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2022年9月

サックス五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第1番

サックス五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第1番
3 Marches militaires
Schubert, Franz

編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
木管五重奏版、クラリネット五重奏版、金管五重奏版は発売中です。

シューベルトの明るく活発な名曲を、ぜひお楽しみください。

サックス五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第1番
3 Marches militaires
Schubert, Franz

編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
木管五重奏版、クラリネット五重奏版、金管五重奏版は発売中です。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年?1828年)の『軍隊行進曲』は、ピアノ連弾のための曲集で
彼のピアノ作品の中でも有名なものです。
特に第1番は広く知られており、管弦楽用やピアノ独奏用にも編曲され親しまれています。
作曲年は諸説ありますが、1818年が有力だと現在ではされています。

作曲されたとされる1818年頃、シューベルトは貧しい生活を送っていました。
1816年に教師の職を辞めたことで、安定して稼げる仕事がなくなったためです。

しかし仕事を辞めてからは音楽を愛する仲間たちと出会い、彼らに助けられて貧しいながらも充実した時間を過ごしていました。
また1818年は作曲した作品数自体は少ないものの、シューベルトが自らの作品のためのコンサートを初めておこなった年でした。

さらには同年夏(1818年)、シューベルトはエステルハージ伯爵一家の音楽教師としてハンガリーのツェリスにも招かれます。
エステルハージ伯爵家には2人の娘がいましたので、そのために連弾曲が書かれたと推測もされています。

シューベルトはこの地でとても楽しい夏を過ごしたと言われています。
その影響もあるのか、『軍隊行進曲』は3曲とも明るく活発な音楽が印象的です。
この年は、シューベルトにとって明るい道筋が少しずつ開けるような年だったようです。

軍隊行進曲 シューベルト
シューベルト(Franz Peter Schubert/1797?1828)
『軍隊行進曲』は、シューベルトがピアノ連弾のために作曲した曲集『3つの軍隊行進曲 Trois Marches Militaires』 D733 作品51。

作曲された年については諸説あり、一説によれば、シューベルトがエステルハージ伯爵家の娘の教師を務めていた頃と説明されることがあります。
この作品の第1番は、現在シューベルトの作品の中でもっともポピュラーなピアノ曲のひとつとして、独奏されることが多いのですが、
もとはピアノ連弾曲である。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。
この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。
この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲であり、
エステルハージ家での楽しいピアノ・レッスンの風景を想像させる作品です。

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  2022/09/10   animato

Solo+金管五重奏 「明日!」R.シュトラウス Op.27-4

Solo+金管五重奏 「明日!」R.シュトラウス Op.27-4
Morgen!
リヒャルト・シュトラウス
Richard Strauss

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、TubaおよびSoloパートです。
同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、
in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、
in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、
in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、
Tubaは1オクターブ下げて演奏できます。
in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、
in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。
多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。
クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。

ドイツ近代の巨匠を味わえる美しい名曲を、ぜひお楽しみください。

Solo+金管五重奏 「明日!」R.シュトラウス Op.27-4
Morgen!
リヒャルト・シュトラウス
Richard Strauss

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、TubaおよびSoloパートです。
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in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

「明日!」(ドイツ語: Morgen!)作品27-4は、リヒャルト・シュトラウスが1894年に作曲した歌曲です。
タイトルの「Morgen!」は、「明日!」「あした!」「あした」「あしたには!」「明日(あす)の朝」など、さまざまに訳されています。
新婚の妻パウリーネのために書かれたと伝えられる「4つの歌曲」作品27の締めくくりに位置します。シュトラウスの作品のなかでも特にロマンティックなものの一つとされ、
知名度が高い作品です。簡素ながら、非常に繊細な美しさを持った作品で、ジェラルド・ムーアは著書『歌手と伴奏者』のなかで、
「『壊れものにつき、取扱注意』のラベルを張るべきである」と述べています。
ジョン・ヘンリー・マッケイ(英語版)によるテクストは、明日、輝く太陽のもとで、愛し合う二人が再び一つになるだろう、というきわめて希望に満ちた愛の詩で、
やや感傷的ですが、儚く、繊細な詩です。シュトラウスもそれを受けて、繊細の極みといってよい音楽をつけました。
Langsam, sehr getragen(ゆるやかに、きわめて落ち着いて)、ト長調、4/4拍子。最初のフレーズが解決しないうちに、歌がサブドミナントで入ってくる開始は非常に印象的です。
作曲者自身による管弦楽編曲もあり、そこでは、一貫してアルペッジョをハープが、主旋律を独奏ヴァイオリンが受け持っています。

シュトラウスは色々なタイプの歌曲を書いていますが、こういった世紀末の詩人たちのメロメロにロマンティックな詩につけた甘美な歌曲は特に魅力的です。
ただ歌詞は「そして」という単語がやや多いようです。
長めのピアノのイントロがあって、これは美しいピアノの小品か、と思うと歌が始まるのはフォーレの「月の光」と同じ。オーケストラ版ではヴァイオリン・ソロが旋律を歌い、
これも非常に美しい作品です。
詩はスコットランド生まれの作家、思想家のジョン・ヘンリー・マッケイによるものです。
この作品は、まずピアノパートの甘く美しい長めの前奏で始まることが特徴的で、歌はピアノの前奏曲の途中からさりげなく入ってきます。
恋人同士のこのうえなく甘美で幸せな世界を歌ったものですが、日本でグレアム・ジョンソンがこの曲を演奏する前に
「明日はもっと良くなるという内容です。そして明日は恋人たちだけでなく、すべての人に平和と幸福を与えてくれます。」と言っています。
シュトラウストの音楽性を堪能し、メロディーの美しいレガートに酔いしれるというのが、この作品の楽しみ方でしょう。
1894年作曲。
ト長調、4分の4拍子、全43小節
Langsam sehr getragen(ゆっくりと、非常に荘重に)

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Morgen!
 明日!

