西洋音楽の歴史31

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前期ロマン派の音楽
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■■リストの音楽活動

 リスト(18ll一l886)は,ハイドンも仕えたエステルハージ家の執事の子として生まれた。父親からピアノの手ほどきを受け,早くも9歳で公開演奏会を間いた。2l年に父とともにウィーンに出て,サリエーリに作曲を,チェルニーにピアノを学んだ。l824年にはパリで演奏会を開き,一躍サロンの寵児となる。その後もイギリス,フランスの各地で演奏活動を行うが,過重な演奏旅行のために健康を害し,27年の父の死をきっかけに演奏活動を中断した。30年ごろから徐々に音楽界に復帰した彼は,翌3l年に聴いたパガニーニの演奏に衝撃を受け,「ピアノのパガニーニ」となることを目ざす。その後ビルトウオーゾとしての活動を続ける中で生み出された彼のピアノ作品は,バガニーニから受け継いだ超絶技巧様式とメフィストフェレス的性格にあふれている。

 リストの功績は,ピアノの表現機能を極限にまで拡大していったことである。彼の技巧は超人的といわれ,彼だけに通用するとさえ言える機械的技巧主義が,やや強調されすぎてはいるものの,ピアノ音楽における一つの重要な意味を形成している。また彼は多くの弟子を育て,自身の演奏技法を後世に伝えたが,そうした活動によって近代的ピアノ演奏法を確立した功績も高く評価されるべきであろう。また彼が,多くの無名の音楽家やうずもれた作品を世に出したことも忘れてはならない。

 リストのもう一つの功績は,l848年に作曲した「前奏曲」による交響詩の創始である。リストがこの形式で用いた技法は.一つの動機にある特定の意味を持たせ,それを変容させながら曲の各所に出没させて全曲の統一を図るというもので,ベルリオーズやワーグナーのそれとほぽ類似のものである。

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