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2022年2月

サックス四重奏 フーガ(フランス風カンツォーネ)

サックス四重奏 フーガ(フランス風カンツォーネ)
Canzona Francese
Giacomo Brignoli (c.1550-c.1600)

編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
金管四重奏版、木管四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。

イタリア・バロック音楽の明快な作品を、ぜひお楽しみください。

サックス四重奏 フーガ(フランス風カンツォーネ)
Canzona Francese
Giacomo Brignoli (c.1550-c.1600)

編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
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イタリア・バロック音楽の明快な作品を、ぜひお楽しみください。

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参考音源
https://youtu.be/5zZG0a8phKU

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3


ジャコモ・ブリニョーリはイタリア(ベルガモ)出身のオルガニストです。
この作品は1607年にオルガンのために書かれたBernhardSchmidjunのTabulaturbuchに収録されています。
明快な四声フーガで「フランス風カンツォーネ」の副題が付けられています。
原調はC Durです。出版時に2箇所の誤りだと思われる音があり、修正してあります。
よく知られているとは言えない作品ですが、シンプルな中にイタリアの明るい光を感じさせてくれるピースです。

「イタリア・バロック音楽」
 ルネッサンスの時代は、イタリアのフィレンツェとヴェネチアが、絵画の世界の中心でした。しかし、17世紀バロックの時代はローマが中心となります。
これは16世紀、プロテスタントの宗教改革の後、カトリック教会が立て直しを図った対抗宗教改革の成功によるものです。
この政策でカトリック教皇はローマの再建を図り、16世紀末に聖堂建築、都市整備が行われました。音楽家や美術家の仕事がたくさんあったのです。

 バロック様式は、17世紀初頭イタリアのローマで始まりました。それはすぐにヨーロッパ中をフランス、スペイン、ポルトガルへと広がり、
その後オーストリア、ドイツ、ロシアへと広がっていきました。このスタイルは、活気、コントラスト、精巧な装飾、深い色、また壮大さを使い、
驚きと畏怖の念を呼び起こすものでした。バロック様式は、建築、文学、絵画、彫刻、踊り、また音楽などあらゆる芸術に影響を与えました。

 バロック音楽の分野では、16世紀後半にイタリアのいくつかの都市でこの時代が始まりました。政治的独立と経済的多様性のおかげで、
これらの都市は、パレストリーナとディ・ラッソの作品で切り拓かれた後期ルネサンスの古典的な理想からは大きく逸脱した、いくつかの
ユニークで個人的な音楽スタイルを発展させました。
これらの都市の中でも最も言及に値する二つの都市は、文化と政治の中心地であるヴェネツィアとフィレンツェです。

 ヴェネツィアでは、聖マルコ教会がジョヴァンニ・ガブリエリのポリコラル音楽を発展させるための地理的な環境として機能していました。
このスタイルは、声楽と器楽を備えた、空間的にいくつかに分けられた合唱団を擁するという原則に基づいたものでした。
これは、同時に演奏する場合、後期ルネッサンス期の複雑な模倣的ポリフォニーの理想からは概念が大きく異なる、
より単純なホモリズミックな和音の感触を必要としていました。

 同じ時期のフィレンツェでは、フィレンツェのカメラータとして知られる知識人、人文主義者、芸術家らのグループが、
言葉と音楽が一つになりながら、ルネッサンスのマドリガーレとは異なる形で古典ギリシャ演劇の理想を模倣しようとしました。
音楽的な設定は、テキストの自然な話し言葉の抑揚を妨げてはならず、単語は可能な限り明確に表現されるべきとされます。
この新たな音楽の概念に付随する形で、ルネッサンスのモテットとマドリガーレの持つ複雑な対位法の性質には適していなかったので、
テキストに干渉しない楽器によって作られた単純な和音の感触に取って代えられました。
こうした発展は、モノディと呼ばれる新たな歌唱スタイルを生み出し、バロック音楽時代で最も重要な革新となりました。

 バロック時代の大きな成果の一つは、器楽音楽による音楽表現の真剣で独立した重要な手段としての確立でした。
ジョン・ダウランドのリュート歌曲のように、楽器は主に人間の歌声の伴奏として機能していました。
18世紀初頭にドメニコ・スカルラッティとヘンデルの貴重な出会いがありした。この二人の作曲家は、友好的な音楽コンクールを行い、
スカルラッティはチェンバロで、そしてヘンデルはオルガンで勝利を収めたのでした。

 この時代の社会変化と公共のコンサートの広がりによって、リュートの人気は下火になり、チェンバロとオルガンが台頭しました。
こうして作曲家たちの関心は鍵盤楽器へと転換されていきました。またこの時代には、いくつかの新たな楽器のジャンルが編み出され、
大きく発展を遂げた時代でもありました。有名なものでは、前奏曲、コラール前奏曲、フーガ、トッカータ、組曲、ソナタ、協奏曲、
またコンチェルト・グロッソなどがありました。

