中央に勝利のアーチ、
周りにはギリシャ式の柱廊、ポセイドンやマルスといった神々の像、、
英国を擬人化した女神ブリタニアに〝平和〟を手渡している国王ジョージ2世の巨大な像が配置されました。
そして、イベントでは盛大な花火とともに壮大な音楽を演奏することになり、それがヘンデルに依頼されたのです。

ヘンデルが以前、プリンス・オブ・ウェールズの結婚祝賀のために作曲したオペラ『アタランタ』の中の花火の音楽は、
その後、花火大会の定番のBGMとして使われていて、すでに〝花火といえばヘンデル〟でした。
このイベントは、元祖〝音と光のページェント〟で、ジョージ2世は、
建設途中のパビリオンを何度も見に行くほどの熱の入れようでした。
国王は、ヘンデルの音楽にも注文をつけ『弦楽器を使わず、軍楽器の吹奏楽だけで行うように』との意向を示しました。
その方が勇ましく、戦勝記念にふさわしい、と考えたのでしょう。

しかし、ヘンデルはそれでは音量、音質ともに不足と考えたのか、どうしても弦楽器を加えるべき、と言って譲りません。
間に挟まった大臣は、ヘンデルの頑固さにいらだちます。
最終的にはヘンデルは国王の意向に従い、増強した吹奏楽で演奏することに決定しました。
それはトランペット9本、ホルン9本、オーボエ24本(!)、ファゴット12本、ティンパニ3対という編成でした。
自筆譜には、オーボエとファゴットに弦楽器を重ねるという指示が書き加えられているのです。
さらに後から、最後のメヌエットだけその指示が外され、管楽器だけになっており、紆余曲折のあとがうかがえます。
リハーサルは100人のオーケストラだったという記録がありますから、実際の演奏ではヘンデルは弦楽器を加えました。
4月21日に実現した公開リハーサルには、なんと1万2千人以上が詰めかけ、ロンドン橋は馬車の渋滞で3時間にわたって
通行止めとなった、ということです。
ヘンデルの演奏ののち、礼砲まではうまくいったのですが、花火はどうしたわけか一向に始まりませんでした。
間が悪いので、ヘンデルがもう一度演奏を繰り返したところ、ようやく花火が打ち上がり始めました。
しかし、観衆が歓声を上げたのもつかのま、また再び沈黙。
そのうちに木造のパビリオンに火が付き、国王の像も含めて焼け落ちてしまったのです。

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  2021/05/08   animato

木管四重奏『きらきら星変奏曲』 C Dur

木管四重奏『きらきら星変奏曲』 C Dur
Twinkle Twinkle Little Star Mozart Variation
W.A.Mozart

編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能です。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能です。
ファゴットのバスクラリネット用パート譜、オーボエのクラリネット用パート譜は
セットに同梱しています。
クラリネット四重奏 As Dur版、サックス四重奏 As Dur版、鍵盤打楽器四重奏 C Dur版は発売中です。

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木管四重奏『きらきら星変奏曲』 C Dur
Twinkle Twinkle Little Star Mozart Variation
W.A.Mozart

編成はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットです。
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「きらきら光る お空の星よ」の歌い出しで親しまれる童謡「きらきら星」。
これは英語圏で歌われている『Twinkle, Twinkle, Little Star』(トゥインクル・トゥインクル・リトル・スター)の歌詞が
日本語訳・アレンジされた曲です。
『Twinkle, Twinkle, Little Star』のメロディは、18世紀フランスの民謡「ああ、話したいの、ママ Ah ! vous dirai-je, Maman」が使われています。
このフランス民謡に『Twinkle, Twinkle, Little Star』の歌詞がつけられたのは19世紀初めごろのことです。
イギリスの詩人ジェーン・テイラー(Jane Taylor)の詩「The Star」(ザ・スター/星)の一部が用いられ、
1805年に詩集「ナーサリーライム(Rhymes for the Nursery)」の中で始めて発表されました。

【歌詞】
Ah ! vous dirai-je, maman,
Ce qui cause mon tourment ?
Depuis que j'ai vu Clitandre,
Me regarder d'un air tendre ;
Mon c?ur dit a chaque instant :
≪ Peut-on vivre sans amant ? ≫
【意訳】
ああ!ママ、言わせて
私の苦しみの原因はなんなの?
優しいClitandre(人名)
そんな彼と出会ってから
私の心はいつも語りかけるの
「私たちは恋人なしで生きていくことはできるの?」と。

『きらきら星変奏曲』は、モーツァルトがウィーンに引っ越した頃、1781年-82年に作曲したピアノ曲です。
 原題(12 Variationen uber ein franzosisches Lied “Ah, vous dirai-je, maman” )を直訳すると、
『フランスの歌曲「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲』で、当時フランスで流行していたシャンソン・歌曲です。
このフランス歌曲のメロディが、モーツァルトの死後、『きらきら星』の歌詞と結びつきました。
つまり、モーツァルトが生きていた頃は、まだ『きらきら星』という曲は存在していないため、このモーツァルトの変奏曲を
『きらきら星変奏曲』と呼ぶことに違和感はないのですが、今ではこのタイトルの方が馴染み深いことは間違いありません。
 私たちが知っている歌詞の元である「Twinkle, twinkle, little star」は、1806年にイギリスの詩人、ジェーン・テイラーによって書かれました。
それは、モーツァルトが亡くなってから15年ほど経ってからのことでした。

変奏曲の構成は次のようになっています。
主題   主題の提示だが、現在『きらきら星』として知られる曲よりも少し修飾がなされている。
第1変奏 16分音符と巧みな半音階の導入できらびやかな効果を出している。
第2変奏 ずっしりとしたアルペジョが速いパッセージで登場
第3変奏 アルペジョで美しい音色を出す。
第4変奏 10度飛ぶ厄介な部分。気まぐれな雰囲気を出す。
第5変奏 ここでは一度静まり返る。軽々しい和音に不協和音が一部混ざることにより、更にかわいらしさがあふれる。
第6変奏 速いパッセージと共に右手がメイン。途中から右手に速いパッセージが来る。
第7変奏 1オクターブのスケールで始まり壮大さが生まれる
第8変奏 ハ短調に転じる。ここでは短調の雰囲気で重々しく流れる
第9変奏 ハ長調に戻る。軽快な音が響き渡る。
第10変奏 細かな分散和音と共に盛り上がる。
第11変奏 速度がアダージョになる。少々主題に手が加えられた部分もある。ゆっくりめで温和な雰囲気。最終変奏の前の緩徐楽章的な役割。
第12変奏 3拍子になる。左手の速いパッセージで始まり、非常に速い。最後は、大いにクレシェンドして終わる。