Und morgen wird die Sonne wieder scheinen,
und auf dem Wege, den ich gehen werde,
wird uns, die Glucklichen, sie wieder einen
inmitten dieser sonnenatmenden Erde...
 そして明日には太陽が再び輝くだろう、
 そして私の歩む道で
 私たち、幸せな二人を再び一つにするだろう、
 この太陽の息づく大地のさなかで。

Und zu dem Strand, dem weiten, wogenblauen,
werden wir still und langsam niedersteigen,
Stumm werden wir uns in die Augen schauen,
und auf uns sinkt des Gluckes stummes Schweigen...
 そして広々として、青く波立つ浜辺へと
 私たちは静かに、ゆっくりと下りていき、
 黙ったまま相手の目を見つめるだろう。
 すると幸せの無言の沈黙が私たちに降りてくるのだ。

詩:John Henry Mackay (1864-1933)
曲:Richard Georg Strauss (1864-1949)

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  2022/09/09   animato

クラリネット五重奏 夕べの歌 Op.85-12

クラリネット五重奏 夕べの歌 Op.85-12
小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品 Op.85から
12.「夕べの歌」
12.Abendlied
R.シューマン 
Schumann, Robert:12 Vierhandige Clavierstucke fur kleine und grosse Kinder Op.85

編成はCl.4本、Bs,Cl.です。
木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。
ドイツ・ロマン派を代表するR.シューマンの音楽を、ぜひお楽しみください。

クラリネット五重奏 夕べの歌 Op.85-12
小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品 Op.85から
12.「夕べの歌」
12.Abendlied
R.シューマン 
Schumann, Robert:12 Vierhandige Clavierstucke fur kleine und grosse Kinder Op.85

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

元はシューマンのピアノ連弾曲集「小さな子供と大きな子供のための12のピアノ曲集
(Klavierstucke fur kleine und grose Kinder)」Op.85の
12曲中最後に収められている曲で「夕べの歌(Abendlied)」です。
その美しさゆえに、多くの人によってバイオリンやチェロのために編曲されています。
曲集は次のような12曲から成っています。

1.誕生日の行進曲 Op.85-1
演奏時間:2分30秒

2.熊の踊り Op.85-2
演奏時間:2分00秒 

3.庭園のメロディ Op.85-3
演奏時間:2分30秒 

4.花環を編みながら Op.85-4
演奏時間:2分00秒 

5.クロアチア人の行進 Op.85-5
演奏時間:2分30秒 

6.嘆き Op.85-6
演奏時間:2分00秒 

7.騎士の馬上試合の行進.輪舞 Op.85-7
演奏時間:5分00秒 

8.輪舞 Op.85-8
演奏時間:2分00秒 

9.噴水のほとりで Op.85-9
演奏時間:2分30秒 

10.かくれんぼ Op.85-10
演奏時間:1分30秒 

11.お化けの話 Op.85-11
演奏時間:2分30秒 

12.夕べの歌 Op.85-12
演奏時間:3分00秒 

ロベルト・アレクサンダー・シューマン(ドイツ語: Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)は、
ドイツ・ロマン派を代表する作曲家です。ローベルト・シューマンと表記されることもあります。
ベートーヴェンやシューベルトの音楽のロマン的後継者として位置づけられ、交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残しました。 
特にピアノ曲と歌曲において高い評価を得ています。
シューマンが生まれたのは1810年6月8日、ザクセンのツヴィッカウという小さな町で、父フリードリヒ・アウグストとヨハンナの間の
4男1女の子供たちの末子として生まれました。
 父フリードリヒ・アウグストは書籍出版・販売業を営んでいて、その関係でシューマンの兄のエドゥアルト、カール、ユーリウスも
書籍業を営むことになり、このような中でシューマンは、幼い時期から数多くの文学書に囲まれる生活環境にありました。
父は文学をこよなく愛し、優れた文学書を刊行するだけではなく、今日の文庫本の刊行を手がけたことでも知られています。
母親のヨハンナは音楽を愛好し、その関係から彼は早い時期から音楽に親しみ、シューマンの音楽熱はこの母親から受け継ぎました。
 シューマンは早くから芸術とくに音楽への関心を示し、7歳(1817年)から教会オルガニスト、ヨハン・ゴットフリート・クンチュに
ピアノを師事するようになりました。8歳(1818年)のとき、母と保養地のカールスバートに5週間滞在し、同地でモシェレスの演奏を聴きました。
当時、高い評価を得ていたこのボヘミア出身の作曲家で名ピアニストの演奏との出会いはシューマンのその後の音楽的資質の開花に影響しました。
10歳(1820年)にギムナジウム(9年制の学校)に入学し、ふたたびカールスバートでモシェレスの演奏を聴きました。
すでにこの頃から作曲の試みを始め、シューマンは14歳のときに完成した「詩篇150番」は、1821年、シューマン11歳の頃に最初の構想を抱いて
作曲を進めていて、1822年にその一部を学生仲間と初演しています。
この作品はシューマンの創作の現存するもっとも初期の作品ですが、ソプラノとアルト、それに2Fl.2Ob,Fg,2Trp,ティンパニ、2Vl,Vla,ピアノという
大規模な編成の作品です。少年時代のシューマンは作曲とともに特にピアノの演奏に親しみ、とくにピアノ練習曲で用いていたフンメルや
ベートーヴェンのほかに、シューベルトの作品を演奏していました。このシューベルト体験は強い印象を与え、シューベルトの音楽は長くその後の
彼の創作に影響を及ぼすことになりました。
 1826年に父親が没し、姉のエミーリエは自殺しました。感情の起伏の激しい姉の性格はシューマンにも受け継がれており、それはさらに
シューマンの息子のルートヴィヒにも継承されています。シューマンは裕福な商人カールス家に出入りするようになり、同家で催される演奏会で
ベートーヴェンやモーツァルトなどの作品に接しました。1827年7月、この家の主人の甥で医師のエルンスト・カールスの妻アグネス・カールスに会い、
アグネスを通してシューベルトの歌曲の魅力を知りました。ジャン・パウルの小説に夢中になるようになるのもこの頃からです。
1829年5月、シューマンは、ハイデルベルクに向かう旅で南ドイツを回りました。マイン川およびライン川沿いを馬車で下り、フランクフルト、
マインツ、コブレンツなどを経由して5月21日にハイデルベルクに到着しました。このとき初めてライン川を見たシューマンは感銘を受け、
母親に宛てて次のように書き送っています。

