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2022年10月

クラリネット五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ

クラリネット五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ
Expansiva, Valsa
エルネスト・ナザレ
Ernesto Julio Nazareth

編成はCl.4本、Bs.Cl.です。
木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。
「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。

クラリネット五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ
Expansiva, Valsa
エルネスト・ナザレ
Ernesto Julio Nazareth

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

Expansiva, Valsa  エクスパンシーヴァ(気さくに)、ワルツ
 変ニ長調の落ち着いた上品なワルツです。Bメロは変イ長調。Cメロは変ト長調で、8分音符分散和音が拡がりを見せます。
この音の拡がり(=expande)のイメージからExpansivaという題名がついたという説もあります。
全体的にどの部分の旋律も半音階的で複合調性のような不思議な感覚を味わえます。
この点でもふんわりとした拡がり(=expande)を感じさせてくれるのではないでしょうか。

「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。
南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。
ミニョーネはこう述べている。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、
カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。
特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」

エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。
一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。
そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、
残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。
しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。
中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。
早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、
リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。
1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。
最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。
その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につける。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、
アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。

長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。
外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。

1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、
客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、
解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。

ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。
ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、
演奏するのに振り当てられました。
そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。
ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。

ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。
また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。
作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう
民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。

ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。
フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。
ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。
その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。

ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。
ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。
しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、
ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。
また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、
リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。
ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、
ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ
「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。

およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。
ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、)
アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。
ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、
そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、
実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。
もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。

最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』
『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。
ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、
さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。

晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。
ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。

作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、
作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、
クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。

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  2022/10/11   animato

Solo+木管四重奏 ジョスランの子守唄

Solo+木管四重奏 ジョスランの子守唄
Berceuse de Jocelyn
バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール
Benjamin Louis Paul Godard

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.およびSoloパートです。Fl.パートはOb.でも演奏可能です。
同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、
in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、
in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、
in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、
Tubaは1オクターブ下げて演奏できます。
in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、
in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。
多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。
金管四重奏版、クラリネット四重奏版、サックス四重奏版は発売中です。

フランスのロマン派を味わえる美しい名曲を、ぜひお楽しみください。

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Berceuse de Jocelyn
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは、 1849 年パリに生まれ、1895 年カンヌで亡くなったフランスのヴァイオリニストであり、作曲家でした。
パリ音楽院において、ヴェータンにヴァイオリンを、ルベルに作曲を師事します。室内楽団でヴァイオリンまたはヴィオラを演奏するとともに、
作曲家としてもヴァイオリンやピアノのための作品から管弦楽曲、オペラまで幅広く手がけています。 
1887 年からパリ音楽院室内楽科教授となりました。
オペラ「ジョスラン」の子守歌は特に有名です。

ジョスランの子守唄
バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール
(1849 ~ 1895)フランス
Benjamin Louis Paul Godard

パンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは 1849 年パリに生まれ、 1895 年に亡くなった、フランスの作曲家です。
1878 年パリ市の作曲コンテストで「劇的交響曲」が1位に入賞して、その名を世に知られるようになりました。
その後、歌劇を手がけ、この子守歌で知られる「ジョスラン」、「酒保商人」などを書いています。

ジョスランの子守歌 ゴダール
歌詞の意味・日本語訳・原曲のフランス語の歌詞
『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』(ベルスーズ・ドゥ・ジョスラン)は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる
オペラ『ジョスラン Jocelyn』中のアリア(歌)です。

オペラ『ジョスラン』が今日上演される機会はほとんどなく、『ジョスランの子守歌』だけが独立した楽曲として単独で演奏されるほか、
安眠・リラックス系クラシック音楽CDの一曲としてコンピレーション・アルバムに収録されることがよくあるようです。

日本では古くから唱歌として歌われており、『流浪の民』、『ローレライ』、『野ばらの名訳で知られる訳詞家の
近藤 朔風(こんどう さくふう/1880-1915)による歌詞が現代まで伝えられています。

世界遺産モン・サン=ミシェル修道院(Mont Saint-Michel)でもフランス革命時に特権階級の聖職者は迫害され、
モン・サン=ミシェル修道院は廃止されました。1863年まで国の監獄として使用されていました。

"Berceuse" from Jocelyn - Summer Watson

訳詞:近藤 朔風
むごきさだめ 身に天降(あも)りて
汝(なれ)と眠る のろわれの夜(よ)
胸のうれい ゆめに忘れん
祈らばや ゆらぐ星のもと

夢のまきまきに あこがれよ み空へ
眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中(さよなか)
あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ

愛のつばさに おおわれつ
わが来し方(こしかた) かえりみれば
流れたゆとう 波にも似たり
あわれいく日 祈りに泣きぬ

夢のまきまきに あこがれよ み空へ
眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中
あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ

近藤 朔風による『ジョスランの子守歌』の訳詞を見てみると、「むごきさだめ(惨き運命)」、「のろわれの夜(呪われの夜)」、
「胸のうれい(憂い)」などと、冒頭から子守歌らしからぬ、ただならない雰囲気が漂っています。
「祈り」「マリア」といったキリスト教を連想させるキーワードが使われていて、キリスト教に関連する過酷な運命の歴史が
暗に示されている歌詞です。

原曲:フランス語の歌詞・日本語訳
Berceuse de Jocelyn
Couches dans cet asile
Ou Dieu nous a conduits
Unis par le malheur
Durant les longues nuits

Nous reposons tous deux
Endormis sous leurs voiles
Ou prions aux regards
Des tremblantes etoiles !

神がお導きになった この安らぎの場所に隠れて
不幸ばかりの 永い夜を 二人で休もう
瞬く星が守ってくれる ベールの下で眠ろう

Oh ! Ne t'eveille pas encore
Pour qu'un bel ange de ton reve
En deroulant son long fil d'or
Enfant, permette qu'il s'acheve

あぁ、まだ起きないで
君の夢の中に現れる美しい天使が
長い金の糸を巻き取る間
御子よ、天使がそれを終えるまで

Dors ! dors ! Le jour a peine a lui !
Vierge sainte, veillez sur lui !

