2002年冬のウィーン・ザルツブルク・プラハ・ドレスデンの旅

最後はハイドン・ブラームス

シュトラウスとお別れした我々は地下鉄U1のNestroyplatz駅からStephanplatz駅、U2に乗り換えてZieglergasse駅で下車し、ウィーン西駅から歩いてハイドンの家とブラームス記念室を訪れた。 ここだけは駅から数分歩くことになる上、経路が複雑である。道行く人に尋ねながら、ようやくハイドンガッセの標識を見つけての到着である。ハイドンといえば、古典派では最も古い部類の作曲家である。モーツァルトの師でもあり、モーツァルトからの影響も受けたが、多彩な構成が特徴の作品で知られている。筆者にとってはオラトリオ「天地創造」で身近な作曲家である。ブラームス1862年にウィーンを拠点とした。72-75年にはウィーン楽友協会の指揮者をつとめ、オーストリア皇帝からレーオポルト勲章を贈られた。筆者にとっては大変身近な作曲家である。地下鉄U2のZieglergasse駅からVolkstheater駅まで移動し、3時にホテルに帰ったのだった。疲れは絶頂であり、ベッドに横たわるや否や意識は遠退いた。楽友協会目指して6時出発の直前まで、その意識は戻らなかった。

ウィーン西駅から徒歩、ようやくハイドンガッセを発見。

ハイドンの家であった頃からの井戸なのだろう。

1階でチケット(いつものように1.8ユーロ)を購入、2階に上がる。

ハイドンのチェンバロ。

共鳴板の内部。

譜面の曲目は調査中。

ハイドンのデスマスク。

ブラームスのピアノ。鍵盤は5オクターヴ。

共鳴板の内部、コンパクトである。

写真も展示されていた。

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