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2020年10月

チューバ四重奏 アヴェ・ヴェルム・コルプス(モーツァルト)

チューバ四重奏 アヴェ・ヴェルム・コルプス(モーツァルト)
編成はTuba4本です。
木管四重奏やサックス四重奏でも演奏できます。

モーツァルトの名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

チューバ四重奏 アヴェ・ヴェルム・コルプス(モーツァルト)
編成はTuba4本です。
木管四重奏やサックス四重奏でも演奏できます。

モーツァルトの名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

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アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/J23lP61DgC4

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

『アヴェ・ヴェルム・コルプス(Ave verum corpus)』は、カトリックの賛美歌の一つとして歌われています。
様々な作曲家がこの歌詞に音楽を付けており、モーツァルトやフォーレなどが特に有名です。

モーツァルトの「Ave verum corpus」は彼の死の半年前に作曲された作品で、46小節からなり、終始ゆったりとしたテンポで演奏されます。
演奏時間は4分程度で、その中で4度にわたり内部転調を繰り返します。
この天と繋がっているかのような美しい音楽は、モーツァルトの妻コンスタンツェの温泉旅行の世話をしてくれた
友人アントン・シュトルのために作曲されたとも言われています。

「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、教会音楽。教会の様々な儀式で歌われる音楽のひとつです。
「アヴェ・ヴェルム・コルプス」はラテン語で、「めでたし まことの御体(おんからだ)」という意味で、
キリストへの感謝と賛美が歌われています。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、モーツァルト最期の年となった1791年、
ウィーン郊外の温泉保養地バーデンで作曲されたと言われています。
当時、モーツァルトはウィーンに住んでいましたが、病弱な妻は、バーデンで療養生活を送っていました。
バーデンで何かと気遣ってくれた教会の合唱指揮者であった友人に、モーツァルトはお礼として、
「アヴェ・ヴェルム・コルプス」をプレゼントしたのです。友人へ感謝を伝えたかったモーツァルト。
キリストへの感謝である「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。
澄み切った美しい響きは、モーツァルトの感謝の響きです。

1756年、ザルツブルクに生まれたモーツァルト。当時ザルツブルクは、ローマ教皇によって任命された大司教が支配する、
カトリックの宗教の街でした。モーツァルトの父も敬けんなカトリック信者で、教会音楽の演奏や作曲を仕事にしていました。
そのため、少年モーツァルトの周りには、教会音楽があふれていました。
そして、モーツァルトも13歳にして、ザルツブルクの大司教に仕える身となります。
教会音楽の演奏や作曲をする事が重要な仕事となりますこうして、教会音楽は作曲家モーツァルトの基礎となったのです。
ウィーンに移り住んだモーツァルトは、オペラ、交響曲、ピアノ曲などあらゆるジャンルで、
ヒット曲を次々と生み出す人気作曲家となります。しかし、モーツァルトは教会音楽を忘れてはいませんでした。
人生の節目で教会音楽を作曲していたのです。父親の反対を押し切った結婚の時には、ミサ曲を作曲し、
ふるさとザルツブルクの教会に奉納します。さらに、戦争がおこり、ウィーンでこれまでのような音楽活動が
出来なくなるというピンチを迎えた時、モーツァルトは、教会音楽に活路を見出します。教会音楽家としての第1歩を踏み出した、
そんな時期に「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を作曲したのです。「アヴェ・ヴェルム・コルプス」の作曲からわずか半年後、
モーツァルトはこの世を去ります。教会音楽に育てられ、教会音楽家として生きていこうとしていたモーツァルト。
モーツァルトが完成させた、最後の教会音楽、それが、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」です。

3分ちょっとしかないこの曲は、メロディーに細かい音符や複雑な音型なく、とてもシンプルな構造です。
ところが4回も転調し、こまやかに曲の雰囲気が変化しています。例えば、短調から長調に変化する部分では、
どちらの調にも存在する和音を間に挟み、自然な流れで転調が行われています。
グラデーションのようにいつの間にか調が変わっているのです。
このように気付かれないように行われている“ひそやかな技”が最大の効果を生み、
この曲の厳かな雰囲気を生み出しています。

歌詞

Ave verum corpus natum de Maria Virgine.
アヴェ ヴェルム コルプス ナートゥム デ マリーア ヴィルジネ

Vere passum immolatum in cruce pro homine
ヴェーレ パッスム インモラートゥム イン クルーチェ プロ オーミネ

cujus latus perforatum unda fluxit et sanguine.
クーユス ラートゥス ペルフォラートゥム ウンダ フルクスィットゥ エットゥ サングイネ

Esto nobis praegustatum in mortis examine.
エスト ノービス プレグスタートゥム イン モルティス エクサミネ

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  2020/10/31   animato

金管五重奏 If You Were the Only Girl in the World

金管五重奏 If You Were the Only Girl in the World
編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
クラリネット五重奏、木管五重奏、にも変更可能です。
サックス五重奏は発売中です。

心に響くメロディーをコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

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参考音源
https://youtu.be/ki0nVO5yjs8

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

「If You Were The Only Girl in The World.」は、色々な歌手によって歌われてきた有名な曲です。
英国や米国など世界中で広く知られています。

元々は、第一次世界大戦中の1916年に、ミュージカルのヒット曲から取られて、
英国ロンドンの著名な劇場で初めて歌われました。その後知られるようになって多くの歌手に歌い継がれ、
第2次世界大戦後も、米国のぺリー・コモが1946年に、ドリス・デイが1953年に歌い、
その後バーブラ・ストライサンドも1965年に歌いました。このほかにも、多数の歌手が歌ってきました。

また、映画やテレビでの何回も使用されました。
例えば、第2次大戦時の映画「クワイ河の橋」、テレビでは米国の「Charmed」、
BBCの「The Duchess of Duke Street」、第1次大戦時の話として英国ITVの「Downton Abbey」で流されいます。

『ダウントン・アビー』は第一次世界大戦(1914~1918年)の頃のイギリスを描いているので、
戦時下の真っただ中にヒットし、幅広い世代に愛されたこの曲が象徴的に使われたのでしょう。
ドラマの中でも先代伯爵夫人のバイオレット以外は、その場にいる全員が合唱していました。

デヴィッド・ニーヴン主演の戦争映画『The Immortal Battalion(邦題:最後の突撃)』(1944年/イギリス)
にも、この曲を兵隊たちが大合唱するシーンがあります。慰問の場面ですが、当時は愛国心を醸成するために、
よく歌われたのかもしれません。戦時中に生まれた歌曲の哀しい一面です。

歌詞(和訳)

Sometimes when I feel bad
and things look blue
I wish a girl I had... say one like you.
Someone within my heart to build her throne
Someone who'd never part, to call my own

If you were the only girl in the world
and I were the only boy
Nothing else would matter in the world today
We could go on loving in the same old way

A garden of Eden just made for two
With nothing to mar our joy
I would say such wonderful things to you
There would be such wonderful things to do
If you were the only girl in the world
and I were the only boy.

No-one I'll ever care for dear... but you.
No-one I'll fancy, therefore love me do.
Your eyes have set me dreaming all night long…
Your eyes have set me scheming, right or wrong

If you were the only girl in the world
and I were the only boy
Nothing else would matter in the world today
We could go on loving in the same old way

A garden of Eden just made for two
With nothing to mar our joy
I would say such wonderful things to you
There would be such wonderful things to do
If you were the only girl in the world
and I were the only boy.
----------------------
時々、調子が出なくて全てが沈んで見えるとき
僕にも女の子がついてたら、って思うよ
...そう君みたいなさ

僕の心の中にいて、王座を築き上げる誰かが
絶対に別てなくて、僕のだって呼べる誰かさんがね

もし君がこの世で唯一の女の子で
僕がこの世で唯一の男子だったらさ
今日の世界で気にかかることなんて何も無く
僕ら昔からのやり方で愛し合ってゆけるのにね

エデンの園はただ二人のためだけにある
何ものにも この歓びは傷つけられない

僕はそんな素敵な事を君に言うだろう
きっとそんな素敵な事が待ってるんだろう

もし君がこの世で唯一の女の子で
僕がこの世で唯一の男子だったらさ

もうこんなに大事な人は現れないよ...君以外は
もう僕を愛してくれるからって夢中になったりしない
君の夢見る瞳は一晩中僕に釘付けで
君の瞳は僕を見つめながら良し悪しを探ってる

もし君がこの世で唯一の女の子で
僕がこの世で唯一の男子だったらさ
今日の世界で気にかかることなんて何も無く
僕ら昔からのやり方で愛し合ってゆけるのにね

エデンの園はただ二人のためだけにある
何ものにもこの歓びは傷つけられない

僕はそんな素敵な事を君に言うだろう
きっとそんな素敵な事が待ってるんだろう

もし君がこの世で唯一の女の子で
僕がこの世で唯一の男子だったらさ

------------------------------------------------
Only Girl ( In The World ) - Rihanna
オンリ・ガール(イン・ザ・ワールド) リアーナ

アップテンポなダンスミュージックとして全米シングルチャート (US Billboard Hot 100)で
11週に渡って1位を獲得しました。
リアーナは第53回グラミー賞においてBest Dance Recording(最優秀ダンスミュージック賞)を
この曲で獲得しました。
愛する人が自分にすべての注目を向けてほしいと歌った曲です。

歌詞(和訳)

ララ ラ ラ...

