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2022年2月

クラリネット五重奏「無言歌集」第8巻 Op.102より第3番「タランテラ」

クラリネット五重奏「無言歌集」第8巻 Op.102より第3番「タランテラ」
Lieder ohne Worte, Op.102 MWV U195
(Mendelssohn, Felix)

編成はCl.4本、Bs,Cl.です。
サックス五重奏版、金管五重奏版、木管五重奏版、鍵盤打楽器四重奏版は発売中です。

メンデルスゾーンが書いた軽快な舞曲を、ぜひお楽しみください。

クラリネット五重奏「無言歌集」第8巻 Op.102より第3番「タランテラ」
Lieder ohne Worte, Op.102 MWV U195
(Mendelssohn, Felix)

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

フェーリクス・メンデルスゾーンが作曲した一連のピアノ独奏のための「無言歌集 第8巻 作品102」の第3曲です。
ドイツ・ロマン派の瑞々しい抒情を味わえる作品です。
ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。

この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。
歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏すると良いでしょう。
メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。
そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られたましたが、この《無言歌集》もその一つです。

《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。
1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、
《無言歌集》の名称をもつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。

標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。
実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。

第8巻は第7巻と同様に、この曲集もメンデルスゾーン死後に出版されたものです。
この曲集にも、メンデルスゾーンによってつけられた標題はありません。

3曲目は、ハ長調「タランテラ」 / op.102-3 (1845)です。
クリスマス用の小品として作曲されたものと考えられています。
メンデルスゾーンは、イタリアの情熱的舞曲に強い関心を示していて、ここでは、イタリア風の六拍子の快速な舞曲を用いています。
和音できざむ伴奏部は非常に軽く演奏します。
演奏時間:1分30秒

次にその他も含めた第8巻です。
1.ホ短調「寄る辺なく」 / op.102-1 (1842)
2.ニ長調「追憶」 / op.102-2 (1845)
3.ハ長調「タランテラ」 / op.102-3 (1845)
クリスマス用の小品として作曲されたものと考えられています。
メンデルスゾーンは、イタリアの情熱的舞曲に強い関心を示していて、ここでは、イタリア風の六拍子の快速な舞曲を用いています。
和音できざむ伴奏部は非常に軽く演奏します。
4.ト短調「そよぐ風」 / op.102-4(不明)
5.イ長調「楽しき農夫」 / op.102-5 (1845)
タランテラと同日に完成され、同様に、クリスマス用の小品として作曲されたとされています。
「子供のための小品」という名称でも知られ、よく親しまれています。主題のかけあいや、声部の交替がみられます。
6.ハ長調「信仰」 / op.102-6(不明)

タランテラ (tarantella) は、イタリア・ナポリの舞曲です。
3/8または6/8拍子のテンポの速い曲で、曲名は、タラントという町の名前に由来します。また、同じ町の名を由来とする毒蜘蛛のタランチュラに噛まれると、
その毒を抜くために踊り続けなければならないとする話から付けられたという説もあるほか、その毒の苦しさゆえに踊り狂って死に、それを表現したという説もあります。

タランテラの歴史は中世にまで遡ることができ、より古い形式のダンスが起源とされます。
マンドリンやタンバリンの演奏に合わせて踊られますが、1つのスタイルに固まるまでいろいろなリズムが存在しました。
ショパンやリストなども、タランテラを作曲しています。

タランテラは、1人で踊ることよりはグループ、特にカップルや女性のペアで踊られることが多い円舞曲です。
最初は右回りに踊りますが、曲の一区切り毎に回る方向も左になり、テンポも速くなります。これが何回か繰り返され、
遅れずについていくのがだんだん難しくなっていきます。
タランテラは舞台ではヘンリック・イプセンの『人形の家』、映画では『ゴッドファーザー』などに登場します。

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  2022/02/28   animato

木管とベース打楽器のための「ジャンバラヤ」

木管とベース打楽器のための「ジャンバラヤ」
Jambalaya
Hank Williams

編成はFl.、Cl.2本、テナーサックス、マリンバ、ヴィブラフォン、
ドラムセットおよびタンバリン(省略可)です。
テナーサックスはアルトサックス、ホルン、トロンボーン、ユーフォニアム、バスクラリネットに変更可能です。
エレキベースは、バスクラリネット、ファゴット、チューバに変更可能です。

カーペンターズの雰囲気漂うカントリーの名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。

木管とベース打楽器のための「ジャンバラヤ」
Jambalaya
Hank Williams

編成はFl.、Cl.2本、テナーサックス、マリンバ、ヴィブラフォン、
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ジャンバラヤ(原題:Jambalaya (On The Bayou))は、アメリカ合衆国のカントリー歌手ハンク・ウィリアムズが
1952年7月に発表した楽曲です。カーペンターズのカヴァーが日本では有名です。
タイトルはルイジアナ州南部のフランス系移民ケイジャンの郷土料理ジャンバラヤから取られました。
歌詞にもケイジャンの文化が盛り込まれています。

ジャンバラヤはガンボと並んでケイジャン料理と呼ばれるルイジアナの代表的な料理です。
ジャンバラヤの材料は主に米と野菜と肉がメインで、他に燻製ソーセージ (andouille) 、鶏肉、玉ねぎ、
ベルペッパー(緑色のパプリカ)、セロリ(ルイジアナ州の料理では玉ねぎ、パプリカ、セロリをあわせて
聖なる三位一体と呼ぶ)を入れます。豚肉やウサギの肉、魚介類(海老)を入れる場合もあります。
通常はトマトは入れませんが、ニューオーリンズ風のジャンバラヤはトマトベースの味付けです。

この曲は大ヒットの後、下のような多くのアーティストによってカバーされました。

ジョー・スタッフォード
ロイ・エイカフ
小坂一也とワゴン・マスターズ
ジェリー・リー・ルイス
キティ・ウェルズ
ファッツ・ドミノ
ブレンダ・リー
ニッティー・グリッティー・ダート・バンド
プロフェッサー・ロングヘア
ショッキング・ブルー
カーペンターズ
エルヴィス・プレスリー
エミルー・ハリス
ルシンダ・ウィリアムス
ガース・ブルックス

"Jambalaya (On The Bayou)"歌詞

Goodbye, Joe, me gotta go, me oh my oh.
Me gotta go, pole the pirogue down the bayou.
My Yvonne, the sweetest one, me oh my oh.
Son of a gun, we'll have big fun on the bayou.