モーツァルト[1756~1791]はオーストリアの作曲家です。ハイドンとならぶウィーン古典派音楽の代表者で、器楽・声楽の両分野にわたり、600曲以上の作品を残しました。
作品では、交響曲・協奏曲・室内楽曲・ピアノソナタのほか、オペラ「フィガロの結婚」「ドン=ジョバンニ」「魔笛」などが代表作です。
モーツァルトは古典派中期の大作曲家です。
古典派の中期から興隆期を日本の歴史に例えると、徳川幕府の中後期の名老中の一人=松平定信(1759-1829)の生きた時代と同じころだと言えます。
モーツァルトの生きた時代は、神聖ローマ帝国の最末期にあたりますし、またイギリスで起こった第1次産業革命の時期にも重なっています。
ドイツ・オーストリア圏は、最末期とは言えまだ神聖ローマ帝国の支配下でしたから、基本的には封建社会が続いていたので、
音楽家の生活は今日の自由な社会から見れば窮屈なものだったかもしれません。
その中で、アマデウス・モーツァルトの父=レオポルドは、息子の天性の素質と才能を見抜き、雇い主のザルツブルグ大司教から相当に無理をして
許諾を得て、伝統的にヨーロッパ文化のトップモード発進地であったイタリアへの演奏旅行を何度も敢行したのでした。

そのような環境の下で天性を開花させていったモーツァルトは、遂に1781年には雇い主であるザルツブルグ大司教と決別して、
ウィーンにフリーの音楽家として定住するに至ったのです。これは当時としては破天荒以外の何物でもない思いきった行動で、
フランス革命以後の芸術家の在り方を先取りしていたのです。
しかし結局、晩年(といっても30歳台半ばですが)には困窮を極める生活に陥り、遂に病に倒れてこの世を去ったのでした。

モーツァルトは古典主義音楽の中心的存在として、どんな特徴があると言えるのでしょうか? 
ソナタ形式というのは、第1主題と第2主題を提示し、それらにもとづく展開部をそれに続け、最後に、再び2つの主題を再現するという方式、
いいかえれば、きわめてメカニックな論理性に支配される形式といえます。
ベートーヴェンがハイドンから受け継いだものは、その論理性にほかなりません。
モーツァルトは、その論理性に豊かな色づけと楽しさを与え、そのメカニズムから堅さを取り除いたのです。
天才ならではの流れるような優雅な旋律、しかもそれがやや断片的に現れながらも、けっして散漫になりません。
そして副主題らしきものを多く出しながらも、微妙で、不規則で多様性に富む旋律様式を生み出す巧みさは、
その反面、構成的、論理的には脆さを見せることもないではありません。しかし、それを、モーツァルトはその天才的な能力で、
見事に縫合し、まとめ、その脆弱性を逆に利用して、音楽的な情緒性を盛り立てるのに成功したのです。

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  2021/05/07   animato

クラリネット四重奏「すみれ」 K.476

クラリネット四重奏「すみれ」 K.476
Das Veilchen
W.A.Mozart

編成はクラリネット3本、バスクラリネットです。
サックス四重奏版、木管四重奏(オーボエ・クラ・ファゴット)版、金管四重奏版は発売中です。

モーツァルトの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

クラリネット四重奏「すみれ」 K.476
Das Veilchen
W.A.Mozart

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『すみれ』(ドイツ語: Das Veilchen)K.476は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した歌曲です。
モーツァルトの歌曲の中で有名なものの1つです。表記については、『菫』と漢字で表記されることもありますが、平仮名の表記が一般的です。

1785年6月8日にウィーンで作曲された作品です。作曲の詳しい経緯については不明ですが、モーツァルトはこの作品を単なる有節歌曲として作曲せず、
各連ごとに曲想・調性を変え、小型ながら素晴らしい芸術品に仕上げていて、物語としての展開を持つ原詩に即応して音楽を変え、
それぞれの詩句に適した描写を行っていく通作形式で書かれています。
ここでは詩の内容に密着したリリシズムとドラマティックなものが、見事な調和が見られます。
このあたり(1785年)から、モーツァルトの歌曲というジャンルに対する考え方に変化が見られます。

歌詞はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの詩によっており、モーツァルトが唯一作曲したゲーテ作品となりました。
内容は「スミレの花が付近を歩く少女の姿を見つけて彼女に摘まれたいと望むが、その少女に踏み付けられる。。
しかし、スミレは幸せだった。」というものです。
ゲーテはこの詩をバラードに分類しています。なお、モーツァルトはラストの部分に2行付け加えています。

この詞はゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)の詞で、ジングシュピール「エルヴィーンとエルミーレ」のなかの一節ですが、
この詞をモーツァルトがどのように手にしたのかは不明です。 ゲーテといえばドイツを代表する大詩人であり、
その人物とモーツァルトとの唯一の接点となるこの歌曲の誕生は大変関心を集める部分ですが、
アインシュタインはモーツァルトがこの歌詞と出会ったのは偶然だったと言っています。