眠れ、眠れ、人生はほんのわずかのこと
マリアよ、人生を見守ってくれ

Sous l'aile du Seigneur
Loin du bruit de la foule
Et comme un flot sacre
Qui doucement s'ecoule,

Nous avons vu les jours
Passer apres les jours
Sans jamais nous lasser
D'implorer son secours !

神の安らぎのもと 雑踏の騒がしさから離れて
まるで聖なるしずくがゆっくりと流れるように
私たちは毎日を過ごした  助けを請い願うこともなく

ジョスラン(オペラ)
フランス革命で立ち上がった貧しい市民達 聖職者・貴族が標的に
オペラ『ジョスラン Jocelyn』は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる全4幕のオペラ・歌劇。1888年に初演されました。
今日上演される機会はほとんどなく、同作中のアリア『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』だけが独立した楽曲として単独で演奏されています。

オペラ『ジョスラン』のあらすじ・ストーリーは、フランスの詩人・政治家アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(Alphonse de Lamartine/1790-1869)の
長編詩に基づいています。

舞台は18世紀末のフランス。聖職者の主人公ジョスランは、過激化するフランス革命の荒波にのまれ、山で数奇な逃亡生活を送ることになります。
ストーリーは「フランス革命」「聖職者」「逃亡生活」というキーワードがあらすじの大きな柱となっています。
フランス革命と追われる聖職者の歴史
フランス革命以前の身分制度「アンシャン・レジーム」では、国民は三つの身分に大別されていました。
第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は市民や農民です。このうち第一身分と第二身分はいわゆる特権身分であり、免税特権を持っていました。

1789年のフランス革命により第三身分の第三身分の市民・農民たちが立ち上がると、貴族や聖職者たちは革命軍の標的となり、
1793年にはルイ16世とマリー・アントワネットはパリのコンコルド広場でギロチンで公開処刑されました。

特権身分のキリスト教は徹底的に弾圧され、聖職者追放と教会への略奪・破壊が横行しました。
1793年11月にはフランス全土でミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類はことごとく没収されて造幣局で溶かされました。

オペラ『ジョスラン』の主人公である聖職者のジョスランも、このフランス革命のあおりを受けて山岳地帯へ逃亡しました。
『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』はその逃亡中の山の中でジョスランが歌った歌なのでしょう。

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  2022/10/10   animato

サックス四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3

サックス四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3
メロディー
Lyriske smastykker No.4 op.47-3
Melodie
Grieg, Edvard Hagerup

編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
金管四重奏、クラリネット四重奏、木管四重奏版は発売中です。

ノルウェー色が豊かな名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

サックス四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3
メロディー
Lyriske smastykker No.4 op.47-3
Melodie
Grieg, Edvard Hagerup

編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

グリーグはベルゲンというオスロに次ぐ大都市に5人兄弟の第4子として生まれました。
幼少より母親からピアノを習いはじめ、15歳から18歳までは、ドイツのライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学び、
メンデルスゾーンやシューマンらの影響を受けました。
音楽院を卒業後は故郷ベルゲンに戻り、さらに翌1863年にコペンハーゲンで
ニールス・ガーデ(Niels Gade, 1817年~1890年)から作曲を教わり、国民楽派の影響を受けたと言われています。

彼はノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目されました。
民族音楽からの深い影響は『ペール・ギュント』第1組曲の第1曲「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器である
ハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができます。
グリーグの肖像は、旧500クローネ紙幣に描かれていました。
グリーグはとても小柄であった。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できる。

生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの自然と海をこよなく愛しました。
死後に火葬され、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれました。

グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、
寝る時も一緒だったそうです。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうです。
なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されています。

ちょうどこのグリーグが活躍した時代というのは、当時勢いのあったドイツのロマン派音楽が周辺諸国へと波及し、
それぞれの国の民族的要素と融合した新しい音楽様式が生まれましたが、それを音楽史の中では「国民楽派」と呼んでいます。
その背景には、当時鉄道が整備され人々の移動が容易になったことも関係しているのではないかと思われます。
国民楽派の作曲家たちは、自国の歴史や風物、民謡、民族音楽などを題材にした作品を積極的に作りました。
ロシア、ボヘミア地方、北欧などで様々な作曲家たちが活躍し始めるのがこの時期です。

『抒情小曲集』は、エドヴァルド・グリーグが1867年から1903年にかけて作曲した、全66曲からなるピアノ曲集です。
6~8曲ごとにまとめられて出版され、全10集からなっています。

1867年、《ピアノ協奏曲イ短調 作品16》で一躍有名になったグリーグは、この年から1901年にかけてこの作品集を書き上げました。
抒情小品は生涯にわたって作曲されているため、グリーグの作風、ピアニズム、その変遷すべてがその中にあらわれていて、
作品群の中でも中心的な存在です。
いずれも1分~6分程度の小品で、ステージ用というよりは、主にサロンや家庭で広く親しまれていました。
どの曲にも標題がつけられていて、それぞれの曲に対して、一つの感情、気分、情景が表現されています。

1867年、第1集を発表しましたが、その後ピアノ、作曲、指揮など多忙だったこともあって、第2集が発表されたのは、
その16年後でした。第2集から第10集はある一定の間隔をおきながら続けて作曲されました。
全10巻で、計66曲の作品がおさめられています。

グリーグ : 抒情小品集 第4集 / Lyriske smastykker No.4 op.47

第4集は、第3集の出版からちょうど10年後にあたる1888年に出版された。比較的やさしい技巧で弾くことができた第3集までの作品と比べ、
第4集以降、やや難易度が増しています。また、第3集にみられたような、全曲を通しての内容の一貫性はありません。

1.即興的ワルツ / op.47-1 "Valse-Impromptu":民族的な舞曲のリズムにのせて、どことなく物憂げで神経質なメロディがさまようように奏でられます。
Strettoの部分は即興的で、非常に煌びやかな効果をあげています。全体的に単調にならないよう、ハーモニーの変化を感じて演奏しましょう。