「老いて堂々とした父なるラインの初めて見せる光景を、冷静な心全体で受け止めることができるように、ぼくは目を閉じました。
それから目を開いてみますと、ライン川はぼくの前に古いドイツの神のようにゆったりと、音も立てず、厳粛に、誇らしげに横たわり、
それとともに、山や、谷のすべてがぶどうの楽園である、花が咲き緑なすラインガウのすばらしい全景が広がっていたのです」
1829年5月、母ヨハンナに宛てたシューマンの手紙

彼は1834年ごろから精神障害の症状に悩まされるようになりました。1844年にライプツィヒからドレスデンへ、1850年にデュッセルドルフへと移住して
指揮者としても活動しました。この間、子供向けのピアノ曲を作曲するなど教育分野での貢献も残しました。
1853年にヨハネス・ブラームス(1833年 - 1897年)と出会い、「新しい道」と題する論文で若き天才として紹介しましたが、翌1854年に
ライン川に投身自殺を図りました。救助されたシューマンはボン近郊のエンデニヒの療養所に収容され、2年後の1856年に46歳でこの世を去りました。

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  2022/09/08   animato

木管八重奏と打楽器のための「クリサンシマム(菊)」

木管八重奏と打楽器のための「クリサンシマム(菊)」
The Chrysanthemum
An Afro-American Intermezzo
Scott Joplin

編成はCl.2本、A.Sax.2本、T.Sax.、B.Sax、Bs.Cl.、Bsn.に加えてDrumsです。
Bsn.をSt.Bs.で演奏できるパート譜を同梱しています。
打楽器(ドラムセット)を含めて総勢9名になります。
金管八重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版、サックス五重奏版は発売中です。

スコット・ジョプリンのラグタイムをコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

木管八重奏と打楽器のための「クリサンシマム(菊)」
The Chrysanthemum
An Afro-American Intermezzo
Scott Joplin

編成はCl.2本、A.Sax.2本、T.Sax.、B.Sax、Bs.Cl.、Bsn.に加えてDrumsです。
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スコット・ジョプリンのラグタイムをコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

「クリサンシマム」(The Chrysanthemum)は、1904年にスコット・ジョプリンが作曲したピアノ曲です。
ジョプリンが「2度目の妻 Freddie Alexander に捧げた」とも言われている落ち着いた雰囲気のラグタイム作品です。
クリサンシマムは菊の花の意味です。ラテン語の属名を英語読みにして「クリサンセマム」または略して「マム」と呼ぶこともありますが、
これは種としてのキクを指す場合と、キク属を指す場合とがあります。 属名はギリシア語の "chryso-"「黄金の」と
"‐anthemon"「花」に由来し、菊に黄色い花が多いことによっています。

ラグタイム王スコット・ジョプリン
スコット・ジョプリンはアメリカ黒人が作り上げた音楽スタイル「ラグタイム ragtime」の中で、
最も良く知られている作曲家/ピアニストです。
明治維新の年にテキサス州テキサカーナで生まれ、1917年、ニューヨークで亡くなりました。
1885年から1893年にかけてはセントルイスのナイト・クラブで演奏し、90年代にはミズーリ州のセダリアの
ザ・クイーン・シティ・ニグロ・バンドでコルネットを吹いていました。
93年には、シカゴ万博にも出演しています。

当時のアメリカでは、楽曲はシート・ミュージック(楽譜)の売り買いによって世間に広まりましたが、
ジョプリンも例外ではなく「Please Say You Will」「Picture of Your Face」など自作曲の権利を売っていました。
彼にとって初めてのラグタイム曲となる「Original Rags」(1899年)も同様でした。
しかし、彼の代表作「メイプル・リーフ・ラグ Maple Leaf Rag」は印税契約という、当時の黒人としては異例の方法が取られました。
そして、この契約を申し出たジョン・スターク(白人)と共同歩調を取ることによってスコット・ジョプリンは、
ラグタイムの象徴となりました。
ちなみに「メイプル・リーフ・ラグ」(1899年)のシート・ミュージックは、発売されたその年だけで7万5千部も売れました。
ジョプリンはその後、たくさんのラグタイム曲を出版しましたが、彼の望みはバレーやオペラなど「格の高いジャンル」で
認められることでした。このような彼の意識背景には、アメリカの黒人差別がありました。
ジョプリンはバレー曲「The Ragtime Dance」(1902年)、オペラ「The Guest of Honor」(03年)を作曲しましたが、
ことごとくが失敗に終わりました(「The Guest of Honor」は出版されなかった)。
そうこうしているうちに、ラグタイムに影響され、より黒人色の強いジャズが台頭しきました。
ラグタイムがアメリカ最初の「自国の音楽」として欧米で持て囃されたのは19世紀末から1920年あたりだと言われていますが、
ジョプリンはまさにその短い時代に世に出て、そして亡くなったミュージシャンでした。
1910年頃には彼は梅毒におかされ、17年に亡くなりました。

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  2022/09/07   animato

サックス四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3

サックス四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3
フォーレ
Faure, Gabriel
3 Romances sans paroles Op.17

編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
木管四重奏、クラリネット四重奏版、金管四重奏版は発売中です。
自然な歌の甘い旋律が魅力的なフォーレの音楽を、ぜひお楽しみください。

サックス四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3
フォーレ
Faure, Gabriel
3 Romances sans paroles Op.17

編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

3つの無言歌
ガブリエル・フォーレ
Gabriel Faure
この曲はフォーレのピアノ作品の出発点ともいえます。メンデルスゾーンの影響を受けたと考えられています。
「ロマンス」と言われることもあります。
ピアノの小品はロマン派時代に花咲きました。性格的小品という、キャラクター・ピースを直訳した名前でひとくくりにされることもありますが、
実際にはそれぞれの小品の種別で呼ばれることがほとんどです。この名前をつけたのはショパンに最も多くの作品があります。
メンデルスゾーンの「無言歌」(原題はLieder ohne Worte)は有名で、さらに「春の歌」や「ヴェニスの舟歌」など
別の標題がついている曲も多くあります。

フォーレの無言歌Op.17 は三曲からなり、メンデルスゾーンの無言歌と似ています。 両手のもつ機能を万遍なく使って、三声を同時に表現しています。
旋律も甘く、自然な歌を表現しています。