 クラシック音楽の世界では、バロック音楽のバッハ・ヘンデルが別格扱いになっていますし、古典ではモーツァルト・ベートーヴェンなどの
才能をあがめる人が多いのですが、イタリアバロックの作曲家では一般に有名なのはヴィヴァルディ、それに次いでせいぜい
コレルリぐらいで、ほかの作曲家たちは、あまり高い評価が与えられていない傾向があります。

 しかし、実は18世紀当時の西欧では、イタリアこそが、きらめく星のごとく最も多くの優れた音楽家たちが競う音楽の最先端の地域と
考えられていました。ヘンデルもバッハの息子たちもモーツァルトも、みんなイタリアで研鑽を積みました。
またイギリスのような、財力はあっても音楽文化はやや遅れていた国は、盛んにイタリアから音楽家を招いて音楽家不足を補っていました。

 イタリア・バロック音楽が忘れられた存在になってしまった経緯には理由があります。
たとえば絵画であれば、ルネサンスの大家・ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチの作品も、バロック時代のリューベンスや
レンブラントの作品も、いつでも教会や美術館で見られました。しかし音楽は、いくら楽譜は残っていても演奏されないことには
それは存在しないに等しいのです。そして、演奏する音楽家の数が限られている以上、過去の作品をしのぐ人気のある作品が次々に出てくれば、
演目は新しい作品に偏ってしまい、古い作品はしだいに埋もれていってしまいました。

 18世紀末からはドイツ・オーストリアにはハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルトら音楽史上最高の天才たちが続々と
登場したのに対し、19世紀イタリア音楽は、オペラにおいては重要な作曲家であるロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニなどが
挙げられますが、器楽曲とではドイツ・オーストリアに圧倒されていました。
現在に至ってもなお、クラシック音楽の演奏市場では19世紀作品が圧倒的な地位を占めていて、「バロック音楽」全体に対する需要が
少ないなかで「バロックはバッハとヘンデルで十分」といった雰囲気があります。

バッハやヘンデルやテレマンに決して劣らない素晴らしい才能を持ち、叙情性や色彩感などの点で、ドイツ系作曲家たちをはるかに凌駕する
魅力も豊かに持っている、イタリアバロックの名作の数々を心ゆくまで楽しみたいものです。

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  2022/02/08   animato

クラリネット四重奏 ファンタジア 'オンザヘキサコード'a4 VdGS No.10

クラリネット四重奏 ファンタジア 'オンザヘキサコード'a4 VdGS No.10
Fantasia on the Hexachord VdGS10 
アルフォンソ・フェッラボスコ2世
Ferrabosco Jr., Alfonso

編成はCl.3本、Bs,Cl.です。
金管四重奏版、木管四重奏版、サックス四重奏版は発売中です。

イギリス・バロック期の作品を演奏で味わいたいものです。
発声練習やコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

クラリネット四重奏 ファンタジア 'オンザヘキサコード'a4 VdGS No.10
Fantasia on the Hexachord VdGS10 
アルフォンソ・フェッラボスコ2世
Ferrabosco Jr., Alfonso

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ファンタジア 'オンザヘキサコード'a4、VdGS No.10はアルフォンソ・フェッラボスコ2世によってヴィオールのために書かれました。
ヴィオール、ヴィオラダガンバはフレットと弦中空の木製ボディとペグボックスを備えた楽器です。
この曲は上声部に出てくるドレミファソラのような6つの全音階を元に、自由な形式のファンタジアです。
上声部の全音階は半音ずつ上がって8回繰り返されます。

ルネッサンスとバロックの時代のファンタジア(幻想曲)は、即興曲のように、厳密な音楽形式の教科書の規則に従うことはめったにありません。
この用語は、16世紀に最初に音楽に適用されました。最初は、特定の作曲ジャンルではなく、想像力に富んだ音楽の「アイデア」を指していました。
16世紀の器楽ファンタジアは声楽モテットの厳密な模倣でした。ポリフォニックソロファンタジーは、リュートと初期のキーボード用に広く作曲されました。
ウィリアムバードやオーランドギボンズなどの作曲家は、リコーダーやヴィオールの優れた例でジャンルを拡大しながら、
多くのキーボードファンタジアを書きました。