なぜなら彼がこのテクストを見いだしたのは、1778年刊のシュテファンの『ドイツ・リート集』(Sammlung deutscher Lieder)のなかであり、
そこではテクストがゲーテの名の代りにグライムの名で発表されていたからです。
つまりモーツァルトはゲーテという大作家を意識していたわけではなく、創作意欲を起こさせる歌詞をたまたま目にしたというわけなのです。
 そのリート集から見出したのかどうかは分かりませんが、モーツァルトの自筆譜には「ゲーテの詩による」と書かれていますので、
作詞者が誰であるかについては知っていたことになります。 当時ゲーテのこの詩は単独でよく知られていて、多くの作曲家が曲をつけていたというので、
何かの機会にモーツァルトも作曲しようということになったのかも知れません。 
自作目録には歌曲が並んでいるので、それらと同じ目的で作曲され、たぶん仲間うちで演奏して楽しんでいたと思われます。
恐らく「交友曲 Freundstuck」の一つなのでしょう。
ゲーテの詩は次のように、7行で一つの節となり、「第1節は野の情景を歌い、羊飼いの娘がやってくる様を歌い、
つづく第2節は乙女に対するすみれの気持ちをあらわし、そして第3節は、その気持ちが踏みにじられてしまう悲しい結末を語っている」物語になっています。 

Ein Veilchen auf der Wiese stand
gebuckt in sich und unbekannt;
es war ein herzig's Veilchen.
Da kam ein'junge Schaferin
mit leichtem Schritt und munterm Sinn
daher, daher,
die Wiese her, und sang.    

一本のすみれが牧場に咲いていた
ひっそりとうずくまり、人に知られずに。
それは本当にかわいいすみれだった!
そこへ若い羊飼いの少女がやって来た
軽やかな足どりで、晴れやかな心で
こっちの方へ近づいてくる
牧場の中を、歌をうたいながら。

Ach denkt das Veilchen, war'ich nur
die schonste Blume der Natur,
ach, nur ein kleines Weilchen,
bis mich das Liebchen abgepfluckt
und an dem Busen matt gedruckt!
ach nue, ach nur,
ein Viertelstundchen lang!
    
ああ、とすみれは思った、もしも自分が
この世で一番きれいな花だったら、と
ああ、ほんのちょっとの間だけでも
あの少女に摘みとられて、
胸におしあてられて、やがてしぼむ
ああ、ほんの
十五分間だけでも

Ach, aber ach! das Madchen kam
und nicht in Acht das Veilchen nahm,
ertrat das arme Veilchen.
Es sank und starb und freut' sich noch;
und sterb'ich denn, so sterb'ich doch
durch sie, durch sie,
zu ihren Fusen doch!    

ああ、それなのに!少女はやってきたが、
そのすみれには眼もくれないで、
あわれなすみれを踏みつけてしまった!
すみれはつぶれ、息絶えたが、それでも嬉しがっていた
ともあれ、自分はあのひとのせいで
あのひとに踏まれて
死ぬんだから、と!

この詩をゲーテは、1773年か翌74年はじめに書き、それを1775年に発表した歌謡つき芝居『エルヴィーンとエルミーレ』の中に含めたほか、
独立した詩としても『詩集』(1806年)の中に発表しています。
その『エルヴィーンとエルミーレ Erwin & Elmire』の最初の場で、この詩は「人知れぬ恋ののぞみを、ひそやかに抱いて歌う」青年の心を歌うものです。
エルミーレを深く愛したエルヴィーンは、謙虚な心からあえてエルミーレのもとを去り、そのさい、一片の詩、すなわち「すみれ」を残していきました。 
それを読んだエルミーレは、彼の真意に気づいてさすらいの旅に出、やがて幸運から彼と再会し、結ばれたそうです。 
「すみれ」はいわば、一夜のジングシュピールの焦点となる、ドラマの象徴だと言えます。
これを単独の歌曲として取り上げたときモーツァルトは最後に次の2行を書き足したのでした。

Das arme Veilchen!
Es war ein herzig's Veilchen.
かわいそうなすみれよ!
それは本当にかわいいすみれだった。

モーツァルトが、この詩を選び、自分で歌詞を付け足してまで作曲したことには何らかの動機があったにちがいありません。
当時の作曲家たちは有節形式で民謡風に曲をつけていたのに対し、
モーツァルトは物語の展開に応じて音楽描写を変えていく通作形式で曲をつけていて、
その革新的な作曲によりロマン派リート(シューベルトなど)への展望を開いた傑作と言われています。

こうしてモーツァルトは、この小曲を、ゲーテのジングシュピール全体に匹敵するような、大きな世界を表現したのです。
現在、この自筆譜はロンドンの大英博物館にあります。
モーツァルトがゲーテをどう思っていたかはわからないのですが、ゲーテの方はモーツァルトを高く評価していたことは有名で、
自身の代表作「ファウスト」に曲をつけることができるのはモーツァルトしかいないと言っていたほどです。 
二人の実際の唯一の出会いは、1763年(モーツァルト7歳)の6月9日にありました。 モーツァルト一家は西方への大旅行に出発し、
その途中、8月18日にフランクフルト・アム・マインで幼い姉弟の演奏会が開かれたとき、聴衆の中に当時14歳のゲーテがいたのです。
 ゲーテは晩年になってもそのときの幼いモーツァルト少年の姿をはっきりと覚えていると語っています。

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  2021/05/06   animato

サックス四重奏「春の歌」メンデルスゾーン :無言歌集

サックス四重奏「春の歌」メンデルスゾーン :無言歌集 第5巻 Op.62-6 U 161 イ長調
Spring Song
Mendelssohn

編成はサックスのアルト2本、テナー、バリトンです。
フルート2本、クラリネット、バスクラリネットの四重奏版は発売中です。
フルート2本、クラリネット2本の木管四重奏版は発売中です。

メンデルスゾーンの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

メンデルゾーンのピアノ曲の中でも特に有名な曲の1つが、この『春の歌(Spring Song/Fruhlingslied Op.62 No.6)』です。
春の明るい陽射しの中、小鳥の可愛いさえずりが聞こえてきそうな曲です。
よくテレビでも流れているので、その美しいメロディーを耳にする機会も多いのではないでしょうか。

この曲を作曲したフェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn/1809年-1847年)は、ドイツ・ロマン派の作曲家、ピアニストです。
かなり裕福な家に生まれ、色々な経験をさせてくれる、教育熱心な両親の元に生まれました。