2.アルバムのページ / op.47-2 "Albumblad":なにか輝かしい良き日の思い出を想わせるような、一曲で、技巧的に難しい曲です。
メロディが中心となる主要な箇所と、挿入句的なパッセージの部分とは、効果的に雰囲気を分けて演奏しましょう。

3.メロディー / op.47-3 "Melodie":和音が一定のリズムを保ちながら、伴奏をきざみ、その上を憂いにみちた旋律が延々と歌われていきます。
和音の中で、いかに旋律を音楽的に奏でることができるかが重要です。そのために、伴奏のリズムに推進力をもたせることも大切でしょう。

4.ハリング / op.47-4 "Halling":民族的な和声とリズムの面白さが魅力的な曲です。第2集の〈ハリング〉と同じリズムが用いられています。
5度の音程をシンコペーションのリズムで一定に刻み続けます。時に音量を変化させながらも、このリズムをかなり正しく演奏することが、
曲の雰囲気を出す上で重要です。声部ごとに強迫拍の位置が異なっていることも意識して演奏しましょう。

5.メランコリー / op.47-5 "Melankoli":タイトルが示すとおり、ため息のような旋律が欝欝とした様子で静かに奏されます。
各部によって、支えになっている持続音が変化しているので、これを意識して、色合いを変化させていきましょう。

6.スプリング・ダンス / op.47-6 "Springdans":1975年に出版された《家庭音楽集》の中に既におさめられていた曲を改訂した曲です。
舞曲のリズムが刻まれ、その上を活気に満ちた旋律が進んでいきます。大きな跳躍をみせる技巧的な部分、叙情的な中間部など魅力に富んでいます。
中間部の旋律は、比較的あっさりめに演奏するほうが旋律のもつ性格が活かされるでしょう。
和声的な進行を意識し、主要な音の動きを把握して演奏することも大切です。

7.エレジー / op.47-7 "Elegie":旋律につけられているアクセントは、強く、というよりはテヌート気味に奏されます。
物憂げに繰り返される旋律に対して、下降していく和音の色づけにも心を配りたいところです。
中間部では、装飾音を帯びて増やされた音とともに、抑圧された悲しみも、より増していくように感じられます。

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  2022/10/09   animato

金管四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3

金管四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3
フォーレ
Faure, Gabriel
3 Romances sans paroles Op.17-3

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
木管四重奏、サックス四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。
自然な歌の甘い旋律が魅力的なフォーレの音楽を、ぜひお楽しみください。

金管四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3
フォーレ
Faure, Gabriel
3 Romances sans paroles Op.17-3

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

3つの無言歌
ガブリエル・フォーレ
Gabriel Faure
この曲はフォーレのピアノ作品の出発点ともいえます。メンデルスゾーンの影響を受けたと考えられています。
「ロマンス」と言われることもあります。
ピアノの小品はロマン派時代に花咲きました。性格的小品という、キャラクター・ピースを直訳した名前でひとくくりにされることもありますが、
実際にはそれぞれの小品の種別で呼ばれることがほとんどです。この名前をつけたのはショパンに最も多くの作品があります。
メンデルスゾーンの「無言歌」(原題はLieder ohne Worte)は有名で、さらに「春の歌」や「ヴェニスの舟歌」など
別の標題がついている曲も多くあります。

フォーレの無言歌Op.17 は三曲からなり、メンデルスゾーンの無言歌と似ています。 両手のもつ機能を万遍なく使って、三声を同時に表現しています。
旋律も甘く、自然な歌を表現しています。

この3曲から成る小品集は1863年、フォーレが18歳の頃に作曲されたと考えられています。このフランス語のタイトルは、直訳すると
「言葉を伴わないロマンス」ということになりますが、2曲目にメンデルスゾーンの無言歌集の影響がうかがえることから、《無言歌》と呼ばれています。
1880年に出版されました。初演は、初めの2曲が1881年2月の国民音楽協会でポーリーヌ・ロジェにより、第3曲目が1889年1月の国民音楽協会で
カーサ・シャトルジェ嬢により行われています。

第1番は3曲の中では温和な曲です。バリトン歌手レヴィの夫人にあたるフェリックス・レヴィ夫人に捧げられています。
アンダンテ・クァジ・アッレグレットの変イ長調で4分の3拍子。美しくかつゆったりと歌い上げられる右手のメロディーに、
左手が控えめな和音やエコーを奏します。

第2番イ短調は、4拍子で絶えず奏される無窮動風の音型に爽やかな旋律が載せられています。
ロール・ド・レイリッツに捧げられています。ロール・ド・レイリッツは、フォーレがニーデルメイエ校を卒業後、
レンヌで教会のオルガニストを勤めていた時(1866―1869)に知り合った女性です。アレグロ・モルトのイ短調で4分の4拍子のこの曲は、
3曲の中で最も長く、また、メンデルスゾーンの無言歌集の影響も最も色濃くうかがえます。特にそれは、左手の分散和音に乗って歌われる右手の
メロディーが、時折分散和音と重複する書法で書かれていることに現れています。

第3番変イ長調は、初期のフォーレの作品のなかでとりわけ有名です。子守唄風のリズムに順次進行に基づくメロディーが大きな弧を描きます。
転調を経て最初のメロディーが回顧される個所はごく自然なカノンとなって現れ、曲を盛り上げています。
フローラン・サリオ夫人に捧げられています。第2曲目に引き続き、左手の分散和音に乗って右手のメロディーが優美に歌われます。
冒頭の部分は、《ドリー》の<子守歌>に通じるものが感じられます。メロディーはこの作品の終結近くで再現された際に、
カノンのような手法で巧妙に扱われます。


フォーレはパリのニーデルメイエール古典宗教音楽学校を卒業後は教会オルガニストとして活躍するも、
若い頃のフォーレは態度が悪く仕事を解雇されたり、普仏戦争が勃発し1870年に歩兵隊に入隊する等落ち着かない時期でした。
戦争に勝利し除隊後、パリのサン・シュルピス教会の補助オルガニストとなる。この頃からサン=サーンスのサロンの常連となりました。
ダンディ、ラロ、デュパルク、シャブリエ等と知り合い、1871年発足の国民音楽協会のメンバーとなりました。
以後フォーレの作品はこの協会の音楽会で初演されています。
74年マドレーヌ教会オルガニストに、77年合唱長になりました。