当時は「ヘキサコード」といって Ut - Re - Mi - Fa - Sol - La の6つの音の名称をもちいて音程を得る習慣(ソルミゼーション)がありました。
Si には実際の音楽ではナチュラルとフラットの2種類がよく用いられており、これらの音を取るために、ヘキサコードを移動させる手法を用いていました。
例えば Si ナチュラルの音程を取りたい場合、Ut - Re - Mi - Fa - Sol と読み、Sol を Ut に読み替えると、
「Do Re Mi Fa Sol La Si Do」(イオニア旋法)の音程を得ることができます。Fa を Ut と読み替えれば Si フラットが得られます。
ヘキサコードでは Mi - Fa にしか半音が存在しないので、半音を必要とするところに Mi - Fa を割り当てて音程を測るということです。
このように音程を相対的に測る方法は、今日での 「移動ド」 の考え方に似ています。

アルフォンソ・フェッラボスコ(1575年頃-1628年3月)は、イギリスの作曲家であり、イタリア系のヴィオール奏者でした。
彼はルネッサンス時代とバロック時代の境界線にまたがっています。
フェッラボスコは、イタリアの作曲家アルフォンソフェッラボスコの長老の非嫡出子であるグリニッジで生まれました。
彼の母親は、後に長老のアルフォンソが結婚したスザンナ・シモンズだったのかもしれません。年下のフェッラボスコは、エリザベス1世の宮廷のメンバーであるゴメルヴァンアウスターワイクの後見人の下に残されました。アルフォンソ長老は、彼が妻と一緒に引っ越してきたイタリアで、アルフォンソに若いアルフォンソを送るように頼んだが、女王は彼がイギリスにとどまるように主張した。フェッラボスコは、1592年にアウスターワイクが亡くなるまで、ゴマー・ファン・アウスターワイクの世話を続けました。このとき、彼は宮廷音楽家として長いキャリアをスタートさせました。

王冠連合の後、彼はヘンリー王子の家庭教師になり、50ポンドの給料で花婿になりました。
フェッラボスコは、1604年1月に行われたアンオブデンマークの仮面劇「12人の女神のビジョン」の歌を作曲して収入を得ました。

フェッラボスコは、黒の仮面劇(1605)を含むいくつかのプロジェクトでベン・ジョンソンと協力し、
他のいくつかの仮面劇のために音楽を書きました。
彼の音楽は詩の設定の数を含め、1609年にジョン・ブラウンによって出版されたジョン・ダンとトマス・キャンピオンのほか、
リュートとヴィオール音楽。彼は頻繁に新しい朗読バロックスタイルで書き、イタリアに行ったことはありませんでしたが、
彼は現代のイタリア音楽をよく知っていました。

フェッラボスコの若者の評判は、主にヴィオラ奏者としての彼の腕前に基づいていて、
さらにヴィオラコンソートのための彼の作曲にも基づいています。
これらは非常に慣用的な作品であり、多く作曲しましたが、知識をひけらかすことはありませんでした。
フェッラボスコはまた、コプラリオと並んでタブ譜でリラヴィオラ音楽を書いた最初の一人であり、
リラヴィオラのためのレッスンの本を書きました。

フェッラボスコは継続的に債務を抱えており、テムズ川を砂利で浚渫したり、迷惑をかけた人々に罰金を科したりするなど、
テムズ川のさまざまな権利を含む計画の失敗に関与していました。
彼は1628年3月に亡くなり、その月の11日、故郷のグリニッジにあるセントアルフレッジ教会に埋葬されました。

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  2022/02/07   animato

木管五重奏 第一組曲 作品28 から2.間奏曲

木管五重奏 第一組曲 作品28 から2.間奏曲
Suite for Military Band Op.28
Gustav Holst

編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。
サックス五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。
上記の各編成八重奏+打楽器で第二組曲も発売中です。

ホルストのイギリス情緒豊かな名曲を、ぜひお楽しみください。

木管五重奏 第一組曲 作品28 から2.間奏曲
Suite for Military Band Op.28
Gustav Holst

編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

吹奏楽のための第一組曲(Suite for Military Band)作品28は、グスターヴ・ホルストが作曲した吹奏楽のための組曲です。
第1組曲変ホ長調作品28aと第2組曲ヘ長調作品28bの2曲があります。

当時はまだ吹奏楽というジャンルが完全には確立されておらず、イギリス軍楽隊もオーケストラからのアレンジ曲などを中心に演奏していました。
そんな中でホルストは管楽器と打楽器の編成からなる「第1組曲」「第2組曲」を書いたわけですが、やはり編成の関係もあって作曲された当初から
すぐに取り上げられたわけではありませんでした。
しかし、1920年代に入ってから公の場で演奏されるようになってくると、「第1組曲」「第2組曲」共に徐々に評価を上げるようになります。
そしてついには他の作曲者にも管楽器・打楽器の編成で独自の曲が構成できることを認識させるに至ります。
そういった点でホルストが吹奏楽の歴史において果たした役割は非常に大きいと言えるでしょう。
「吹奏楽の原点」とでも言ってもよい作品です。