愛してほしいの ホットな女みたいに
私のことを考えて 好きなようにしていいの
だから世界のことを忘れて
だって今夜は私とあなただけなんだから
懇願させて あなたのプライドを私がなくしてしまうわ

*1
世界でたった一人の女の子みたいに感じさせて
あなたが愛するたった一人の女の子みたいに
あなたの胸の内を知るたった一人の女の子みたいに
命令できる世界でたった一人の女の子みたいに

どうやったらあなたに男を感じさせれるか
分かってるのは この私だけよ
世界でたった一人の女の子みたいに感じさせて
あなたが愛するたった一人の女の子みたいに
あなたの胸の内を知るたった一人の女の子みたいに
たったひとりの女の子

夜の泥棒みたいに私をさらってほしいの
まくらみたいに私を抱いて 感じさせてよ
持ってる秘密を全部教えるわ
これで中まではいって来れるでしょ
一度入ったら、出てはいけないわよ
夜の囚われ人となって

*1 Repeat

あなたの胸の内を知るたった一人の女の子みたいに
たったひとりの女の子

*2
私をいかせてよ
ハイにさせてよ
あなたを上げさせて
一晩中続けるのよ

*2 Repeat
*1 Repeat

どうやったらあなたに男を感じさせれるか
分かってるのは この私だけよ

世界でたった一人の女の子 たった一人の

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  2020/10/30   animato

サックス五重奏 If You Were the Only Girl in the World

サックス五重奏 If You Were the Only Girl in the World
編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
クラリネット五重奏、木管五重奏、にも変更可能です。
金管五重奏は発売中です。

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https://youtu.be/a4sOPHwmXec

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「If You Were The Only Girl in The World.」は、色々な歌手によって歌われてきた有名な曲です。
英国や米国などでも広く知られています。

元々は、第一次世界大戦中の1916年に、ミュージカルのヒット曲から取られて、
英国ロンドンの著名な劇場で初めて歌われました。その後知られるようになって多くの歌手に歌い継がれ、
第2次世界大戦後も、米国のぺリー・コモが1946年に、ドリス・デイが1953年に歌い、
その後バーブラ・ストライサンドも1965年に歌いました。このほかにも、多数の歌手が歌ってきました。

また、映画やテレビでの何回も使用されました。
例えば、第2次大戦時の映画「クワイ河の橋」、テレビでは米国の「Charmed」、
BBCの「The Duchess of Duke Street」、第1次大戦時の話として英国ITVの「Downton Abbey」で流されいます。

『ダウントン・アビー』は第一次世界大戦(1914~1918年)の頃のイギリスを描いているので、
戦時下の真っただ中にヒットし、幅広い世代に愛されたこの曲が象徴的に使われたのでしょう。
ドラマの中でも先代伯爵夫人のバイオレット以外は、その場にいる全員が合唱していました。

デヴィッド・ニーヴン主演の戦争映画『The Immortal Battalion(邦題:最後の突撃)』(1944年/イギリス)
にも、この曲を兵隊たちが大合唱するシーンがあります。慰問の場面ですが、当時は愛国心を醸成するために、
よく歌われたのかもしれません。戦時中に生まれた歌曲の哀しい一面です。

歌詞(和訳)

Sometimes when I feel bad
and things look blue
I wish a girl I had... say one like you.
Someone within my heart to build her throne
Someone who'd never part, to call my own

If you were the only girl in the world
and I were the only boy
Nothing else would matter in the world today
We could go on loving in the same old way

A garden of Eden just made for two
With nothing to mar our joy
I would say such wonderful things to you
There would be such wonderful things to do
If you were the only girl in the world
and I were the only boy.

No-one I'll ever care for dear... but you.
No-one I'll fancy, therefore love me do.
Your eyes have set me dreaming all night long…
Your eyes have set me scheming, right or wrong

If you were the only girl in the world
and I were the only boy
Nothing else would matter in the world today
We could go on loving in the same old way

A garden of Eden just made for two
With nothing to mar our joy
I would say such wonderful things to you
There would be such wonderful things to do
If you were the only girl in the world
and I were the only boy.
----------------------
時々、調子が出なくて全てが沈んで見えるとき
僕にも女の子がついてたら、って思うよ
...そう君みたいなさ

僕の心の中にいて、王座を築き上げる誰かが
絶対に別てなくて、僕のだって呼べる誰かさんがね

もし君がこの世で唯一の女の子で
僕がこの世で唯一の男子だったらさ
今日の世界で気にかかることなんて何も無く
僕ら昔からのやり方で愛し合ってゆけるのにね

エデンの園はただ二人のためだけにある
何ものにも この歓びは傷つけられない

僕はそんな素敵な事を君に言うだろう
きっとそんな素敵な事が待ってるんだろう

もし君がこの世で唯一の女の子で
僕がこの世で唯一の男子だったらさ

もうこんなに大事な人は現れないよ...君以外は
もう僕を愛してくれるからって夢中になったりしない
君の夢見る瞳は一晩中僕に釘付けで
君の瞳は僕を見つめながら良し悪しを探ってる

もし君がこの世で唯一の女の子で
僕がこの世で唯一の男子だったらさ
今日の世界で気にかかることなんて何も無く
僕ら昔からのやり方で愛し合ってゆけるのにね

エデンの園はただ二人のためだけにある
何ものにもこの歓びは傷つけられない

僕はそんな素敵な事を君に言うだろう
きっとそんな素敵な事が待ってるんだろう

もし君がこの世で唯一の女の子で
僕がこの世で唯一の男子だったらさ

------------------------------------------------
Only Girl ( In The World ) - Rihanna
オンリ・ガール(イン・ザ・ワールド) リアーナ

アップテンポなダンスミュージックとして全米シングルチャート (US Billboard Hot 100)で
11週に渡って1位を獲得しました。
リアーナは第53回グラミー賞においてBest Dance Recording(最優秀ダンスミュージック賞)を
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ララ ラ ラ...

愛してほしいの ホットな女みたいに
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だから世界のことを忘れて
だって今夜は私とあなただけなんだから
懇願させて あなたのプライドを私がなくしてしまうわ

*1
世界でたった一人の女の子みたいに感じさせて
あなたが愛するたった一人の女の子みたいに
あなたの胸の内を知るたった一人の女の子みたいに
命令できる世界でたった一人の女の子みたいに

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世界でたった一人の女の子みたいに感じさせて
あなたが愛するたった一人の女の子みたいに
あなたの胸の内を知るたった一人の女の子みたいに
たったひとりの女の子

夜の泥棒みたいに私をさらってほしいの
まくらみたいに私を抱いて 感じさせてよ
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これで中まではいって来れるでしょ
一度入ったら、出てはいけないわよ
夜の囚われ人となって

*1 Repeat

あなたの胸の内を知るたった一人の女の子みたいに
たったひとりの女の子

*2
私をいかせてよ
ハイにさせてよ
あなたを上げさせて
一晩中続けるのよ

*2 Repeat
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  2020/10/29   animato

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。
お求めの際はこちらからお願いします。

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

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アルベニスは《スペイン組曲》という曲集を2つつくっていますが、一般的に親しまれているのは、この第1集です。
アルベニス初期の作品で、8曲の組曲として知られています。しかし、もともとは1886年に4曲(第1、2、3、7曲)が
作曲されたきりで、残りの4曲(第4、5、6、8曲)は、タイトルしか残されていませんでした。
アルベニスの没後、出版社はこのタイトルのみの4曲に対し、彼の他の楽曲をあてがい出版しました。
躍動感あるリズム、ギターを思わせる音色など、いずれもスペイン色の強い作品です。
ギターへの編曲版としても有名です。

第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉
アンダルシアの古都グラナダへの想いがこめられた曲です。アルベニスは22歳の時、グラナダで過ごし、
独特の風情をもったその街を大変愛していました。彼はこの曲について「狂おしいほどにロマンティックで、
絶望的なほどに哀しいセレナード」であると手紙に記しています。ギター風の伴奏、美しい旋律など、魅力的な作品です。

第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉
アルベニスの故郷、スペインのカタルーニャ地方の雰囲気を想起させる作品です。この地方に伝わるハーディ・ガーディ
という楽器の音を模してかかれています。8分の6拍子の舞曲調で、繰り返されるハーディ・ガーディの音が、
しだいに遠ざかっていきます。

第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉
セビーリャの雰囲気をたたえた作品です。A-A’-A-B-Aの形をとっています。舞曲セビリャーナスの速いテンポ、
カスタネットのリズムにのって、祭り(復活祭聖週間)の主題が情熱的にうたわれます。
それとは対照的に、中間部では、哀愁ただよう宗教歌サエータがきかれます。リズムを活かしつつ、
効果的に音をつなげるように演奏したいものです。

第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉
《セレナータ・エスパニョーラ》作品181を転用したもの。
ジブラルタルの北西にある港町カディスの雰囲気を想わせる曲です。3部形式。スペイン風舞曲のリズムにのせて、
男性的なセレナータが、のびやかに歌われます。情熱的な中間部を経て、再び冒頭のリズムへ戻ります。
そしてppで静かにしめくくられます。

第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第一曲〈前奏曲〉を転用したものです。アストゥリアスは、スペイン北部にあって、
山や森林、谷間や牧草地に恵まれた地方です。ギター的な奏法がピアノで表現されていて、独特の色彩感が表出されています。
A-B-A(-コーダ)の形をとっています。リズム主題が、次第に高まりをみせ、神秘的な雰囲気をもつ中間部へ進みます。
ここで奏される2オクターブのユニゾンは、アルベニスが好んで使用していたものです。
再び第一部が回帰され、コーダへと至ります。

第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉
《2つのスペイン舞曲》作品164の第一曲〈アラゴン〉を転用したものです。東北スペインのアラゴン地方に知られる、
ホタの舞曲が、華麗で爽快に描かれています。ホタは、速い3拍子のリズムと、カスタネットの伴奏にのせて踊られます。

第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第五曲〈セギディーリャス〉を転用したものです。カスターリャ地方は、
以前スペインの中央部を占めており、王国がありました。セギディーリャスとは、そこで生まれた3拍子の民族舞曲であり、
ビゼーの《カルメン》にも用いられていることで知られています。
リズム旋律が、巧みに組み合わされ、曲を構成しています。カスタネットとギターの伴奏、転調、変化和声など、
アルベニスの巧みさと感性が光る作品です。

第8曲〈キューバ / "Cuba(Capricho)"〉
キューバは、1898年までスペイン領であり、アルベニスは、少年時代、ここを訪れています。
南国風の明るい雰囲気の中にも、一抹の哀愁を感じさせます。
8分の6拍子と、4分の3拍子の間を揺れ動く、舞曲の形でかかれています。

 

