Gallery

2022年1月5日

金管五重奏 「6つのメヌエット」から第2曲 WoO 10-2:ベートーヴェン

金管五重奏 「6つのメヌエット」から第2曲 WoO 10-2:ベートーヴェン
6 Minuets, WoO 10-2 (Beethoven, Ludwig van)

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
サックス五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。

ベートーヴェンが書いた可憐なメロディーを、ぜひお楽しみください。

金管五重奏 「6つのメヌエット」から第2曲 WoO 10-2:ベートーヴェン
6 Minuets, WoO 10-2 (Beethoven, Ludwig van)

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
サックス五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。

ベートーヴェンが書いた可憐なメロディーを、ぜひお楽しみください。

b5.jpg
お求めの際はこちらからお願いします。

アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/kKsaqTBzpF4

Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

この曲は他の管弦楽のための舞曲群と同時期の1795年に作曲された
管弦楽のためのメヌエットの作曲者自身によると思われるピアノ編曲版です。
管弦楽編成は恐らくヴァイオリン2丁とバス楽器(チェロ等)です。
しかし現在管弦楽版は散逸していて現在に至るまで発見されていません。

この作品の中でも第2曲目の「ト調のメヌエット」は特に有名で、ヴァイオリン用に編曲もされています。
この曲をテレビやラジオのBGMとして聴いたことのある方も多いかもしれません。

自筆譜もスケッチも残されていないため成立年代は不明ですが、こうした舞曲を作曲していた可能性としては、
ボン時代から1799年のウィーン時代の間と考えられています(キンスキー=ハルム篇の作品目録では1795年作と推定)。

第1曲から順に変ホ長調(32小節)、ト長調(32小節)、ハ長調(38小節)、ヘ長調(32小節)、ニ長調(32小節)、
最後の第6曲がト長調(32小節)。8小節の楽節で繰り返される親しみ深い実用舞曲です。
もともとはフランスの宮廷舞曲として発展したメヌエット。それぞれ個性の違う6曲がまとめられています。

ベートーヴェンの初期の作品は、明るい音楽が多いのが特徴です。
これは耳の正常に聞こえていたことも関係していると考えられています。

初期の古典的な作風は、ハイドンやモーツァルトの影響を受けているとも言われています。
その後、20代後半に耳の状態が悪化し、28歳の頃にはほとんど耳が聞こえなくなってしまいます。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

≫ 続きを読む

  2022/01/05   animato

Solo+木管五重奏 『ある晴れた日に』歌劇「蝶々夫人」より

Solo+木管五重奏 『ある晴れた日に』歌劇「蝶々夫人」より
Un bel di, vedremo
from Madama Butterfly

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bs.Cl.、Bsn.およびSoloパートです。
Ob.パートはCl.でも演奏可能でパート譜は同梱しています。
Bsn.パートはSt.Bs.でも演奏可能でパート譜は同梱しています。

同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、
in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、
in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、
in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、
Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。
in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)が含まれています。
多くの楽器がSoloを担当することができます。

プッチーニの異国情緒が溢れる名曲をコンサートで、ぜひお楽しみください。

Solo+木管五重奏 『ある晴れた日に』歌劇「蝶々夫人」より
Un bel di, vedremo
from Madama Butterfly

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bs.Cl.、Bsn.およびSoloパートです。
Ob.パートはCl.でも演奏可能でパート譜は同梱しています。
Bsn.パートはSt.Bs.でも演奏可能でパート譜は同梱しています。

同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、
in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、
in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、
in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、
Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。
in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)が含まれています。
多くの楽器がSoloを担当することができます。

プッチーニの異国情緒が溢れる名曲をコンサートで、ぜひお楽しみください。

ww5+.jpg
お求めの際はこちらからお願いします。

アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/98AcHUUJDmI

Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

『蝶々夫人(Madama Butterfly)』は、ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini/1858年-1924年)が作曲したオペラです。
明治時代の長崎が舞台となっていることもあり、日本で最も有名なオペラの一つでもあります。
プッチーニは「西部の娘」(アメリカ)「トゥーランドット」(中国)など異国の地を題材にオペラを書いていて、『蝶々夫人』は異国を舞台とした最初の作品です。
スカラ座での初演のは大失敗に終わりましたが、改訂以降は支持を獲得し、今日まで上演され続けています。