ホルストは吹奏楽曲を複数残していますが、これらの組曲はその中でも初期の作品であり、ブラスバンドのための『ムーアサイド組曲』(1928年)などより
20年ほど前に書かれました。フレデリック・フェネルは「この作品における楽器法は、バンド編成を念頭に考え抜かれている」
「もしこのスコアを真に理解したならば、それは音楽と指揮というものすべてを理解したのと同じだ」と述べていて、
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの『イギリス民謡組曲』、パーシー・グレインジャーの『リンカンシャーの花束』などと並び、
吹奏楽の分野における古典的な演奏会用作品としてきわめて重要な作品です。

2曲を揃えた世界初録音は、フェネルとイーストマン・ウィンド・アンサンブルによって1955年に行われました。

第1組曲
1909年に作曲されたとされるが、作曲の事情や目的ははっきりしていません。王立軍学学校(英語版)、通称ネラー・ホール(英語: Kneller Hall)で
1920年6月20日に公開演奏されたことが確認されています。娘のイモージェン・ホルストの調査によると、1909年には演奏が行われていたとされます。
初出版は1921年です。1948年のブージー・アンド・ホークス社による版が慣用版として広く使われてきましたが、これには多くの変更が含まれていて、
1970年に自筆譜が公開されたことによって、1984年以降に複数の「原典版」が出版されています。

ホルストの自筆譜の時点ではオプションのパートが多く設けられ、多様な編成に対応できるように書かれています。
このこともあって、校訂によって楽器編成には違いが見られます。
ホルスト自筆譜では最小編成では19人(打楽器を含む)で演奏することができます。自筆譜ではこれらのパートの下に
ピアノ譜(コンデンススコア)が書かれていました。

全3楽章。各楽章のすべての主題は第1楽章の冒頭動機(二度-五度)から派生したもので、一種の循環形式で作られています。
また対位法の技術も活用され、全体に緊密に構築されています。第1楽章にバロック時代の形式が用いられているのは、
この時期にホルストがヘンリー・パーセルの作品の研究を行っていたこととの関連が指摘されています。

第1楽章 シャコンヌ
Allegro moderato 変ホ長調 3/4拍子 変奏曲形式
爽快感のある簡潔なテーマを繰り返しつつ、装飾的な変奏を被せていきます。雄大な展開が素晴らしい曲です。

第2楽章 インテルメッツォ
Vivace ハ短調 - ハ長調 2/4拍子 - 4/4拍子 - 2/4拍子 - 4/4拍子 三部形式
冒頭に現れるリズミカルで躍動的なテーマがなかなか格好よく、軽快に進んでいきます。
中ほどで民謡風のテーマが現れ、その後、これら2つのテーマのモチーフが組み合わされ、展開されます。

第3楽章 マーチ
Tempo di Marcia 変ホ長調 - 変イ長調 - 変ホ長調 2/2拍子 三部形式
「マーチ」は、いかにもマーチという感じでありながら、どことなくもの悲しさの付きまとうテーマと、民謡風のテーマから成ります。
結尾ではやはり2つのテーマが組み合わされ、さらには「シャコンヌ」のテーマのモチーフも再登場します。
軽快なマーチのテーマに乗って民謡風テーマが雄大に奏される様は壮観で、全曲を締めくくるにふさわしい結びです。

ホルストはスコアの冒頭に「各楽章は同一のフレーズで構成されているため、この組曲は休みなしに通して演奏されることを望む」と記しています。
個々の楽曲の造形は緻密、楽曲の配置も絶妙、極めて入念に設計された構成を持った音楽です。
「間奏曲」と「マーチ」で現れる民謡風のテーマは「シャコンヌ」のテーマから派生した創作です。ホルストは1900年代中ごろに、
学友のヴォーン・ウィリアムズらと共にイギリス各地の民俗音楽の採取と研究を行っていますが、その優れた成果のひとつが組曲第1番であると言えます。
 この作品の民俗的な節回しの旋律の醸し出す独特の哀感は、イギリス音楽ファンには堪えられない魅力です。
管楽器の表現力の豊かさも特筆すべきもので、吹奏楽の醍醐味を存分に味わえる作品でもあります。全曲の演奏時間は約11分です。

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  2022/02/06   animato

金管五重奏 ムソルグスキー :涙 ト短調

金管五重奏 ムソルグスキー :涙 ト短調
Mussorgsky, Modest Petrovich:Une larme g-moll

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
サックス五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。