Jambalaya and a crawfish pie and file* gumbo
'Cause tonight I'm gonna see my ma cher amio.
Pick guitar, fill fruit jar and be gayo,
Son of a gun, we'll have big fun on the bayou.

Thibodaux, Fontaineaux, the place is buzzin',
kinfolk come to see Yvonne by the dozen.
Dress in style and go hog wild, me oh my oh.
Son of a gun, we'll have big fun on the bayou.

Jambalaya and a crawfish pie and file gumbo
'Cause tonight I'm gonna see my ma cher amio.
Pick guitar, fill fruit jar and be gayo,
Son of a gun, we'll have big fun on the bayou.

Settle down far from town, get me a pirogue
and I'll catch all the fish in the bayou.
Swap my mon to buy Yvonne what she need-o.

Son of a gun, we'll have big fun on the bayou.

Jambalaya and a crawfish pie and file gumbo
'Cause tonight I'm gonna see my ma cher amio.
Pick guitar, fill fruit jar and be gayo,
Son of a gun, we'll have big fun on the bayou.

ジャンバラヤ 和訳

さよなら ジョー
彼は行かなきゃならない
丸太船を漕いで 入り江を下っていくんだ

イヴォンヌは最高に素敵さ
ちくしょう うちらも入り江で大いに楽しんでやろう

ジャンバラヤ
ザリガニパイ オクラ包み
今夜は大切な人に会うから
ギターを持って
フルーツ瓶をいっぱいにして
陽気にいこう
ちくしょう うちらも入り江で大いに楽しんでやろう

ティボドー
フォンテノー
大にぎわいさ
親戚がたくさん
イヴォンヌに会いにやってくる
めかしこんで盛り上がるのさ
ちくしょう うちらも入り江で大いに楽しんでやろう

ジャンバラヤ
ザリガニパイ オクラ包み
今夜は大切な人に会うから
ギターを持って
フルーツ瓶をいっぱいにして
陽気にいこう
ちくしょう うちらも入り江で大いに楽しんでやろう

街から離れて住むなら
丸太船が必要さ
入り江の魚は全部とっちまうんだよ
その金でイヴォンヌの欲しい物を買ってやるのさ
ちくしょう うちらも入り江で大いに楽しんでやろう

ジャンバラヤ
ザリガニパイ オクラ包み
今夜は大切な人に会うから
ギターを持って
フルーツ瓶をいっぱいにして
陽気にいこう
ちくしょう うちらも入り江で大いに楽しんでやろう

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  2022/02/27   animato

サックス六重奏 ゴシック組曲 Op. 25 第2曲 ゴシック風メヌエット

サックス六重奏 ゴシック組曲 Op. 25 第2曲 ゴシック風メヌエット
Suite Gothique, Op.25
2. Menuet gothique
Boellmann, Leon

編成はソプラノ、アルト2本、テナー2本、バリトンです。
木管六重奏版、クラリネット六重奏版は発売中です。
フランス・ロマン派によるオルガンの名曲を、ぜひお楽しみください。

サックス六重奏 ゴシック組曲 Op. 25 第2曲 ゴシック風メヌエット
Suite Gothique, Op.25
2. Menuet gothique
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

レオン・ボエルマン(1862年~1897年)のオルガンのための作品「ゴシック組曲」の曲集です。
ボエルマンの代表作品です。第1楽章「導入‐コラール」、第2楽章「ゴシック風メヌエット」、
第3楽章「ノートルダムへの祈り」、第4楽章「トッカータ」の全4楽章からなります。
第3楽章の静かな祈りから一転して、4楽章のトッカータは、闇の世界に引き込まれていきそうな神秘的な作品で、
特に有名な曲です。

1. Introduction-Choral
2. Menuet gothique
3. Priere a Notre-Dame
4. Toccata

ゴシック組曲 Op. 25 - 第1曲 導入‐コラール
ゴシック組曲 Op. 25 - 第2曲 ゴシック風メヌエット
ゴシック組曲 Op. 25 - 第3曲 ノートル・ダム(聖母)への祈り
ゴシック組曲 Op. 25 - 第4曲 トッカータ

L.ボエルマンはフランスのオルガニスト、作曲家です。E.ジグーにオルガンを学びました。
19世紀のフランスのオルガンは,カヴァイエ=コルによって,よりオーケストラの音響に近いものに改良されました。
このゴシック組曲は彼の最も有名な曲で、フランスロマン様式の本質を要約していて、フランス近代のオルガン音楽の特徴もよく表しています。

18世紀末のフランス革命の混乱により、フランス国内のオルガンの多くは、教会とともに破壊されてしまいました。
しかし、19世紀の中ころになると、教会の再建に併せて新型のオルガンが設置されはじめ、フランクやサン=サーンスらは、
こうしたオルガンに新たな可能性を求めて、多くの作品を作り出しました。
これら「フランス・オルガン楽派」と呼ばれる作曲家たちの流れに属するのが、レオン・ボエルマン(1862~1897)です。

彼は、ニーデルメイエ宗教音楽学校でウジェーヌ・ジグーらに師事しました。同門にはフォーレがいます。
1871年に優秀な成績で卒業した彼は、パリのサン・ヴァンサン=ド=ポール教会でオルガニストを勤めました。
1885年からは、母校で教鞭を執るとともに、作曲家やピアニストとしても活躍し、将来を嘱望されたが、35歳の若さで亡くなりました。

彼の最もよく知られている作品は、1895年につくられたオルガンのための『ゴシック組曲(作品25)』で、
オルガン音楽の分野では、最も有名な作品のひとつです。

曲は「序奏とコラール」「ゴシック風メヌエット」「ノートルダム(聖母)への祈り」「トッカータ」の4曲からなります。
第1曲は、重厚な交唱的効果の序奏。第2曲は軽く勢いのあるメヌエット。第3曲は静かで信仰心に満ちた祈り。
第4曲は絶え間なく動き,最後に大きな盛り上がりを見せるトッカータです。
特に、第4曲「トッカータ」が有名ですが、第3曲の「ノートルダムへの祈り」は、温かで静謐な美しさにあふれていて、趣き深い1曲です。
演奏時間はおよそ15分です。

アトリエ・アニマート
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  2022/02/26   animato

木管五重奏 サラバンドIII

木管五重奏 サラバンドIII
Sarabande III
Giuseppe Tartini 

編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。
金管五重奏版、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。

イタリア・バロック音楽の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。

木管五重奏 サラバンドIII
Sarabande III
Giuseppe Tartini 

編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ジュゼッペ・タルティーニ(Giuseppe Tartini, 1692年4月8日 - 1770年2月26日)は、イタリアのバロック音楽の
作曲家・ヴァイオリニストです。

