2002年冬のウィーン・ザルツブルク・プラハ・ドレスデンの旅

旅行最大のハプニング

プラハ中央駅に辿り着いたはいいが、ここで思い出すのも苦々しいハプニングが起こった。忘れもしない1時頃の出来事だった。中央駅で切符を求めてアイ氏が列の最後尾に並んだ。時間が迫っていたので筆者は昼食にすべくアイ氏の並ぶ列の右後方5メートルにある売店でサンドイッチの列に並んだ。3分後、サンドイッチを手にアイ氏の並ぶ列を見たら大変。アイ氏の姿はなかった。そんなに早く切符が買えるはずがない。でも英語が通じず治安も宜しくない街で迷子になるわけにはいかない。筆者の頭には一つしか予想がつかなかった。それはアイ氏が切符を持ってホームに向かったという想定だ。あと10分に迫った国際急行のベルリン行き列車は5番ホームから出る。現在地から一番遠くのホームだ。地下道を急いで5番ホームに上がってみるが、列車が2本、5番ホームと4番ホームに。どちらの列車もホームを走りながら端から端までアイ氏の姿を探した。左手に握ったサンドイッチは不安に握り潰れている。それでも構わず探し続けている筆者の頭に二つ目の想定が浮かんできた。迷子の大原則である「最後に分かれたところに戻れ!」発車まで5分と時間は迫っている。背中には三脚を結わえた重いリュック、首にはカメラ(Fuji S2Proだから重い)とレンズを大きく左右に揺らしながら走った。最後に分かれた地下のエントランスロビーに一直線。そこで3分の長い長い時間をキョロキョロ目を回しながら待ったがアイ氏の姿はなかった。こうなったら最後の選択は二つしかあるまい。一つは急行に乗ってから座席を一つずつゆっくり探す、残りの一つは列車を見送ってプラハで一人さ迷う。5番ホームに戻るため照明の切れたままの地下通路を走りながら考えた。もう一度ホームから列車の窓を丹念に見て回る。

当時の心境をプラハの残り少ない写真で表現してみた(空しいレタッチ作業)。

こんな不慣れな街でさ迷うなんて、今の筆者がなす術を考ることはできない。さりとて急行に乗ってから座席を探してもアイ氏が見つからなければ最悪の事態に発展してしまう。とりあえず一つ目を選ぶしかないと心に決め、泣く泣く急行列車を見送った。


無力の迷子ちゃんになってしまった筆者はトボトボと地下通路をエントランスロビーに向かってゆっくりと歩きだした。周囲は日本人はおろか、見ず知らずの人達が行き交っている。長い通路を歩いているのか立ち止っているのか分からないまま、いつしか最後に分かれた地点に丁度差しかかった。異国の地で日本大使館を探すためにリュックから旅行ガイドを取りだそうと思い立ったのも、その時点だった。そこで突如として目の前にアイ氏が現れた。「さっきのところはインフォメーションカンウターで、切符売り場はもう1階下に降りろと言われたが、そっちの方も長い列で....」とにかく姿を見てホッとした。30分足らずの悪夢に幕が降り、極度にモノクロ化していた視界の景色も次第に彩度が上がって元通り見えるようになってきた。後で気付いたのだがプラハの撮影分80枚程度のデータ、約1GBが誤操作のため消失しているという二重の災難にも陥っていることが判明した。痛恨の極みである。


出会えたのなら途方に暮れるのはそこそこに、とりあえずの対策を練るしかない。しかし、その前に左手で生暖かく潰れたサンドイッチを二人で食べることを強く要求しアイ氏の受諾を得た。脳の働きが鈍っている二人の血糖値が少しずつ戻ってきた。プラハからドレスデンまでの切符は入手できている。中央駅からは明日まで発車がない。セントラルインフォメーションで他の駅から今日中に発車する列車を探してもらった。プラハ・ホレショヴィツェ駅から3時台にあるそうだ。急いでメトロでホレショヴィツェ駅へ行く。2時に到着しホームを確認してから、安堵した二人はプラハ市街を少しだけ歩いた。無事に列車には乗れたのだが、どう考えてもドレスデンでのオペラ開演には間に合わない。3幕もののワーグナーの歌劇「ローエングリン」を鑑賞する予定でチケットも手にしていたのだ。2幕に間に合えば良しとし、ペダルでもあれば漕いで助けにならぬのかと心逸る3時間の鉄道旅行を経験したのだった。

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