フォーレはリストに出会い、各地を旅してワーグナーのオペラの多くを観て熱中するも、影響を受けることはありませんでした。
83年結婚。85年父の死をきっかけに「レクイエム」に取りかかりました。ほぼ完成した88年に母が亡くなり、完成は1900年に持ち越されました。
合唱長の仕事と個人レッスンのため、作曲は夏期休暇中に限られました。
1877年、5年の交際を経て婚約するも一方的に破棄され、フォーレは深刻な精神的打撃を受けました。
この時期の作品としては、ヴァイオリン・ソナタ第1番作品13、ピアノ四重奏曲第1番作品15、バラード作品19などがあります。

彼は幼少で父が校長をしていた師範学校の教会でハーモニウム(オルガンの一種)を即興的に演奏しました。
10歳でパリのニデルメイェール学校に入学。音楽と宗教教育を特徴とする学校で、11年間ピアノ、オルガン、作曲等を学びました。
1861年からサン=サーンスにピアノを学びました。シューマン、リスト、ワーグナー等当時最新の音楽作品についても講述し、
生涯にわたる友情を築きました。

1892年6月マドレーヌ教会の主席オルガニスト、同年10月パリ音楽院作曲家教授に就任しました。
この頃から演劇音楽を作曲しました。1898年にはメーテルランク作「ペレアスとメリザンド」の劇付随音楽が初演されました。
後に管弦楽による演奏会用組曲に編曲されて広まりました。
ピアノ作品も素晴らしく、作曲家として名声を高めました。
1905年、パリ音楽院の院長に就任。
1907年頃から難聴に悩まされ、次第に聴力を失いました。
第一次世界大戦(1914?1918年)中も音楽院院長としてパリに留まり、作曲家としても重要な作品を生み出しました。
1920年院長の職を退きました。
79歳で亡くなり、国葬をもって遇されました。
弟子にラヴェル、ケックラン、フロラン・シュミット、デュカス、ナディア・ブーランジェ等の作曲家が名を連ねています。

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  2022/10/08   animato

クラリネット五重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-2

クラリネット五重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-2
アルバムのページ
Lyriske smastykker No.4 op.47-2
Albumblatt
Grieg, Edvard Hagerup

編成はBbクラリネット4本、バスクラリネットです。
サックス五重奏、金管五重奏、木管五重奏版は発売中です。

ノルウェー色が豊かな名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

クラリネット五重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-2
アルバムのページ
Lyriske smastykker No.4 op.47-2
Albumblatt
Grieg, Edvard Hagerup

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

グリーグはベルゲンというオスロに次ぐ大都市に5人兄弟の第4子として生まれました。
幼少より母親からピアノを習いはじめ、15歳から18歳までは、ドイツのライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学び、
メンデルスゾーンやシューマンらの影響を受けました。
音楽院を卒業後は故郷ベルゲンに戻り、さらに翌1863年にコペンハーゲンで
ニールス・ガーデ(Niels Gade, 1817年~1890年)から作曲を教わり、国民楽派の影響を受けたと言われています。

彼はノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目されました。
民族音楽からの深い影響は『ペール・ギュント』第1組曲の第1曲「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器である
ハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができます。
グリーグの肖像は、旧500クローネ紙幣に描かれていました。
グリーグはとても小柄であった。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できる。

生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの自然と海をこよなく愛しました。
死後に火葬され、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれました。

グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、
寝る時も一緒だったそうです。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうです。
なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されています。

ちょうどこのグリーグが活躍した時代というのは、当時勢いのあったドイツのロマン派音楽が周辺諸国へと波及し、
それぞれの国の民族的要素と融合した新しい音楽様式が生まれましたが、それを音楽史の中では「国民楽派」と呼んでいます。
その背景には、当時鉄道が整備され人々の移動が容易になったことも関係しているのではないかと思われます。
国民楽派の作曲家たちは、自国の歴史や風物、民謡、民族音楽などを題材にした作品を積極的に作りました。
ロシア、ボヘミア地方、北欧などで様々な作曲家たちが活躍し始めるのがこの時期です。

『抒情小曲集』は、エドヴァルド・グリーグが1867年から1903年にかけて作曲した、全66曲からなるピアノ曲集です。
6~8曲ごとにまとめられて出版され、全10集からなっています。

1867年、《ピアノ協奏曲イ短調 作品16》で一躍有名になったグリーグは、この年から1901年にかけてこの作品集を書き上げました。
抒情小品は生涯にわたって作曲されているため、グリーグの作風、ピアニズム、その変遷すべてがその中にあらわれていて、
作品群の中でも中心的な存在です。
いずれも1分~6分程度の小品で、ステージ用というよりは、主にサロンや家庭で広く親しまれていました。
どの曲にも標題がつけられていて、それぞれの曲に対して、一つの感情、気分、情景が表現されています。

1867年、第1集を発表しましたが、その後ピアノ、作曲、指揮など多忙だったこともあって、第2集が発表されたのは、
その16年後でした。第2集から第10集はある一定の間隔をおきながら続けて作曲されました。
全10巻で、計66曲の作品がおさめられています。

グリーグ : 抒情小品集 第4集 / Lyriske smastykker No.4 op.47

第4集は、第3集の出版からちょうど10年後にあたる1888年に出版された。比較的やさしい技巧で弾くことができた第3集までの作品と比べ、
第4集以降、やや難易度が増しています。また、第3集にみられたような、全曲を通しての内容の一貫性はありません。

1.即興的ワルツ / op.47-1 "Valse-Impromptu":民族的な舞曲のリズムにのせて、どことなく物憂げで神経質なメロディがさまようように奏でられます。
Strettoの部分は即興的で、非常に煌びやかな効果をあげています。全体的に単調にならないよう、ハーモニーの変化を感じて演奏しましょう。

2.アルバムのページ / op.47-2 "Albumblad":なにか輝かしい良き日の思い出を想わせるような、一曲で、技巧的に難しい曲です。
メロディが中心となる主要な箇所と、挿入句的なパッセージの部分とは、効果的に雰囲気を分けて演奏しましょう。