彼は幼少期から音楽の優れた才能を発揮し、神童とも言われていました。
一度見た楽譜や一度聴いた音楽は、完璧に記憶していたそうです。

彼は書き上げた代表曲のうち、1曲の楽譜を引っ越しの際に無くしてしまいました。
そして彼は、記憶だけを頼りにもう一度楽譜を書き上げたそうです。
後に紛失した楽譜が発見されたのですが、2つの楽譜は7箇所のみが違っていただけで、残りの箇所は完璧に同じだったそうです。
また、数カ国語を操れるマルチリンガルでもあり、さらには水彩画の才能まで持ち合わせていたそうです。

この『春の歌』は、彼の『無言歌集(Lieder ohne Worte)』という、ピアノ作品集の中の1曲です。
全部で48曲、8巻からなる『無言歌集』は、メンデルスゾーンが15年間という長い歳月をかけて作曲した作品集であり、『春の歌』は1844年出版の第5巻に収録されています。
この『春の歌』の他には『狩の歌』や『紡ぎ歌』が有名です。

●無言歌集について
無言歌集(むごんかしゅう)は、メンデルスゾーンによって作曲された一連のピアノ独奏のための作品集です。
ドイツ語の原題では“Lieder ohne Worte”(言葉のない歌)です。(英語では Songs Without Words, フランス語では Romances sans paroles と呼ばれます。)
「無言歌集」と題して出版されたアルバムは、作品19、作品30、作品38、作品53、作品62、作品67、作品85、作品102 の全8巻があり、
それぞれ6曲ずつの「無言歌」を収めています。姉の ファニー・メンデルスゾーンが「無言歌」を考案したとされ、
彼女も多数の「無言歌」や「キャラクター・ピース」を作曲しています。
また、48曲のほか、それまで出版されず、番号のついていない「無言歌」も近年になって出版されています。

全部で48曲残された「無言歌」は、当時のドイツ・ロマン派音楽の中で作曲されたピアノの性格的小品集の中でも、
最もよく知られた傑作の1つとなっています。これらの曲は、曲想が優美で温かく、技巧的にも難しくないことから、
発表の当初から多くの人々に愛されてきました。このメンデルスゾーンの『無言歌集』やシューマンの初期のピアノ作品群の影響を受けて、
多くの作曲家たちがこの分野で数々の名作を書いてきました。

全48曲にはそれぞれ表題がありますが、メンデルスゾーンが自分でつけた表題は5曲にみです。
3曲の『ヴェネツィアの舟歌』(作品19-6, 30-6, 62-5)と『デュエット』(作品38-6)、『民謡』(作品53-5)は
作曲者のオリジナルの題名です。それ以外の曲名は大半は楽譜出版社などが曲想からつけたものがほとんどですが、
楽譜の冒頭にある発想標語からついた標題もあります。最も有名な《春の歌》(作品62-6)はその一例で、
他に《葬送行進曲》(作品62-3)、《紡ぎ歌》(作品67-4)、《子守歌》(作品67-6)も楽譜の冒頭の発想標語からついた題名です。
この4曲については、作曲者オリジナルの5曲と同様と考えてもいいでしょう。
それ以外の曲名は、楽譜の版によって違っている場合もあります。

無言歌集の作曲年代は、メンデルスゾーンの生涯のほとんどの期間にわたっています。
そのうち、作曲年代を特定できるものは25曲です。最も早く書かれたものは、作品19-4の《ないしょの話》が1829年9月14日に作られました。
作曲年代を確認できる最後のものは、1845年12月12日に作られた《タランテラ》(作品102-3)と《子供の小品》(作品102-5)です。

メンデルスゾーンが作曲した「無言歌」で、何らかの理由でこれら8巻のアルバムに入れられなかった作品も数曲が確認されていて、
ウィーン原典版やベーレンライター原典版より出版されています。特に、『騎士の歌 Ritterlied』は『無言歌集』の補遺として収められることがあり、
日本ではドレミ楽譜出版社の『無言歌集』(2006年、ISBN 4285106396)に収録されています。

●第1巻 作品19
出版年代:1832年

ホ長調、アンダンテ・コン・モート 《甘い思い出》 (1831年作曲)
イ短調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《後悔》 (1832年作曲)
イ長調、モルト・アレグロ・エ・ヴィヴァーチェ 《狩の歌》 (1832年作曲)
イ長調、モデラート 《ないしょの話》 (1829年9月14日作曲)
作曲年代が確認できる、最も早い時期の曲です。《信頼》という表題で呼ばれることもあります。
嬰ヘ短調、ピアノ・アジタート 《不安》 (1831年作曲)
《眠れぬままに》と呼ばれることもあります。
ト短調、アンダンテ・ソステヌート 『ヴェネツィアの舟歌 第1』 (1830年10月16日作曲)
『ヴェネツィアの舟歌』と題した3曲は、いずれもメンデルスゾーンが自分でつけた表題です。これはその第1番に当たります。

●第2巻 作品30
出版年代:1835年

変ホ長調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《瞑想》 (作曲年代不明)
変ロ短調、アレグロ・ディ・モルト 《安らぎもなく》 (作曲年代不明)
《心配》と呼ばれることもあります。
ホ長調、アダージョ・ノン・トロッポ 《慰め》 (作曲年代不明)
カトリック聖歌集第100番「しずかに神と」、讃美歌第30番および讃美歌21・第211番「朝風しずかに吹きて」として教会で歌われています。
ロ短調、アジタート・エ・コン・フォコ 《さすらい人》 (1834年1月30日作曲)
《道に迷って》とも呼ばれます。
ニ長調、アンダンテ・グラツィオーソ 《小川》 (1833年12月12日作曲)
嬰ヘ短調、アレグレット・トランクィロ 『ヴェネツィアの舟歌 第2』 (作曲年代不明)
メンデルスゾーンが自分でつけた『ヴェネツィアの舟歌』の第2番。

●第3巻 作品38
出版年代:1837年

変ホ長調、コン・モート 《宵の明星》 (作曲年代不明)
ハ短調、アレグロ・ノン・トロッポ 《失われた幸福》 (作曲年代不明)
ホ長調、プレスト・エ・モルト・ヴィヴァーチェ 《詩人の竪琴》 (作曲年代不明)
イ長調、アンダンテ 《希望》 (作曲年代不明)
イ短調、アジタート 《情熱》 (1837年作曲)
変イ長調、アンダンテ・コン・モート 『デュエット』 (1836年6月27日作曲)
これはメンデルスゾーンが自分でつけたオリジナルの表題で、上声部と下声部による“二重奏”から名づけたものです。