この3曲から成る小品集は1863年、フォーレが18歳の頃に作曲されたと考えられています。このフランス語のタイトルは、直訳すると
「言葉を伴わないロマンス」ということになりますが、2曲目にメンデルスゾーンの無言歌集の影響がうかがえることから、《無言歌》と呼ばれています。
1880年に出版されました。初演は、初めの2曲が1881年2月の国民音楽協会でポーリーヌ・ロジェにより、第3曲目が1889年1月の国民音楽協会で
カーサ・シャトルジェ嬢により行われています。

第1番は3曲の中では温和な曲です。バリトン歌手レヴィの夫人にあたるフェリックス・レヴィ夫人に捧げられています。
アンダンテ・クァジ・アッレグレットの変イ長調で4分の3拍子。美しくかつゆったりと歌い上げられる右手のメロディーに、
左手が控えめな和音やエコーを奏します。

第2番イ短調は、4拍子で絶えず奏される無窮動風の音型に爽やかな旋律が載せられています。
ロール・ド・レイリッツに捧げられています。ロール・ド・レイリッツは、フォーレがニーデルメイエ校を卒業後、
レンヌで教会のオルガニストを勤めていた時(1866―1869)に知り合った女性です。アレグロ・モルトのイ短調で4分の4拍子のこの曲は、
3曲の中で最も長く、また、メンデルスゾーンの無言歌集の影響も最も色濃くうかがえます。特にそれは、左手の分散和音に乗って歌われる右手の
メロディーが、時折分散和音と重複する書法で書かれていることに現れています。

第3番変イ長調は、初期のフォーレの作品のなかでとりわけ有名です。子守唄風のリズムに順次進行に基づくメロディーが大きな弧を描きます。
転調を経て最初のメロディーが回顧される個所はごく自然なカノンとなって現れ、曲を盛り上げています。
フローラン・サリオ夫人に捧げられています。第2曲目に引き続き、左手の分散和音に乗って右手のメロディーが優美に歌われます。
冒頭の部分は、《ドリー》の<子守歌>に通じるものが感じられます。メロディーはこの作品の終結近くで再現された際に、
カノンのような手法で巧妙に扱われます。

フォーレはパリのニーデルメイエール古典宗教音楽学校を卒業後は教会オルガニストとして活躍するも、
若い頃のフォーレは態度が悪く仕事を解雇されたり、普仏戦争が勃発し1870年に歩兵隊に入隊する等落ち着かない時期でした。
戦争に勝利し除隊後、パリのサン・シュルピス教会の補助オルガニストとなる。この頃からサン=サーンスのサロンの常連となりました。
ダンディ、ラロ、デュパルク、シャブリエ等と知り合い、1871年発足の国民音楽協会のメンバーとなりました。
以後フォーレの作品はこの協会の音楽会で初演されています。
74年マドレーヌ教会オルガニストに、77年合唱長になりました。

フォーレはリストに出会い、各地を旅してワーグナーのオペラの多くを観て熱中するも、影響を受けることはありませんでした。
83年結婚。85年父の死をきっかけに「レクイエム」に取りかかりました。ほぼ完成した88年に母が亡くなり、完成は1900年に持ち越されました。
合唱長の仕事と個人レッスンのため、作曲は夏期休暇中に限られました。
1877年、5年の交際を経て婚約するも一方的に破棄され、フォーレは深刻な精神的打撃を受けました。
この時期の作品としては、ヴァイオリン・ソナタ第1番作品13、ピアノ四重奏曲第1番作品15、バラード作品19などがあります。

彼は幼少で父が校長をしていた師範学校の教会でハーモニウム(オルガンの一種)を即興的に演奏しました。
10歳でパリのニデルメイェール学校に入学。音楽と宗教教育を特徴とする学校で、11年間ピアノ、オルガン、作曲等を学びました。
1861年からサン=サーンスにピアノを学びました。シューマン、リスト、ワーグナー等当時最新の音楽作品についても講述し、
生涯にわたる友情を築きました。

1892年6月マドレーヌ教会の主席オルガニスト、同年10月パリ音楽院作曲家教授に就任しました。
この頃から演劇音楽を作曲しました。1898年にはメーテルランク作「ペレアスとメリザンド」の劇付随音楽が初演されました。
後に管弦楽による演奏会用組曲に編曲されて広まりました。
ピアノ作品も素晴らしく、作曲家として名声を高めました。
1905年、パリ音楽院の院長に就任。
1907年頃から難聴に悩まされ、次第に聴力を失いました。
第一次世界大戦(1914?1918年)中も音楽院院長としてパリに留まり、作曲家としても重要な作品を生み出しました。
1920年院長の職を退きました。
79歳で亡くなり、国葬をもって遇されました。
弟子にラヴェル、ケックラン、フロラン・シュミット、デュカス、ナディア・ブーランジェ等の作曲家が名を連ねています。

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  2022/09/06   animato

金管四重奏 シューベルト:セレナーデ

金管四重奏 シューベルト:セレナーデ
F.Schubert
Serenade (Standchen)

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
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恋人への苦しい思いを歌った作品をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

金管四重奏 シューベルト:セレナーデ
F.Schubert
Serenade (Standchen)

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
クラリネット四重奏版、サックス四重奏版、木管四重奏版は発売中です。

恋人への苦しい思いを歌った作品をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

シューベルト 歌曲「セレナーデ」

『シューベルトのセレナーデ(Standchen)』は、オーストリアの作曲家フランツ・シューベルト(Franz Schubert/1797年-1828年)によって書かれました。
『白鳥の歌(Schwanengesang)』の第4曲に当たります。

『白鳥の歌』はシューベルトの死後に、出版社や友人たちによってまとめられました。
従って、歌曲集ではありますが曲ごとの繋がりはありません。

歌曲集「白鳥の歌」14曲中、第4曲が「セレナーデ」です。
ドイツでは白鳥は死ぬ前に一度だけ鳴くという言い伝えがあり、シューベルトが亡くなる最後の年の作品です。
シューベルト歌曲の中で最も有名なものの一つで、恋人に対する切々たる思いをマンドリンを模した伴奏の上に歌いあげます。