彼はイストリア半島のピラーノ(現・スロベニア領ピラン)出身。タルティーニの両親は彼をフランシスコ会の修道士にしようとしていたらしく、
そのために彼は基礎的な音楽の教練を受けていた。彼はパドヴァの大学で法律を勉強し、またそこでフェンシングの名手となりました。
1710年に父親が没した後、タルティーニはエリザベッタ・プレマゾーレ(Elisabetta Premazore)と結婚しました。
彼女は、もし彼の父親が生きていたならば、社会的身分の低さと年齢差ゆえに結婚に反対したであろう女性でした。
運悪く、エリザベッタはコルナーロ家の有力な貴族の寵愛を受けており、その貴族はすぐにタルティーニに誘拐の罪を押しつけました。
タルティーニはパドヴァを後にしてアッシジの聖フランシスコ修道会に入り、そのことで訴追から逃れることができました。
そして、この間に彼はヴァイオリンの演奏を始めたのです。

1716年にタルティーニがフランチェスコ・マリア・ヴェラチーニの演奏を聴いたとき、彼はその演奏に強い印象を受け、自分の技能に不満を抱き、
そのために彼は逃げるようにアンコーナへ移り住み、練習のために自室に閉じこもったという逸話があります。

タルティーニの技能は非凡な成長ぶりを見せ、1721年にはパドヴァのイル・サント礼拝堂付きの指揮者(カペルマイスター)に、彼が希望するならば
他の団体で演奏してもよいという契約つきで任命されました。

1726年にタルティーニはヴァイオリン教室をはじめ、ヨーロッパ中の学生達を引きつけた。徐々に彼は和声と音響学の理論に興味を持つようになり、
1750年以降生涯にわたって、彼は多くの学術論文を発表しました。

おそらく、タルティーニの最も有名な作品は《悪魔のトリル》でしょう。このソロ・ヴァイオリンソナタは、数多くの高度な技術を要求される
ダブルストップのトリルが必要とされ、近代の規範をもってしても難易度の高い曲です。
ある逸話によれば、タルティーニはアッシジに居た頃「自分のベッドの足元で悪魔がヴァイオリンを弾いている」という夢にインスピレーションを得て
このソナタを書いたと言われています。 今日の研究では作風の考察から1740年代後半以降の作との説が有力です。
また古代ギリシア・ローマ伝説をもとにしたヴァイオリン・ソナタ《捨てられたディド》もあります。

タルティーニの作品は、ほぼ全てがヴァイオリン協奏曲とヴァイオリンソナタです。例外的にヴィオラ・ダ・ガンバをソロとする協奏曲も書いています。
多くの同時代のイタリア人達とは異なり、タルティーニはオペラや教会音楽は全く作曲していません。
タルティーニの音楽は、学者達にとって不確かなものです。それは、彼が決して原稿に日付を記入しないことや、
過去に執筆されたあるいは既に演奏を終えた作品にさえ修正を加えたことなどにより、作品が制作された時期や修正が行われた時期、
その修正の範囲などを定めるのが難しくなっているためです。ドゥニアス(Dounias)とブレイナード(Brainard)の2人の学者が、タルティーニの作品を、
音楽の様式上の特徴に基づいて時期別に分類することを試みています。

作曲家としての活動に付け加えて、タルティーニは非常に実用性を好む音楽理論家でした。彼は、弦楽器に特に有用な聴覚現象である差音の発見者とされています。
彼は自らの発見を、論文Trattato di musica secondo la vera scienza dell'armonia(パドヴァ、1754年)で発表しています。

20世紀のイタリアの作曲家ルイージ・ダッラピッコラは、タルティーニのテーマをもとにした《タルティニアーナTartiniana》という小品を作っています。
タルティーニは音楽史上重要な位置を占めていますが、ほとんどのミュージシャンには「悪魔のトリル」ヴァイオリンソナタの作曲家としてのみ知られています。タルティーニは1692年にイストリア半島で生まれ、ピラノ市(現在はスロベニアのピラン)の政府高官の息子でした。彼の両親は彼が非常に若いときにタルティーニのために出家生活を選択しましたが、1708年に彼は音楽の指導のコースを追求するために彼の事務訓練を拒否しました。しかし、すぐに彼は法学部の学生としてパドヴァ大学に入学したようで、若い頃は訓練を受けた音楽家よりも決闘者や剣士として有名でした。まだ正式に神権の候補者であるにもかかわらず、タルティーニは1710年に結婚し、それによってパドヴァの司教の怒りを被り、しばらくの間アッシジの修道院に身を隠す必要があることに気づきました。彼は時間を有効に活用しました。明らかに彼は音楽を厳密に研究し、1714年までにアンコーナのオペラオーケストラに就職したようです。

1715年に妻と再会したタルティーニは、その後数年間、ヴァイオリンのテクニックを磨こうとして過ごしました。
伝説は、彼が器用さの同じ驚くべき偉業を達成することができるまで、彼が巨匠フランチェスコ・ベラチーニが演じて、
孤立して生きることを決心したのを聞いたということです。 
1720年までに、彼はパドヴァのセントアンソニーでオーケストラのソリストおよびリーダーとして従事しました。 
1740年に腕の怪我が彼のキャリアを深刻に制限するまで、タルティーニは当時の主要なヴァイオリニストとして広く評判を築いていたにもかかわらず、
聖アンソニーでの職務を果たしました。彼は1723年から1726年の間にプラハを長期訪問しました。
1765年に聖アンソニーから正式に引退したタルティーニは、1768年に苦しんだ軽度の脳卒中が彼をさらに無力化するまで、教師として活動を続けました。
タルティーニはベートーベンの誕生の年である1770年に亡くなりました。

タルティーニはヴァイオリン演奏の重要な学校の創設者であり、その後ピエトロ・ナルディーニやヨハン・ゴットリーブ・ナウマンなどの
著名な生徒たちによって広められました。彼は作曲家としての名声を求めていなかったため、タルティーニの音楽は彼の生涯でほとんど出版されませんでした。
約135のヴァイオリン協奏曲と200を超えるヴァイオリンソナタ(ただし、一部は偽物です)はまだ原稿の形で生き残っています。
わずかな神聖なボーカル作品(彼の人生の最後の年に作曲されたスターバト・マーテルなど)といくつかのシンフォニア、トリオソナタ、
4部構成のソナタがタルティーニのかなりの成果を締めくくっています。
ヴァイオリニストおよび作曲家としての活動に加えて、タルティーニは年月が経つにつれて音響と調和の理論にますます興味を持ち、
1754年の理論論文Trattato di musica secondo la vera scienza dell'armoniaは、現代の調和的思考を説明しようとしています。
倍音列の用語と、そのシリーズの「サブトーン」のタルティーニ自身の発見を促進するため。
その高尚な意図にもかかわらず(またはおそらくそれらのために)、Trattatoは特に正確または有益なテキストではありません。
しかし、それは音楽家にとって注目に値する研究です。
サラバンドIIIは、もともとヴァイオリンとキーボードのために作曲されました。
イタリア・バロック音楽の穏やかで美しい旋律が終始、曲を包み込んでいます。