3.メロディー / op.47-3 "Melodie":和音が一定のリズムを保ちながら、伴奏をきざみ、その上を憂いにみちた旋律が延々と歌われていきます。
和音の中で、いかに旋律を音楽的に奏でることができるかが重要です。そのために、伴奏のリズムに推進力をもたせることも大切でしょう。

4.ハリング / op.47-4 "Halling":民族的な和声とリズムの面白さが魅力的な曲です。第2集の〈ハリング〉と同じリズムが用いられています。
5度の音程をシンコペーションのリズムで一定に刻み続けます。時に音量を変化させながらも、このリズムをかなり正しく演奏することが、
曲の雰囲気を出す上で重要です。声部ごとに強迫拍の位置が異なっていることも意識して演奏しましょう。

5.メランコリー / op.47-5 "Melankoli":タイトルが示すとおり、ため息のような旋律が欝欝とした様子で静かに奏されます。
各部によって、支えになっている持続音が変化しているので、これを意識して、色合いを変化させていきましょう。

6.スプリング・ダンス / op.47-6 "Springdans":1975年に出版された《家庭音楽集》の中に既におさめられていた曲を改訂した曲です。
舞曲のリズムが刻まれ、その上を活気に満ちた旋律が進んでいきます。大きな跳躍をみせる技巧的な部分、叙情的な中間部など魅力に富んでいます。
中間部の旋律は、比較的あっさりめに演奏するほうが旋律のもつ性格が活かされるでしょう。
和声的な進行を意識し、主要な音の動きを把握して演奏することも大切です。

7.エレジー / op.47-7 "Elegie":旋律につけられているアクセントは、強く、というよりはテヌート気味に奏されます。
物憂げに繰り返される旋律に対して、下降していく和音の色づけにも心を配りたいところです。
中間部では、装飾音を帯びて増やされた音とともに、抑圧された悲しみも、より増していくように感じられます。

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  2022/10/07   animato

木管五重奏「愛の喜び」クライスラー

木管五重奏「愛の喜び」クライスラー
Liebesfreud
Fritz Kreisler

編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。
サックス五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。

20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。

木管五重奏「愛の喜び」クライスラー
Liebesfreud
Fritz Kreisler

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

『愛の喜び Liebesfreud』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による
ヴァイオリンとピアノのための小作品です。
同じくクライスラーによる作品『愛の悲しみ Liebesleid』と対を成す楽曲で、さらに『美しきロスマリン』を加えて
三部作として扱われることもあります。

クライスラーは、ロシアのピアニスト、セルゲイ・ラフマニノフと親交があり、ラフマニノフはクライスラーの
『愛の喜び』『愛の悲しみ』の2曲をピアノ独奏用に編曲しています。
一般的に、作曲家が愛や女性を題材とした作品を作曲する際、当時の作曲者にとって大切な存在である特定の女性が
実在している場合が少なくありません。

クライスラーの場合は、1901年に知り合い翌年に結婚した妻との出会いが『愛の喜び』誕生に大きく影響しているようにも
考えられます。
クライスラーは1901年(26歳頃)、アメリカからヨーロッパに戻る船の中で、アメリカ人女性のハリエット・リース(Harriet Lies)に
出会い、一目惚れしてすぐに婚約までこぎつけました。
ハリエットはブルックリンの裕福な煙草商の娘で離婚歴もありましたが、社交的で聡明な彼女はクライスラーの性格や
音楽の才能をすぐに理解しました。二人は翌1902年にニューヨークで結婚式を挙げ、晴れて夫婦となりました。

彼女は妻としてだけではなく、演奏家としてのクライスラーを直接支えるマネージャーとしても有能さを発揮し、
自宅での練習スケジュール管理から、演奏会のギャラ交渉まで、表と裏でクライスラーの音楽活動を支える大きな存在となっていきました。

ハリエット・リースと出会った後に『愛の喜び』が作曲されたとすれば、その愛とはハリエットへ向けた愛情であったのではないでしょうか。
『愛の喜び』や『愛の悲しみ』は最初に1905年に出版され、その後1911年に別の歌集にまとめられたとされており、
時期的にも結婚から数年後のことです。

ちなみに、ドイツ語タイトル「Liebesleid」の「leid」は本来「苦しみ」とも解釈できるので、将来の妻との恋愛中に感じていた
胸の苦しみだったのかもしれません。
『愛の喜び』は2006年に放送されたドラマ「のだめカンタービレ」第9話では、クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。

第9話では、のだめの催眠術によって飛行機恐怖症に打ち勝った千秋が登場。のだめのために北海道に行ってカニを土産に持ち帰り、
カニを届けにハリセン宅にいるのだめに会いに行くシーンで『愛の喜び』が流れます。

テレビ朝日系列で1998年から2016年まで放送されていたバラエティ番組「いきなり!黄金伝説。」では、人気コーナー「1ヶ月1万円節約生活」で、
クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。

『愛の喜び』、『愛の悲しみ』、そして『美しきロスマリン』の3作品は初演当時、クライスラー作曲の作品としてではなく、
オーストリアの音楽家ヨーゼフ・ランナー(Joseph Lanner/1801-1843)の作品(の編曲)として発表されていました。
ヨーゼフ・ランナーといえば、ヨハン・シュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立させた「ワルツの始祖」とも言うべき名作曲家です。

オーストリア出身のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)は、自分が作曲した楽曲を
昔の作曲家による作品として発表するという「偽作」を行った音楽家として知られています。

例えば、クライスラーの代表曲『愛の喜び』や『愛の悲しみ』などは、「ワルツの始祖」ヨーゼフ・ランナーの作品を編曲した楽曲として発表されていました。
クライスラーの偽作は一曲や二曲ではなく、『ヴィヴァルディの様式による協奏曲』や『バッハの様式によるグラーヴェ』など、
主にバロック期の作曲家に関連する偽作を数多く発表していました。
これらの偽作はすぐに発覚することはなく、発表されて数十年も経ってから、本人が還暦を過ぎた頃にさらっと認めて大騒ぎになりました。