グラナダ(セレナータ)
総演奏時間:4分00秒

カタルーニャ(コランダ)
総演奏時間:4分30秒

セビーリャ(セビリャナス)
総演奏時間:4分30秒

カディス(カンション)
総演奏時間:4分30秒

アストゥリアス(伝説)
総演奏時間:5分00秒

アラゴン(ファンタジア)
総演奏時間:4分30秒

カスティーリャ(セギディーリャ)
総演奏時間:2分30秒

キューバ(カプリッチョ)
総演奏時間:5分30秒

イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス・イ・パスクアル
(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual, 1860年5月29日 - 1909年5月18日)は、
スペインの作曲家・ピアニストであり、スペイン民族音楽の影響を受けた作品で知られています。
イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual)は1860年5月29日、スペインの東北部
カタルーニャ地方の小さな町カンプロドンに生まれました。
父親アンヘル・アルベニスは税官吏を職業としており、母親ドローレス・パスクアルとの間に4人の子供(女3・男1)を
もちました。
4人の子供たちは皆音楽の才能に恵まれていましたが、中でもイサーク・アルベニスがピアノ演奏への才能が
突出していたと伝えられています。

父親は息子の才能に気づき、早くから公開演奏の機会を設け、イサークがわずか4歳の時にバルセロナにある劇場で
一人の姉と共に初めての公開演奏を行いました。

6歳の時には母に連れられパリへ赴き、名教授マルモンテルに短期間師事した後、
パリ音楽院の入学試験を受けますが、待機中にボールで遊び、音楽院のガラス(鏡とも言われている)を壊してしまい
「子供すぎる」と入学を断られてしまいました。

その後スペインに戻り、マドリードにある国立音楽演劇学校(現マドリード音楽院)に入学して学びますが、
もともと冒険好きな気質を持っていたイサークは度々寄宿舎から抜け出し、放浪しながらピアノを演奏していたそうです。

イサーク本人の話によると、12歳の時に放浪先のカディスで南米行きの船に忍び込み、
船の中でピアノを弾きながらブエノスアイレス(アルゼンチン)に渡り、南米やキューバ、アメリカへ放浪の旅を
続けたということです。

12歳で密航して外国を演奏旅行して回るというのはあまりにも信憑性がない話ですが、
イサークの才覚と気質からしても、類まれな才能とキャラクターであったことは確かな様で、
1875年(15歳)に大西洋を渡りプエルトリコ及びキューバで演奏会を開き成功した記録(新聞記事)が残っています。

1876年、アルベニスは一時ライプツィヒ音楽院で学びますが、その後ブリュッセル音楽院へと移り、
1879年までピアノ、和声学、ソルフェージュなどを学びます。この時、彼はスペイン政府からの奨学金を得ており、
ルイ・ブラッサンにピアノを、フランソワ=オーギュスト・へファールトに作曲や音楽理論を学び、
ピアノ科を首席で卒業しました。

1880年の夏、20歳のアルベニスは敬愛したフランツ・リストへ会うべく、ブダペストを訪れます。
実際に会えたのか会えなかったのかは定かではありませんが、リストにピアノを聞いてもらい、
スペインや音楽などについて会話をしたことがアルベニスの手記に記されています。

1883年アルベニスが23歳の時、弟子の一人であったロシーナ・ホルダーナと結婚し、バルセロナへ移り住みます。
また、この年にスペイン音楽の先駆者フェリーぺ・ペドレル(スペイン民族主義楽派)と巡り会い大きく影響を受け、
本格的な作曲活動を進めます。

1885?1889年、アルベニスはマドリードへ移り住み、コンサートピアニスト・作曲家・教育者として名声を挙げ、
スペイン王家にも出入りし、貴族社会と関わりを持つようになります。

また、1888?1889年にはフランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリアなど国外へと
演奏旅行へ乗り出し、各地で成功を収めます。
1890?1893年、アルベニスはロンドンへ移り住みます。ロンドンの銀行家マニー=カウツと知り合い、
多額の年金を受け取るのと引き換えに、文芸の才能のあったカウツの台本を元にオペラを作曲する依頼を受け、
「ペピータ・ヒメネス」(1896年初演)といった作品が生まれました。
また、プリンス・オブ・ウェールズ劇場の指揮者も一時期任されています。
しかし、1893年にいったんマドリードへ戻り、翌1894年にパリへ移ります。

パリでは、それまでの演奏旅行で知り合った友人達や、フォーレ、ダンディー、ドビュッシー、ショーソン、デュカス等の
近代フランス音楽の大家達と親交を結び、多くの刺激と影響を受け、アルベニス自身の作風も大きく変化していきました。
1897年、アルベニスはダンディー率いるスコラ・カントルムでピアノ科講師となり、若きセヴラックもアルベニスに学んでいました。
しかしこの頃、アルベニスはブライト病という腎臓の病気を患い、ピアニストとしての活動を控え、
教育活動も退き、順調に見えたパリでの生活も一変します。
1900年からしばらく、アルベニスは祖国スペインへ戻ります。
しかし、病気は悪くなる一方で、音楽活動も思うようにいかず、1902年に再びパリへ、1903年保養のためニース、
そしてピレネーへ近いカンボ・レ・バンへと移りましたが療養の効果は現れず、1909年5月18日、
娘が庭先から切ってきた初咲のバラを見ながら、生涯を閉じたそうです。
バルセロナのモンジュイック墓地に埋葬されました。
49年の輝かしくも短い生涯でした。

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  2020/10/28   animato

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

22.jpg
お求めの際はこちらからお願いします。

アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/ipTCxSbdj_4

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

アルベニスは《スペイン組曲》という曲集を2つつくっていますが、一般的に親しまれているのは、この第1集です。
アルベニス初期の作品で、8曲の組曲として知られています。しかし、もともとは1886年に4曲(第1、2、3、7曲)が
作曲されたきりで、残りの4曲(第4、5、6、8曲)は、タイトルしか残されていませんでした。
アルベニスの没後、出版社はこのタイトルのみの4曲に対し、彼の他の楽曲をあてがい出版しました。
躍動感あるリズム、ギターを思わせる音色など、いずれもスペイン色の強い作品です。
ギターへの編曲版としても有名です。

第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉
アンダルシアの古都グラナダへの想いがこめられた曲です。アルベニスは22歳の時、グラナダで過ごし、
独特の風情をもったその街を大変愛していました。彼はこの曲について「狂おしいほどにロマンティックで、
絶望的なほどに哀しいセレナード」であると手紙に記しています。ギター風の伴奏、美しい旋律など、魅力的な作品です。

第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉
アルベニスの故郷、スペインのカタルーニャ地方の雰囲気を想起させる作品です。この地方に伝わるハーディ・ガーディ
という楽器の音を模してかかれています。8分の6拍子の舞曲調で、繰り返されるハーディ・ガーディの音が、
しだいに遠ざかっていきます。

第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉
セビーリャの雰囲気をたたえた作品です。A-A’-A-B-Aの形をとっています。舞曲セビリャーナスの速いテンポ、
カスタネットのリズムにのって、祭り(復活祭聖週間)の主題が情熱的にうたわれます。
それとは対照的に、中間部では、哀愁ただよう宗教歌サエータがきかれます。リズムを活かしつつ、
効果的に音をつなげるように演奏したいものです。

第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉
《セレナータ・エスパニョーラ》作品181を転用したもの。
ジブラルタルの北西にある港町カディスの雰囲気を想わせる曲です。3部形式。スペイン風舞曲のリズムにのせて、
男性的なセレナータが、のびやかに歌われます。情熱的な中間部を経て、再び冒頭のリズムへ戻ります。
そしてppで静かにしめくくられます。

第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第一曲〈前奏曲〉を転用したものです。アストゥリアスは、スペイン北部にあって、
山や森林、谷間や牧草地に恵まれた地方です。ギター的な奏法がピアノで表現されていて、独特の色彩感が表出されています。
A-B-A(-コーダ)の形をとっています。リズム主題が、次第に高まりをみせ、神秘的な雰囲気をもつ中間部へ進みます。
ここで奏される2オクターブのユニゾンは、アルベニスが好んで使用していたものです。
再び第一部が回帰され、コーダへと至ります。

第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉
《2つのスペイン舞曲》作品164の第一曲〈アラゴン〉を転用したものです。東北スペインのアラゴン地方に知られる、
ホタの舞曲が、華麗で爽快に描かれています。ホタは、速い3拍子のリズムと、カスタネットの伴奏にのせて踊られます。

第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第五曲〈セギディーリャス〉を転用したものです。カスターリャ地方は、
以前スペインの中央部を占めており、王国がありました。セギディーリャスとは、そこで生まれた3拍子の民族舞曲であり、
ビゼーの《カルメン》にも用いられていることで知られています。
リズム旋律が、巧みに組み合わされ、曲を構成しています。カスタネットとギターの伴奏、転調、変化和声など、
アルベニスの巧みさと感性が光る作品です。

第8曲〈キューバ / "Cuba(Capricho)"〉
キューバは、1898年までスペイン領であり、アルベニスは、少年時代、ここを訪れています。
南国風の明るい雰囲気の中にも、一抹の哀愁を感じさせます。
8分の6拍子と、4分の3拍子の間を揺れ動く、舞曲の形でかかれています。

グラナダ(セレナータ)
総演奏時間:4分00秒 

カタルーニャ(コランダ)
総演奏時間:4分30秒 

セビーリャ(セビリャナス)
総演奏時間:4分30秒 

カディス(カンション)
総演奏時間:4分30秒 

アストゥリアス(伝説)
総演奏時間:5分00秒 

アラゴン(ファンタジア)
総演奏時間:4分30秒 

カスティーリャ(セギディーリャ)
総演奏時間:2分30秒 

キューバ(カプリッチョ) 
総演奏時間:5分30秒 

イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス・イ・パスクアル
(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual, 1860年5月29日 - 1909年5月18日)は、
スペインの作曲家・ピアニストであり、スペイン民族音楽の影響を受けた作品で知られています。
イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual)は1860年5月29日、スペインの東北部
カタルーニャ地方の小さな町カンプロドンに生まれました。
父親アンヘル・アルベニスは税官吏を職業としており、母親ドローレス・パスクアルとの間に4人の子供(女3・男1)を
もちました。
4人の子供たちは皆音楽の才能に恵まれていましたが、中でもイサーク・アルベニスがピアノ演奏への才能が
突出していたと伝えられています。