歌劇「蝶々夫人」 ―2幕の日本の悲劇―ストーリ(ダイジェスト)ー
 米軍中尉F.B.ピンカートンは、結婚仲介人ゴローから「蝶々さん」を紹介され、丘の上に家を用意し、結婚する。
しかし、いつでも自由に結婚の契約を解除できるという条件付の結婚であった。蝶々さんは愛するピンカートンのため改宗してまで彼に尽くす。
 ピンカートンは日本での任務を終え、蝶々さんに来年戻ると言い残して祖国アメリカに帰る。しかし三年経っても彼は戻らない。
その間に子供が生まれた。周囲の人々は彼の愛を疑うが、蝶々さん一人は彼を信じ、ひたすら待ち続ける。結婚仲介人のゴローは、
ヤマドリ公と結婚させようとするが、無駄に終わる。
 そんなある日、ピンカートンの乗る軍艦リンカーン号が入港する。蝶々さんは自分の心が通じたのだと喜び、部屋を花いっぱいにし、
着替え、化粧をして一晩中彼の帰りを待つ。
 領事シャープレス、ピンカートン、そして妻のケイトが家に到着する。ピンカートンは花で飾られた部屋を見ると自責の念に駆られて
その場を逃げ出す。蝶々はピンカートン、ケイト夫妻に子供を預けることを決める。後でピンカートンが子供を引き取りに行くと、
蝶々さんは短刀で自害した直後だった。

詳細な解説
明治初期の日本を舞台にしたこの作品は、小説から芝居へと形を変え、 それを見たプッチーニがぜひ作曲したいと言い出してオペラになったものです。
日本の長崎を舞台に米国海軍の軍人である夫・ピンカートンと日本人の妻・蝶々の悲恋を描いた異色のオペラ作品としても有吊です。
またこのオペラの中には、「さくらさくら《「お江戸日本橋《「君が代《などの日本のメロディーや、アメリカ国歌までもが効果的に使われています。

【あらすじ】
蝶々夫人(ソプラノ)は15歳、父の切腹によって彼女の家は崩壊をし、彼女は生活の為に芸者に・・・。
アメリカ海軍士官ピンカートン(テノール)はプレイボーイで、あちこちで快楽を求めているタイプ。
その男がとてもとても可愛いお人形のような15歳の芸者に恋をします。
あの手この手で彼女を口説き落としたのでしょう、彼女に結婚を申し込み、そして2人のための家を手にいれます。

蝶々さんは、メイドのスズキ(メゾソプラノ)と 少しばかりの所持品を持って嫁いできました。
そして彼に心身ともに尽くす覚悟でキリスト教に改宗します。
ところがしばらくして、ピンカートンは自分の国に一人で帰ってしまうのです。

再び帰って来る日を待つ蝶々夫人のけなげな日々が3年続きます。
その間、手紙は届かず、生活費は底をつきます。
メイドのスズキと心細く、でも辛抱強く彼の帰りを待ちます。 スズキにはわかっているのです。ピンカートンはもう、帰ってこないだろうことを・・・。
蝶々夫人を哀れに思い、涙を流すスズキに彼女は“どうして泣くの?あの人はきっと、帰ってくるわ”といって 「ある晴れた日に《を歌うのです。

ピンカートンから、アメリカで結婚した妻を連れて日本に行くと言う手紙を貰ったシャープレス(バリトン)領事は、 蝶々夫人に真実を打ち明けられずに苦しみます。
もし彼が戻らなければ芸者に戻るか、さもなくば死を選ぶと彼女はピンカートンとの間に出来た息子を強く抱きしめます。
そのとき海軍の軍艦が港に入ったという合図の大砲。
部屋中を桜の花びらで飾り、そして子守り歌をうたいながらかわいい息子と彼の帰宅を寝ずに待つのです。
ピンカートンはスズキから彼女の様子を聞き、自分がいかにひどいことをしたか、 彼女の気持ちをもてあそんでしまったことを後悔します。
そしてピンカートンは夫人を伴って、蝶々夫人に会います。
蝶々夫人は、ピンカートン夫人を見たとたん、すべてを悟りました。
蝶々夫人は、息子の幸せを考え、自分は身を引くことを決心します。
息子に別れを告げ、“お母さんの顔を忘れないでね、覚えていてね”と涙を流して言います。 そして、息子に目隠しをして自害するのです!!
あわててピンカートンが、駆けつけるのですが、彼女は最後の力をふりしぼって、 息子のことをたのみ、ひとりさみしく死んでいきます。