●第4巻 作品53
出版年代:1841年

変イ長調、アンダンテ・コン・モート 《海辺で》 (作曲年代不明)
《浜辺で》と表記されることもあります。
変ホ長調、アレグロ・ノン・トロッポ 《浮き雲》 (作曲年代不明)
ト短調、プレスト・アジタート 《胸騒ぎ》 (1839年3月14日作曲)
ヘ長調、アダージョ 《心の悲しみ》 (作曲年代不明)
《悲しい心》と表記されることもあります。
イ短調、アレグロ・コン・フォコ 『民謡』 (1841年作曲)
これはメンデルスゾーンが自分でつけたオリジナルの表題です。
イ長調、モルト・アレグロ・ヴィヴァーチェ 《飛翔》 (1841年作曲)
《勝利の歌》と呼ばれることもあります。

●第5巻 作品62
出版年代:1844年

ト長調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《5月のそよ風》 (1844年1月12日作曲)
変ロ長調、アレグロ・コン・フォコ 《出発》 (1843年作曲)
ホ短調、アンダンテ・マエストーソ 《葬送行進曲》 (1843年作曲)
一部の楽譜にはには Trauermarsch genant, Ist, von I. Mosheles instrumentiert, wahrend des Trauerconductes der Leiche Mendelssohn’s in Leipzig gespielt worden と記載されており、メンデルスゾーンの葬儀と関連付けられている。
ト長調、アレグロ・コン・アニマ 《朝の歌》 (作曲年代不明)
イ短調、アンダンテ・コン・モート 『ヴェネツィアの舟歌 第3』 (作曲年代不明)
メンデルスゾーンが自分でつけた『ヴェネツィアの舟歌』の第3番。これらの中では特に有名です。
イ長調、アレグレット・グラツィオーソ 《春の歌》 (1842年6月1日作曲)
この『無言歌集』の中でも最も有名な曲です。楽譜の冒頭に「春の歌のように」(ドイツ語:Fruhlingslied genannt.)という
発想標語があります。細かく書かれた装飾音を優しく丁寧に演奏しなければならない点が中級者には難しい曲です。
その彩られた装飾音の上に有名な温かくやさしい旋律が流れていきます。
この部分は、いわき駅の5番線で発車メロディーとして使用されています。

●第6巻 作品67
出版年代:1845年

変ホ長調、アンダンテ 《瞑想》 (1843年作曲)
《期待》と呼ばれることもある。
嬰ヘ短調、アレグロ・レジェーロ 《失われた幻影》 (1845年作曲)
《失われた夢》と表記されることもあります。
変ロ長調、アンダンテ・トランクィロ 《巡礼の歌》 (作曲年代不明)
ハ長調、プレスト 《紡ぎ歌》 (1845年5月4日作曲)
楽譜の冒頭に「紡ぎ歌のように」(ドイツ語:Spinnerlied genannt.)という発想標語があります。
《蜜蜂の結婚》という別の表題で呼ばれることもあります。
ロ短調、モデラート 《羊飼いの嘆き》 (1844年作曲)
ホ長調、アレグレット・ノン・トロッポ 《子守歌》 (作曲年代不明)
楽譜の冒頭に「子守歌のように」(ドイツ語:Wiegenlied genannt.)という発想標語があります。

●第7巻 作品85
出版年代:1851年 メンデルスゾーンの没後4年目に、遺作として出版されました。

ヘ長調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《夢》 (作曲年代不明)
《夜曲》と呼ばれることもあります。
イ短調、アレグロ・アジタート 《別れ》 (1834年作曲)
変ホ長調、プレスト 《狂乱》 (作曲年代不明)
《熱狂》と表記されることもあります。
ニ長調、アンダンテ・ソステヌート 《エレジー》 (1845年作曲)
イ長調、アレグレット 《帰郷》 (1845年作曲)
変ロ長調、アレグレット・コン・モート 《旅人の歌》 (1841年5月1日作曲)

●第8巻 作品102
出版年代:1868年 これは作曲者の死後、21年後に出版されたものです。

ホ短調、アンダンテ・ウン・ポコ・アジタート 《家もなく》 (1842年作曲)
《寄るべなく》と表記されることもあります。
ニ長調、アダージョ 《追憶》 (1845年作曲)
ハ長調、プレスト 《タランテラ》 (1845年12月12日作曲)
作曲年代が確認できる、最後期の曲。《子供の小品》と同じ日に作られました。
ト短調、ウン・ポコ・アジタート、マ・アンダンテ 《そよ風》 (作曲年代不明)
イ長調、アレグロ・ヴィヴァーチェ 《子供の小品》 (1845年12月12日作曲)
シューマンの『子供のためのアルバム』に収録された『楽しき農夫』と曲想がよく似ているため、
メンデルスゾーンのこの曲も《楽しき農夫》と呼ばれることがあります。
ハ長調、アンダンテ 《信仰》 (作曲年代不明)

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  2021/05/05   animato

管弦打楽器のための「メキシカン・ハット・ダンス」

管弦打楽器のための「メキシカン・ハット・ダンス」
Mexican Hat Dance
Mexican Trad.

編成はPic.、Fl.、Tp.2本、Tbn.またはEup.2本、A.Sax.、T.Sax.、Marimba、
E.BassまたはTuba、Drums、Perc.(Samba Whistle、Cabasa、Wood Block、Guiro)です。
14名で演奏できます。E.BassとTubaを重ねる場合は15名です。
Tp.はSop.Sax.またはクラリネットに変更可能です。
A.Sax.、T.Sax.はクラリネットに変更可能です。
Tbn.またはEup.2本はTen.Sax.とBar.Sax.やバスクラリネットまたはファゴットに変更可能です。
E.BassまたはTubaはバスクラリネットまたはファゴットに変更可能です。

メキシコの陽気な作品をコンサートピースに、ぜひどうぞ。

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Mexican Hat Dance
Mexican Trad.