父親は息子の才能に気づき、早くから公開演奏の機会を設け、イサークがわずか4歳の時にバルセロナにある劇場で
一人の姉と共に初めての公開演奏を行いました。

6歳の時には母に連れられパリへ赴き、名教授マルモンテルに短期間師事した後、
パリ音楽院の入学試験を受けますが、待機中にボールで遊び、音楽院のガラス(鏡とも言われている)を壊してしまい
「子供すぎる」と入学を断られてしまいました。

その後スペインに戻り、マドリードにある国立音楽演劇学校(現マドリード音楽院)に入学して学びますが、
もともと冒険好きな気質を持っていたイサークは度々寄宿舎から抜け出し、放浪しながらピアノを演奏していたそうです。

イサーク本人の話によると、12歳の時に放浪先のカディスで南米行きの船に忍び込み、
船の中でピアノを弾きながらブエノスアイレス(アルゼンチン)に渡り、南米やキューバ、アメリカへ放浪の旅を
続けたということです。

12歳で密航して外国を演奏旅行して回るというのはあまりにも信憑性がない話ですが、
イサークの才覚と気質からしても、類まれな才能とキャラクターであったことは確かな様で、
1875年(15歳)に大西洋を渡りプエルトリコ及びキューバで演奏会を開き成功した記録(新聞記事)が残っています。

1876年、アルベニスは一時ライプツィヒ音楽院で学びますが、その後ブリュッセル音楽院へと移り、
1879年までピアノ、和声学、ソルフェージュなどを学びます。この時、彼はスペイン政府からの奨学金を得ており、
ルイ・ブラッサンにピアノを、フランソワ=オーギュスト・へファールトに作曲や音楽理論を学び、
ピアノ科を首席で卒業しました。

1880年の夏、20歳のアルベニスは敬愛したフランツ・リストへ会うべく、ブダペストを訪れます。
実際に会えたのか会えなかったのかは定かではありませんが、リストにピアノを聞いてもらい、
スペインや音楽などについて会話をしたことがアルベニスの手記に記されています。

1883年アルベニスが23歳の時、弟子の一人であったロシーナ・ホルダーナと結婚し、バルセロナへ移り住みます。
また、この年にスペイン音楽の先駆者フェリーぺ・ペドレル(スペイン民族主義楽派)と巡り会い大きく影響を受け、
本格的な作曲活動を進めます。

1885?1889年、アルベニスはマドリードへ移り住み、コンサートピアニスト・作曲家・教育者として名声を挙げ、
スペイン王家にも出入りし、貴族社会と関わりを持つようになります。

また、1888?1889年にはフランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリアなど国外へと
演奏旅行へ乗り出し、各地で成功を収めます。
1890?1893年、アルベニスはロンドンへ移り住みます。ロンドンの銀行家マニー=カウツと知り合い、
多額の年金を受け取るのと引き換えに、文芸の才能のあったカウツの台本を元にオペラを作曲する依頼を受け、
「ペピータ・ヒメネス」(1896年初演)といった作品が生まれました。
また、プリンス・オブ・ウェールズ劇場の指揮者も一時期任されています。
しかし、1893年にいったんマドリードへ戻り、翌1894年にパリへ移ります。

パリでは、それまでの演奏旅行で知り合った友人達や、フォーレ、ダンディー、ドビュッシー、ショーソン、デュカス等の
近代フランス音楽の大家達と親交を結び、多くの刺激と影響を受け、アルベニス自身の作風も大きく変化していきました。
1897年、アルベニスはダンディー率いるスコラ・カントルムでピアノ科講師となり、若きセヴラックもアルベニスに学んでいました。
しかしこの頃、アルベニスはブライト病という腎臓の病気を患い、ピアニストとしての活動を控え、
教育活動も退き、順調に見えたパリでの生活も一変します。
1900年からしばらく、アルベニスは祖国スペインへ戻ります。
しかし、病気は悪くなる一方で、音楽活動も思うようにいかず、1902年に再びパリへ、1903年保養のためニース、
そしてピレネーへ近いカンボ・レ・バンへと移りましたが療養の効果は現れず、1909年5月18日、
娘が庭先から切ってきた初咲のバラを見ながら、生涯を閉じたそうです。
バルセロナのモンジュイック墓地に埋葬されました。
49年の輝かしくも短い生涯でした。

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  2020/10/26   animato

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
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アルベニスは《スペイン組曲》という曲集を2つつくっていますが、一般的に親しまれているのは、この第1集です。
アルベニス初期の作品で、8曲の組曲として知られています。しかし、もともとは1886年に4曲(第1、2、3、7曲)が
作曲されたきりで、残りの4曲(第4、5、6、8曲)は、タイトルしか残されていませんでした。
アルベニスの没後、出版社はこのタイトルのみの4曲に対し、彼の他の楽曲をあてがい出版しました。
躍動感あるリズム、ギターを思わせる音色など、いずれもスペイン色の強い作品です。
ギターへの編曲版としても有名です。

第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉
アンダルシアの古都グラナダへの想いがこめられた曲です。アルベニスは22歳の時、グラナダで過ごし、
独特の風情をもったその街を大変愛していました。彼はこの曲について「狂おしいほどにロマンティックで、
絶望的なほどに哀しいセレナード」であると手紙に記しています。ギター風の伴奏、美しい旋律など、魅力的な作品です。

第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉
アルベニスの故郷、スペインのカタルーニャ地方の雰囲気を想起させる作品です。この地方に伝わるハーディ・ガーディ
という楽器の音を模してかかれています。8分の6拍子の舞曲調で、繰り返されるハーディ・ガーディの音が、
しだいに遠ざかっていきます。

第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉
セビーリャの雰囲気をたたえた作品です。A-A’-A-B-Aの形をとっています。舞曲セビリャーナスの速いテンポ、
カスタネットのリズムにのって、祭り(復活祭聖週間)の主題が情熱的にうたわれます。
それとは対照的に、中間部では、哀愁ただよう宗教歌サエータがきかれます。リズムを活かしつつ、
効果的に音をつなげるように演奏したいものです。

第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉
《セレナータ・エスパニョーラ》作品181を転用したもの。
ジブラルタルの北西にある港町カディスの雰囲気を想わせる曲です。3部形式。スペイン風舞曲のリズムにのせて、
男性的なセレナータが、のびやかに歌われます。情熱的な中間部を経て、再び冒頭のリズムへ戻ります。
そしてppで静かにしめくくられます。

第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第一曲〈前奏曲〉を転用したものです。アストゥリアスは、スペイン北部にあって、
山や森林、谷間や牧草地に恵まれた地方です。ギター的な奏法がピアノで表現されていて、独特の色彩感が表出されています。
A-B-A(-コーダ)の形をとっています。リズム主題が、次第に高まりをみせ、神秘的な雰囲気をもつ中間部へ進みます。
ここで奏される2オクターブのユニゾンは、アルベニスが好んで使用していたものです。
再び第一部が回帰され、コーダへと至ります。

第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉
《2つのスペイン舞曲》作品164の第一曲〈アラゴン〉を転用したものです。東北スペインのアラゴン地方に知られる、
ホタの舞曲が、華麗で爽快に描かれています。ホタは、速い3拍子のリズムと、カスタネットの伴奏にのせて踊られます。

第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第五曲〈セギディーリャス〉を転用したものです。カスターリャ地方は、
以前スペインの中央部を占めており、王国がありました。セギディーリャスとは、そこで生まれた3拍子の民族舞曲であり、
ビゼーの《カルメン》にも用いられていることで知られています。
リズム旋律が、巧みに組み合わされ、曲を構成しています。カスタネットとギターの伴奏、転調、変化和声など、
アルベニスの巧みさと感性が光る作品です。

第8曲〈キューバ / "Cuba(Capricho)"〉
キューバは、1898年までスペイン領であり、アルベニスは、少年時代、ここを訪れています。
南国風の明るい雰囲気の中にも、一抹の哀愁を感じさせます。
8分の6拍子と、4分の3拍子の間を揺れ動く、舞曲の形でかかれています。

 

グラナダ(セレナータ)
総演奏時間:4分00秒

カタルーニャ(コランダ)
総演奏時間:4分30秒

セビーリャ(セビリャナス)
総演奏時間:4分30秒

カディス(カンション)
総演奏時間:4分30秒

アストゥリアス(伝説)
総演奏時間:5分00秒

アラゴン(ファンタジア)
総演奏時間:4分30秒

カスティーリャ(セギディーリャ)
総演奏時間:2分30秒

キューバ(カプリッチョ)
総演奏時間:5分30秒

イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス・イ・パスクアル
(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual, 1860年5月29日 - 1909年5月18日)は、
スペインの作曲家・ピアニストであり、スペイン民族音楽の影響を受けた作品で知られています。
イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual)は1860年5月29日、スペインの東北部
カタルーニャ地方の小さな町カンプロドンに生まれました。
父親アンヘル・アルベニスは税官吏を職業としており、母親ドローレス・パスクアルとの間に4人の子供(女3・男1)を
もちました。
4人の子供たちは皆音楽の才能に恵まれていましたが、中でもイサーク・アルベニスがピアノ演奏への才能が
突出していたと伝えられています。

父親は息子の才能に気づき、早くから公開演奏の機会を設け、イサークがわずか4歳の時にバルセロナにある劇場で
一人の姉と共に初めての公開演奏を行いました。

6歳の時には母に連れられパリへ赴き、名教授マルモンテルに短期間師事した後、
パリ音楽院の入学試験を受けますが、待機中にボールで遊び、音楽院のガラス(鏡とも言われている)を壊してしまい
「子供すぎる」と入学を断られてしまいました。

その後スペインに戻り、マドリードにある国立音楽演劇学校(現マドリード音楽院)に入学して学びますが、
もともと冒険好きな気質を持っていたイサークは度々寄宿舎から抜け出し、放浪しながらピアノを演奏していたそうです。

イサーク本人の話によると、12歳の時に放浪先のカディスで南米行きの船に忍び込み、
船の中でピアノを弾きながらブエノスアイレス(アルゼンチン)に渡り、南米やキューバ、アメリカへ放浪の旅を
続けたということです。

12歳で密航して外国を演奏旅行して回るというのはあまりにも信憑性がない話ですが、
イサークの才覚と気質からしても、類まれな才能とキャラクターであったことは確かな様で、
1875年(15歳)に大西洋を渡りプエルトリコ及びキューバで演奏会を開き成功した記録(新聞記事)が残っています。