ムソルグスキーによる控えめながら美しい隠れたる名曲をどうぞ。

金管五重奏 ムソルグスキー :涙 ト短調
Mussorgsky, Modest Petrovich:Une larme g-moll

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

この曲はムソルグスキーが41歳の時(1880年)に作曲されたと考えられています。
そして、1880年代に、モスクワから出版されています。

この曲は4分の4拍子で書かれていて、ラルゴによる3小節の序奏で開始されます。
その後、アンダンテ・コン・モートの主部が続きます。この部分は3部形式で書かれています。
ゆったりとした曲線を描くメロディーに伴奏が添えられる書法となっています。
そして、中間部に「コン・ソルディーノ」の指示があるのに対し、中間部を挟む両端の部分には
「センツァ・ソルディーノ」の指示がなされています。
冒頭から派生したと考えられる、ラルゴによる4小節の終結部分をもって曲を閉じます。

「涙(Une larme)」は短すぎる作曲家の生涯の晩年に作曲されました。
まさしく題名が全てを物語る悲しみとそこからの再生の小品だと言えます。
外面的に注目されないこうした作品はいつも無名で日の光の当たらないところにあります。
「展覧会の絵」のような大曲もいいのですが、こういった小品も格別の趣があります。

涙といっても、号泣ではなく諦めの境地という感じの曲です。
現代人のように人前で演技掛かった「涙」する情景ではなく、「心の中の涙」それも数滴といった感じです。
人知れず泣く涙がこの曲からは感じ取れます。

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  2022/02/05   animato

ビッグバンド編成「インディアナ」

ビッグバンド編成「インディアナ」
Back Home Again in Indiana(Dixieland)
James F. Hanley

編成はフルート2本、クラリネット、サックスのアルト2本、テナー2本、バリトン、トランペット2本、
トロンボーンまたはユーフォニアム2本、エレキベースまたはチューバ、ドラムスのビッグバンド編成です。

バリトンサックスはファゴットやバスクラリネットに変更可能です。
エレキベースはチューバに変更可能です。14名の奏者で演奏できます。
エレキベースとチューバを重ねると15名になります。
チューバのパート譜は同梱しています。

スタンダード・ジャズの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

ビッグバンド編成「インディアナ」
Back Home Again in Indiana(Dixieland)
James F. Hanley

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

Back Home Again in Indiana そして、その後の Donna Leeはディキシーランド・ジャズの名曲です。
Maria Rita1917年発表
作曲 ジェームズ・F・ハンレー(James F. Hanley)
作詞 バラード・マクドナルド(Ballard MacDonald)

通常は「Indiana」だけでこの曲を指します。
そして、アルトサックス奏者のチャーリー・パーカー(Charlie Parker)やトランペット奏者のマイルス・デイビス(Miles Davis)が、
そのコード進行にアドリブ的なメロディを付けビバップの名曲にしたのが「Donna Lee」です。

エレキ・ベース奏者のジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius)が自身のアルバムで演奏してから、
ロックしか知らなかったエレキ・ベーシストが一度挑戦する曲になるほどジャズのジャンルを超えたスタンダードになりました。
毎年インディ500のレース直前に流れる“Back home again in Indiana”。この曲とともにスピードウエイの興奮は最高潮に達し、
大歓声とともにエンジンが始動されます! 
アメリカ合衆国中西部の町、インディアナポリス
アメリカ人は普通自分たちの国を語るとき、東海岸、西海岸、南部、そして中西部と大雑把に4つの地域に分類します。
はっきりとした境界線などはありませんが、インディアナポリスは間違いなく中西部に属します。
ニューヨークから西に660マイル(約1063km)、ロサンゼルスから東へ1800マイル(約2898km)、
ニューオリンズから北へ693マイル(約1116km)、そしてデトロイトから南西に215マイル(約346km)行ったところに
インディアナポリスは在ります。

現在のインディアナポリスがある場所がインディアナ州都として選ばれ街づくりが始まったのが1821年で、
それ以来200年近く、インディアナ州は“全米の十字路”(Crossroad of America)と呼ばれ、親しまれています。
初期のころは水運の中継点として、その後は何本もの鉄道が交差する町として、そして現在はアメリカの
5大インターステート・ハイウェイ(州をまたぐ幹線道路)がここに集結することから、そう呼ばれてきました。
全米最大手の運送会社中5社がここに本社をおいていることをみても、インディアナ州がいかに製品の流通に適した
地理的条件を備えているか理解できます。ある調査によると、インディアナポリスから24時間以内に自動車で行ける範囲に、
アメリカの全人口の半分にあたる人が住んでいるそうです。

地元の人々はインディアナ州に住むことを非常な誇りに思っていて、事実、インディ500のレース開始直前には必ず、
アメリカ合衆国の国歌「星条旗よ永遠なれ」と「バック・ホーム・イン・インディアナ」の2曲が歌われます。
インディアナポリスは旧き佳きアメリカの大草原にあり、果てしなく広く、ひたすら平らな特徴のない土地に、
無数の農場が緑の大地に点在する都市でした。州都インディアナポリスは人口約86万人の中都市で、
市の周りをぐるりと囲むかたちで市の2倍の広さの都市圏が形成されています。とても友好的な雰囲気の都市で、
主な産業は重工業とヘルスケア(健康関連)産業です。
ロールス・ロイスはインディアナポリスの工場でガス・タービン・エンジンを生産しています。