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E.BassまたはTuba、Drums、Perc.(Samba Whistle、Cabasa、Wood Block、Guiro)です。
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https://youtu.be/lAVAJ0LAHCc

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

『メキシカン・ハット・ダンス Mexican Hat Dance』は、メキシコの伝統的なダンスです。
原曲名は『Jarabe Tapatio(ハラベ・タパティーオ)』といいます。
スペイン語で「Jarabe(ハラベ)」はダンスの一種、「Tapatio(タパティーオ)」はメキシコのハリスコ州(Jalisco)を意味しています。
ハラベ・タパティオ(Jarabe Tapatio)は、メキシコ・ハリスコ州発祥の民族舞踊および楽曲です。
メキシカン・ハット・ダンスとも呼ばれています。
メキシコを象徴するダンスとしてメキシコ内外で広く知られています。
また、マリアッチによって演奏されることも多い楽曲です。

通常、一組から数組の男女によって踊られます。男性は手を後ろに組みながら、女性はスカートを振りながら踊ります。
「ハラベ」はダンスの一種で、「ハーブの混合物」を意味するアラビア語の単語「Xarab」から、 
「タパティオ」はグアダラハラの人々に対する愛称「Tapatio」から来ています。
同じくメキシコ発祥で、ダンスやメロディーが類似しているラ・ラスパ (La Raspa)と混同されることがあります。

キダ・タロー作曲の「アホの坂田」は、冒頭部分を本楽曲から引用しています。
また、アメリカのテレビアニメ「アニマニアックス」の楽曲「世界数え歌」も一部本楽曲のメロディーを引用しています。
メロディーは19世紀に作曲され、ダンスは20世紀初頭に標準的な振り付けが確立されました。
日本では、メロディーの一部がキダ・タロー作曲『アホの坂田のテーマ』として広く知られています。
キダ・タロー自身も『メキシカン・ハット・ダンス』からのメロディー使用を認めています。

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  2021/05/04   animato

木管五重奏 6つの小品 感傷的なワルツ Op.51-6 ヘ短調

木管五重奏 6つの小品 感傷的なワルツ Op.51-6 ヘ短調
6 Morceaux  "Valse sentimentale" f-moll Op.51-6
Tchaikovsky, Pytr Il'ich

編成はFl.、Ob.(Cl.)、Cl.2本、Bsn.です。
Bsn.はBs.Cl.に変更可能です。Bs.Cl.のパート譜も同梱しています。
Ob.(Cl.)はどちらのパート譜も同梱しています。
サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。

チャイコフスキーの繊細で叙情的な名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

木管五重奏 6つの小品 感傷的なワルツ Op.51-6 ヘ短調
6 Morceaux  "Valse sentimentale" f-moll Op.51-6
Tchaikovsky, Pytr Il'ich

編成はFl.、Ob.(Cl.)、Cl.2本、Bsn.です。
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チャイコフスキーの繊細で叙情的な名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ピアノ曲「6つの小品」作品51は次のような曲構成になっています。
1.サロン風ワルツ Op.51-1
2.少し踊るようなポルカ Op.51-2
3.メヌエット・スケルツォーソ Op.51-3
4.ナタ・ワルツ Op.51-4
5.ロマンス Op.51-5
6.感傷的なワルツ Op.51-6

「6つの小品」作品51は1882年、42歳のチャイコフスキーが妹アレクサンドラの住むキエフ郊外のカメンカと言う村で書いた作品で、
華やかさよりも、ささやかな感じの情緒が盛られ、地味ではあるものの忘れ難い音楽ばかりです。

作曲家の弟によると、チャイコフスキーの人生で最も幸せな期間に書かれた作品とのことです。
音楽評論でも知られる作曲家ボリス・アサーフィエフは、これらの小品を「真の慈悲深さがあり、人の心を暖める」と評しています。
以下6つの曲からなっていますが、この中の第4曲を除いて絢爛たる規模を誇る大作、歌劇「マゼッパ」の創作時期にもあたりますので、
大きな作品の合間を縫って、書かれた力みのない心温まる作品です。

第1曲「サロン風ワルツ」は、豊かな詩的表現で満たされ、もはや舞曲形式の範囲を上回っています。
ワルツのリズムが歌謡性の強い旋律と対照を保ちながら並行します。簡潔さが保たれている点、優れたものを感じます。

第2曲「ポルカ」は、急速な歩調を鋭く強調したチェコ舞曲ですが、チャイコフスキーはその特徴を十分に消化し、
ピアノの技巧に活かしています。

第3曲「メヌエット・スケルツォーソ」は、威厳あるフランス風メヌエットとユーモラスなスケルツォを融合したような書法で
その構造についてはやや緩く作られています。

第4曲「ナタ・ワルツ」は、もともと1873年に妹アレクサンドラの嫁ぎ先であるダヴィドフ家の友人ナターリャ・プレスカヤに
捧げたごく個人的に書いた小品のようで、それを演奏会用に改訂したとのことです。

第5曲「ロマンス」は、雄弁な叙唱要素を、あたかも歌う様な器楽用法によって表現されており、ピアノによるロマンス(歌曲)の
優れた例の一つに思います。この作品51の曲集の中でも特にピアノの質感にこだわった小曲に感じます。

第6曲「感傷的ワルツ」は、その憂鬱な響きに際立った美しさがあります。ロシアの街に流れる大衆的な歌を模したのでしょうか、
聴き手の心に率直に語りかけてくる親密さがあります。ヴァイオリン用にも編曲され独立して広く愛好されています。