1876年、アルベニスは一時ライプツィヒ音楽院で学びますが、その後ブリュッセル音楽院へと移り、
1879年までピアノ、和声学、ソルフェージュなどを学びます。この時、彼はスペイン政府からの奨学金を得ており、
ルイ・ブラッサンにピアノを、フランソワ=オーギュスト・へファールトに作曲や音楽理論を学び、
ピアノ科を首席で卒業しました。

1880年の夏、20歳のアルベニスは敬愛したフランツ・リストへ会うべく、ブダペストを訪れます。
実際に会えたのか会えなかったのかは定かではありませんが、リストにピアノを聞いてもらい、
スペインや音楽などについて会話をしたことがアルベニスの手記に記されています。

1883年アルベニスが23歳の時、弟子の一人であったロシーナ・ホルダーナと結婚し、バルセロナへ移り住みます。
また、この年にスペイン音楽の先駆者フェリーぺ・ペドレル(スペイン民族主義楽派)と巡り会い大きく影響を受け、
本格的な作曲活動を進めます。

1885?1889年、アルベニスはマドリードへ移り住み、コンサートピアニスト・作曲家・教育者として名声を挙げ、
スペイン王家にも出入りし、貴族社会と関わりを持つようになります。

また、1888?1889年にはフランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリアなど国外へと
演奏旅行へ乗り出し、各地で成功を収めます。
1890?1893年、アルベニスはロンドンへ移り住みます。ロンドンの銀行家マニー=カウツと知り合い、
多額の年金を受け取るのと引き換えに、文芸の才能のあったカウツの台本を元にオペラを作曲する依頼を受け、
「ペピータ・ヒメネス」(1896年初演)といった作品が生まれました。
また、プリンス・オブ・ウェールズ劇場の指揮者も一時期任されています。
しかし、1893年にいったんマドリードへ戻り、翌1894年にパリへ移ります。

パリでは、それまでの演奏旅行で知り合った友人達や、フォーレ、ダンディー、ドビュッシー、ショーソン、デュカス等の
近代フランス音楽の大家達と親交を結び、多くの刺激と影響を受け、アルベニス自身の作風も大きく変化していきました。
1897年、アルベニスはダンディー率いるスコラ・カントルムでピアノ科講師となり、若きセヴラックもアルベニスに学んでいました。
しかしこの頃、アルベニスはブライト病という腎臓の病気を患い、ピアニストとしての活動を控え、
教育活動も退き、順調に見えたパリでの生活も一変します。
1900年からしばらく、アルベニスは祖国スペインへ戻ります。
しかし、病気は悪くなる一方で、音楽活動も思うようにいかず、1902年に再びパリへ、1903年保養のためニース、
そしてピレネーへ近いカンボ・レ・バンへと移りましたが療養の効果は現れず、1909年5月18日、
娘が庭先から切ってきた初咲のバラを見ながら、生涯を閉じたそうです。
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  2020/10/24   animato

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第1集 Op.47
第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第1集 Op.47
第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

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アルベニスは《スペイン組曲》という曲集を2つつくっていますが、一般的に親しまれているのは、この第1集です。
アルベニス初期の作品で、8曲の組曲として知られています。しかし、もともとは1886年に4曲(第1、2、3、7曲)が
作曲されたきりで、残りの4曲(第4、5、6、8曲)は、タイトルしか残されていませんでした。
アルベニスの没後、出版社はこのタイトルのみの4曲に対し、彼の他の楽曲をあてがい出版しました。
躍動感あるリズム、ギターを思わせる音色など、いずれもスペイン色の強い作品です。
ギターへの編曲版としても有名です。

第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉
アンダルシアの古都グラナダへの想いがこめられた曲です。アルベニスは22歳の時、グラナダで過ごし、
独特の風情をもったその街を大変愛していました。彼はこの曲について「狂おしいほどにロマンティックで、
絶望的なほどに哀しいセレナード」であると手紙に記しています。ギター風の伴奏、美しい旋律など、魅力的な作品です。

第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉
アルベニスの故郷、スペインのカタルーニャ地方の雰囲気を想起させる作品です。この地方に伝わるハーディ・ガーディ
という楽器の音を模してかかれています。8分の6拍子の舞曲調で、繰り返されるハーディ・ガーディの音が、
しだいに遠ざかっていきます。

第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉
セビーリャの雰囲気をたたえた作品です。A-A’-A-B-Aの形をとっています。舞曲セビリャーナスの速いテンポ、
カスタネットのリズムにのって、祭り(復活祭聖週間)の主題が情熱的にうたわれます。
それとは対照的に、中間部では、哀愁ただよう宗教歌サエータがきかれます。リズムを活かしつつ、
効果的に音をつなげるように演奏したいものです。

第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉
《セレナータ・エスパニョーラ》作品181を転用したもの。
ジブラルタルの北西にある港町カディスの雰囲気を想わせる曲です。3部形式。スペイン風舞曲のリズムにのせて、
男性的なセレナータが、のびやかに歌われます。情熱的な中間部を経て、再び冒頭のリズムへ戻ります。
そしてppで静かにしめくくられます。

第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第一曲〈前奏曲〉を転用したものです。アストゥリアスは、スペイン北部にあって、
山や森林、谷間や牧草地に恵まれた地方です。ギター的な奏法がピアノで表現されていて、独特の色彩感が表出されています。
A-B-A(-コーダ)の形をとっています。リズム主題が、次第に高まりをみせ、神秘的な雰囲気をもつ中間部へ進みます。
ここで奏される2オクターブのユニゾンは、アルベニスが好んで使用していたものです。
再び第一部が回帰され、コーダへと至ります。

第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉
《2つのスペイン舞曲》作品164の第一曲〈アラゴン〉を転用したものです。東北スペインのアラゴン地方に知られる、
ホタの舞曲が、華麗で爽快に描かれています。ホタは、速い3拍子のリズムと、カスタネットの伴奏にのせて踊られます。

第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第五曲〈セギディーリャス〉を転用したものです。カスターリャ地方は、
以前スペインの中央部を占めており、王国がありました。セギディーリャスとは、そこで生まれた3拍子の民族舞曲であり、
ビゼーの《カルメン》にも用いられていることで知られています。
リズム旋律が、巧みに組み合わされ、曲を構成しています。カスタネットとギターの伴奏、転調、変化和声など、
アルベニスの巧みさと感性が光る作品です。

第8曲〈キューバ / "Cuba(Capricho)"〉
キューバは、1898年までスペイン領であり、アルベニスは、少年時代、ここを訪れています。
南国風の明るい雰囲気の中にも、一抹の哀愁を感じさせます。
8分の6拍子と、4分の3拍子の間を揺れ動く、舞曲の形でかかれています。

グラナダ(セレナータ)
総演奏時間:4分00秒 

カタルーニャ(コランダ)
総演奏時間:4分30秒 

セビーリャ(セビリャナス)
総演奏時間:4分30秒 

カディス(カンション)
総演奏時間:4分30秒 

アストゥリアス(伝説)
総演奏時間:5分00秒 

アラゴン(ファンタジア)
総演奏時間:4分30秒 

カスティーリャ(セギディーリャ)
総演奏時間:2分30秒 

キューバ(カプリッチョ) 
総演奏時間:5分30秒 

イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス・イ・パスクアル
(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual, 1860年5月29日 - 1909年5月18日)は、
スペインの作曲家・ピアニストであり、スペイン民族音楽の影響を受けた作品で知られています。
イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual)は1860年5月29日、スペインの東北部
カタルーニャ地方の小さな町カンプロドンに生まれました。
父親アンヘル・アルベニスは税官吏を職業としており、母親ドローレス・パスクアルとの間に4人の子供(女3・男1)を
もちました。
4人の子供たちは皆音楽の才能に恵まれていましたが、中でもイサーク・アルベニスがピアノ演奏への才能が
突出していたと伝えられています。

父親は息子の才能に気づき、早くから公開演奏の機会を設け、イサークがわずか4歳の時にバルセロナにある劇場で
一人の姉と共に初めての公開演奏を行いました。

6歳の時には母に連れられパリへ赴き、名教授マルモンテルに短期間師事した後、
パリ音楽院の入学試験を受けますが、待機中にボールで遊び、音楽院のガラス(鏡とも言われている)を壊してしまい
「子供すぎる」と入学を断られてしまいました。

その後スペインに戻り、マドリードにある国立音楽演劇学校(現マドリード音楽院)に入学して学びますが、
もともと冒険好きな気質を持っていたイサークは度々寄宿舎から抜け出し、放浪しながらピアノを演奏していたそうです。

イサーク本人の話によると、12歳の時に放浪先のカディスで南米行きの船に忍び込み、
船の中でピアノを弾きながらブエノスアイレス(アルゼンチン)に渡り、南米やキューバ、アメリカへ放浪の旅を
続けたということです。

12歳で密航して外国を演奏旅行して回るというのはあまりにも信憑性がない話ですが、
イサークの才覚と気質からしても、類まれな才能とキャラクターであったことは確かな様で、
1875年(15歳)に大西洋を渡りプエルトリコ及びキューバで演奏会を開き成功した記録(新聞記事)が残っています。

1876年、アルベニスは一時ライプツィヒ音楽院で学びますが、その後ブリュッセル音楽院へと移り、
1879年までピアノ、和声学、ソルフェージュなどを学びます。この時、彼はスペイン政府からの奨学金を得ており、
ルイ・ブラッサンにピアノを、フランソワ=オーギュスト・へファールトに作曲や音楽理論を学び、
ピアノ科を首席で卒業しました。

1880年の夏、20歳のアルベニスは敬愛したフランツ・リストへ会うべく、ブダペストを訪れます。
実際に会えたのか会えなかったのかは定かではありませんが、リストにピアノを聞いてもらい、
スペインや音楽などについて会話をしたことがアルベニスの手記に記されています。

1883年アルベニスが23歳の時、弟子の一人であったロシーナ・ホルダーナと結婚し、バルセロナへ移り住みます。
また、この年にスペイン音楽の先駆者フェリーぺ・ペドレル(スペイン民族主義楽派)と巡り会い大きく影響を受け、
本格的な作曲活動を進めます。

