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クラリネット四重奏「悲歌」カリンニコフ

クラリネット四重奏「悲歌」カリンニコフ
Chanson Triste
4 Compositions for Piano 
Vasily Kalinnikov

編成はCl.3本、Bs,Cl.です。
Bs.Cl.はBsn.に変更可能です。
サックス四重奏版、木管四重奏版、金管四重奏版は発売中です。

素朴で飾らないロシアの魅力を演奏で味わいたいものです。
コンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

クラリネット四重奏「悲歌」カリンニコフ
Chanson Triste
4 Compositions for Piano 
Vasily Kalinnikov

編成はCl.3本、Bs,Cl.です。
Bs.Cl.はBsn.に変更可能です。
サックス四重奏版、木管四重奏版、金管四重奏版は発売中です。

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アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/VKBasJoeQyE

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

カリンニコフの「悲歌」は、その美しく切ないメロディーゆえに愛されている作品です。
カリンニコフは決して有名な作曲家とは言えませんが、ロシア音楽が好きな方なら耳にしたことがあるかもしれません。

「悲歌」の5拍子のシンプルで美しい音楽は、まるでロシアの風景が浮かび出てくるかのようです。

ヴァシリー・カリンニコフ(Vasily Kalinnikov/1866年-1901年)は、ロシアのオリョールで貧しい警察官の家庭に生まれました。
音楽の才能の発揮したカリンニコフですが、青年期に最初の不幸が訪れます。
モスクワ音楽院に入学するも、経済的な理由で数か月で退学しなければならなくなったのです。

就職と同時期に肺結核
しかし才能のあったカリンニコフは、1892年に別の学校(モスクワ・フィルハーモニー協会の音楽学校)を修了後、
チャイコフスキーに認められます。そして1983年にイタリア歌劇場の副指揮者の職を手にします。
ここで二つ目の不幸が訪れます。
肺結核にかかり、仕事を辞めざるをえなくなったのです。
彼は闘病の中、作曲活動も続けます。
カリンニコフは2つの交響曲や管弦楽曲、ピアノ曲を残しましたが、34歳の若さで帰らぬ人となりました。

カリンニコフは34歳で夭折したロシアの作曲家です。長らく忘れられた存在でしたが、
その交響曲第1番が巨匠スヴェトラーノフによって演奏会に取り上げられたり、NAXOSによる
交響曲第1番・第2番のCD(テオドル・クチャル指揮ウクライナ交響楽団、1995年)が異例のベストセラーになり、脚光を浴びています。
むせかえるようなロマン溢れる旋律には、一度聴いたら忘れられない強烈なインパクトがあり、近年では日本でも、
人気レパートリーとして各地で演奏されています。
カリンニコフは薄幸の作曲家で、音楽院を卒業し、チャイコフスキーの推薦を得てモスクワで指揮活動を始めた矢先に、
27歳で結核に冒されてしまいます。以後、一線を退き、34歳で亡くなるまで、余生を温暖なクリミアで闘病と作曲に費やしました。
しかし、この療養生活でいくつかの魅力的な作品が残されたのは喜ばしいことで、師で友人のクルーグリコフに捧げられた
交響曲第1番は、紛れもなく彼の最高傑作です。クルーグリコフの尽力により実現した初演(1897年キエフ)は大成功を収め、
さらなる上演へと繋がりますが、カリンニコフ自身は闘病のためその舞台に立ち会うことはできませんでした。
当時のロシア音楽界の潮流は、西欧の作曲語法を積極的に取り入れたルビンシテイン、チャイコフスキーらのモスクワ楽派と、
反西欧を掲げて土着の素材にこだわった「五人組」らの国民楽派に二分されます。カリンニコフの作風は、
チャイコフスキーの洗練された書法の影響を強く受けながらも、ロシア民謡に根ざした土の匂いも色濃く残していて、
土臭いけれどもキャッチ―で分かりやすい、という固有の魅力を持っています。
交響曲第1番でも、濃厚な旋律に対し、木管楽器に縁どられた透明感あるオーケストレーションが施され、バランスを保っています。
カリンニコフのピアノ小品「悲しい歌 Chanson triste」で、スラヴ音楽特有の珍しい5拍子(3+2)で
書かれています(ちなみに、5拍子の曲でまず思い出されるチャイコフスキー「悲愴」第2楽章は、2+3の5拍子です)。
そして、同じ調性(ト短調)で書かれた交響曲第1番や、ドヴォルザークの交響曲第8番などと同様、
エオリアンスケール(自然短音階)でト短調と変ロ長調の空間を行き来する響きが何とも温もりのある郷愁を感じます。
1世紀の時を経て人気が再燃しつつある作曲家カリンニコフの秀作です。

カリンニコフは、2つの交響曲といくつかの付随音楽、そして多数の歌曲を遺しました。
いずれの作品もみな、ロシア民謡の特徴に根ざしています。2つの交響曲、なかでも《交響曲 第1番》は、
20世紀初頭に頻繁に演奏されました。
2曲の完成された交響曲こそは、美しい民族的な旋律と、色彩的な管弦楽法ゆえに、カリンニコフの代表作と言えます。
どちらの曲もほとんど病床で作曲されたものですが、生への希望に満ちた明るさが感じられます。
おそらく、作曲者は、これらの曲を実際に聴くことはなかったでしょう。
カリンニコフの作風は、おおむねチャイコフスキーに倣って西欧的な楽曲構成法を採っていながらも、
旋律や和声法に民謡や民族音楽の影響が自明であるように、国民楽派(「五人組」)からの影響も見られます。
このようにカリンニコフは、モスクワ楽派とペテルブルク楽派のいずれかに与するのではなく、
その両方の伝統の美点を折衷した作曲家でした。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

  2021/08/14   animato
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