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  2022/02/25   animato

金管四重奏 フーガ(フランス風カンツォーネ)

金管四重奏 フーガ(フランス風カンツォーネ)
Canzona Francese
Giacomo Brignoli (c.1550-c.1600)

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
Hn.パートはTp.でも演奏可能です。
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イタリア・バロック音楽の明快な作品を、ぜひお楽しみください。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ジャコモ・ブリニョーリはイタリア(ベルガモ)出身のオルガニストです。
この作品は1607年にオルガンのために書かれたBernhardSchmidjunのTabulaturbuchに収録されています。
明快な四声フーガで「フランス風カンツォーネ」の副題が付けられています。
原調はC Durです。出版時に2箇所の誤りだと思われる音があり、修正してあります。
よく知られているとは言えない作品ですが、シンプルな中にイタリアの明るい光を感じさせてくれるピースです。

「イタリア・バロック音楽」
 ルネッサンスの時代は、イタリアのフィレンツェとヴェネチアが、絵画の世界の中心でした。しかし、17世紀バロックの時代はローマが中心となります。
これは16世紀、プロテスタントの宗教改革の後、カトリック教会が立て直しを図った対抗宗教改革の成功によるものです。
この政策でカトリック教皇はローマの再建を図り、16世紀末に聖堂建築、都市整備が行われました。音楽家や美術家の仕事がたくさんあったのです。

 バロック様式は、17世紀初頭イタリアのローマで始まりました。それはすぐにヨーロッパ中をフランス、スペイン、ポルトガルへと広がり、
その後オーストリア、ドイツ、ロシアへと広がっていきました。このスタイルは、活気、コントラスト、精巧な装飾、深い色、また壮大さを使い、
驚きと畏怖の念を呼び起こすものでした。バロック様式は、建築、文学、絵画、彫刻、踊り、また音楽などあらゆる芸術に影響を与えました。

 バロック音楽の分野では、16世紀後半にイタリアのいくつかの都市でこの時代が始まりました。政治的独立と経済的多様性のおかげで、
これらの都市は、パレストリーナとディ・ラッソの作品で切り拓かれた後期ルネサンスの古典的な理想からは大きく逸脱した、いくつかの
ユニークで個人的な音楽スタイルを発展させました。
これらの都市の中でも最も言及に値する二つの都市は、文化と政治の中心地であるヴェネツィアとフィレンツェです。

 ヴェネツィアでは、聖マルコ教会がジョヴァンニ・ガブリエリのポリコラル音楽を発展させるための地理的な環境として機能していました。
このスタイルは、声楽と器楽を備えた、空間的にいくつかに分けられた合唱団を擁するという原則に基づいたものでした。
これは、同時に演奏する場合、後期ルネッサンス期の複雑な模倣的ポリフォニーの理想からは概念が大きく異なる、
より単純なホモリズミックな和音の感触を必要としていました。

 同じ時期のフィレンツェでは、フィレンツェのカメラータとして知られる知識人、人文主義者、芸術家らのグループが、
言葉と音楽が一つになりながら、ルネッサンスのマドリガーレとは異なる形で古典ギリシャ演劇の理想を模倣しようとしました。
音楽的な設定は、テキストの自然な話し言葉の抑揚を妨げてはならず、単語は可能な限り明確に表現されるべきとされます。
この新たな音楽の概念に付随する形で、ルネッサンスのモテットとマドリガーレの持つ複雑な対位法の性質には適していなかったので、
テキストに干渉しない楽器によって作られた単純な和音の感触に取って代えられました。
こうした発展は、モノディと呼ばれる新たな歌唱スタイルを生み出し、バロック音楽時代で最も重要な革新となりました。

 バロック時代の大きな成果の一つは、器楽音楽による音楽表現の真剣で独立した重要な手段としての確立でした。
ジョン・ダウランドのリュート歌曲のように、楽器は主に人間の歌声の伴奏として機能していました。
18世紀初頭にドメニコ・スカルラッティとヘンデルの貴重な出会いがありした。この二人の作曲家は、友好的な音楽コンクールを行い、
スカルラッティはチェンバロで、そしてヘンデルはオルガンで勝利を収めたのでした。

 この時代の社会変化と公共のコンサートの広がりによって、リュートの人気は下火になり、チェンバロとオルガンが台頭しました。
こうして作曲家たちの関心は鍵盤楽器へと転換されていきました。またこの時代には、いくつかの新たな楽器のジャンルが編み出され、
大きく発展を遂げた時代でもありました。有名なものでは、前奏曲、コラール前奏曲、フーガ、トッカータ、組曲、ソナタ、協奏曲、
またコンチェルト・グロッソなどがありました。

 クラシック音楽の世界では、バロック音楽のバッハ・ヘンデルが別格扱いになっていますし、古典ではモーツァルト・ベートーヴェンなどの
才能をあがめる人が多いのですが、イタリアバロックの作曲家では一般に有名なのはヴィヴァルディ、それに次いでせいぜい
コレルリぐらいで、ほかの作曲家たちは、あまり高い評価が与えられていない傾向があります。

 しかし、実は18世紀当時の西欧では、イタリアこそが、きらめく星のごとく最も多くの優れた音楽家たちが競う音楽の最先端の地域と
考えられていました。ヘンデルもバッハの息子たちもモーツァルトも、みんなイタリアで研鑽を積みました。
またイギリスのような、財力はあっても音楽文化はやや遅れていた国は、盛んにイタリアから音楽家を招いて音楽家不足を補っていました。

 イタリア・バロック音楽が忘れられた存在になってしまった経緯には理由があります。
たとえば絵画であれば、ルネサンスの大家・ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチの作品も、バロック時代のリューベンスや
レンブラントの作品も、いつでも教会や美術館で見られました。しかし音楽は、いくら楽譜は残っていても演奏されないことには
それは存在しないに等しいのです。そして、演奏する音楽家の数が限られている以上、過去の作品をしのぐ人気のある作品が次々に出てくれば、
演目は新しい作品に偏ってしまい、古い作品はしだいに埋もれていってしまいました。