1885?1889年、アルベニスはマドリードへ移り住み、コンサートピアニスト・作曲家・教育者として名声を挙げ、
スペイン王家にも出入りし、貴族社会と関わりを持つようになります。

また、1888?1889年にはフランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリアなど国外へと
演奏旅行へ乗り出し、各地で成功を収めます。
1890?1893年、アルベニスはロンドンへ移り住みます。ロンドンの銀行家マニー=カウツと知り合い、
多額の年金を受け取るのと引き換えに、文芸の才能のあったカウツの台本を元にオペラを作曲する依頼を受け、
「ペピータ・ヒメネス」(1896年初演)といった作品が生まれました。
また、プリンス・オブ・ウェールズ劇場の指揮者も一時期任されています。
しかし、1893年にいったんマドリードへ戻り、翌1894年にパリへ移ります。

パリでは、それまでの演奏旅行で知り合った友人達や、フォーレ、ダンディー、ドビュッシー、ショーソン、デュカス等の
近代フランス音楽の大家達と親交を結び、多くの刺激と影響を受け、アルベニス自身の作風も大きく変化していきました。
1897年、アルベニスはダンディー率いるスコラ・カントルムでピアノ科講師となり、若きセヴラックもアルベニスに学んでいました。
しかしこの頃、アルベニスはブライト病という腎臓の病気を患い、ピアニストとしての活動を控え、
教育活動も退き、順調に見えたパリでの生活も一変します。
1900年からしばらく、アルベニスは祖国スペインへ戻ります。
しかし、病気は悪くなる一方で、音楽活動も思うようにいかず、1902年に再びパリへ、1903年保養のためニース、
そしてピレネーへ近いカンボ・レ・バンへと移りましたが療養の効果は現れず、1909年5月18日、
娘が庭先から切ってきた初咲のバラを見ながら、生涯を閉じたそうです。
バルセロナのモンジュイック墓地に埋葬されました。
49年の輝かしくも短い生涯でした。

アトリエ・アニマート
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  2020/10/23   animato

マリンバと木管による六重奏アルベニス :スペイン組曲 第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉

マリンバと木管による六重奏アルベニス :スペイン組曲 第1集 Op.47
第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉

編成はマリンバとフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

マリンバと木管による六重奏アルベニス :スペイン組曲 第1集 Op.47
第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉

編成はマリンバとフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

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参考音源
https://youtu.be/LxHdxsrBwzc

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

アルベニスは《スペイン組曲》という曲集を2つつくっていますが、一般的に親しまれているのは、この第1集です。
アルベニス初期の作品で、8曲の組曲として知られています。しかし、もともとは1886年に4曲(第1、2、3、7曲)が
作曲されたきりで、残りの4曲(第4、5、6、8曲)は、タイトルしか残されていませんでした。
アルベニスの没後、出版社はこのタイトルのみの4曲に対し、彼の他の楽曲をあてがい出版しました。
躍動感あるリズム、ギターを思わせる音色など、いずれもスペイン色の強い作品です。
ギターへの編曲版としても有名です。

第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉
アンダルシアの古都グラナダへの想いがこめられた曲です。アルベニスは22歳の時、グラナダで過ごし、
独特の風情をもったその街を大変愛していました。彼はこの曲について「狂おしいほどにロマンティックで、
絶望的なほどに哀しいセレナード」であると手紙に記しています。ギター風の伴奏、美しい旋律など、魅力的な作品です。

第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉
アルベニスの故郷、スペインのカタルーニャ地方の雰囲気を想起させる作品です。この地方に伝わるハーディ・ガーディ
という楽器の音を模してかかれています。8分の6拍子の舞曲調で、繰り返されるハーディ・ガーディの音が、
しだいに遠ざかっていきます。

第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉
セビーリャの雰囲気をたたえた作品。A-A’-A-B-Aの形をとっています。舞曲セビリャーナスの速いテンポ、
カスタネットのリズムにのって、祭り(復活祭聖週間)の主題が情熱的にうたわれます。
それとは対照的に、中間部では、哀愁ただよう宗教歌サエータがきかれます。リズムを活かしつつ、
効果的に音をつなげるように演奏したいものです。

第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉
《セレナータ・エスパニョーラ》作品181を転用したもの。
ジブラルタルの北西にある港市カディスの雰囲気を想わせる曲です。3部形式。スペイン風舞曲のリズムにのせて、
男性的なセレナータが、のびやかに歌われます。情熱的な中間部を経て、再び冒頭のリズムへ戻ります。
そしてppで静かにしめくくられます。

第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第一曲〈前奏曲〉を転用したものです。アストゥリアスは、スペイン北部にあって、
山や森林、谷間や牧草地に恵まれた地方です。ギター的な奏法がピアノで表現されていて、独特の色彩感が表出されています。
A-B-A(-コーダ)の形をとっています。リズム主題が、次第に高まりをみせ、神秘的な雰囲気をもつ中間部へ進みます。
ここで奏される2オクターブのユニゾンは、アルベニスが好んで使用していたものです。
再び第一部が回帰され、コーダへと至ります。

第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉
《2つのスペイン舞曲》作品164の第一曲〈アラゴン〉を転用したものです。東北スペインのアラゴン地方に知られる、
ホタの舞曲が、華麗で爽快に描かれています。ホタは、速い3拍子のリズムと、カスタネットの伴奏にのせて踊られます。

第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第五曲〈セギディーリャス〉を転用したものです。カスターリャ地方は、
以前スペインの中央部を占めており、王国がありました。セギディーリャスとは、そこで生まれた3拍子の民族舞曲であり、
ビゼーの《カルメン》にも用いられていることで知られています。
リズム旋律が、巧みに組み合わされ、曲を構成しています。カスタネットとギターの伴奏、転調、変化和声など、
アルベニスの巧みさと感性が光る作品です。

第8曲〈キューバ / "Cuba(Capricho)"〉
キューバは、1898年までスペイン領であり、アルベニスは、少年時代、ここを訪れています。
南国風の明るい雰囲気の中にも、一抹の哀愁を感じさせます。
8分の6拍子と、4分の3拍子の間を揺れ動く、舞曲の形でかかれています。

 

グラナダ(セレナータ)
総演奏時間:4分00秒

カタルーニャ(コランダ)
総演奏時間:4分30秒

セビーリャ(セビリャナス)
総演奏時間:4分30秒

カディス(カンション)
総演奏時間:4分30秒

アストゥリアス(伝説)
総演奏時間:5分00秒

アラゴン(ファンタジア)
総演奏時間:4分30秒

カスティーリャ(セギディーリャ)
総演奏時間:2分30秒

キューバ(カプリッチョ)
総演奏時間:5分30秒

イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス・イ・パスクアル
(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual, 1860年5月29日 - 1909年5月18日)は、
スペインの作曲家・ピアニストであり、スペイン民族音楽の影響を受けた作品で知られています。
イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual)は1860年5月29日、スペインの東北部
カタルーニャ地方の小さな町カンプロドンに生まれました。
父親アンヘル・アルベニスは税官吏を職業としており、母親ドローレス・パスクアルとの間に4人の子供(女3・男1)を
もちました。
4人の子供たちは皆音楽の才能に恵まれていましたが、中でもイサーク・アルベニスがピアノ演奏への才能が
突出していたと伝えられています。

父親は息子の才能に気づき、早くから公開演奏の機会を設け、イサークがわずか4歳の時にバルセロナにある劇場で
一人の姉と共に初めての公開演奏を行いました。

6歳の時には母に連れられパリへ赴き、名教授マルモンテルに短期間師事した後、
パリ音楽院の入学試験を受けますが、待機中にボールで遊び、音楽院のガラス(鏡とも言われている)を壊してしまい
「子供すぎる」と入学を断られてしまいました。

その後スペインに戻り、マドリードにある国立音楽演劇学校(現マドリード音楽院)に入学して学びますが、
もともと冒険好きな気質を持っていたイサークは度々寄宿舎から抜け出し、放浪しながらピアノを演奏していたそうです。

イサーク本人の話によると、12歳の時に放浪先のカディスで南米行きの船に忍び込み、
船の中でピアノを弾きながらブエノスアイレス(アルゼンチン)に渡り、南米やキューバ、アメリカへ放浪の旅を
続けたということです。

12歳で密航して外国を演奏旅行して回るというのはあまりにも信憑性がない話ですが、
イサークの才覚と気質からしても、類まれな才能とキャラクターであったことは確かな様で、
1875年(15歳)に大西洋を渡りプエルトリコ及びキューバで演奏会を開き成功した記録(新聞記事)が残っています。

1876年、アルベニスは一時ライプツィヒ音楽院で学びますが、その後ブリュッセル音楽院へと移り、
1879年までピアノ、和声学、ソルフェージュなどを学びます。この時、彼はスペイン政府からの奨学金を得ており、
ルイ・ブラッサンにピアノを、フランソワ=オーギュスト・へファールトに作曲や音楽理論を学び、
ピアノ科を首席で卒業しました。

1880年の夏、20歳のアルベニスは敬愛したフランツ・リストへ会うべく、ブダペストを訪れます。
実際に会えたのか会えなかったのかは定かではありませんが、リストにピアノを聞いてもらい、
スペインや音楽などについて会話をしたことがアルベニスの手記に記されています。

1883年アルベニスが23歳の時、弟子の一人であったロシーナ・ホルダーナと結婚し、バルセロナへ移り住みます。
また、この年にスペイン音楽の先駆者フェリーぺ・ペドレル(スペイン民族主義楽派)と巡り会い大きく影響を受け、
本格的な作曲活動を進めます。

1885?1889年、アルベニスはマドリードへ移り住み、コンサートピアニスト・作曲家・教育者として名声を挙げ、
スペイン王家にも出入りし、貴族社会と関わりを持つようになります。

また、1888?1889年にはフランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリアなど国外へと
演奏旅行へ乗り出し、各地で成功を収めます。
1890?1893年、アルベニスはロンドンへ移り住みます。ロンドンの銀行家マニー=カウツと知り合い、
多額の年金を受け取るのと引き換えに、文芸の才能のあったカウツの台本を元にオペラを作曲する依頼を受け、
「ペピータ・ヒメネス」(1896年初演)といった作品が生まれました。
また、プリンス・オブ・ウェールズ劇場の指揮者も一時期任されています。
しかし、1893年にいったんマドリードへ戻り、翌1894年にパリへ移ります。