偽作の意味や理由・動機については諸説あるようで、
クライスラーの偽作は、自分のコンサートで演奏プログラムに自分の作品ばかり並ぶのを避けたいという意図があったというものです。

その理由については彼のいたずら心によるものであるとか、注目を集めるためにそうしたとか、諸説ありますが、
本人は「プログラムに自分の名前ばかり並べるのは不遜に思えた」と語っています。
発表後間もなく偽作に気付いた人もいましたが(ハイフェッツやエネスコなど彼の親しい友人達)、評論家達は当初、手放しで賞賛していました。

これは、自分の名前ばかり並んで出しゃばり過ぎるから謙虚にしたいといった理由だけではなく、あくまでも観客の立場に立って、
同じ作曲家による(同じ作風の)曲だけでは観客が飽きてしまうだろうという配慮(サービス精神)があったようです。

作曲者の名前だけ変えても同じ作風では観客に飽きられてしまいそうですが、クライスラーの偽作は様々な作曲家の作品の一部を引用して
編曲しているので、その点では発覚しにくかったと考えられています。。

また、演奏家が作曲することに当時偏見があったこと、そして活動中の名ヴァイオリニストの作品だと他の演奏家が扱いにくいなどの理由が
考えられるようです。
演奏家の作曲ということに偏見を抱く人が多いと彼自身が感じていたことと、もし、存命中の「大ヴァイオリニスト・クライスラー」の
作曲ということになると、同時代の他のヴァイオリニストが遠慮して弾いてくれないだろう、という危惧があったからです。
クライスラーの偽作は、他者への深い配慮の末に決断された苦肉の策であったようです。
新聞社Webサイトの記事でも、
クライスラーの釈明は「自作ばかりでは聴衆がうんざりする」「私の名が前面に出ては同業他者が弾きにくい」の2点だというふうに
同様の理由・動機を挙げています。

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  2022/10/06   animato

サックス五重奏「2つの東洋の絵画」から Spring 春

サックス五重奏「2つの東洋の絵画」から Spring 春
Spring from 2 Eastern Pictures
Gustav Holst

編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。

20世紀初頭のコミカルな名曲を、ぜひお楽しみください。

サックス五重奏「2つの東洋の絵画」から Spring 春
Spring from 2 Eastern Pictures
Gustav Holst

編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

グスタフ・ホルスト(Gustav Holst 1874年 - 1934年)はイギリスの作曲家です。
10代の頃から作曲を行なっていたホルストは、1893年にロンドンの王立音楽院に入学しました。
王立音楽院ではトロンボーンも学び、卒業後はオーケストラ奏者として生計を立てていたこともありました。
また、この時に同郷の作曲家であるヴォーン・ウィリアムズと知り合いました。
ホルストはイングランド各地の民謡や東洋的な題材を用いた作品や吹奏楽曲を多く作曲したことでも知られています。
1905年からはセント・ポール女学校の教師として働くことになりました。
女学校では防音装置を備えた専用の部屋を与えられ、ホルストは音楽教師の仕事をしながら作曲活動を行いました。
1934年に出血性胃潰瘍のためロンドンにて亡くなりました。59歳没。
ホルストは1895年ごろからはインド文学に傾倒するなど、東洋の文化に非常に興味をしましました。
そして、古代インドの聖典であるリグ・ヴェーダの讃歌にもとづく合唱曲を発表しています。
また、日本を題材とした「日本組曲」という曲を作曲しています。
組曲「惑星」も、惑星を題材としているが天文学ではなく占星術から着想を得たものになっています。

ホルストはオーケストラだけではなく、吹奏楽曲の作曲家としても広く知られています。
ホルストが作曲した吹奏楽作品で、最も有名なものは「吹奏楽のための第1組曲」です。
また、イギリスではブラスバンド(金管バンド)が盛んであるためか、ブラスバンドのための曲も作曲されています。

「2つの東洋の絵画」(H112)は、1911年に作曲された作品です。
インドの詩人カーリダーサの「季節のめぐり(リトゥ・サンハーラ)」を
ホルストが英語に翻訳しテキストに使った女声合唱とハープのための作品です。

「春」は、枝々についた花と池に浮かぶ花、
そしてそこで恋を楽しむ少女たちの情景が描写された詩です。
ハープの軽快な伴奏に乗り、女声合唱が春の来た楽しい感じを歌います。
中間部で曲調が変わり、再び最初の旋律が現れて終わります。
「夏」は、神秘的なハープの伴奏に乗って、ハミングで始まります。
そのあと続く合唱はたくさんの星たちと月が輝く夜の中、
少女たちがくつろぐ情景を歌っていきます。
最後もハミングで神秘的な雰囲気の中で終わります。

Spring    
Two Eastern Pictures

Spring the warrior hither comes,
Bowstring formed by rows of bees.
And his darts tipp'd with buds
Wound our hearts with sweet lovelonging.

Now the trees put forth their flowers,
On the lakes the lilies fair
Show their heads midst the waves
Melting hearts with sweet lovelonging.

What fair maid can vie with Spring?
What sweet voice the cuckoo's song?
Or smiling teeth the jasmine's hue?
Or rosy lips the op'ning flowers?

Bending down with blushing buds,
Flaming mango branches wave
To and fro with the breeze
Filling hearts with sweet lovelonging.

And within the lotus flower
Dwells her love, the murm'ring bee
Who with kiss and embrace
Satisfies her sweet lovelonging.

春  
2つの東洋の絵画

春 あの戦士がここにやってくる
弓のつるが鳴る ミツバチの列によって
そして春の矢はつぼみを射抜き
私たちの心を傷つけた 甘い恋で

今 木々は花を咲かせ、
湖の上 美しきユリは
頭を見せる 波の中で
心を溶かすのだ 甘い愛の憧れで

どんな美しい乙女が競えるのだ 春と?
どんな甘い声なのだ カッコウの歌は?
あるいはほほ笑む歯が ジャスミンの色合いの?
あるいはバラ色の唇か 咲いた花の?