チャイコフスキー(1840-1893 ロシア)
チャイコフスキーは,19世紀後半のロシアの作曲家です。幼いころから音楽に親しみ,才能にめぐまれていましたが,
法律学校で勉強して,いったんは法務省で働き始めました。しかし音楽への思いを捨て切れず,23歳のときにペテルブルク音楽院に入り,
音楽家として生きる道を選びます。
卒業後,彼はモスクワ音楽院で教えながら,ピアノ協奏曲第1番やバレエ音楽「白鳥の湖」のほか,たくさんの作品を発表していきます。
やがて,チャイコフスキーの作曲活動を支えるために,裕福なフォン メック夫人がお金の援助をすることになりました。
彼は音楽院の仕事を辞め,作曲に専念します。その後は,ヴァイオリン協奏曲をはじめ,さらに多くの作品が生み出され,彼の名声は西ヨーロッパへも広がっていきました。
たゆまぬ努力で作曲を続けたチャイコフスキーは,最後の作品となる交響曲第6番「悲愴」の初演を指揮した9日後に,その一生を終えています。

19世紀に世界を席巻した動きのひとつに、民族主義があります。
19世紀後半、ロシアでも文学や音楽において民族主義の動きが高まりました。
当時のロシアには、5人組と呼ばれたロシア民族主義の音楽家が存在しています。バラキレフ、キュイ、ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフがその5人です。
この5人組の音楽は、現在も人気があります。しかし、5人が束になってもチャイコフスキーにはかないません。
チャイコフスキーは、この5人と同時代に生きながらその流れに逆行し、クラシックの正統を歩むことになります。
これはつまり、チャイコフスキーの音楽はロシアらしさに欠け、ゆえにロシアの国外でも広く受け入れられるという
幸運な要素を有していたのです。

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  2021/05/03   animato

サックス四重奏 ノクターン[夜想曲]第2番 Op.9-2:ショパン

サックス四重奏 ノクターン[夜想曲]第2番 Op.9-2:ショパン
Chopin, Frederic
Nocturnes Nocturne No.2 Op.9-2 CT109

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ショパントの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

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Chopin, Frederic
Nocturnes Nocturne No.2 Op.9-2 CT109

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ショパントの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

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夜想曲第2番 変ホ長調 作品9-2 は、フレデリック・ショパンが1831年に作曲したピアノのための夜想曲です。
翌1832年に出版されました。献呈はベルリオーズの元婚約者でピアノ製作会社プレイエル社長
カミーユ・プレイエルの妻マリーに対し行われました。

この曲は全21曲あるショパンの夜想曲の中でも最もよく知られた曲です。この作品は作品9-1と同様、ジョン・フィールドからの
影響を強く受けています。しかしながら、甘美な旋律が装飾されて繰り返されるだけですが、十分にショパンの叙情性を味わうことができる作品です。
また、ショパンはしばしば変奏を行っていたといわれ、弟子の楽譜にも変奏の例が書き込まれています。

変ホ長調、アンダンテ、8分の12拍子。
ロンド形式風の"A-A-B-A-B-A-コーダ"という構成となっています。始終右手は装飾音で飾られた旋律を歌い、
左手は同じリズムの旋律が繰り返されます。旋律は再現のたびに装飾的に変奏され、
ショパンのノクターンの中で最も有名な作品で、ショパンの死後、ヴァイオリン、チェロ、声楽用などの編曲が盛んに作られました。
曲のフレーズは最後の2小節を除けばすべて4小節のフレーズから成っています。
変ロ長調のBの部分は2回ともほぼ同じ形で表れますが、AおよびCの部分は出てくるたびに違った装飾が施されています。
このような旋律の装飾法は、当時のオペラ・アリアの演奏習慣に由来するもので、声楽を愛したショパンは
これを積極的にピアノ演奏に取り入れました。この装飾は、ショパン自身、毎回違うように弾いたらしく、
そうした出版譜と違った変奏が、あるものはショパン自身の演奏を書き取ったものとして、
またあるものはショパンが弟子の楽譜に書きこんだものとして、多数残されています
(こうした資料が多く残っているケースは、ショパン作品にあっては珍しく、中には右手が最高音域から3度の半音階で下降するというものもあります)。

ドラクロワをはじめとするショパンの取り巻きたちは、この即興性や演奏のたびに音色を自在に変化させる能力に
ショパンの才能を認めています。こうした彼の演奏習慣は、「楽譜通り」の演奏を基本とする演奏美学と大きく異なる点です。
平明なAに対し、Bの部分では、1小節目で、変ロ長調のVの第一転回形に行ったかと思うと、次の小節で、
バスが半音下がって変ホ長調のIV-Iと進行(譜例1, 第10小節)し、また、バスが半音上がって変ロ長調に戻り、
安定したかと思うとAに戻る直前で唐突に半音階的和声が現れるなど、何か彷徨うような和声がコントラストを成しています。
ショパン作品全般を特徴づける「彷徨う和声」もやはり、ある程度はショパンの即興的なセンスから導きだされたものでしょう。

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  2021/05/02   animato

クラリネット四重奏『きらきら星変奏曲』As Dur

クラリネット四重奏『きらきら星変奏曲』As Dur
Twinkle Twinkle Little Star Mozart Variation
W.A.Mozart

編成はクラリネット3本、バスクラリネットです。
バスクラリネットはファゴットに変更可能です。
バスクラリネットのファゴット用パート譜はセットに同梱しています。
木管四重奏 C Dur版、サックス四重奏 As Dur版、鍵盤打楽器四重奏 C Dur版は発売中です。

若きモーツァルトの魅惑の旋律をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

クラリネット四重奏『きらきら星変奏曲』As Dur
Twinkle Twinkle Little Star Mozart Variation
W.A.Mozart

編成はクラリネット3本、バスクラリネットです。
バスクラリネットはファゴットに変更可能です。
バスクラリネットのファゴット用パート譜はセットに同梱しています。
木管四重奏 C Dur版、サックス四重奏 As Dur版、鍵盤打楽器四重奏 C Dur版は発売中です。

若きモーツァルトの魅惑の旋律をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

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参考音源
https://youtu.be/eLl0deBLa-g