パリでは、それまでの演奏旅行で知り合った友人達や、フォーレ、ダンディー、ドビュッシー、ショーソン、デュカス等の
近代フランス音楽の大家達と親交を結び、多くの刺激と影響を受け、アルベニス自身の作風も大きく変化していきました。
1897年、アルベニスはダンディー率いるスコラ・カントルムでピアノ科講師となり、若きセヴラックもアルベニスに学んでいました。
しかしこの頃、アルベニスはブライト病という腎臓の病気を患い、ピアニストとしての活動を控え、
教育活動も退き、順調に見えたパリでの生活も一変します。
1900年からしばらく、アルベニスは祖国スペインへ戻ります。
しかし、病気は悪くなる一方で、音楽活動も思うようにいかず、1902年に再びパリへ、1903年保養のためニース、
そしてピレネーへ近いカンボ・レ・バンへと移りましたが療養の効果は現れず、1909年5月18日、
娘が庭先から切ってきた初咲のバラを見ながら、生涯を閉じたそうです。
バルセロナのモンジュイック墓地に埋葬された。
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  2020/10/22   animato

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉
編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉
編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

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アルベニスは《スペイン組曲》という曲集を2つつくっていますが、一般的に親しまれているのは、この第1集です。
アルベニス初期の作品で、8曲の組曲として知られています。しかし、もともとは1886年に4曲(第1、2、3、7曲)が
作曲されたきりで、残りの4曲(第4、5、6、8曲)は、タイトルしか残されていませんでした。
アルベニスの没後、出版社はこのタイトルのみの4曲に対し、彼の他の楽曲をあてがい出版しました。
躍動感あるリズム、ギターを思わせる音色など、いずれもスペイン色の強い作品です。
ギターへの編曲版としても有名です。

第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉
アンダルシアの古都グラナダへの想いがこめられた曲です。アルベニスは22歳の時、グラナダで過ごし、
独特の風情をもったその街を大変愛していました。彼はこの曲について「狂おしいほどにロマンティックで、
絶望的なほどに哀しいセレナード」であると手紙に記しています。ギター風の伴奏、美しい旋律など、魅力的な作品です。

第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉
アルベニスの故郷、スペインのカタルーニャ地方の雰囲気を想起させる作品です。この地方に伝わるハーディ・ガーディ
という楽器の音を模してかかれています。8分の6拍子の舞曲調で、繰り返されるハーディ・ガーディの音が、
しだいに遠ざかっていきます。

第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉
セビーリャの雰囲気をたたえた作品です。A-A’-A-B-Aの形をとっています。舞曲セビリャーナスの速いテンポ、
カスタネットのリズムにのって、祭り(復活祭聖週間)の主題が情熱的にうたわれます。
それとは対照的に、中間部では、哀愁ただよう宗教歌サエータがきかれます。リズムを活かしつつ、
効果的に音をつなげるように演奏したいものです。

第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉
《セレナータ・エスパニョーラ》作品181を転用したもの。
ジブラルタルの北西にある港町カディスの雰囲気を想わせる曲です。3部形式。スペイン風舞曲のリズムにのせて、
男性的なセレナータが、のびやかに歌われます。情熱的な中間部を経て、再び冒頭のリズムへ戻ります。
そしてppで静かにしめくくられます。

第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第一曲〈前奏曲〉を転用したものです。アストゥリアスは、スペイン北部にあって、
山や森林、谷間や牧草地に恵まれた地方です。ギター的な奏法がピアノで表現されていて、独特の色彩感が表出されています。
A-B-A(-コーダ)の形をとっています。リズム主題が、次第に高まりをみせ、神秘的な雰囲気をもつ中間部へ進みます。
ここで奏される2オクターブのユニゾンは、アルベニスが好んで使用していたものです。
再び第一部が回帰され、コーダへと至ります。

第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉
《2つのスペイン舞曲》作品164の第一曲〈アラゴン〉を転用したものです。東北スペインのアラゴン地方に知られる、
ホタの舞曲が、華麗で爽快に描かれています。ホタは、速い3拍子のリズムと、カスタネットの伴奏にのせて踊られます。

第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第五曲〈セギディーリャス〉を転用したものです。カスターリャ地方は、
以前スペインの中央部を占めており、王国がありました。セギディーリャスとは、そこで生まれた3拍子の民族舞曲であり、
ビゼーの《カルメン》にも用いられていることで知られています。
リズム旋律が、巧みに組み合わされ、曲を構成しています。カスタネットとギターの伴奏、転調、変化和声など、
アルベニスの巧みさと感性が光る作品です。

第8曲〈キューバ / "Cuba(Capricho)"〉
キューバは、1898年までスペイン領であり、アルベニスは、少年時代、ここを訪れています。
南国風の明るい雰囲気の中にも、一抹の哀愁を感じさせます。
8分の6拍子と、4分の3拍子の間を揺れ動く、舞曲の形でかかれています。

グラナダ(セレナータ)
総演奏時間:4分00秒 

カタルーニャ(コランダ)
総演奏時間:4分30秒 

セビーリャ(セビリャナス)
総演奏時間:4分30秒 

カディス(カンション)
総演奏時間:4分30秒 

アストゥリアス(伝説)
総演奏時間:5分00秒 

アラゴン(ファンタジア)
総演奏時間:4分30秒 

カスティーリャ(セギディーリャ)
総演奏時間:2分30秒 

キューバ(カプリッチョ) 
総演奏時間:5分30秒 

イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス・イ・パスクアル
(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual, 1860年5月29日 - 1909年5月18日)は、
スペインの作曲家・ピアニストであり、スペイン民族音楽の影響を受けた作品で知られています。
イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual)は1860年5月29日、スペインの東北部
カタルーニャ地方の小さな町カンプロドンに生まれました。
父親アンヘル・アルベニスは税官吏を職業としており、母親ドローレス・パスクアルとの間に4人の子供(女3・男1)を
もちました。
4人の子供たちは皆音楽の才能に恵まれていましたが、中でもイサーク・アルベニスがピアノ演奏への才能が
突出していたと伝えられています。

父親は息子の才能に気づき、早くから公開演奏の機会を設け、イサークがわずか4歳の時にバルセロナにある劇場で
一人の姉と共に初めての公開演奏を行いました。

6歳の時には母に連れられパリへ赴き、名教授マルモンテルに短期間師事した後、
パリ音楽院の入学試験を受けますが、待機中にボールで遊び、音楽院のガラス(鏡とも言われている)を壊してしまい
「子供すぎる」と入学を断られてしまいました。

その後スペインに戻り、マドリードにある国立音楽演劇学校(現マドリード音楽院)に入学して学びますが、
もともと冒険好きな気質を持っていたイサークは度々寄宿舎から抜け出し、放浪しながらピアノを演奏していたそうです。

イサーク本人の話によると、12歳の時に放浪先のカディスで南米行きの船に忍び込み、
船の中でピアノを弾きながらブエノスアイレス(アルゼンチン)に渡り、南米やキューバ、アメリカへ放浪の旅を
続けたということです。

12歳で密航して外国を演奏旅行して回るというのはあまりにも信憑性がない話ですが、
イサークの才覚と気質からしても、類まれな才能とキャラクターであったことは確かな様で、
1875年(15歳)に大西洋を渡りプエルトリコ及びキューバで演奏会を開き成功した記録(新聞記事)が残っています。

1876年、アルベニスは一時ライプツィヒ音楽院で学びますが、その後ブリュッセル音楽院へと移り、
1879年までピアノ、和声学、ソルフェージュなどを学びます。この時、彼はスペイン政府からの奨学金を得ており、
ルイ・ブラッサンにピアノを、フランソワ=オーギュスト・へファールトに作曲や音楽理論を学び、
ピアノ科を首席で卒業しました。

1880年の夏、20歳のアルベニスは敬愛したフランツ・リストへ会うべく、ブダペストを訪れます。
実際に会えたのか会えなかったのかは定かではありませんが、リストにピアノを聞いてもらい、
スペインや音楽などについて会話をしたことがアルベニスの手記に記されています。

1883年アルベニスが23歳の時、弟子の一人であったロシーナ・ホルダーナと結婚し、バルセロナへ移り住みます。
また、この年にスペイン音楽の先駆者フェリーぺ・ペドレル(スペイン民族主義楽派)と巡り会い大きく影響を受け、
本格的な作曲活動を進めます。

1885?1889年、アルベニスはマドリードへ移り住み、コンサートピアニスト・作曲家・教育者として名声を挙げ、
スペイン王家にも出入りし、貴族社会と関わりを持つようになります。

また、1888?1889年にはフランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリアなど国外へと
演奏旅行へ乗り出し、各地で成功を収めます。
1890?1893年、アルベニスはロンドンへ移り住みます。ロンドンの銀行家マニー=カウツと知り合い、
多額の年金を受け取るのと引き換えに、文芸の才能のあったカウツの台本を元にオペラを作曲する依頼を受け、
「ペピータ・ヒメネス」(1896年初演)といった作品が生まれました。
また、プリンス・オブ・ウェールズ劇場の指揮者も一時期任されています。
しかし、1893年にいったんマドリードへ戻り、翌1894年にパリへ移ります。

パリでは、それまでの演奏旅行で知り合った友人達や、フォーレ、ダンディー、ドビュッシー、ショーソン、デュカス等の
近代フランス音楽の大家達と親交を結び、多くの刺激と影響を受け、アルベニス自身の作風も大きく変化していきました。
1897年、アルベニスはダンディー率いるスコラ・カントルムでピアノ科講師となり、若きセヴラックもアルベニスに学んでいました。
しかしこの頃、アルベニスはブライト病という腎臓の病気を患い、ピアニストとしての活動を控え、
教育活動も退き、順調に見えたパリでの生活も一変します。
1900年からしばらく、アルベニスは祖国スペインへ戻ります。
しかし、病気は悪くなる一方で、音楽活動も思うようにいかず、1902年に再びパリへ、1903年保養のためニース、
そしてピレネーへ近いカンボ・レ・バンへと移りましたが療養の効果は現れず、1909年5月18日、
娘が庭先から切ってきた初咲のバラを見ながら、生涯を閉じたそうです。
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  2020/10/21   animato