顔を赤らめてつぼみを垂らす
燃えるようなマンゴーの枝の波
あちこちのそよ風と共に
心を満たすのだ 甘い愛の憧れで

蓮の花の中には
愛が住む つぶやくハチが
キスと抱擁で
満たすのだ 花の愛の憧れを

Summer    
Two Eastern Pictures

The fierce glaring day is gone.
Gentle night hath spread her mantel
cool and refreshing,
lit by rays of a thousand stars
and by the golden moon.

The moon shineth on yon roof.
Here lie maidens,crowned with jasmine,
clad in silk rayment,
on their ankles are rings that
tinkle sweetly as they move.

Wafted by jewelcovered fans,
sweetest perfume floats o'er each breast.
Song and harp unite with warbling birds
to rouse from sleep the god of love.

夏  
2つの東洋の絵画

激しく灼けつく日は去った
穏やかな夜はそのマントを広げた
涼しく爽やかに
千の星たちの光に照らされて
そして黄金の月に

月は輝く 屋根の向こうに
横たわる乙女たち ジャスミンの冠と
シルクのレイメントに覆われて
足首にはリングがあって
甘く鳴り響く 彼女たちが動くたびに

宝石で覆われた扇にあおがれて
甘い香りが漂う めいめいの胸へと
歌とハープとさえずる鳥たちとひとつになって
眠りから目覚めさせる 愛の神を

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  2022/10/05   animato

金管四重奏 フーガト短調(KV401)

金管四重奏 フーガト短調(KV401)
Fugue in G minor
W.A.Mozart

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
木管四重奏、サックス四重奏、クラリネット四重奏版は発売中です。

モーツァルトの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

金管四重奏 フーガト短調(KV401)
Fugue in G minor
W.A.Mozart

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

フーガト短調(KV401)は、もともとオルガンのために書かれたが未完成の作品です。おそらく1782年に作曲され、最後の8小節は、補筆されています。
1782年から1783年にかけて、彼は、バロックの作曲家による多数の作品を所蔵する図書館を所有していた
コレクター兼音楽ファンのゴットフリート・ヴァン・スウィーテン男爵を通じて、ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルと
ヨハン・セバスチャン・バッハの作品に深く精通しました。 
彼が研究した作品の中には、ヘンデルのオラトリオとバッハの平均律クラヴィーア曲集がありました。 モーツァルトは両方の作曲技法を吸収して、
それを彼自身のものと融合させ、この時代のほとんどの作品に対位法の技法を使用ました。

フーガについて歴史的に重要な最初の主要な作曲家はモーツァルトであると考えられます。 
モーツァルトは、後に大きな先見の明の1つであることが証明される方法で、フーガに具体的に取り組みました。
モーツァルトはバロック様式に精通しており、J.S.バッハの息子、C.P.E.から多大な影響を受けています。
しかし、モーツァルトを作曲家として解説するとき、彼がどれほど偉大なフーガ作家であったかについて話すことはあまりありません。
専ら弦楽四重奏曲の構成、形式、オペラなどに注目することになります。
しかし、彼には、彼の人気作品が示す以上の注目すべき点ががたくさんあります。


確かに、モーツァルトが生きていて音楽を書いている頃には、フーガ自体はほとんど人気がなくなっていました。
もはや誰もそれらを書くことをしませんでした。
しかし、モーツァルトがフーガの執筆に非常に興味を持っていたことは明白で、その端的な作品がフーガ(G min KV401-375eのフーガなど)だと言えます。

バロック音楽を吸収し、それを彼の作風と融合させた美しさをご堪能ください。

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  2022/10/04   animato

クラリネット五重奏「ブーレ I/II」(バッハ)

クラリネット五重奏「ブーレ I/II」(バッハ)
無伴奏チェロ組曲 第3番ハ長調 BWV1009から
Johann Sebastian Bach
 (Bourree I/II)BWV1009-5

編成はCl.4本、Bs,Cl.です。
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バッハによる幸福に満ちた作品を演奏で味わいたいものです。
コンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

クラリネット五重奏「ブーレ I/II」(バッハ)
無伴奏チェロ組曲 第3番ハ長調 BWV1009から
Johann Sebastian Bach
 (Bourree I/II)BWV1009-5

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲は分散和音で奏されるチェロの豊かな響きが心に残る冒頭部分は大変有名で、曲名は知らずとも多くの方が聞き覚えのある旋律だと思います。
 組曲全6曲が書かれた年代については、ケーテンの宮廷楽長時代(1717~23年)の前期と推定されています。
組曲の構造はバッハのクラヴィーア曲(例えば《イギリス組曲》等)と同様に、定型であるアルマンド/クーラント/サラバンド/ジーグの4つの舞曲形式を基本として、
加えて第1曲に前奏曲、最後のジーグの前の第5曲にメヌエット・ガボット・ブーレのいずれかの流行舞曲を取り入れた形に統一されています。

1717年、バッハは32歳の時にケーテンの宮廷楽長に迎えられました。
当地の侯爵は音楽に理解が深く、優れた奏者を抱え、自らも楽器を嗜むほどでした。
その恵まれた環境の中でバッハは管弦楽組曲、ブランデンブルク協奏曲など器楽の傑作を数多く生み出したのです。
さらには実験的な創作の挑戦も許され、無伴奏のヴァイオリンおよびチェロで豊かな和声と精巧な対位法を併せ持った壮大な世界を創造したのでした。 
これまで伴奏に従事していたチェロが独奏楽器として扱われはじめたころで、その独奏も伴奏付きだったから、やはりバッハは並はずれた作曲家ですね。
第3番はチェロが明るく、そして存分に鳴り響くハ長調で書かれ、雄大な音楽を聴かせます。
前作第2番の悲劇的な楽想とは対照的です。

第2番を創作するころに最初の妻マリア・バルバラと死別してしまいます。その深い哀しみを第2番で吐露しました。
そして数人の子どもを抱えて途方に暮れていたことでしょう。 
しかしほぼ1年半後には同じ宮廷の歌手であったアンナ・マクダレーナを迎えることができたのです。
マクダレーナは優れた音楽家でるばかりか、バッハの仕事を支えた良妻だったのです。
その幸福で揚々たる心境が楽曲の隅々までに満ちています。