 18世紀末からはドイツ・オーストリアにはハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルトら音楽史上最高の天才たちが続々と
登場したのに対し、19世紀イタリア音楽は、オペラにおいては重要な作曲家であるロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニなどが
挙げられますが、器楽曲とではドイツ・オーストリアに圧倒されていました。
現在に至ってもなお、クラシック音楽の演奏市場では19世紀作品が圧倒的な地位を占めていて、「バロック音楽」全体に対する需要が
少ないなかで「バロックはバッハとヘンデルで十分」といった雰囲気があります。

バッハやヘンデルやテレマンに決して劣らない素晴らしい才能を持ち、叙情性や色彩感などの点で、ドイツ系作曲家たちをはるかに凌駕する
魅力も豊かに持っている、イタリアバロックの名作の数々を心ゆくまで楽しみたいものです。

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  2022/02/24   animato

クラリネット五重奏 第一組曲 作品28 から3.行進曲

クラリネット五重奏 第一組曲 作品28 から3.行進曲
Suite for Military Band Op.28
Gustav Holst

編成はCl.4本、Bs,Cl.です。Bs.Cl.はBsn.に変更可能です。
サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。
上記の各編成八重奏+打楽器で第二組曲も発売中です。

ホルストのイギリス情緒豊かな名曲を、ぜひお楽しみください。

クラリネット五重奏 第一組曲 作品28 から3.行進曲
Suite for Military Band Op.28
Gustav Holst

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

吹奏楽のための第一組曲(Suite for Military Band)作品28は、グスターヴ・ホルストが作曲した吹奏楽のための組曲です。
第1組曲変ホ長調作品28aと第2組曲ヘ長調作品28bの2曲があります。

当時はまだ吹奏楽というジャンルが完全には確立されておらず、イギリス軍楽隊もオーケストラからのアレンジ曲などを中心に演奏していました。
そんな中でホルストは管楽器と打楽器の編成からなる「第1組曲」「第2組曲」を書いたわけですが、やはり編成の関係もあって作曲された当初から
すぐに取り上げられたわけではありませんでした。
しかし、1920年代に入ってから公の場で演奏されるようになってくると、「第1組曲」「第2組曲」共に徐々に評価を上げるようになります。
そしてついには他の作曲者にも管楽器・打楽器の編成で独自の曲が構成できることを認識させるに至ります。
そういった点でホルストが吹奏楽の歴史において果たした役割は非常に大きいと言えるでしょう。
「吹奏楽の原点」とでも言ってもよい作品です。

ホルストは吹奏楽曲を複数残していますが、これらの組曲はその中でも初期の作品であり、ブラスバンドのための『ムーアサイド組曲』(1928年)などより
20年ほど前に書かれました。フレデリック・フェネルは「この作品における楽器法は、バンド編成を念頭に考え抜かれている」
「もしこのスコアを真に理解したならば、それは音楽と指揮というものすべてを理解したのと同じだ」と述べていて、
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの『イギリス民謡組曲』、パーシー・グレインジャーの『リンカンシャーの花束』などと並び、
吹奏楽の分野における古典的な演奏会用作品としてきわめて重要な作品です。

2曲を揃えた世界初録音は、フェネルとイーストマン・ウィンド・アンサンブルによって1955年に行われました。

第1組曲
1909年に作曲されたとされるが、作曲の事情や目的ははっきりしていません。王立軍学学校(英語版)、通称ネラー・ホール(英語: Kneller Hall)で
1920年6月20日に公開演奏されたことが確認されています。娘のイモージェン・ホルストの調査によると、1909年には演奏が行われていたとされます。
初出版は1921年です。1948年のブージー・アンド・ホークス社による版が慣用版として広く使われてきましたが、これには多くの変更が含まれていて、
1970年に自筆譜が公開されたことによって、1984年以降に複数の「原典版」が出版されています。

ホルストの自筆譜の時点ではオプションのパートが多く設けられ、多様な編成に対応できるように書かれています。
このこともあって、校訂によって楽器編成には違いが見られます。
ホルスト自筆譜では最小編成では19人(打楽器を含む)で演奏することができます。自筆譜ではこれらのパートの下に
ピアノ譜(コンデンススコア)が書かれていました。

全3楽章。各楽章のすべての主題は第1楽章の冒頭動機(二度-五度)から派生したもので、一種の循環形式で作られています。
また対位法の技術も活用され、全体に緊密に構築されています。第1楽章にバロック時代の形式が用いられているのは、
この時期にホルストがヘンリー・パーセルの作品の研究を行っていたこととの関連が指摘されています。

第1楽章 シャコンヌ
Allegro moderato 変ホ長調 3/4拍子 変奏曲形式
爽快感のある簡潔なテーマを繰り返しつつ、装飾的な変奏を被せていきます。雄大な展開が素晴らしい曲です。

第2楽章 インテルメッツォ
Vivace ハ短調 - ハ長調 2/4拍子 - 4/4拍子 - 2/4拍子 - 4/4拍子 三部形式
冒頭に現れるリズミカルで躍動的なテーマがなかなか格好よく、軽快に進んでいきます。
中ほどで民謡風のテーマが現れ、その後、これら2つのテーマのモチーフが組み合わされ、展開されます。

第3楽章 マーチ
Tempo di Marcia 変ホ長調 - 変イ長調 - 変ホ長調 2/2拍子 三部形式
「マーチ」は、いかにもマーチという感じでありながら、どことなくもの悲しさの付きまとうテーマと、民謡風のテーマから成ります。
結尾ではやはり2つのテーマが組み合わされ、さらには「シャコンヌ」のテーマのモチーフも再登場します。
軽快なマーチのテーマに乗って民謡風テーマが雄大に奏される様は壮観で、全曲を締めくくるにふさわしい結びです。

ホルストはスコアの冒頭に「各楽章は同一のフレーズで構成されているため、この組曲は休みなしに通して演奏されることを望む」と記しています。
個々の楽曲の造形は緻密、楽曲の配置も絶妙、極めて入念に設計された構成を持った音楽です。
「間奏曲」と「マーチ」で現れる民謡風のテーマは「シャコンヌ」のテーマから派生した創作です。ホルストは1900年代中ごろに、
学友のヴォーン・ウィリアムズらと共にイギリス各地の民俗音楽の採取と研究を行っていますが、その優れた成果のひとつが組曲第1番であると言えます。
 この作品の民俗的な節回しの旋律の醸し出す独特の哀感は、イギリス音楽ファンには堪えられない魅力です。
管楽器の表現力の豊かさも特筆すべきもので、吹奏楽の醍醐味を存分に味わえる作品でもあります。全曲の演奏時間は約11分です。

