西洋音楽の歴史35

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後期ロマン派の音楽
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■■19世紀後半のオペラ

オペレッタ

 l9世紀の中ごろから後半にかけてのヨーロッパでは,ワーグナーの楽劇,ヴェルディによるイタリアオペラ,フランスの叙情歌劇など,古くからのオペラの伝統に立脚した活動が続けられていが,それと重複するような形ではあったが,パリ,ウィーン,ロンドンの各都市を中心にオペレッタが盛んに作られていた。パリではオペラ・ブフ,ウィーンではオペレッタ,ロンドンではライト・オペラと,それぞれ呼び名は異なっていたが,いずれもその内容とするところのものは,親しみやすい題材に平易でわかりやすい音楽を付け,せりふも自由に挿入して,見る人の心をくすぐるような人の世の喜劇的要素が盛り込まれていた。

 パリでは「天国と地獄」で知られるオッフェンバック(l8l9一l880)が中心人物であったが,そのほかにもドイツ人のフロート(l8l2一l883)が「マルタ」を書いている。ウィーンでは,ワルツ王といわれたJ.シュトラウス二世(l825一l899)が「こうもり」や「ジプシー男爵」で人気を博していた。また,シュトラウスによるウィンナ・ワルツは,当時のヨーロッパ全土にわたって愛された音楽でもあった。ウィーンではそのほかにも,スッペ(l8l9一l895)が「ボッカチオ」を,レハール(l870一l948)が「メリー.ウィドウ」をそれぞれ発表している。そしてロンドンでは,サリヴァン(l842一l900)が詩人のギルバートと組んで多くの名作を残した。中でも日本に題材を求めた「ミカド」は,特に有名である。こうしたオペレッタが人々の人気を博Lた理由は,軽いタッチの,いわばボードビル風の運びの中にも,鋭い風刺が込められていたからであろう。

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