「組曲」とは一般的に何種類かの舞曲を並べたもののことで、16世紀から18世紀頃の間に流行した音楽形式です。
この形式はバロック時代の終焉とともにすたれていき、わずかにメヌエット楽章などにその痕跡を残すことになります。

その後の時代にも組曲という名の作品はありますが、それはこの意味での形式ではなく、交響曲ほどの厳密な形式を持つことのない自由な形式の作品というものになっています。
この二通りの使用法を明確に区別するために、バッハ時代の組曲は「古典組曲」、それ以後の自由な形式を「近代組曲」と呼びます。

バッハは、ケーテンの宮廷楽長をつとめていた時代にこの組曲形式の作品を多数残しています。
この無伴奏のチェロ組曲以外にも、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ、無伴奏フルートのためのパルティータ、そして管弦楽組曲等です。

ヴァイオリンの組曲はシャコンヌに代表されるようにポリフォニックな表現を追求していますが、チェロ組曲では重音や対位法的な表現は必要最小限に限定されています。
チェロとヴァイオリンでは演奏に関する融通性が違い単純な比較はできません。
この素晴らしい作品がカザルスが古道具屋で偶然に楽譜を発見するまで埋もれていたのです。

今日ではチェロの旧約聖書とも言われるこの無伴奏チェロ組曲ですが、バッハの他の作品同様にその死後は長い間日の目を見ることはありませんでした。
この作品に再びスポットライトを当てたのは20世紀を代表するチェロの巨匠、パブロ・カザルス(1876-1973)でした。
1890年、スペイン、バルセロナの店で当時13歳のカザルスは偶然にこの曲の楽譜を手にします。
1904年にはパリで全曲演奏会を開き、1936~39年にはレコーディングをするなど、その価値を再発見し広く世に紹介したことでも有名です。
カザルスは生涯をかけて無伴奏チェロ組曲と向き合い続けた音楽家で、彼の存在なくしてこの作品が今日の認知度を得られたかどうか疑わざるを得ません。

組曲の中で最も演奏機会の多い作品がこの3番です。
ハ長調という調性がチェロにとっては演奏しやすく、そのために4声和音を生かした低音の響きが容易に引き出せるために演奏効果が上がりやすいという事情があります。
また、細かい音符の流れの中にト音が執拗に繰り返されることからくる効果は絶大で、冒頭の前奏曲に何とも言えない力強さと迫力を与えています。
持続低音(オルゲルプンクト)の効果が絶大に発揮された部分です。

第5曲 ブーレ I/IIは第3番の中で一番知られている曲です。速いテンポの中にも落ち着いた風情があります。三部形式、2分の2拍子で書かれています。
この曲はヴァイオリンの教則本にも、伴奏付きでヴァイオリン用に編曲されて載っている有名な曲です。演奏会用の小品として奏される機会も多く見られます。
ブーレⅡでは一転して短調になります。ここは、今までの盛夏の景色から変化して、ちょっと秋の気配を感じる雰囲気です。
舞い散る木々の葉を思い起こさせる様相です。

バッハが愛妻家だったことは誰もが認めるところですが、最初の結婚は1707年で、相手は従妹のマリア・バルバラでした。
バッハ22歳、バルバラ23歳の頃です。ふたりの間には7人の子供ができたほど、仲睦まじかったようです。

バッハはドイツでも有名な、代々音楽家を輩出した家系ですが、バッハの息子も4人が高名な音楽家になっています。
そのうち、バルバラとの間に生まれたのはヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710~1784)と、
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)です。

ケーテン時代、バッハが侯爵のお供で保養地に出張している間に、妻バルバラは急死してしまいました。
帰宅した日の10日前にはすでに埋葬されていました。

翌1721年、バッハに縁談があり、宮廷トランペット奏者の娘でソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナと結婚しました。
バッハ36歳、アンナ20歳の頃です。アンナ・マグダレーナは、内助の功を上げた、良妻賢母とたたえられる女性です。
4人の子持ち男バッハとの再婚なのに、家事・子育てのみならず、音楽的才能を存分に活かして彼の活動の手伝いをしました。

バッハの作品の写譜もたくさん行ったのですが、筆跡もそっくりで、後世の研究者を悩ませました。
最初の妻、バルバラは年上の妻でもあり、対等な関係の夫婦だったのに対して、アンナとはかなり年が離れていました。
アンナは夫を深く尊敬していて、バッハは若いアンナの魅力に惚れ込んだと伝えられます。

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  2022/10/03   animato

木管五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ

木管五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ
Expansiva, Valsa
エルネスト・ナザレ
Ernesto Julio Nazareth

編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。
サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、金管五重奏版は発売中です。
「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。

木管五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ
Expansiva, Valsa
エルネスト・ナザレ
Ernesto Julio Nazareth

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「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。

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参考音源
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

Expansiva, Valsa  エクスパンシーヴァ(気さくに)、ワルツ
 変ニ長調の落ち着いた上品なワルツです。Bメロは変イ長調。Cメロは変ト長調で、8分音符分散和音が拡がりを見せます。
この音の拡がり(=expande)のイメージからExpansivaという題名がついたという説もあります。
全体的にどの部分の旋律も半音階的で複合調性のような不思議な感覚を味わえます。
この点でもふんわりとした拡がり(=expande)を感じさせてくれるのではないでしょうか。

「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。
南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。
ミニョーネはこう述べている。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、
カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。
特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」

エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。
一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。
そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、
残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。
しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。
中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。
早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、
リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。
1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。
最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。
その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につける。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、
アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。

長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。
外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。

1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、
客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、
解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。

ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。
ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、
演奏するのに振り当てられました。
そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。
ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。

ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。
また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。
作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう
民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。

ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。
フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。
ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。
その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。

ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。
ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。
しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、
ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。
また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、
リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。
ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、
ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ
「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。

およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。
ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、)
アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。
ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、
そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、
実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。
もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。

最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』
『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。
ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、
さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。

晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。
ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。

作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、
作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、
クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

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  2022/10/02   animato