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  2022/02/23   animato

サックス五重奏 ショパン前奏曲 第4番 Op.28-4

サックス五重奏 ショパン前奏曲 第4番 Op.28-4
ショパン :24のプレリュード(前奏曲集) CT169 ホ短調
Chopin, Frederic:24 preludes Prelude No.4 e-moll Op.28-4 CT169

編成はサックスのソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
ソプラノはアルトで演奏可能です。アルトのパート譜は同梱しています。
金管五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。

ショパンの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

サックス五重奏 ショパン前奏曲 第4番 Op.28-4
ショパン :24のプレリュード(前奏曲集) CT169 ホ短調
Chopin, Frederic:24 preludes Prelude No.4 e-moll Op.28-4 CT169

編成はサックスのソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

フレデリック・ショパン作曲の前奏曲(ぜんそうきょく、Prelude)は、ピアノのための作品。24曲の前奏曲から成る曲集と独立曲2曲の、計26曲です。
ショパンの前奏曲は以下の26曲です。

24の前奏曲作品28 24 Preludes
前奏曲嬰ハ短調作品45 Prelude
前奏曲変イ長調(遺作)Prelude

いずれも非常に短い小品す。ここでいう前奏曲とは、何かの前奏ではなく、前奏曲風の作品、または、
J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集にある前奏曲(第1巻、第2巻ともに前奏曲とフーガ(遁走曲)の一対で24の長短調すべてに対応する48曲が含まれる)のような作品、
というような意味です。前奏曲は形式にとらわれない自由な転調、劇的な展開を見せバッハの時代には革命的な内容でした。
また24の調を使用するというのも前例のないことであり、ショパンが前奏曲と銘打ったのは作曲者への敬意だけでなくその革新的な内容に挑もうという意図がありました。

24の前奏曲作品28は、1839年1月にマジョルカ島で完成しました。完成の時期はユリアン・フォンタナ宛の手紙によって確認できますが、
着手の時期については明らかでなく1831年から1838年まで諸説あります。出版は1839年の9月になされ、フランス版はカミーユ・プレイエルに、
ドイツ版はヨゼフ・クリストフ・ケスラーに献呈されました。24曲がすべて異なる調性で書かれていますが、これはJ.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集に
敬意を表したものといわれています。しかし、曲の配列は異なっていて、ハ長調 - イ短調 - ト長調 - ホ短調 …と平行短調を間に挟みながら5度ずつ上がっていくという
順序になっています。ラフマニノフ、スクリャービン、ショスタコーヴィチも後に同様な前奏曲集を創作しています。

アンコールピースとして個別に演奏されることもありますが、現在ではむしろ24曲全体で一つの作品と考える考え方が主流であり、全曲通して演奏されることが多い作品です。
また曲の構成もほとばしる感情をむき出しにするものもあれば、優雅さや穏やかな心を感じさせるのもあり、全曲通して聞いていても聴衆に単調さを感じさせません。
演奏時間は全曲で40~45分程度です。

ショパンの24の前奏曲は、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」から大きな影響を受けたと言われていて (彼はバッハを尊敬していた)、
平均律における24の全ての調性を用いて書かれています。
その曲の配列は ハ長調を起点として5度循環形式となっており、ハ長調の次に平行調のイ短調、 その次に完全5度上のト長調とホ短調、という並びになっています。
その後も順次♯記号が1つずつ増えていきますが、第13番を嬰へ長調 で書き、第14番を変ホ短調と、ここで♯記号から♭記号に変え、
♯と♭の総数が同じになるように対称に 配置させています。

ショパンの前奏曲は、一曲一曲が極めて簡潔に書かれていますが、そのなかに豊かなロマンを たたえた美しい楽想が絶え間なく流れ出て、
聴く者の心に真っ直ぐに流れ込んできます。穏やかな長調 の作品と激情ほとばしる短調の作品が交錯してドラマが築き上げられていくところも大きな魅力で、
この作品は「雨だれの前奏曲」だけでなく、是非最初から最後まで聴き通してもらいたい作品です。 
一つの作品としての必然的な大きな流れとして聞こえてくるはずです。興味深いのはショパンが 24の各々の調性に対してどのように感じていたかを感じ取ることができる点です。

なお、作曲の時期については一般に1836年から1839年と言われていて、「雨だれの前奏曲」を含め 本作品にまつわる、
マジョルカ島「ヴァルデモーザの僧院」での数々のエピソードはかなり信憑性の低い推測かも知れません。
事実、ショパンは、ジョルジュ・サンドとマジョルカ島への逃避行を決意したとき、この作品はほとんど書き上げており、出版社と契約を交わし、
その出版の前金と受けとって、それを 旅費の一部に当てていたようです。

第4番 ホ短調
Largo、2分の2拍子。単調な右手の旋律を左手の半音階和声が支えています。作曲者の葬儀のときに演奏されたといわれていて、
第6番と共にルイ・ジェームズ・アルフレッド・ルフェビュール=ヴェリーがオルガンで演奏しました。
左手の連打の伴奏に乗って右手が物憂い旋律を奏でます。その憂鬱なハーモニーは微妙に色調が変化し、 
悲痛な叫びのクライマックスを終えると徐々に静まっていき、うなだれるように終わります。
ショパンの涙の味のする素晴らしい作品で、「マジョルカ島のヴァルデモーザ僧院」で作曲されたような趣を強く感じます。
冒頭に「espressivo;表情豊かに」の指示が書き込まれています。前奏曲集全24曲の中で、「espressivo」の指示があるのは、唯一この曲だけです。
そもそも,ショパンは自分の作品を演奏する際には,どの作品であっても「espressivo」であることを求めました。
ショパンの作品を演奏するときには、「espressivo」と書かれていなくても、「espressivo」で演奏するのが当然なのです。
にも関わらず、ショパンはあえて「espressivo」と書き込んでいます。ショパンが、いかにこの曲に想いを込めて演奏してほしかったのか。
その強い願いが「espressivo」の書き込みから伝わってきます。