男性が歌う歌詞で、今の時代では少し気恥ずかしいのですが、素晴らしい歌詞です。
セレナーデは夜のしじまに恋人の窓辺に立って歌う愛の歌。

ドイツ語原文では、夜鳴きウグイスと呼ばれるナイチンゲールの声に例えていますが、
この鳥は、ヨーロッパに住み、冬になると暖かいアフリカへと飛び立ちます。 

叶わぬ恋に咽び泣き、愛おしい恋人を誘い出すのが小夜曲です。
アンデルセン童話の「小夜啼鳥」にナイチンゲールと王様のお話があります。 

鳥の鳴き声で王様の病が治るという、それぐらい巧妙で美しい鳴き声です。
ナイチンゲールはヨーロッパの春を告げ、夕方から夜更けまで鳴き通すのです。 

日本語では堀内敬三の訳詞で歌われており、艶めかしさたっぷりです。
ロマン溢れる感傷的な歌詞は、今の時代では作ることは難しく、見事な名文です。 


日本語 歌詞  堀内敬三 訳詩
 
秘めやかに 闇をぬう 我が調べ
静けさは 果てもなし 来よや君
ささやく木の間を もる月影 もる月影
ひとめもとどかじ たゆたいそ たゆたいそ

君聞くや 音にむせぶ夜の鳥
我が胸の秘め事を そは歌いつ
鳴く音に込めつや 愛の悩み 愛の悩み
わりなき思いの かの一節 かの一節

深き思いをば君や知る
わが心 さわげり
待てるわれに 出で来よ君
出で来よ

ドイツ語歌詞  Standchen (セレナーデ)  作詞:ルートヴィヒ・レルシュタープ 

Leise flehen meine Lieder               僕の歌は夜の中を抜け
Durch Nacht zu dir;                       あなたへひっそりとこう訴えかける。
In die stillen Hain hernieder,           静かな森の中へと降りておいで、
Liebchen, komm zu mir!                 恋人よ、僕のもとへ!

 
Flusternd schlanke Wipfel rauschen 細い梢が月の光の中で
In des Mondes Licht;                      ささやくようにざわめいている。
Des Verraters feindlich Lauschen     裏切り者の意地悪い盗み聞きを
Furchte, holde, nicht.                      怖がる事はない、優しい人よ。

 
Horst die Nachtigallen schlagen?     ナイチンゲールの声が聞こえるかい?
Ach! sie flehen dich,                       ああ!それはあなたに訴えている。
Mit der Tone susen Klagen              甘い嘆きの音色で
Flehen sie fur mich.                        僕の代わりに訴えているんだ。

 
Sie verstehn des Busens Sehnen,   ナイチンゲールはこの胸の憧れ、
Kennen Liebesschmerz,                  愛の苦しみを知っていて、
Ruhren mit den Silbertonen            その銀色の音色で
Jedes weiche Herz.                         やさしい心を揺さぶるんだ。

 
Las auch die Brust bewegen           どうかあなたも胸動かされ、
Liebchen, hore mich!                      恋人よ、僕の願いを聞きいておくれ!
Bebend harr' ich dir entgegen!        僕はあなたの前で身もだえ、待ちわびているんだ!
Komm, beglucke mich!                   来て、僕を幸せにしておくれ!


 <セレナード>の訳語「小夜曲」はあまり見かけません。
意味するのは、男性が思いを寄せる女性の家の窓辺で夕暮れにうたう歌や器楽でうったえる音楽のことです。
朝方ならフランスにオーバードaubade、イタリアに<マティナータ>があります。
夕べの情緒と若々しい愛情を歌いあげた歌曲です。
この<セレナード>はシューベルトの没後に編まれた歌曲集『白鳥の歌』14曲のなかにあり、
楽譜を見ると曲名はStandchenシュテンチェンとあります。これが<Serenade>の原題です。
ドイツリート[歌曲]というジャンルは、シューベルトが1814年17歳のとき作曲した<糸を紡ぐグレートヒェン>で
確立したといわれます。彼は1828年に31歳で亡くなりますが、短い生涯でたくさんの音楽作品を残します。
なかでも「歌曲王」とよばれるように、このジャンルが多く名曲ばかりです。

 シューベルト没年の作品<セレナード>は、歌曲集に7曲あるルートヴィヒ・レルシュタープの詩によります。
ハインリヒ・ハイネの詩は6曲あり、なかに<海辺にてAm Meer>があって、
字面から独語オンチにはシャンソンのLa Mer(仏語)のように明るい地中海を想像させますが、
ドイツリートのほうは北の暗い海でしょうか、夕暮れの海辺での悲恋をうたった歌のようです。

ハイネはシューマンの歌曲集『詩人の恋』などで知られますが、レルシュタープにはスイスの
ルツェルン湖で舟遊びをしたとき波間に映る月影をながめベートーヴェンのあのピアノソナタを思い浮かべて
「月光」と名づけた、という逸話が残いってます。シューベルトは異性にたいし内気で善良で消極的でした。
彼は「愛を歌うと悲しみになり、悲しみを歌うと愛になった」というのです。
彼の生涯を知るには、映画『未完成交響楽』1935、『シューベルト?未完の旅路』53、
『三人姉妹の家』54があります。

 シューベルトが作曲した歌曲は約600曲といわれます。
 シューベルトなら交響曲、管弦楽、五重・四重・三重などの室内楽、ヴァイオリン・ピアノほかの器楽曲など、
やはりすべて美しい作品です。
 セレナードはドイツだけではありません。イタリアにトスティの歌曲<セレナータ>があり、
シャンソンにはフランシス・ロペス作曲の<パリのセレナーデ>があります。
ティノ・ロッシが映画『Paris chante toujours』1952のなかで若い娘に寄り添い歌いかけています。

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  2022/09/05   animato

デュオのための「マリア・エレナ」

デュオのための「マリア・エレナ」
Maria Elena
Lorenzo Barcelata

編成はCl.3本、Vib.、Marim.、El.Bs.、Drums、Perc.(Tambourine、Guiro、Conga)およびデュオのSoloパートです。
Soloの2名+10名(総勢12名)で演奏できます。
エレキベースはBs.Cl.、B.Sax.に変更可能でパート譜は同梱しています。

Soloパート1同梱の(上声部)楽譜は、
in C-Fl.版(Fl.、Pic.など)、
in B版(Tp.、Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、
in Es版(Es Cl.、A.Sax.など)

Soloパート2同梱の(下声部)楽譜は、
in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,など)、
in B版(T.Sax.、Bs.Cl.など)が含まれています。

