木管六重奏 ショパン:ノクターン 第20番 嬰ハ短調「遺作」
編成はFl.、Ob.、Cl.、A.Sax.、T.Sax.、B.Sax.です。
A.Sax.、Ob.はCl.に変更可能。T.Sax.、B.Sax.はBsCl.またはFg.に変更可能。
ショパンの華麗な名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。
木管六重奏 ショパン:ノクターン 第20番 嬰ハ短調「遺作」
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https://animato.official.ec/
参考音源
https://youtu.be/ShJlxh_VZhM
ショパンの「夜想曲(ノクターン)第20番」(遺作)は、1830年の春に作曲された作品です。
速度記号から標題をとって、「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」とも呼ばれています。
「遺作」とは「ショパンの死後に出版された」ということを指し、「最後の作品」という意味ではありません。
彼がまだ20歳頃の作品です。
この作品は、姉のルドヴィカ・ショパンが「ピアノ協奏曲第2番」を練習するための曲として書かれたと言われています。
そのため、この作品には「ピアノ協奏曲第2番」の第1、第3楽章の断片的なモチーフが使われています。
この頃のショパンは初恋の真っ最中でした。
相手はポーランドの若手ソプラノ歌手、コンスタンツヤ・グワトコフスカです。
彼女と1829年に出会ったショパンは、すぐに恋に落ちたと言われています。
ショパンは、まだ学生でもあった彼女のピアノ伴奏をしてあげたそうです。
また自身の曲を聞かせたり、彼女に歌ってもらうために歌曲も作曲しました。
彼女は優れた歌手でしたが、王宮の役人の娘という身分の高い女性でした。
1830年7月にワルシャワ国立歌劇場にデビューしますが、すぐに第1線の歌手活動から退き1831年に貴族と結婚をしました。
ショパンは彼女に思いを打ち明けることはなく、ショパンの初恋は終わりました。
「夜想曲第20番(遺作)」は、その"片想い"の頃に作られた作品です。
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