また、一つ(または2~3音)下の音へ下る音型を”ため息の動機(モチーフ)”といいます。
バロックの時代から多くの作曲家が用いてきました。J.S.バッハは多くの作品で”ため息のモチーフ”を用いています。
モーツァルトの交響曲第40番の冒頭のメロディも”ため息のモチーフ”が使われています。
ブラームスの交響曲第4番の冒頭のメロディも”ため息のモチーフ”が使われています。
右手の旋律は,いわゆる”ため息のモチーフ”が静かに何度も同じ音で繰り返されています。
古来より多くの作曲家が用いてきた”ため息のモチーフ”ですが、ふっと音が下に下るたびに、切なさや儚さ,静かな憂いが噛み締められます。
この作品は極限まで余分なものが削ぎ落とされていて、それでも和声の移ろいゆくさまや色彩豊かな響きに溢れている曲になっています。

「果たして、彼の不安は激しいものであったが、凍りついてしまったように、絶望の果ての落ち着きのなかにあった。そして、涙を流しながら、美しいプレリュードを弾いていた。」
~ジョルジュ・サンドの回想より~

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  2022/02/22   animato

木管四重奏 6つのウィーン ソナチネ:モーツァルトからNo.1-4

木管四重奏 6つのウィーン ソナチネ:モーツァルトからNo.1-4
6Wiener Sonatinen No.1-4
Mozart, Wolfgang Amadeus 

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。
金管四重奏(五重奏)版、クラリネット四重奏版、サックス四重奏版は発売中です。

モーツァルトの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

木管四重奏 6つのウィーン ソナチネ:モーツァルトからNo.1-4
6Wiener Sonatinen No.1-4
Mozart, Wolfgang Amadeus 

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

この曲は元来2本のバセットホルンとファゴットのための「5つのディベルティメント」(1789年)であったものを、ピアノ用に編曲した作品です。
モーツァルトの形式構成を学ぶのに最良の楽曲です。

ソナチネ第1番(モーツァルト)
モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart/1756?1791)
『ソナチネ第1番』(K.V.439b)は、モーツァルト作曲「6つのウィーンソナチネ」第1番目の楽曲です。

原曲は、2本のクラリネット(バセットホルン)とファゴットのための「ディヴェルティメント Divertimento」です。
編曲者については確たる資料が残されていません。ウィーンで作曲されたため"ウィーンのソナチネ"とも呼ばれています。
第4楽章アレグロは、日本では人気テレビ番組「いきなり!黄金伝説」の料理シーンでBGMとして頻繁に使用され、メロディーは広く知られています。

モーツァルトがこの曲を書いた1783年は、結婚したばかりのコンスタンツェとの間に第1子が生まれています。
その1か月後、子どもを保母に預け、病弱な妻を連れてザルツブルクへ3か月間里帰りをします。
まず、姉のナンネルの誕生日祝いをし、友人、知人を訪問しました。毎朝ミサへ行き、散歩、射的、トランプ遊びなどに興じ、
シェイクスピアの芝居などを多く鑑賞して過ごしていました。
その後ウィーンに戻ると、保母に預けていた子どもが腸閉塞で死んでいたことを知ります。
悲しみにくれたモーツァルトはもう2度と生まれ故郷のザルツブルクに帰ることはありませんでした。

日本ではテレビのバラエティ番組の、BGMとしてもお馴染みのこの曲は、
モーツァルトの6曲のウィーンソナチネから、第1番の第4楽章アレグロです。
原曲は「2つのクラリネットとファゴットのための5つのディヴェルティメント 変ロ長調」。
これに編曲が施され、「フォルテピアノのためのソナチネ集」として出版されました。

1783年に作曲されたこの曲は、当初「バセットホルン三重奏」という形でした。
バセットホルンはモーツァルトの時代まで使われていた楽器で、
彼の作品では他に「レクイエム ニ短調」などでも登場します。

モーツァルトが27歳の頃、ウィーンの友人ジャカン家のために書かれた作品で、
1803年にブライトコップ&ヘルテルから、まずは第2番のパート譜が出版されました。
そして1813年にはジムロックから「6つのセレナード」として全曲が出版されています。

この時点で楽器編成は「クラリネット2、ファゴット1、ホルン2」に変更。
更にモーツァルトのオペラを、他者が編曲した第6番が追加されました。

その後、1877-83年の編纂で、後世に加えられたと思われる部分は排除され、
「2つのクラリネットとファゴットのための5つのディヴェルティメント 変ロ長調」
として整理されると、これが広く一般化していったのです。
ここで調性もバセットホルンに適したへ長調から変ロ長調に変えられました。

「フォルテピアノのためのソナチネ集」はウィーンのアルタリアから
1805年に出版され、その後もいくつかの版が出されました。
編曲はFr.カウアーとされていますが、詳細は定かではありません。
モーツァルト自身によるとする説もあるぐらいです。

また、“ウィーンのソナチネ”と呼ばれる理由については、
モーツァルトがウィーンで作曲したことに加え、1931年にマインツで出版された
Schott版「ウィーン・ソナチネ集 - オリジナル・ピアノ・エディション」の
タイトルに由来するともいわれています。

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  2022/02/21   animato

金管五重奏「バッハのメヌエット」

金管五重奏「バッハのメヌエット」
Minuet in G major, BWV Anh.114
from Notebooks for Anna Magdalena Bach

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。

バロック期の家庭的で楽しい名曲を、ぜひお楽しみください。

金管五重奏「バッハのメヌエット」
Minuet in G major, BWV Anh.114
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア曲集」
この曲集はバラエティーに富んだ楽しい内容になっています。J.S.バッハが2人目の奥さん、アンナ・マグダレーナのために
贈った2巻の音楽帳です。とはいえ、バッハ自身が作曲した曲ばかりが並んでいるというわけではありません。

バッハの曲では、「フランス組曲」や「パルティータ」などの初稿、ゴルトベルク変奏曲のテーマである「アリア」など、
鍵盤楽器で弾けるものが入っています。
そのほかは、アンナ・マグダレーナ自身が書き留めた小品が多く、アリアやコラールなどの声楽曲や通奏低音のルールがあったり、
バッハの前妻との息子であるカール・フィリップ・エマヌエルの小品も入っていたり、
クープランのクラヴサン曲が混じっているかと思えば、テレマンの親戚かも? と言われている作曲者の小品も納められています。

その中で最も有名な曲は、この「バッハのメヌエット」という小品です。
本当はペッツォルトという人が作ったのに「バッハのメヌエット」(BWV Anh.114、115)と呼ばれている曲です。
作曲者はドイツの作曲家クリスティアン・ペツォールト(Christian Petzold/1677- 1733)で、
正確には『ペツォールトのメヌエット』と明記されています。