アリア『ある晴れた日に』

このアリアは、オペラ『蝶々夫人』のクライマックスで歌われます。『蝶々夫人』はイタリア人のプッチーニが作曲しましたが、
舞台は明治時代の長崎が舞台です。 「ある晴れた日に」という曲は、第2幕1場、長崎の港が見える丘の上の家で、 夫に見捨てられたとも知らず、
彼の帰りを待つ主人公の蝶々さんが、メイドのスズキに向かって、 彼の帰りを信じていることを言い聞かせるように歌うドラマチックで悲しいアリアです。
旋律の美しさもさる事ながら、気丈に夫の帰りを待つ蝶々さんの純粋さや、悲しさ、そして愛にあふれた 感動を呼ぶ吊曲として世界中で親しまれています。

米国軍中尉ピンカートンが祖国に戻ってから三年。長崎の丘の上にある愛の家で、蝶々さんは彼を待ち続ける。
小間使いのスズキはピンカートンはもう戻らないのではないかと思っている。そんな彼女に、蝶々さんは言う。

 ある晴れた日に、海の彼方から白い船がやってくるの。
 船を降りる人々の群れの中から、あのひとが丘に向かってやってくるわ。
 でも、わたしは、迎えにでないで隠れて待っているの。
 すると、あのひとは少し心配になって名前を呼んでわたしを探すの。
 きっとこの通りになるのよ。
 (蝶々さんが回想する「船の礼砲」が15小節目に鳴り響く。)

原語(イタリア語)歌詞
Un bel di, vedremo
Levarsiun fil di fumo
Dall'estremo confin del mare
E poi la neve appare.

Poi la neve bianca
entra ne porto,
romba il suo saluto.
Vedi? E_venuto!

Io non gli scendo incontro.Io no.
Mi metto la sulciglio del colle
E aspetto, E aspetto gran tempo
E non mi pesa,la lunga attesa.

E uscito dalla folla sittadina
Un uomo, un picciol punto
s'avvia per la collina...

Chi sara? chisara?
E come sara giunto Che Gira? che dira?
Chiamera Butterfly dalla lontana.
Io senza dar risposta Me ne staro nascosta
Un po' per celia. E un po'per non morire..
al ptimo incontro,
Ed egli alquanto in pena
chiamera,chiamera:
Piecina mogliettina olezzo di verbena,
I nomi che mi dava al suo venire

Tutto questa avverra, te lo prometto.
Tienti la tua paura,
io con sicura fede l'aspetto.

歌詞訳

ある晴れた日
海のはるかかなたに
煙がひとすじ見え、
船の姿が現れる

真白い船が
港に入ってくると
礼砲が響きわたる
見える?帰ってらしたのよ!

でも迎えには行かないのよ。行かないの。
向こうの丘の端に立って待つの
待ち続けて・・・
どんなに長く待っても辛くないわ

まもなく町の人々の間から
ひとりだけ抜け出して
この丘をのぼってくるわ

誰? 誰なんでしょう?
ここへ着いたら何て言うのかしら?
遠くからきっと「蝶々さん《と呼ぶわ
でもわたしは返事もせずに隠れるの、からかうのよ
再会した喜びで
死んでしまわないように、
そうすればあの人は心配の余り
こう呼ぶの・・・ 呼ぶのだわ、
「美女桜の香りのするかわいい奥さん《と
あの人がわたしにつけてくれたあだ吊なのよ

