2002年冬のウィーン・ザルツブルク・プラハ・ドレスデンの旅

チェコとの別れ

聖ヴィート大聖堂の奥にも広大な敷地があるのだが、大聖堂脇にある北門から旧王宮を出た。寒さには耐えなければならないが、もっとゆっくりした時間が欲しかった。もちろん今度も下り坂である。時間も午後4時を迎え、凍結の具合も完璧になってきた。歩けないところだらけである。最寄りのマロストランスカー駅は洪水から復旧していないのでメトロが停車しないどころか地下にも降りられない。ベルヴェデーレ宮殿も諦めて仕方なくフラチャンスカー駅まで歩く。一区間だけメトロ利用で終点デヴィッカー駅到着、シャトルバスを待つ。考えてみれば旅程に無理がある。通過だけの都市にするにはもったいな過ぎる。たっぷりと時間を取って切符の調達もできればハプニング無しの良き思い出だけが残ったことだろう。ウィーンへは往路と同じくチロリアン・エアーのプロペラ双発機だ。プラハ空港では1時間近く遅れ、ウィーン空港で乗り継ぐ人達を案じるほどだった。しかし55分かかる空路を35分でぶっ飛ばすのだから復路は桁違いに騒音が激しかった。その原因は遅れだけではなかった。筆者の座席真横の蛍光燈カバーが外れているのだ。エンジンと機体に共鳴してビリビリ唸る。何度か修理を試みたが断念、恍惚の世界に入るしかなかった。

北門の衛兵も美しい姿で立ち続けていた。

振り返れば大聖堂の塔は遠くに霞み、左手のカラフルな壁がベルヴェデーレ宮殿の敷地であることを強く主張していた。

トラムの走る通りまで出ても、まだベルヴェデーレ宮殿の敷地が続く。

ようやくフラチャンスカー駅への入口が見えた。

デヴィッカー駅を上がったデヴィッカー広場でバスを待つ。これでチェコ国旗も見納め。

チロリアン・エアーには閉口してしまった。

プラハ - ウィーン間は、もともと35分で結べるんだー(正規には55分)と不平が出てしまった。

←前へ 戻る↑ 次へ→