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2020年7月31日

クラリネット五重奏:亜麻色の髪の乙女

クラリネット五重奏:亜麻色の髪の乙女
(La fille aux cheveux de lin)
Bb管2本、アルト、バス2本の編成です。
木管五重奏やサックス五重奏に変更が可能です。
木管七重奏版は発売中です。

幻想的な雰囲気に溢れた作品をぜひ演奏表現してください。

クラリネット五重奏:亜麻色の髪の乙女
(La fille aux cheveux de lin)
Bb管2本、アルト、バス2本の編成です。
木管五重奏やサックス五重奏に変更が可能です。
木管七重奏版は発売中です。

幻想的な雰囲気に溢れた作品をぜひ演奏表現してください。

亜麻色1.jpg
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アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/f50IXApvW2w

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

「亜麻色の髪の乙女(La fille aux cheveux de lin)」は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシー(Claude Debussy/1862年-1918年)
によって作曲されました。

ドビュッシーは、ピアノのための前奏曲(Preludes)を全部で24曲作曲しています。
それぞれ12曲からなる曲集『前奏曲集 第1巻』(1910年)『前奏曲集 第2巻』(1913年)に収められており、
「亜麻色の髪の乙女」は第1巻の8曲目に当たります。
しかしこの曲は他の作品に見られるような独特な音律ではなく、
古い歌曲を編曲したものと言われ、「月の光」のように、全音音階の中に突然五音音階が現れ、
雲間から光が射し込むような幻想的なものと違い、非常に抒情的な韻律を帯びています。

ドビュッシーの作曲した前奏曲の中でも、最も人気のある曲の一つです。
第7曲と対極に属する曲想の可憐な作品で、ポピュラリティーもあって、いろいろなところでBGMで流れているほど有名です。
理由は、メロディーがわかりやすいこと、和声が柔らかく刺激が少ないこと、そして、楽譜を見ればわかりますが、
最強音はmfでとても優しいことなどがあげられます。また、後世の人たちがさまざまな楽器編成で編曲しています。
この作品を好む人は、前奏曲第2巻の第5曲、「ヒース」を好むはずです。どちらも甲乙つけがたい名曲です。
演奏が容易かというとそうではありません。難しさは、ベルガマスク組曲の第1曲に通じるものがあります。
音楽の質感は対極にあるベートーヴェンのように、モチーフがさまざまな形で用いられ、有機的に結合しています。
そして、用いられている和音は、わかりやすい響きなのにちょっとした工夫がほどこされ、
飽きのこないデリケートな響きになっています。
ドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』はダイハツの「第3のエコカー」や「ロッテのチョコパイ」のCM等、
色々なCMのBGMとして使われてきたので聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。

前奏曲はドビュッシーの後期の作品として重要な作品です。
この作品を作曲するころには、ドビュッシーの音楽家としての評価は既に高い位置にありました。
そしてドビュッシーは前奏曲の発表で、「ピアノ作曲家」としての評価をさらに高めます。
「亜麻色の髪の乙女」は、ドビュッシーの未発表の歌曲を編曲したものだと言われています。
この歌曲はフランスの詩人ルコント・ド・リールの同名の詩「亜麻色の髪の乙女(La fille aux cheveux de lin)」をもとに作曲されました。

有節形式で4節まである詩で、夏の美しい情景が描かれています。
歌詞とその情景をイメージすると、メロディーがさらに豊かに感じられるかもしれません。
 cheveux de lin(亜麻色)はフランス語で「白に近い金髪」を意味します。

「亜麻色の髪の乙女」の歌詞と対訳

Sur la luzerne en fleur assise,
Qui chante des le frais matin ?
C'est la fille aux cheveux de lin,
La belle aux levres de cerise.

ムラサキウマゴヤシの花々の上で
この涼しい朝に 誰が歌っていますか?
それは亜麻色の髪の乙女
美しい桜色の唇をした

L'amour, au clair soleil d'ete,
Avec l'alouette a chante.

明るい夏の太陽の中で、
愛の天使がヒバリと一緒に歌いました。

ドビュッシー(Claude Achille Debussy クロード・アシル・ドビュッシー、
1862年8月22日-1918年3月25日)はフランス、イブリーヌ県サン・ジェルマン=アン=レーに生まれ、
9歳の時から本格的にピアノに手を染め、以来亡くなるまで音楽家として名声を受けながら歩み続けました。
1880年18歳の時にチャイコフスキーに小品「ボヘミア舞曲」を送ったところ、
<未熟である>と酷評されたエピソードを持ちます。絵画の印象派
(クロード・モネ、オーギュスト・ルノアール、エドガー・ドガ、ポール・セザンヌなど)と
時代を一にしていたことと、新しいそれまでの西洋音楽と書法が相違していたことから、
揶揄もこめて<印象主義音楽>と呼ばれました。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

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  2020/07/31   animato