お前に話しておくけれどきっと実現するわ
お前が心配していても
わたしは信じているのだから

歌劇『蝶々夫人』にいたるまで
明治期の長崎で、アメリカ海軍士官に捨てられた日本女性が、死をもって抗議するオペラ『蝶々夫人』。その原作は、日本を訪れた米国人女性
サラ・ジェーン・コレルが耳にした話を、実弟ジョン・ルーサー・ロング(1861-1927)が短編小説として発表(1898)、それを米国人
デイヴィッド・ベラスコ(1853-1931)が舞台化した一幕の芝居です。
この『Madame Butterfly』は1900年3月にニューヨークで初演されましたが、それからすぐロンドン上演が決まり、ベラスコも現地に赴きました。 
このとき、たまたまロンドンに滞在していたのが、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)でした。彼は、前作『トスカ』の
ロンドン初披露(同年7月12日)に出席すべく渡航していましたが、音楽学者アッシュブロックによると、プッチーニがその折に観た二本立ての
芝居の一本がベラスコの作であり(4月28日)、彼は、蝶々さんと息子とお手伝いのスズキが立ち尽くす「徹夜の場」に深く心打たれたといいます。
そこで作曲家は行動を起こしました。ベラスコの伝記によれば、終演後、プッチーニは舞台裏に飛び込み、彼を熱く抱擁しながら
「この芝居をオペラ化させて欲しい」と訴えたという。英語を解さなかった作曲家がそこまで感激した理由を想像して、ベラスコは
「プッチーニはただ、自分が書こうとする音楽を、この芝居から聴き取ったのだ」と語っています。
この後、版権を得たプッチーニは、良き協力者のルイージ・イッリカ(1857-1919)とジュゼッペ・ジャコーザ(1847-1906)の
コンビに台本作りを依頼しました。1902年4月23日付のプッチーニの書簡(出版社主G.リコルディ宛)に、
「イッリカが、日本の貞奴(欧州に著しい影響を与えた日本人女優)にインタヴューする」との一行があります。

『蝶々夫人』全曲の完成は、プッチーニが交通事故で療養したこともあって、3年後の1903年末になりました。そして1904年2月17日に
ミラノ・スカラ座で世界初演が行われましたが、この公演は歴史的な大失敗に終わりました(初日のみで上演打ち切り)。
理由の一つには、リコルディ社の商売敵ソンヅォーニョ社の一派が客席に詰め掛け、大いに野次を飛ばしたことが挙げられます。
夫ピンカートン役を創唱したテノール、ジョヴァンニ・ゼナテッロも後年、「客席が喧しくてオーケストラが聴こえなかった」と
証言しました。
その後、プッチーニは本作を改稿し、長大な第2幕を二部に分けてピンカートンのアリア「さらば愛の家よ」を挿入した上で、
ブレーシャで改訂版として上演し成功しました(1904年5月28日)。彼はその後も楽譜に手を入れ続け、1906年12月28日にパリで
上演した内容がほぼ現在の版になっています(細部の修正は1911年まで続きました)。
ちなみに、日本が舞台となるオペラは『蝶々夫人』が初めてではありません。例えば、英国のサリヴァンの喜歌劇『ミカド』(1885)では、
エキゾチックな東洋として日本を描きつつ、軍歌のトンヤレ節〈宮さん、宮さん〉を日本語のまま取り入れています。
また、フランスのメサジェの歌劇『お菊さん』(1893)は長崎を描いたもう一つのオペラです。「さくらさくら」の旋律も使われています。
しかし、『蝶々夫人』は、そういった諸作とは一線を画し、より我々の心情に近づくオペラになっています。