世紀のイベント・インディ500や、毎年8月に同じくインディアナポリス・モーター・スピードウェイで行なわれるNASCARの重要な
レース“ブリックヤード400ストックカー・レース”の恩恵を受ける観光も、インディアナポリスならびにインディアナ州にとって
重要な産業となっています。
そしてこの2つの大きなレース・イベントも、先見の明のあったカール・G・フィッシャーが、1909年、この果てしなく広い農地に
2.5マイルのコースをつくらなければ実現し得ないことでした。

フィッシャーは、歴代の偉人がそうであるように、実に魅力的な人物で、初期の自動車の圧縮ガスを使用したヘッドランプをつくる会社の
創立を手伝ったり、ヘンリー・フォードやトーマス・エジソン、超人(鳥人)レーサーと称されたエディ・リッケンバッカーらと
親しく交わっていました。1905年、ヨーロッパで行なわれたゴードン・ベネット・カップというレースに自ら出場し、
ヨーロッパ車の優秀性を痛感してアメリカに戻ったフィッシャーは、一念発起、アメリカの車の性能を向上させるためのコースを
作ろうと決心しました。
彼はさっそく有志を募り、そのグループの代表として、レース・トラックの建設に必要な25万ドルを集めました。
できあがったコースの表面には、当初細かい砕石が敷かれていました。
初めてのレースは、1909年8月19日に300マイルレースとして開催されました。しかし、事故で6名が死亡する大惨事となり、
レースは235マイルを終えた時点で中断されました。
コース表面の砕石が事故の原因とみなされ、コースは10ポンド(約4.53kg)の重さのレンガ320万個によって舗装し直されました。
新しく舗装されたコースは、翌年のレースで予想通りの効果を発揮し、3年目の1911年からは500マイルという距離で
競われることが決定しました。
 
Back home again in Indiana歌詞

Back home again in Indiana,
また故郷のインディアナに 戻ってきた
 
And it seems that I can see
ゆらゆらとしたろうそくの光が
 
The gleaming candlelight, still shining bright,
プラタナスの木々を通して
 
Through the sycamores for me.
今もきらめいているように見える
 
The new-mown hay sends all its fragrance
いつも歩き回っていた草原から
 
From the fields I used to roam.
刈り取られたばかりの干し草がいい匂いを放っている
 
When I dream about the moonlight on the Wabash,
ウォバッシュ川に映る 月の光を夢見る時
 
Then I long for my Indiana home.
故郷インディアナに 戻りたくなるんだ
 
composed by Ballard MacDonald and James Hanley in 1917
 

1917年に作曲された、インディアナ州で最も有名なこの曲。ジャズのスタンダードとしても良く知られています。
1919年に地元インディアナのドライバーであるハウディ・ウイルコックスが優勝に向けて最後の数周を走ろうとしていた時、
コース脇にいたブラスバンドによって演奏されたと言われています。
決勝レース前の朝に初めて歌われたのは、1946年。ニューヨーク・メトロポリタン・オペラ・カンパニーの
ジェイムズ・メルトンが、レース開始45分前に自分が代表を務めていたアンティーク・オートモービル・クラブ・オブ・アメリカの
パレードが行われた際、地元のパーデュ大学バンドの演奏に合わせて歌いました。
 
この時に大好評を博したことから、翌年は招待されて歌うようになり、1948年よりエンジン始動の直前の歌として
正式に採用されることになったのです。メルトン以外にも6人以上の有名人が歌っていましたが、
中でも良く知られているのは1972年から現在までほぼ毎年歌ってきたジム・ネイバースです。

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  2022/02/04   animato

クラリネット五重奏「バッハのメヌエット」

クラリネット五重奏「バッハのメヌエット」
Minuet in G major, BWV Anh.114
from Notebooks for Anna Magdalena Bach

編成はCl.4本、Bs,Cl.です。
サックス五重奏版、金管五重奏版、木管五重奏版は発売中です。

バロック期の家庭的で楽しい名曲を、ぜひお楽しみください。

クラリネット五重奏「バッハのメヌエット」
Minuet in G major, BWV Anh.114
from Notebooks for Anna Magdalena Bach

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア曲集」
この曲集はバラエティーに富んだ楽しい内容になっています。J.S.バッハが2人目の奥さん、アンナ・マグダレーナのために
贈った2巻の音楽帳です。とはいえ、バッハ自身が作曲した曲ばかりが並んでいるというわけではありません。