メキシコの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

「マリア・エレナ」は、ロレンソ・バルセラータ(スペイン語と音楽)によって書かれた1932年の人気曲です。
メキシコのピアインターナショナルコーポレーションから出版されました。ザ・ボブ・ラッセルの英語歌詞があります。
この曲は、メキシコのエミリオ・ポルテス・ギル大統領の妻であり、実業家のアレホ・ペラルタの妹であるマリア・エレナ・ペラルタに捧げられました。
彼女は、アレホの息子であるカルロス・ペラルタの叔母です。

英語の歌詞のバージョンは、1940年2月に、ダラスの偉大なウエスタンスウィングバンドの1人であるアドルフホフナーと彼のテキサンズによって録音されました。
ローレンス・ウェルクは、彼のラジオ番組で米国でこの曲を広く注目し、1941年にオーケーレコードのレーベルで注目を集めました。
歌はジミー・ドーシーのオーケストラとボブ・エバリーがボーカルをやってヒットしました。
この記録は1941年5月16日に最初にビルボードチャートに到達し、チャート上で17週間続き、
1941年6月14日に1位にピークを迎えました。「GreenEyes」も1位のヒットだったため、これはメジャーダブルでした。 -サイドヒットレコーディング。
1941年の同じ年に、ウェインキングオーケストラも「マリアエレナ」で2位のヒットを記録しました。
インストルメンタルバージョンは1958年に録音され、1962年にロスインディオスタバハラスとしてよく知られているナタリシオとアンテノールリマによって米国でリリースされました。
この人気のリバイバルは、1963年後半に米国のビルボードポップチャートで6位、ビルボードイージーリスニングチャートで3位になり、
同じ時点で全英シングルチャートで5位になりました。
ファミリーフォーは、1960年代にヘンリックリンドストローム(およびL.バルセロナ)の功績を称えて、スウェーデン語版(「マリヘレナ」と呼ばれる)をリリースしました。
Shadowsは、1967年のアルバムJigsawでこの曲のインストルメンタルバージョンを演奏しました。
ライ・クーダーは、1972年のアルバム「流れ者の物語」でこの曲のインストルメンタルバージョンを演奏しました。
ドイツのギタリストDieterGeikeは、1983年のアルバムHomelandにインストルメンタルバージョンを録音しました。
Flying BurritoBrothersの元ペダルスティールギタリストであるSneakyPete Kleinowは、1994年のアルバムThe Legend and theLegacyに
この曲のインストルメンタルバージョンを録音しました。
ディック・デイルはまた、彼の1994年のアルバムでインストバージョンを行って未知の領域。セザリア・エヴォラは、彼女の1999年のアルバム、
上の曲のカバーをカフェアトランがリリースしました。
2002年、マイケル・ブーブレはアルバム「ドリーム」で彼自身のバージョンをリリースしました。
この曲のインストルメンタルバージョンは、1935年にポールムニとベティデイビスが主演した映画ボーダータウンの背景テーマに使用されました。
翌年、メキシコの映画マリアエレナで言葉と音楽が使用されました。
ロス・インディオTabajarasのバージョンがウォン・カーウァイ映画レスリー・チャン主演「欲望の翼」(1990)で使用されています。

ロレンソ・バルセラータ(1898年7月24日? 1943年7月13日)は、ベラクルス州トラリスコヤンで生まれたメキシコの作曲家兼俳優でした。
彼はコレラによってメキシコシティで彼の45才の誕生日の前に死亡しました。
バルセラタは音楽志向の家族に生まれました。彼は14歳で最初の曲「Arroyito」を書きました。
彼は後にタンピコに移り、作曲家のエルネスト・コルタザールとクアルテート・タマウリペコを結成しました。
彼らの名声はすぐに地域全体に広がり、メキシコ政府がキューバのツアーに彼らを送ったとき、彼らは国際的な名声を受け取りました。
そこにいる間、彼らは米国の52週間のツアーを実行するために署名されました。
2人のメンバーが自動車事故で致命傷を負った後、バルセラタはメキシコに戻った。彼の名声が高まり続けるにつれて、彼はカルテットを改革しました。
1932年から、彼はメキシコの映画産業に参入し、死ぬまで著名な映画音楽家になりました。
彼はまた、いくつかの映画で役割を果たしたため、俳優としての名声を獲得しました。

彼の最も有名な曲は「マリア・エレナ」(メキシコでは「あなたは私の心」として彼女をよく知っています)は、
ルチアの夫であるエルネスト・ソト・レイエスの依頼でルチア・マルティネス・ガルシアのために書かれ、それから1万ペソを支払いました。
登録する直前に、バルセラタはそれを愛する彼のビジネスフレンドのアナカルシス「カルチョ」ペラルタにそれを見せ、不思議なことに
それはビジネスマンが持っていたガールフレンドの名前である「マリアエレナ」としてすぐに現れます。
「マリアエレナ」は、1936年の同名のメキシコ映画に出演しました。そのバージョンは、
1935年のアメリカ映画ボーダータウンのサウンドトラックにも含まれていました。
それは後に英語に翻訳され、ローレンス・ウェルクによって演奏されましたオーケストラ。別の英語版はJimmyDorseyによって録音されました。
ドーシーのバージョンは1941年にチャートを上回りました。ウェインキングはまた、6月14日の週に2位に達した英語バージョンを記録しました。
これはドーシーバージョンにのみ次点です。トニー・パスターのボーカルバージョンもその月の間にトップ10に到達しました。
それ以来、「マリアエレナ」は数人の異なるミュージシャンによって国際的に録音されています。
1958年、ブラジルのグループLos Indios Tabajarasは、ラテンアメリカ全体で人気を博したバージョンを記録し、その後(1963年)、
米国のチャートで6位、英国のチャートで5位になりました。

1940年代初頭のアメリカでの「マリアエレナ」の人気により、バルセラタは再び国をツアーしました。
彼は1943年にメキシコに戻り、そこでいくつかのラジオ番組を制作する予定でした。しかし、彼は録音が始まる前に7月13日に亡くなりました。
彼は、「Portiaprendiaquerer」や「ElCascabel」など、合計214曲のカタログを残しました。

