西洋音楽の歴史32

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後期ロマン派の音楽
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■■19世紀後半のオペラ

イタリア

 ロッシー二やドニゼッティ,ベッリーニらの時代がすぎると,イタリアオペラの伝統はヴェルディ(l8l3一l90l)に引き継がれることとなっ

。ヴェルディはl839年に最初のオペラ「オベルト」を書いたが,それ以降最後のオペラとなった「ファルスタッフ」を発表したl893年に至るまでの約50年間に,30本を越えるあまたのオペラを作曲した。ヴェルディが現れるまでのイタリアオペラはヨーロッパにおけるオペラ界の主流であったし,作曲家が変わっても伝統である旋律中心主義的な作風はそれほど改まってはいなかった。ヴェルディも初期の作品ではまだその影響を残していたが,l862年の「運命の力」や7l年の「アイーダ」あたりから,声楽の取り扱い方の変化を含めて,非常に劇的な構成に変わっていった。その後一時的に創作活動を停止したことはあったが,l887年に「オテロ」を発表し,さらに前記の「ファルスタッフ」を世に出して,ワグネリズムの風潮の強い中で,イタリアオペラの伝統をこわすことなく,近代的な意味における劇的な迫力を加えることに成功したのである。

 ヴェルディ以後の時代になると,イタ!Jア文学のリアリズム運動としてのヴェリズモ(真実主義)の動きの中から,オペラにも新しい作品が生まれるようになる。マスカー二(l863一l945)の「カバレリア・ルスティカーナ」やレオンカヴァッロ(l858一l9l9)の「道化師」は,いずれも下層市民の生活の場に題材を求め,生々しい現実感を追究している。同じころ現れたプッチー二(l858一l924)は,「マノン・レスコー」でヴェリズモ的な表現を見せたが,その本領はより感傷的な旋律美にあった。彼の創作は20世紀まで続き,「ラ・ボエーム」や「トスカ」,「蝶々夫人」などがよく知られている。

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