バッハの曲では、「フランス組曲」や「パルティータ」などの初稿、ゴルトベルク変奏曲のテーマである「アリア」など、
鍵盤楽器で弾けるものが入っています。
そのほかは、アンナ・マグダレーナ自身が書き留めた小品が多く、アリアやコラールなどの声楽曲や通奏低音のルールがあったり、
バッハの前妻との息子であるカール・フィリップ・エマヌエルの小品も入っていたり、
クープランのクラヴサン曲が混じっているかと思えば、テレマンの親戚かも? と言われている作曲者の小品も納められています。

その中で最も有名な曲は、この「バッハのメヌエット」という小品です。
本当はペッツォルトという人が作ったのに「バッハのメヌエット」(BWV Anh.114、115)と呼ばれている曲です。
作曲者はドイツの作曲家クリスティアン・ペツォールト(Christian Petzold/1677- 1733)で、
正確には『ペツォールトのメヌエット』と明記されています。

クリスティアン・ペツォールト(Christian Petzold, 1677年- 1733年)は、バロック時代を生きたドイツの作曲家、オルガン奏者です。
バッハより8歳先輩の音楽家です。

1703年にドレスデンの教会のオルガン奏者を務めると、その後1709年からは宮廷の室内楽団の一員として活動をしました。
彼の作曲した作品で現在まで受け継がれているものはわずかしかありませんが、「優れたオルガニスト」としての記録が残っています。

アンナ・マグダレーナ自身が楽しむためのものもあれば、子どもたちへの教育用に書き溜められていったものでもあるこの曲集。
自筆譜には、子どもの筆跡と思われる幼い書き込みもあるそうです。
バッハ家の家庭内で演奏されていた小さな音楽の数々は、まるで「お菓子の詰め合わせ」のように楽しい気分にさせてくれます。

バッハは1720年の旅行中に妻が急死する不幸に見舞われ、翌年、宮廷歌手のアンナ・マクダレーナ・ヴィルケと再婚しました。
バッハは、1717年から1723年までアンハルト=ケーテン侯レオポルトの下で宮廷楽長として仕えていて、
同じ宮廷のソプラノ歌手として有名だったアンナ・マクダレーナと知り合いました。
アンナは有能な音楽家であったと見られており、夫の仕事を助け、作品の写譜などもしています。

アンナ・マクダレーナとの間に生まれた13人の子供のうち、クリスティアンは音楽家として最も社会的に成功しました。
クリスティアンはイングランド王妃専属の音楽家となった他、モーツァルトに大きな影響を与えました。
彼らの他にも、バッハには成人した4人の息子がいますが、彼らはみな音楽家として活動しました。

18世紀に生まれた「バッハのメヌエット」は、20世紀後半に現代的なポップスとして蘇りました。
アメリカのシンガー ソングライターのデニー・ランデル(Denny Randell)とサンディ・リンザー(Sandy Linzer)は、
「バッハのメヌエット」のメロディーを元に新たに歌詞をつけ、4/4拍子にアレンジして
『ラヴァーズ・コンチェルト(A Lover's Concerto)』として新たな命を吹き込みました。

1965年に女性R&Bグループ「The Toys(ザ・トイズ)」によりレコーディングされ、同年のアメリカ・イギリスにおいて
メジャーヒットを記録しています。
日本では、女性ジャズヴォーカリスト、サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan/1924-1990)によるカヴァー盤が有名です。

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  2022/02/03   animato

木管四重奏 3つの歌:モーリス・ラヴェル 3. ロンド

木管四重奏 3つの歌:モーリス・ラヴェル 3. ロンド

Trois Chansons 
1. Nicolette(Nicolet) 1. ニコレット
2. Trois beaux oiseaux du Paradis(Three lovely birds from Paradise) 2. 3羽の美しい極楽鳥
3. Ronde(Rondelay) 3. ロンド

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。Bsn.はBs.Cl.に変更可能です。
クラリネット四重奏版、サックス四重奏版、金管四重奏版は発売中です。

色彩豊かなラヴェル作品をコンサートピースに、ぜひどうぞ。

木管四重奏 3つの歌:モーリス・ラヴェル 3. ロンド

Trois Chansons 
1. Nicolette(Nicolet) 1. ニコレット
2. Trois beaux oiseaux du Paradis(Three lovely birds from Paradise) 2. 3羽の美しい極楽鳥
3. Ronde(Rondelay) 3. ロンド

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。Bsn.はBs.Cl.に変更可能です。
クラリネット四重奏版、サックス四重奏版、金管四重奏版は発売中です。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