「エル・カスカベル」の録音は、ボイジャーのゴールデンレコードの曲の1つでした。
このバージョンは、アントニオ・マシエル・イ・ラス・アギリラとエル・マリアッチ・メキシコ・デ・ペペ・ヴィラによって行われたマリアッチの解釈でした。
1970年代後半にボイジャー宇宙探査機に搭載された宇宙に打ち上げられた12インチのアルバム(スタイラス、カートリッジ、使用説明書を完備)に含まれています。

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  2022/09/04   animato

木管四重奏 モテット より「キリストは我らのために」

木管四重奏 モテット より「キリストは我らのために」
(アントン・ブルックナー)
Christus Factus Est

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。
サックス四重奏、クラリネット四重奏版、金管四重奏版は発売中です。
ブルックナーの敬虔さを感じる実直で奥深い音楽を、ぜひお楽しみください。

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(アントン・ブルックナー)
Christus Factus Est

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ブルックナーは、1884年5月25日に聖木曜日の段階を使用してこのモテットを作曲しました。この作品は、6か月後の11月9日に
ウィーナーホフムシッカペルで上演されました。ブルックナーはその作品を彼の生徒の一人であるオッド・ロイドルに捧げました。
元の原稿は個人のコレクション(Dr Wilhelm、Bottmingen )にありますが、その写本はクレムスミュンスター修道院とオーストリア国立図書館の
アーカイブにあります。この作品は、1886年にウィーンのTheodorRattigによって他の3つの
漸進的作品(Locus iste、WAB 23、Os justi、WAB 30、Virga Jesse、WAB 52)と一緒に公開されました。

Christis factus est の歌詞はラテン語です。

Christus factus est pro nobis
obediens usque ad mortem autem crucis.
propter quod et deus exaltavit illum
et dedit illi nomen, quod est super omne nomen.

キリストは、わたしたちのために、従順になられた、
死に至るまで、しかも十字架に至るまで。
そのゆえに神は彼を高く挙げ、
彼にすべての名にまさる名をお与えになった。
 
出典は新約聖書・フィリピの信徒への手紙2章8~9節(パウロの書簡)です。

 この手紙は、パウロがAD50年代にマケドニア(ギリシアの北)のフィリピの教会に当てて書いたものです。獄中から書いたものと伝えられています。
 これは「キリスト賛歌」と呼ばれる箇所でパウロ以前にさかのぼる古い祈りの言葉です。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、
人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、『イエス・キリストは主である』と
公に宣(の)べて、父である神をたたえるのです。」2:6‐11

 日本聖公会祈祷書では、復活前主日(しゅろの主日)の聖餐式(ミサ)の「感謝聖別」の中、「特別序唱」としてこの言葉が用いられます。
「ことに、主イエス・キリストは人となり、己(おのれ)を低くして死に至るまで、十字架の死に至るまで従われました。
これは地から挙げられ、すべての人をみもとに引き寄せてくださるためです」

ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Joseph Anton Bruckner, 1824年9月4日 - 1896年10月11日) は、オーストリアの作曲家、オルガニストです。
交響曲と宗教音楽の大家として知られています。

彼はリンツ近くのアンスフェルデンに学校教師の長男として生まれ、村の教会のオルガン奏者を兼ねる父のもとで早くから音楽に親しみました。
13歳で父を失ったのち近くのザンクト・フロリアン修道院の寄宿舎に入り、少年聖歌隊員としてオルガンやピアノ、バイオリンを学びました。
師範学校を経て1841年に助教師となりましたが作曲にも手を染め、ザンクト・フロリアン修道院のオルガン奏者、1856年にはリンツ大聖堂の
オルガン奏者に就任しました。以後作曲の勉強に本格的にとりくみ,R.ワーグナーの音楽に傾倒しました。
1864年?1868年、《ミサ曲第1番ニ短調》にはじまる〈三大ミサ曲〉を完成しました。1868年ウィーン音楽院教授に就任し、
1873年からはワーグナーと親交を深めました。また1875年にはウィーン大学講師となり、学生だったマーラーと交流しました。
《交響曲第4番ロマンティック》(1881年初演)以来ようやく高まり始めた作曲家としての名声は60歳の年、
1884年のニキシュによる《交響曲第7番》初演の大成功で頂点を迎え、生涯初の栄光をブルックナーにもたらしました。
1891年ウィーン大学名誉博士の称号を得ました。《交響曲第9番》を未完のまま72歳で永眠。その音楽の基盤には敬虔(けいけん)なカトリック信仰が
あり、教会オルガン奏者として精通した多声音楽の伝統とベートーベン以来のドイツ、オーストリア音楽の諸様式とが融合し、
独自の書法を形づくっています。第0番と習作1曲を含む11曲の交響曲(1863年―1896年)のほか、《テ・デウム》(1884年)、
《詩篇第150番》(1892年)など多くの教会音楽、《弦楽五重奏曲》(1879年)などがあります。

ブルックナーには独自の技法や表現があり、それらはブルックナーの名前を付けて呼ばれています。
有名なものでは「ブルックナー開始」があげられますが、これは第1楽章の始まりを弦楽器のトレモロという音を小刻みに演奏する技法で始めるものです。
他には「ブルックナー休止」「ブルックナー・ゼクエンツ」「ブルックナー・ユニゾン」「ブルックナー・リズム」などがあります。

●ブルックナー開始
第1楽章が弦楽器のトレモロで始まる手法であり、交響曲第2、4、7、8、9番に見られます。ベートーヴェンの『交響曲第9番』に影響を受けています。
●ブルックナー休止
楽想が変化するときに、管弦楽全体を休止(ゲネラル・パウゼ)させる手法です。
●ブルックナー・ユニゾン
オーケストラ全体によるユニゾン。ゼクエンツと共に用いられて効果を上げます。
●ブルックナー・リズム
(2+3) によるリズム。第4、6番で特徴的である。(3+2) になることもあります。初期の稿では5連符として書かれていたものが、改訂稿では
ブルックナー・リズムに替えられている例も見られます。
●ブルックナー・ゼクエンツ
ひとつの音型を繰り返しながら、音楽を盛り上げていく手法。いたるところに見られます。
●コーダと終止
コーダの前は管弦楽が休止、主要部から独立し、新たに主要動機などを徹底的に展開して頂点まで盛り上げます。
●和声
ブルックナーの和声法で、響きが濁るので従来多くの作曲家が避けた技法。例えば根音Gとした場合、根音Gに対して、
属9の和音以上に現れる9の音のA♭が半音違いで鳴ること、属11の和音においてBとCが半音違いで鳴ることや、13の和音においてDとE♭が半音違いで鳴ること。
もう一つは対位法の場面で現れ、対旋律や模倣が半音違いで鳴ること。従って和声学上の対斜とは意味が異なりますが、バルトークの
ブルーノート風の半音のぶつかりも「対斜」とされているので、ここでは「ブルックナー対斜」と読んでも差し支えありません。
またワーグナーのトリスタン和音がそのまま使われていることがあります。和音の音色を明確にするため同一楽器に当てている例が多く見られます。
和音の機能をはっきりさせるために同楽器の密集配置がほとんどで、これが後期ロマン派の香りを引き立たせる大きな要因となっています。

