西洋音楽の歴史52

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近代・現代の音楽
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■■ソビエトの音楽

 ロシアからソビエトに国名が変わり,帝政から社会主義国家へと転じたのは,いうまでもなくl9l7年の革命によってである。11年後の1928年には,スターリンによる第1次5か年計画が打ち出され,いわゆる社会主義リアリズムという路線が芸術面に及ぼされることとなった。この社会主義リアリズムというものは,要するにこの国の政策に沿った芸術活動を実践するということであって,結呆的には,自由であるべきはずの芸術家の創作活動に,制約が加えられることとなったのである。

 革命後にこの国から亡命した音楽家には,作曲家のラフマニノフ,ストラヴィンスキー,プロコフイエフ(後に帰国),指揮者のクーセヴィツキー,声楽のシャリアピン,ヴァイオリンのハイフェッツ,チェロのピアティゴルスキーなどがいるが,いずれも世界的な音楽家であっただけに,この時期のソビエトが一時的にせよ被った音楽上の損失には,計り知れないものがある。

 一方,革命後もとどまっていた音楽家には,グラズノフ(l865一l936)や組曲「コーカサスのスケッチ」で知られるイボリトフ=イヴァーノフ(l859一l935)などがいる。以上列挙した音楽家たちが,19世紀末からのロシア音楽を形成していたわけであるが,この時期におけるもっとも重要な作曲家として挙げられるのは,ストラヴィンスキーとプロコフィエフであろう。

 プロコフィエフ(l89l一1953)はペテルブルク音楽学校の出身で,リムスキー=コルサコフに師事し,多調性を取り入れた急進的な作風で人々の注目を集めていた。革命の際には日本経由でアメリカに亡命したが,l934年には帰国している。1917年に作曲した「古典交響曲」において示されているように,亡命のころから新古典主義的傾向を示し,手堅い構成の中に近代的な技法を生かした,簡明で平易な作風へと移っていった。帰国後は「ピーターとおおかみ」のような社会主義リアリズムの路線に沿った作品も書いている。

 

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