ルネッサンス開花の街フィレンツェ

早朝からフィレンツェへ向かった。古代にはエトルリア文明が栄えたトスカーナ州の州都フィレンツェは13世紀から15世紀にかけて凡ゆる分野で発展を遂げ、フィレンツェの通貨がヨーロッパ共通の通貨になった時期がある。イタリアが世界の6割にのぼる歴史的文化遺産を保有しているが、イタリア国内の遺産のうち5割がフィレンツェにあると言われている。人口は約45万人である。まず小高い丘ミケランジェロ広場を訪れた。ミケランジェロ広場にはミケランジェロの「ダヴィデ像」のレプリカが立つ。ピッテイ宮殿の東に位置するこの広場には緩やかな起伏の遊歩道があり、フィレンツェの人々の憩いの場でもある。広場からはアルノ川とフィレンツェの美しい街並みを見ることができた。続いて徒歩観光(バスの乗り入れ禁止)でサンタクローチェ教会からシニョーリア広場へ抜ける。ヴェッキオ宮殿はフィレンツェの政治の中心であったシニョリーア広場に向かって建つ優美で堂々としたゴシック様式の宮殿。ヴェッキオ宮殿横を通りウッフィッツィ美術館に入場した。フィレンツェではダンテ、ミケランジェロ、ドナテッロ、ロレンツォ・イル・マニーフィコ、サヴォナローラ、マキアヴェッリなど歴史上の人物にこの街で出会える。それらと出会える最も効率のいい場所ウフィツィ美術館は残念ながら撮影禁止であった。ウフィツィ(英語のオフィス)とは古語で役所を意味している。当初はメディチ家の役所が置かれていた。コの字型に配置されたルネッサンス様式の建物の中には約2500点の美術品が収蔵されている。多くのルネッサンス絵画の傑作が展示され、ギリシャ時代の彫刻も数多く並んでいる。殆どがメディチ家のコレクションだ。メディチ家の財力には圧倒される。ジョットの「聖母子」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝堂」、ラファエロの「自画像」、ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」など美術の教科書で見た多くの作品を鑑賞した。その後ドゥオモが目前に現れ、その大きさに圧倒された。ドゥオモとは司教座のある教会の本堂。


小高い丘ミケランジェロ広場


フィレンツェの町並みを一望できた


一際ドゥオモが目についた


サンタクローチェ教会を通って


シニョーリア広場のヴェッキオ宮殿


ウフィツィ美術館北側のモニュメント


ウフィツィ美術館に入場した


ドゥオモの雄姿が目前に現れた


ドゥオモの洗礼堂

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