西洋音楽の歴史18

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古典派の音楽
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■■オペラ界の動き

 18世紀前半のイタリアでは,A.スカルラッティを中心とするナポリ派によるオペラ・セリアが全盛を迎えていた。またそのころにはペルゴレージ(l7l0一l736)の「奥様になった女中」のようなオペラ・ブッファも見られるようになった。しかしオペラ・ブッファは世紀の前半のイタリアではあまり振るわず,フランスにおいて活発な活動が見られた。

 フランスのオペラ活動は,初めはイタリアのそれを模倣する域をあまり出なかったが,lフ世紀にリュリ(l632一l687)が現れてフランスオペラの基礎作りが始められ,それを受け継ぐラモー(l683-l764)によって,さらに確固とした様式を持つようになった。イギ!Jスでは,l7世紀後半にパーセル(l659?-l695)が出てやや本格的な作品が害かれるようになっていったが,おおむねはイタリアオペラの輸入という形を脱し切っていなかった。そこへへンデルが登場して同じようにオペラの創作を行ったわけであるが,その後は取り上げるほどの活動は見られない。そうした各国のオペラ界の動きの中へ現れたのがドイツのグルック(l7l4一l787)である。彼は1762年に作曲した「オルフェオとエウリディーチェ」によって,従来のオペラの悪習慣とも言える歌手偏重の傾向を廃して,劇音楽本来の姿を取り戻すべきだとする彼の意見を実証した。

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