西洋音楽の歴史11

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古代からルネサンス音楽
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■■16世紀後半のその他の音楽活動

 このように,l6世紀後半にはフランドル楽派による対位法の技法が極めて高度な発達を示したが,反面その技法が広範囲に,しかも深く浸透していった結呆,技法そのものの新鮮さは薄れた。またラッソのような優れた作曲家の場合を除くと,個性的な主張に乏しくなってしまった。そして伝統に固執する彼らの古さは,やがて彼ら自身の育てた外国人たちによって,新しい時代の音楽へと変えられていった。

 ウィラールト(l490?一l562)を開祖とするべネチア楽派の,l6世紀後半からl7世紀初頭にかけての活動が,そのもっともよい例の一つである。ウィラールトはフランドル出身の作曲家であるが,l52フ年からペネチアのサン・マルコ寺院の楽長となり,多くのイタリア人の弟子を育てた。その中には「ピアノ・エ・フォルテ」でよく知られるG.ガブリエーリ(l553/6一l6l2)などがいた。そしてペネチアで育った他の作曲家たちとともに,モンテヴェルディに至るまでのベネチア楽派の輝かしい伝統を作り上げていったのである。この楽派が音楽史に残したもっとも大きな業績は,二つの聖歌隊と2台のオルガンを用いた二重合唱の技法である。この技法は後の協奏様式を示唆し,その空間的な音の響きはすでに和声的な世界を明確に示していた。さらにこの時期にはローマにパレストリーナ(l525?一l594)が出て,当時のカトリック教会の再編成に適応するような作品(「教皇マルチェルスのミサ」がその例)を発衣した。パレストリーナは多くの宗教音楽を残したが,世俗的作品も少なくない。彼の作風は保守的であったが用いた技法は新しいものであり,そこでは各声部の旋律と和声との完全な融和が図られていた。これはパレストリーナ様式とも呼ばれ,彼に始まるローマ楽派の典型的な様式となった。

 

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