Trois Chansons、M 69は、モーリス・ラヴェルがアカペラ合唱団のために作曲したもので、彼自身が作詞しています。
ラヴェルは第一次世界大戦の勃発に応えて1914年12月に作曲を開始しました。そこで彼はフランスのために戦うために参加することを望んでいました。
彼は何ヶ月も待っている間、16世紀のフランスのシャンソンの伝統で3曲の歌詞と音楽を書き上げました。
彼は1915年に作品を完成させ、1916年にデュラン社によって出版されました。曲は1917年に初演され、
ルイ・オベールが指揮した合唱アンサンブルによって演奏されました。

ラヴェルは16世紀の伝統的なフランスのシャンソンを彷彿とさせるテキストと音楽で戦争に反応しました。
彼は人気のある古風な韻を用いて自分で歌詞を書きました。
彼は3曲を3人の人々に捧げ、「ニコレット」は軍隊に関係したトリスタン・クリングソールに、
「3羽の美しい極楽鳥」は数学者で社会主義の政治家であるポール・パンルヴェに捧げました。 
この作品は、音楽学者のマルセル・マルナットが作成したモーリス・ラヴェルの作品リストの第69番に登録されています。

3つの歌(シャンソン)はアカペラ合唱団のためのラヴェルの唯一の作曲です。
歌詞と音楽
3曲すべてに共通するテーマは喪失であり、ユーモアと皮肉が込められています。
「ニコレット」では、牧草地で花を摘む少女がオオカミとページから逃げ出しますが、銀を差し出す年配の紳士に純真さを奪われてしまいます。
「3羽の美しい楽園の鳥」では、愛する人が戦地にいる少女は、青、白、赤の鳥(フランスのナショナル・カラー)の贈り物を受け取り、彼が死んだことを理解するのです。 
「ロンド」では、若者は年配の男性と女性の警告に対する敬意の無さを表現しています。

歌詞はルネサンス音楽の雰囲気を思い起こさせ、プラーガルなリズムと古代のフレージングの変化を伴う同様に古風な音楽によって支えられており、
音楽と言葉に密接に関連しています。音楽はルネッサンスのシャンソンとマドリガーレを想起させます。

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  2022/02/02   animato

金管六重奏 オックスフォード伯爵の行進曲:ウィリアム・バード

金管六重奏 オックスフォード伯爵の行進曲:ウィリアム・バード
The Earle of Oxford's Marche
William Byrd

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.、Eup.、Tubaです。
サックス六重奏版、木管六重奏版、クラリネット六重奏版は発売中です。

ルネサンス期のシンプルで壮麗な響きをぜひ味わってください。

金管六重奏 オックスフォード伯爵の行進曲:ウィリアム・バード
The Earle of Oxford's Marche
William Byrd

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William Byrd (c.1543-1623)
ウィリアム・バード
バードはエリザベス一世に代表されるテューダー朝を代表する音楽家で、師のトマス・タリスとともに、
英国教会音楽の黄金時代を築きました。20歳でリンカーン主教座聖堂オーガニストに就任、
29歳で王室礼拝堂オーガニストに就くなど、教会音楽の指導的役割を担うかたわら、
1575年にはタリスとともにエリザベス女王から楽譜印刷及び販売の独占権が与えられ、
多くの作品を作曲・出版しました。教会合唱曲としては、ミサ曲3曲、モテット集3巻78曲、
グラヂュアーレ集3巻109曲にのぼります。

本作は、1581~91年頃に書かれたヴァージナル(チェンバロに似た小型の鍵盤楽器)のための
曲集「戦い」中の1曲です。
この曲は「The Marche before the Battle(戦いの前の行進曲)」という別なタイトルをもっています。
バードは他の曲にもかなり描写的なタイトルをつけています。
Tuttiのトニック和音で勇壮に始まり、次第に戦いのマーチという副題にふさわしい盛りあがりを見せます。
”ブラスの神様”フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル(PJBE)のメイン編曲者エルガー・ハワースは、
「戦い」全体を編曲していますが、この曲は単独で演奏されることが多い曲です。
PJBEのトレードマーク的な意味合いが強い、壮麗で堂々たる作品です。

ヴァージナル(virginal)
チェンバロの一種で17世紀半ば以前の英語でチェンバロ族一般を指します。
ヴァージナル(英: virginal [virginals], 独: Virginal)は小型の撥弦鍵盤楽器で、弦が楽器の長辺および鍵盤と平行に張られているものを指します。
特に長方形の楽器を指すこともあります。一般に弦は一組のみで、手前に低音、奥に高音の弦が張られています。
イタリアのヴァージナル(あるいはスピネット)は、長方形、あるいは多角形のケースで、突き出た形の鍵盤を持つものが多く見られます。
フランドルのヴァージナルは、鍵盤が本体の左側に位置するスピネット型と、右側に位置するミュゼラー型(muselar, muselaar)に分けられます。
どちらも一般に長方形で鍵盤が窪んだ場所に位置し本体から突き出ていません。

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  2022/02/01   animato