幼い頃から音楽の才能を発揮していたブルックナーは、10歳くらいの年齢になった際に、オルガン奏者だった父親の代わりに
オルガンの演奏を教会で行うことがあったそうです。そして11歳の年には、名付け親でありオルガニストだった人物の元で音楽の教育を
受けることとなりますが、その後父親が亡くなると、すぐに修道院の聖歌隊に入ることになりました。
その後16歳で小学校の補助教員免許を取ると、翌年には補助教員として働き始めますが、そこでは授業以外の雑用や畑仕事なども行う必要がありました。
しばらくして別の場所へと転勤になりますが、移った先はブルックナーにとって良い環境だったらしく、初期の合唱曲が生み出されることとなります。

1855年には、リンツ大聖堂のオルガニストの試験でその席を勝ち取ることとなり、大きな収入を得ていくようになったようです。
しかし同年、ブルックナーは再び作曲の勉強をしたいと考え、6年間に渡ってジーモン・ゼヒターに師事しました。
1868年には、師事していたゼヒターの後にウィーン国立音楽院教授となると、しばらくの間はリンツ大聖堂の仕事と掛け持ちしている状態だったそうです。
作曲を行いながらオルガニストの仕事も継続していたブルックナーは、この時期オルガニストとしてとても高く評価されていました。
ちなみにこのころに作曲されたのが、初期の交響曲である「第1番」「第2番」、そして「第0番」と呼ばれる作品です。

1873年、バイロイトでワーグナーとの交流の機会を得たブルックナーは、自身の「交響曲第3番」を献呈しました。このことは、ワーグナーには
良い印象を与えましたが、当時の反ワーグナー派からは批判を受けることとなったようです。
そして1876年、バイロイト音楽祭を訪れたブルックナーは、作曲してきた交響曲を大幅に改訂することにしました。この時に大幅改訂されたのが、
「交響曲第1番」から「第5番」だったようです。

その後1877年に行われた「第3番」の初演は失敗に終わりますが、次の「第4番」が好評となったためブルックナーは交響曲の作曲家としても
知られるようになります。そして、宗教曲の中の代表作である「テ・デウム」や、「交響曲第7番」などが作曲され、さらに有名になっていきました。
1884年ころから「交響曲第8番」に取り掛かると1887年には初稿が完成しましたが、大幅な改訂を必要としたため現在よく知られている
第2稿が完成したのは1890年でした。
この作品は、ブルックナーの作品の中でも代表作と言える交響曲で、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に献呈されています。
また、この「第8番」の改訂の際には、他のいくつかの交響曲も改訂が行われました。

数階建ての建物に住んでいたブルックナーでしたが、体を悪くすると、階段の往復が辛くなっていきました。
それを知ったフランツ・ヨーゼフ1世は、ブルックナーを宮殿敷地内の建物に住まわせることにしたようです。

また、ブルックナーは亡くなる当日まで「交響曲第9番」の作曲を行っていましたが、完成には至らないままとなってしまいました。
当時の音楽界は、ブルックナーが「交響曲第3番」を献呈したワーグナー派と、ドイツ三大Bの内の1人であるブラームス派に分かれていました。
そのためワーグナー派とされていたブルックナーと、ブラームスの仲は良いものではなかったようです。
しかし、「交響曲第8番」に関してはブラームスも評価をしていました。そして、ブルックナーの葬儀の際は遠くから見ていたり、
泣いていたりといった様子が確認されたと言われています。

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  2022/09/03   animato

サックス四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-7

サックス四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-7
エレジー
Lyriske smastykker No.4 op.47-7
Elegie
Grieg, Edvard Hagerup

編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
金管四重奏、クラリネット四重奏、木管四重奏版は発売中です。

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サックス四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-7
エレジー
Lyriske smastykker No.4 op.47-7
Elegie
Grieg, Edvard Hagerup

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  2022/09/02   animato

金管五重奏 エスコレガンド(滑るように)

金管五重奏 エスコレガンド(滑るように)
タンゴ・ブラジレイロ
Escorregando, Tango brasileiro
エルネスト・ナザレ

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木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。
「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。

金管五重奏 エスコレガンド(滑るように)
タンゴ・ブラジレイロ
Escorregando, Tango brasileiro
エルネスト・ナザレ

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。
「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。

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参考音源
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

Escorregando, Tango brasileiro  エスコレガンド(滑るように)、タンゴ・ブラジレイロ
 ナザレの作品の中でも人気の一曲です。ハ長調、A-B-C-A形式になっています。延々と続く16分音符の旋律(特にBの部分の連打音の所など)は、
題名通り縦横無尽に流れていく何とも楽しい曲です。Cはヘ長調に転調して、左手の跳躍の広いリズムと右手のオクターブの旋律がとても華やかで、
盛り上がりも最高に達します。テンポを落とさずに上手に演奏するのは技巧的に結構難しい曲です。

「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。
南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。
ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、
カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。
特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」

エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。
一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。
そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、
残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。
しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。
中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。
早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、
リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。
1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。
最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。
その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、
アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。

長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。
外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。

1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、
客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、
解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。

ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。
ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、
演奏するのに振り当てられました。
そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。
ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。

ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。
また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。
作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう
民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在です。
これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしています。

ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。
フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。
ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。
その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。

ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。
ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。
しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、
ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。
また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、
リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。
ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、
ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ
「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。

およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。
ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、)
アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。
ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、
そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、
実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。
もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。

最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』
『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。
ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、
さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。

晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。
ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。

作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、
作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、
クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。

アトリエ・アニマート
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  2022/09/01   animato