ききどころ
第1幕 冒頭の弦楽合奏(対位法による)に打楽器が被さる辺りで、早くも日本由来のフレーズが聴かれます。
海軍士官ピンカートン(テノール)と女衒のゴロー(テノール)が姿を見せると、脚絆を着けた男の歩く様を思わせるよ
うな弦のピツィカートが聞かれます。領事シャープレス(バリトン)を前にピンカートンが歌うアリア「世界中どこでも〈Dovunque al mondo〉」では、
米国国歌の一節が、彼の楽天的な性格を強調しています。
対照的に、蝶々さん(ソプラノ)の登場のソロ「さあ、もう少し〈Ancora un passo, or via〉」では、和装の緩やかな足取りにも似た
ラルゴのテンポでヒロインの声が朗々と響き渡り、超高音の三点変ニ音を引き伸ばすパッセージには、彼女の若くて生真面目ななりが象徴されています。
続いてシャープレスが蝶々さんの父親について尋ねると、クラリネット、バス・クラリネット、ファゴットと低弦で始まる和風のモティーフが奏されます。
これは「自殺」を表す動機であり、後に何度も再現されるものです。この後、「さくらさくら」や「お江戸日本橋」、「君が代」など
日本のメロディがたびたび引用されますが、幕切れの有名な愛の二重唱「魅惑に満ちた目をした可愛い子〈 Bimba dagli occhi pieni di malia〉」には
日本調の響きが現れず、イタリア・オペラの流麗なメロディが大らかに歌われます。

中間部での抒情的なヴァイオリン・ソロはヒロインの心の震えを表現するものです。
その後、男女の情熱の頂点を示すべく高いハ音がユニゾンで歌われ、真の心の結びつきを表現します。

第2幕(前半) 冒頭ではお手伝いスズキ(メゾ・ソプラノ)の抑えた祈りが、蝶々さんの哀れな現況を映し出します。
一方、ヒロインの名曲「ある晴れた日に〈Un bel di, vedremo〉」では、アリアとしての完成度もさることながら、直前のスズキとの
真実味あるやりとりも、状況を掘り下げる一助となっています。続いて、領事シャープレスが、蝶々さんにお大尽(裕福で身分も高い男)
ヤマドリ(バリトン)との再婚を勧めるシーンでは、憎まれ役ゴローの言葉が、残酷な現実を炙り出します。
この後、領事シャープレスがピンカートンの手紙を淡々と読んで聞かせてから(手紙の二重唱)、「彼が貴女のもとに戻らなかったらどうしますか?」と
訊ねると、蝶々さんは衝撃を受け、「私に出来るのは、芸者に戻るか死ぬか」と話します。シャープレスが「夢から覚めるために……」と
口にすると彼女は怒り、別室から連れてきた子供を引き合わせ、アリア「坊やの母さんは〈 Che tua madre dovra〉」を切々と歌います。
領事が帰途に就いてまもなく、突然の砲声が米国軍艦の入港を伝える。すると「ある晴れた日に」のメロディが再現され、
蝶々さんの希望も「あの方は帰ってくる、私を愛している!〈Ei torna e m’ama!〉」のドラマティックな一言に結実します。
この後、蝶々さんとスズキのうきうきしたデュエット「花の二重唱」に続いて、前半を締め括る〈ハミング・コーラス〉が始まります。
芝居を観たプッチーニが最も感動した名場面をもとに、変ロ長調の穏やかなトーンの中、合唱団のハミングが弦と木管と共にしっとりと広がるさまに
耳を欹そばだててみたいシーンです。

第2幕(後半) ドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』を思わせる水夫の掛け声から始まり、夜明けを描く間奏曲では
賑やかな鳥の声も表現されます。この後ドラマは急展開を迎え、まずは、現れたピンカートンとシャープレス、彼らに食い下がるスズキが三重唱を
歌い、隠れた名場面としてそれぞれの胸中を掘り下げます。続いてピンカートンの後悔のアリア「さらば愛の家よ〈Addio, fiorito asil〉」は、
軽薄な男でも成長の可能性ありと示す象徴的な一曲です。入れ替わりに蝶々さんが登場し、全てを悟って自害を決意します。
ティンパニの連打が緊迫感を煽り、いよいよ覚悟を決めたそのとき、子供が姿を見せます。彼女は悲痛なアリア
「お前、小さな神様であるお前!〈Tu, tu, piccolo Iddio!〉」を絶唱し、子供を押しやってから、大和撫子の誇りを貫くべく、
刃を我が身に向ける。ピンカートンの呼び声が虚しく響く中、和のフレーズが物語を劇的に締め括ります。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

≫ 続きを読む

  2022/01/05   animato