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉
編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
スペインの風を感じることができる組曲からお好きなチョイスでコンサートピースに、ぜひどうぞ。

木管五重奏アルベニス :スペイン組曲 第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉
編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
オーボエはクラリネットに変更可能。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能。
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https://youtu.be/ft9UOmCtQ9s

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

アルベニスは《スペイン組曲》という曲集を2つつくっていますが、一般的に親しまれているのは、この第1集です。
アルベニス初期の作品で、8曲の組曲として知られています。しかし、もともとは1886年に4曲(第1、2、3、7曲)が
作曲されたきりで、残りの4曲(第4、5、6、8曲)は、タイトルしか残されていませんでした。
アルベニスの没後、出版社はこのタイトルのみの4曲に対し、彼の他の楽曲をあてがい出版しました。
躍動感あるリズム、ギターを思わせる音色など、いずれもスペイン色の強い作品です。
ギターへの編曲版としても有名です。

第1曲〈グラナダ/ "Granada(Serenata)"〉
アンダルシアの古都グラナダへの想いがこめられた曲です。アルベニスは22歳の時、グラナダで過ごし、
独特の風情をもったその街を大変愛していました。彼はこの曲について「狂おしいほどにロマンティックで、
絶望的なほどに哀しいセレナード」であると手紙に記しています。ギター風の伴奏、美しい旋律など、魅力的な作品です。

第2曲〈カタルーニャ/ "Cataluna(Coranda)"〉
アルベニスの故郷、スペインのカタルーニャ地方の雰囲気を想起させる作品です。この地方に伝わるハーディ・ガーディ
という楽器の音を模してかかれています。8分の6拍子の舞曲調で、繰り返されるハーディ・ガーディの音が、
しだいに遠ざかっていきます。

第3曲〈セビーリャ/ "Sevilla(Sevillanas)"〉
セビーリャの雰囲気をたたえた作品です。A-A’-A-B-Aの形をとっています。舞曲セビリャーナスの速いテンポ、
カスタネットのリズムにのって、祭り(復活祭聖週間)の主題が情熱的にうたわれます。
それとは対照的に、中間部では、哀愁ただよう宗教歌サエータがきかれます。リズムを活かしつつ、
効果的に音をつなげるように演奏したいものです。

第4曲〈カディス/ "Cadiz(Cancion)"〉
《セレナータ・エスパニョーラ》作品181を転用したもの。
ジブラルタルの北西にある港町カディスの雰囲気を想わせる曲です。3部形式。スペイン風舞曲のリズムにのせて、
男性的なセレナータが、のびやかに歌われます。情熱的な中間部を経て、再び冒頭のリズムへ戻ります。
そしてppで静かにしめくくられます。

第5曲〈アストゥリアス/ "Asturias(Leyenda)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第一曲〈前奏曲〉を転用したものです。アストゥリアスは、スペイン北部にあって、
山や森林、谷間や牧草地に恵まれた地方です。ギター的な奏法がピアノで表現されていて、独特の色彩感が表出されています。
A-B-A(-コーダ)の形をとっています。リズム主題が、次第に高まりをみせ、神秘的な雰囲気をもつ中間部へ進みます。
ここで奏される2オクターブのユニゾンは、アルベニスが好んで使用していたものです。
再び第一部が回帰され、コーダへと至ります。

第6曲〈アラゴン/ "Aragon(Fantasia)"〉
《2つのスペイン舞曲》作品164の第一曲〈アラゴン〉を転用したものです。東北スペインのアラゴン地方に知られる、
ホタの舞曲が、華麗で爽快に描かれています。ホタは、速い3拍子のリズムと、カスタネットの伴奏にのせて踊られます。

第7曲〈カスティーリャ/ "Castilla(Seguidillas)"〉
組曲《スペインの歌》作品232の第五曲〈セギディーリャス〉を転用したものです。カスターリャ地方は、
以前スペインの中央部を占めており、王国がありました。セギディーリャスとは、そこで生まれた3拍子の民族舞曲であり、
ビゼーの《カルメン》にも用いられていることで知られています。
リズム旋律が、巧みに組み合わされ、曲を構成しています。カスタネットとギターの伴奏、転調、変化和声など、
アルベニスの巧みさと感性が光る作品です。

第8曲〈キューバ / "Cuba(Capricho)"〉
キューバは、1898年までスペイン領であり、アルベニスは、少年時代、ここを訪れています。
南国風の明るい雰囲気の中にも、一抹の哀愁を感じさせます。
8分の6拍子と、4分の3拍子の間を揺れ動く、舞曲の形でかかれています。

グラナダ(セレナータ)
総演奏時間:4分00秒

カタルーニャ(コランダ)
総演奏時間:4分30秒

セビーリャ(セビリャナス)
総演奏時間:4分30秒

カディス(カンション)
総演奏時間:4分30秒

アストゥリアス(伝説)
総演奏時間:5分00秒

アラゴン(ファンタジア)
総演奏時間:4分30秒

カスティーリャ(セギディーリャ)
総演奏時間:2分30秒

キューバ(カプリッチョ)
総演奏時間:5分30秒

イサーク・マヌエル・フランシスコ・アルベニス・イ・パスクアル
(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual, 1860年5月29日 - 1909年5月18日)は、
スペインの作曲家・ピアニストであり、スペイン民族音楽の影響を受けた作品で知られています。
イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albeniz y Pascual)は1860年5月29日、スペインの東北部
カタルーニャ地方の小さな町カンプロドンに生まれました。
父親アンヘル・アルベニスは税官吏を職業としており、母親ドローレス・パスクアルとの間に4人の子供(女3・男1)を
もちました。
4人の子供たちは皆音楽の才能に恵まれていましたが、中でもイサーク・アルベニスがピアノ演奏への才能が
突出していたと伝えられています。

父親は息子の才能に気づき、早くから公開演奏の機会を設け、イサークがわずか4歳の時にバルセロナにある劇場で
一人の姉と共に初めての公開演奏を行いました。

6歳の時には母に連れられパリへ赴き、名教授マルモンテルに短期間師事した後、
パリ音楽院の入学試験を受けますが、待機中にボールで遊び、音楽院のガラス(鏡とも言われている)を壊してしまい
「子供すぎる」と入学を断られてしまいました。

その後スペインに戻り、マドリードにある国立音楽演劇学校(現マドリード音楽院)に入学して学びますが、
もともと冒険好きな気質を持っていたイサークは度々寄宿舎から抜け出し、放浪しながらピアノを演奏していたそうです。

イサーク本人の話によると、12歳の時に放浪先のカディスで南米行きの船に忍び込み、
船の中でピアノを弾きながらブエノスアイレス(アルゼンチン)に渡り、南米やキューバ、アメリカへ放浪の旅を
続けたということです。

12歳で密航して外国を演奏旅行して回るというのはあまりにも信憑性がない話ですが、
イサークの才覚と気質からしても、類まれな才能とキャラクターであったことは確かな様で、
1875年(15歳)に大西洋を渡りプエルトリコ及びキューバで演奏会を開き成功した記録(新聞記事)が残っています。

1876年、アルベニスは一時ライプツィヒ音楽院で学びますが、その後ブリュッセル音楽院へと移り、
1879年までピアノ、和声学、ソルフェージュなどを学びます。この時、彼はスペイン政府からの奨学金を得ており、
ルイ・ブラッサンにピアノを、フランソワ=オーギュスト・へファールトに作曲や音楽理論を学び、
ピアノ科を首席で卒業しました。

1880年の夏、20歳のアルベニスは敬愛したフランツ・リストへ会うべく、ブダペストを訪れます。
実際に会えたのか会えなかったのかは定かではありませんが、リストにピアノを聞いてもらい、
スペインや音楽などについて会話をしたことがアルベニスの手記に記されています。

1883年アルベニスが23歳の時、弟子の一人であったロシーナ・ホルダーナと結婚し、バルセロナへ移り住みます。
また、この年にスペイン音楽の先駆者フェリーぺ・ペドレル(スペイン民族主義楽派)と巡り会い大きく影響を受け、
本格的な作曲活動を進めます。

1885?1889年、アルベニスはマドリードへ移り住み、コンサートピアニスト・作曲家・教育者として名声を挙げ、
スペイン王家にも出入りし、貴族社会と関わりを持つようになります。

また、1888?1889年にはフランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリアなど国外へと
演奏旅行へ乗り出し、各地で成功を収めます。
1890?1893年、アルベニスはロンドンへ移り住みます。ロンドンの銀行家マニー=カウツと知り合い、
多額の年金を受け取るのと引き換えに、文芸の才能のあったカウツの台本を元にオペラを作曲する依頼を受け、
「ペピータ・ヒメネス」(1896年初演)といった作品が生まれました。
また、プリンス・オブ・ウェールズ劇場の指揮者も一時期任されています。
しかし、1893年にいったんマドリードへ戻り、翌1894年にパリへ移ります。

パリでは、それまでの演奏旅行で知り合った友人達や、フォーレ、ダンディー、ドビュッシー、ショーソン、デュカス等の
近代フランス音楽の大家達と親交を結び、多くの刺激と影響を受け、アルベニス自身の作風も大きく変化していきました。
1897年、アルベニスはダンディー率いるスコラ・カントルムでピアノ科講師となり、若きセヴラックもアルベニスに学んでいました。
しかしこの頃、アルベニスはブライト病という腎臓の病気を患い、ピアニストとしての活動を控え、
教育活動も退き、順調に見えたパリでの生活も一変します。
1900年からしばらく、アルベニスは祖国スペインへ戻ります。
しかし、病気は悪くなる一方で、音楽活動も思うようにいかず、1902年に再びパリへ、1903年保養のためニース、
そしてピレネーへ近いカンボ・レ・バンへと移りましたが療養の効果は現れず、1909年5月18日、
娘が庭先から切ってきた初咲のバラを見ながら、生涯を閉じたそうです。
バルセロナのモンジュイック墓地に埋葬されました。
49年の輝かしくも短い生涯でした。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

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  2020/10/20   animato