2001夏・自分再発見!北海道縦走2500km

旅を終えて

 

長い検討期間を経て、ようやく実現した旅。これまでにも行こうと思えば行けるチャンスは幾度もあった。そんな筆者の背中を押してくれたのは一体何だったのか。40歳という節目をどれくらい意識していたのか自覚がない。しかし今の自分にとってこの旅は必然の成行きであったように思える。冒頭ページでも触れたように仕事上での専門性に磨きをかけるために、角質化した感性を揉みほぐし、心の充電が必要だったのであろう。また今回の旅を終え日常に復帰した今、非日常(すなわち生産性重視の勤労中心ではなく自分のための時間)と日常とのバランス感覚が失われると、生産性自体の低下を招くということを初めて痛感した。こうして筆を進めていること自体も日常の中にあって極めて生産性の低い非日常的な活動であるのだが....。

また筆者は自らが携わる教育という職業は一種のサービス業だと考えていた。しかし教育畑も良い土を用意し、種を蒔き、追肥しながら丹念に「心」を育てる業だと考えることができた。これに従事する筆者にとって、厳しく豊かな北の大地にあって愛情に満ちた真摯な農家の業から「学び」を見出すことは、どんなに重要な意味合いを持っているであろう。大いに学ばなければならない。そして教育者もサービス業ではなく、豊かで高品位な「心」の生産者でありたいと決意を新たにした。正に職種の垣根を越えて人の営みの原点を見た旅であった。

一方、筆者は音楽家として譜面と向き合い毎日のように音に浴する時間の中で、ややもすれば音楽的解釈や価値観が凝固してしまうことがある。筆者は近視眼的人間だとよく言われる。そんな自分の心には広角レンズを通したように遠くを観る時間が必要であることが分かった。心と感性に弾力性が戻ったような爽快な気分である。

こんなに充実した経験を与えてくれた北海道の人達、旅行中絶えず支援してくれた相棒、理解して送り出してくれた家族に感謝しなければならない。

蛇足ではあるが2500kmを走破することによって忍耐力を養えるなどと考えたのだが、今回の筆者に限っては門違いだったようである。なぜなら見るもの全てに自身の目が強く引き寄せられ、走ること自体を苦行と感じることができなかったからである。大地に吸い付く2本のタイヤ、路面を蹴って流れゆく大自然、それは何者にも替え難い至福の時であった。紛れもなく楽園だったのだ。

そんな濃厚な時間を求めて、来年もまた心のリハビリのため、この地に還ってきたいと思った。

 

小樽に入れたのは午前9時10分、運河前で食料を買い込んで大急ぎでフェリー埠頭に向かう。出港は今しばらく待ってくれー!遅刻すること30分埠頭で手続きをしたのは出港30分前だった。


何が何だか分からずに乗船手続きを済ませ、フェリーに滑り込んだ。台風の接近で細心の注意が必要と言われて荷物を降ろす。往路にも増して混雑するフェリー内の様子。


屈託のない水兵さん達、カモメが小樽港から遠く沖合まで見送ってくれた。台風の北上で船内には舞鶴接岸が危ういとの掲示があり、余談を許さない航海が始まった。


潮風と共に夕日が優しく背中を撫でてくれる。心地好い疲れが少しずつ薄らいでいく。同時に現実の世界へと一歩一歩近付いていく時間でもある。明日の夕刻には舞鶴に降り立てるのだろうか、台風情報に耳を傾けながら僅かな不安が過った。


台風の速度が極めて遅く、大きなシケもなく無事に舞鶴に降り立つことが出来た。急がれたのかも知れないが予定より1時間早く、午後4時の到着であった。京都に辿り着いたのは7時と、余裕をもって帰ることが出来た。何よりも無事の帰郷が一番の土産かもしれない。

The End

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