クリスティアン・ペツォールト(Christian Petzold, 1677年- 1733年)は、バロック時代を生きたドイツの作曲家、オルガン奏者です。
バッハより8歳先輩の音楽家です。

1703年にドレスデンの教会のオルガン奏者を務めると、その後1709年からは宮廷の室内楽団の一員として活動をしました。
彼の作曲した作品で現在まで受け継がれているものはわずかしかありませんが、「優れたオルガニスト」としての記録が残っています。

アンナ・マグダレーナ自身が楽しむためのものもあれば、子どもたちへの教育用に書き溜められていったものでもあるこの曲集。
自筆譜には、子どもの筆跡と思われる幼い書き込みもあるそうです。
バッハ家の家庭内で演奏されていた小さな音楽の数々は、まるで「お菓子の詰め合わせ」のように楽しい気分にさせてくれます。

バッハは1720年の旅行中に妻が急死する不幸に見舞われ、翌年、宮廷歌手のアンナ・マクダレーナ・ヴィルケと再婚しました。
バッハは、1717年から1723年までアンハルト=ケーテン侯レオポルトの下で宮廷楽長として仕えていて、
同じ宮廷のソプラノ歌手として有名だったアンナ・マクダレーナと知り合いました。
アンナは有能な音楽家であったと見られており、夫の仕事を助け、作品の写譜などもしています。

アンナ・マクダレーナとの間に生まれた13人の子供のうち、クリスティアンは音楽家として最も社会的に成功しました。
クリスティアンはイングランド王妃専属の音楽家となった他、モーツァルトに大きな影響を与えました。
彼らの他にも、バッハには成人した4人の息子がいますが、彼らはみな音楽家として活動しました。

18世紀に生まれた「バッハのメヌエット」は、20世紀後半に現代的なポップスとして蘇りました。
アメリカのシンガー ソングライターのデニー・ランデル(Denny Randell)とサンディ・リンザー(Sandy Linzer)は、
「バッハのメヌエット」のメロディーを元に新たに歌詞をつけ、4/4拍子にアレンジして
『ラヴァーズ・コンチェルト(A Lover's Concerto)』として新たな命を吹き込みました。

1965年に女性R&Bグループ「The Toys(ザ・トイズ)」によりレコーディングされ、同年のアメリカ・イギリスにおいて
メジャーヒットを記録しています。
日本では、女性ジャズヴォーカリスト、サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan/1924-1990)によるカヴァー盤が有名です。

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  2022/02/20   animato

クラリネット五重奏 ブリキの兵士のパレード

クラリネット五重奏 ブリキの兵士のパレード
The Parade of the Tin Soldiers
Jessel Leon

編成はCl.4本、Bs,Cl.です。
サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。
可愛いパレードの様子を、ぜひお楽しみください。

クラリネット五重奏 ブリキの兵士のパレード
The Parade of the Tin Soldiers
Jessel Leon

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ブリキの兵士のパレード(Die Parade der Zinnsoldaten)は、木製の兵士のパレードとも呼ばれ、
1897年にドイツの作曲家レオンイェッセルによって
書かれた人気のある陽気な行進の形をした器楽のキャラクター作品です。
日本では「キューピー3分クッキング」のテーマ曲として有名です。

おもちゃの兵隊のパレードはもともとソロピアノのために作曲されました。
イェッセルは後に1905年にオーケストラのために作品123として出版しました。
今日では、マーチングバンド、コンサートバンド、小さなオーケストラ、
そして非常に多様な代替楽器にも人気のある曲です。

1920年代初頭以来、この作品は米国で非常に人気があり、世界中で頻繁に演奏され、録音されています。
バラード・マクドナルドの英語の歌詞で、1922年の作品から「木製兵士のパレード」という曲も作成されました。
1922年、おもちゃの兵隊のパレードのインストルメンタルバージョンは、カールフェントンのオーケストラによって
演奏されたヒットシングルでした。
ヒットバージョンは、1922年にヴィンセントロペスオーケストラによって、1923年にポールホワイトマンと
彼のオーケストラによっても録音されました。

「木製兵士のパレード」:毎年恒例のラジオシティクリスマススペクタキュラーのロケッツ
イェッセルの非オペラ作品の1つは、世界中でまだ広く演奏され、録音されています。オーケストラまたは軍楽隊の
「おもちゃの兵隊のパレード」(Die Parade der Zinnsoldaten)の陽気な行進です
ブリキの兵士のパレードは、1920年代初頭に、ニキータ・バリエフのLa Chauve-Souris寄席ショーで、
「木製の兵士のパレード」というタイトルで国際的に普及しました。1923年、リー・ド・フォレストは、
撮影木製の兵士のパレードデフォレストでは、Balieffの会社によって行われました。
この映画はその年にニューヨーク市で初演され、
米国議会図書館のモーリスゾウアリーコレクションに含まれています。
1920年代半ばまでに、この作品はカールフェントン、ヴィンセントロペス、ポールホワイトマンのオーケストラによって録音され
たヒットシングルになりました。それ以来、広く演奏され、録音されてきました。たとえば、同じ名前のベティブープの 映画は、
1933年に音楽で作成され、ロケッツはそれ以来、毎年恒例のラジオシティクリスマススペクタキュラーで
作品の独自の振り付けバージョンを実行しています。
英国で長年使用されたBBCのラジオの子供の時間シリーズ導入するToytownの話をもとにしています。
使用された録音は、ニューライトシンフォニーオーケストラによるものでした。

レオン・イェッセル(1871年1月22日? 1942年1月4日)は、オペレッタと軽いクラシック音楽のドイツの作曲家でした。
今日、彼は人気のある冗談の行進の作曲家として国際的に最もよく知られています。
「おもちゃの兵隊のパレード」は「木製兵士のパレード」としても知られています。イェッセルは、何百もの軽いオーケストラ曲、
ピアノ曲、歌、ワルツ、マズルカ、行進曲、合唱、その他のサロン音楽を書いた多作の作曲家でした。
彼は多くのオペレッタでかなりの称賛を獲得しました。
特に、今日でも人気のあるSchwarzwaldmadel(黒い森の娘)です。
イェッセルは生まれつきユダヤ人であったため(23歳でキリスト教に改宗)、1920年代後半のナチズムの台頭により、作曲は事実上終了し、
非常に人気のあった彼の音楽作品は抑圧されました。そしてほとんど忘れられました。

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  2022/02/19   animato