達古武沼の木道も高層湿原に差しかかる。ヤチハンやミツバウツギなどの木が点在しはじめ、木陰にも助けられたと思ったら甘かった。蚊との闘いが待っていたのだ。確かに内地(本州)の蚊よりも動きは遅いが数は半端ではない。ネイチャーガイドの近藤先生は秘密兵器をかぶって身を守る。無防備な我々は素手で勝負するしか方法がなかった。
中間湿原から高層湿原へと木道は続く 地衣類は空気の美しい所にしか生きられない 枝が真っ直ぐで箸に使われるミツバウツギ 眩しい黄色のハンゴウソウ 近藤先生から湿原の自然について詳しいお話し
「昔はこんな山葡萄の木で、よくターザンごっこをしたものです」色鮮やかなヒョウタンボク ヤチボウズ トリカブトの猛毒についてもお話しがあった
(猛毒を利用してアイヌの人達は熊を狩猟したそうだ)ツリフネソウ(ホウセンカ科) キツリフネ(ホウセンカ科) 達古武沼にも鱗雲と秋の風 秋風を背に釧路空港から関西空港へ
6月に訪れた標津町と釧路湿原、初夏には少し早い季節にこの地に出会い、感動の予感を京都に持ち帰ったのが昨日のようである。今回の旅では北の大地と海が育んできた収穫を喜びのうちに与り、存分に味わったことになる。しかし、満たされるべきは筆者の食欲だけではない。真に心の深いところで満たされたのは自然と人との息の合ったキャッチボールがあってこそ豊かな収穫があるということ、すなわち共存・共生の原理なくして明日の自分は存在し得ないということへの気付きではなかろうか。自らも気付きながら、次の人達へ文化的な価値観を伝承していくことが教育の営みであろう。それを都会で気付き学ぶには教育条件と教材が乏しすぎる。最高のシチュエーションを用意してこそ最高の学びが享受できるのだとも実感させられた旅であった。都会暮らしの筆者にできることは何なのか?この自然を我々人類の生命共同体として最良の状態で次世代に託すことが最優先課題であると肝に命じて再び暮らし始めたい。万一道標を見失ったときには、またこの地を訪れることになるだろう。その折りには、新しい気持で三度目のレポートをしてみたい。 (完)
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