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

「きらきら光る お空の星よ」の歌い出しで親しまれる童謡「きらきら星」。
これは英語圏で歌われている『Twinkle, Twinkle, Little Star』(トゥインクル・トゥインクル・リトル・スター)の歌詞が
日本語訳・アレンジされた曲です。
『Twinkle, Twinkle, Little Star』のメロディは、18世紀フランスの民謡「ああ、話したいの、ママ Ah ! vous dirai-je, Maman」が使われています。
このフランス民謡に『Twinkle, Twinkle, Little Star』の歌詞がつけられたのは19世紀初めごろのことです。
イギリスの詩人ジェーン・テイラー(Jane Taylor)の詩「The Star」(ザ・スター/星)の一部が用いられ、
1805年に詩集「ナーサリーライム(Rhymes for the Nursery)」の中で始めて発表されました。

【歌詞】
Ah ! vous dirai-je, maman,
Ce qui cause mon tourment ?
Depuis que j'ai vu Clitandre,
Me regarder d'un air tendre ;
Mon c?ur dit a chaque instant :
≪ Peut-on vivre sans amant ? ≫
【意訳】
ああ!ママ、言わせて
私の苦しみの原因はなんなの?
優しいClitandre(人名)
そんな彼と出会ってから
私の心はいつも語りかけるの
「私たちは恋人なしで生きていくことはできるの?」と。

『きらきら星変奏曲』は、モーツァルトがウィーンに引っ越した頃、1781年-82年に作曲したピアノ曲です。
 原題(12 Variationen uber ein franzosisches Lied “Ah, vous dirai-je, maman” )を直訳すると、
『フランスの歌曲「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲』で、当時フランスで流行していたシャンソン・歌曲です。
このフランス歌曲のメロディが、モーツァルトの死後、『きらきら星』の歌詞と結びつきました。
つまり、モーツァルトが生きていた頃は、まだ『きらきら星』という曲は存在していないため、このモーツァルトの変奏曲を
『きらきら星変奏曲』と呼ぶことに違和感はないのですが、今ではこのタイトルの方が馴染み深いことは間違いありません。
 私たちが知っている歌詞の元である「Twinkle, twinkle, little star」は、1806年にイギリスの詩人、ジェーン・テイラーによって書かれました。
それは、モーツァルトが亡くなってから15年ほど経ってからのことでした。

変奏曲の構成は次のようになっています。
主題   主題の提示だが、現在『きらきら星』として知られる曲よりも少し修飾がなされている。
第1変奏 16分音符と巧みな半音階の導入できらびやかな効果を出している。
第2変奏 ずっしりとしたアルペジョが速いパッセージで登場
第3変奏 アルペジョで美しい音色を出す。
第4変奏 10度飛ぶ厄介な部分。気まぐれな雰囲気を出す。
第5変奏 ここでは一度静まり返る。軽々しい和音に不協和音が一部混ざることにより、更にかわいらしさがあふれる。
第6変奏 速いパッセージと共に右手がメイン。途中から右手に速いパッセージが来る。
第7変奏 1オクターブのスケールで始まり壮大さが生まれる
第8変奏 ハ短調に転じる。ここでは短調の雰囲気で重々しく流れる
第9変奏 ハ長調に戻る。軽快な音が響き渡る。
第10変奏 細かな分散和音と共に盛り上がる。
第11変奏 速度がアダージョになる。少々主題に手が加えられた部分もある。ゆっくりめで温和な雰囲気。最終変奏の前の緩徐楽章的な役割。
第12変奏 3拍子になる。左手の速いパッセージで始まり、非常に速い。最後は、大いにクレシェンドして終わる。

モーツァルト[1756~1791]はオーストリアの作曲家です。ハイドンとならぶウィーン古典派音楽の代表者で、器楽・声楽の両分野にわたり、600曲以上の作品を残しました。
作品では、交響曲・協奏曲・室内楽曲・ピアノソナタのほか、オペラ「フィガロの結婚」「ドン=ジョバンニ」「魔笛」などが代表作です。
モーツァルトは古典派中期の大作曲家です。
古典派の中期から興隆期を日本の歴史に例えると、徳川幕府の中後期の名老中の一人=松平定信(1759-1829)の生きた時代と同じころだと言えます。
モーツァルトの生きた時代は、神聖ローマ帝国の最末期にあたりますし、またイギリスで起こった第1次産業革命の時期にも重なっています。
ドイツ・オーストリア圏は、最末期とは言えまだ神聖ローマ帝国の支配下でしたから、基本的には封建社会が続いていたので、
音楽家の生活は今日の自由な社会から見れば窮屈なものだったかもしれません。
その中で、アマデウス・モーツァルトの父=レオポルドは、息子の天性の素質と才能を見抜き、雇い主のザルツブルグ大司教から相当に無理をして
許諾を得て、伝統的にヨーロッパ文化のトップモード発進地であったイタリアへの演奏旅行を何度も敢行したのでした。

そのような環境の下で天性を開花させていったモーツァルトは、遂に1781年には雇い主であるザルツブルグ大司教と決別して、
ウィーンにフリーの音楽家として定住するに至ったのです。これは当時としては破天荒以外の何物でもない思いきった行動で、
フランス革命以後の芸術家の在り方を先取りしていたのです。
しかし結局、晩年(といっても30歳台半ばですが)には困窮を極める生活に陥り、遂に病に倒れてこの世を去ったのでした。

モーツァルトは古典主義音楽の中心的存在として、どんな特徴があると言えるのでしょうか? 
ソナタ形式というのは、第1主題と第2主題を提示し、それらにもとづく展開部をそれに続け、最後に、再び2つの主題を再現するという方式、
いいかえれば、きわめてメカニックな論理性に支配される形式といえます。
ベートーヴェンがハイドンから受け継いだものは、その論理性にほかなりません。
モーツァルトは、その論理性に豊かな色づけと楽しさを与え、そのメカニズムから堅さを取り除いたのです。
天才ならではの流れるような優雅な旋律、しかもそれがやや断片的に現れながらも、けっして散漫になりません。
そして副主題らしきものを多く出しながらも、微妙で、不規則で多様性に富む旋律様式を生み出す巧みさは、
その反面、構成的、論理的には脆さを見せることもないではありません。しかし、それを、モーツァルトはその天才的な能力で、
見事に縫合し、まとめ、その脆弱性を逆に利用して、音楽的な情緒性を盛り立てるのに成功したのです。

アトリエ・アニマート
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  2021/05/01   animato