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2023年2月

金管四重奏 ファセイラ(気取った女性)、ワルツ

金管四重奏 ファセイラ(気取った女性)、ワルツ
Faceira, Valsa
エルネスト・ナザレ
Ernesto Julio Nazareth

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
木管四重奏、サックス四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。
「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。

金管四重奏 ファセイラ(気取った女性)、ワルツ
Faceira, Valsa
エルネスト・ナザレ
Ernesto Julio Nazareth

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
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「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。

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アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/J8M0_pJRaEA

Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

Faceira, Valsa ファセイラ(気取った女性)、ワルツ
原曲はト長調(ヘ長調アレンジ)のワルツです。「気取った女性」ではありますが少し憂いを湛えたような、やや物悲しいワルツです。
Bメロはホ短調で哀愁が漂います。Cメロはハ長調に転調し、ト長調のAメロが再現して曲を結びます。
特別に風変わりな旋律や和声を伴わず、音域も限られた中に収まっています。全曲を通して派手な跳躍や表現は見られません。
そんな曲調ですから、終始落ち着いた雰囲気を醸し出し、安らかな気持ちで演奏や鑑賞ができる作品です。

「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。
南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。
ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、
カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。
特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」

エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。
一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。
そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、
残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。
しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。
中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。
早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、
リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。
1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。
最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。
その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、
アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。

長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。
外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。

1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、
客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、
解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。

ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。
ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、
演奏するのに振り当てられました。
そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。
ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。

ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。
また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。
作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう
民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。

ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。
フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。
ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。
その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。

ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。
ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。
しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、
ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。
また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、
リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。
ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、
ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ
「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。

およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。
ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、)
アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。
ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、
そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、
実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。
もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。

最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』
『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。
ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、
さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。

晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。
ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。

作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、
作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、
クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。

アトリエ・アニマート
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  2023/02/08   animato

木管五重奏 3つのチーク県(コルト郡)の民謡

木管五重奏 3つのチーク県(コルト郡)の民謡
Three Hungarian Folksongs from Csik
ベラ・バルトーク 
Bela Bartok

編成はフルート、オーボエ、クラリネット2本、ファゴットです。
サックス五重奏、クラリネット五重奏、金管五重奏版は発売中です。

東欧の香りが昇華した名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

木管五重奏 3つのチーク県(コルト郡)の民謡
Three Hungarian Folksongs from Csik
ベラ・バルトーク 
Bela Bartok

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

1904年、ハンガリー農民の歌ううたに心を奪われてから、バルトークは民謡の収集を志し、1906年から本格的な民謡の収集を開始しました。
1907年の夏には、チーク県(現在ルーマニア)に訪れ、1ヶ月以上にわたって民謡収集を行っています。この旅の途中で、バルトークはある羊飼いの老人が吹く笛に感動し、
この旋律を、笛とピアノのために編曲しました。その数ヶ月後、それをピアノ独奏用に編曲したものが、この《3つのチーク県の民謡》です。
これは、バルトークが民族音楽を編曲したはじめてのピアノ作品になります。
音は少ないながら、リズム感や民俗的な土臭い雰囲気をうまく出すことが要となります。
全3曲の演奏時間は3分20秒程度です。

I. ルバート(1. 孔雀 The Peacock)
総演奏時間:1分30秒
第1曲:村人が吹く笛による、単純なドリア調の旋律が、さまざまな装飾音をもって奏されます。即興的要素の強い装飾であり、その演奏は容易ではありません。

II. リステッソ・テンポ(2. ヤノシダの縁日にて At the Janoshida fairground)
総演奏時間:1分00秒 
第2曲:エオリア旋法による旋律が、テンポを微妙なゆれの中で奏されます。親に反対をうける恋人同士の嘆きを歌った歌です。
ヤノシダJanoshidaは、ハンガリー中央部の北部グレートプレーン地域にあるJasz-Nagykun-Szolnok郡の村です。

III. ポコ・ヴィーボ(3. 白いユリ White Lilly)
総演奏時間:1分00秒
第3曲:テンポジュストではっきりと刻まれる拍にのせて、民俗音楽の旋律がうたわれます。
徴兵命令により、故郷への別れを告げる少年たちの歌です。なお、この曲に登場する旋律は、《8つのハンガリー民謡》の第五曲でも、用いられています。
3曲中で演奏難易度は、比較的容易です。

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  2023/02/07   animato

クラリネット四重奏 月光ソナタから第2楽章

クラリネット四重奏 月光ソナタから第2楽章
Menuet from Sonate Op.27 No.2
Beethoven

編成はCl.3本、Bs,Cl.です。
サックス四重奏、木管四重奏、金管四重奏版は発売中です。

ベートーヴェンが書いた愛情に満ちたメロディーを、ぜひお楽しみください。

クラリネット四重奏 月光ソナタから第2楽章
Menuet from Sonate Op.27 No.2
Beethoven

編成はCl.3本、Bs,Cl.です。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

1770年にドイツのボンという場所で誕生したベートーヴェンは、宮廷歌手をしていた父親からスパルタ教育を受け、音楽を学びました。しかしこの父親は浪費家で、
ベートーヴェンに音楽教育を施したのは、その才能をあてにするためだったようです。そして母親が亡くなってしまうと、ベートーヴェンは家計を支えながら
弟の世話をする生活を送りました。
しかし、ハイドンとの出会いをきっかけにウィーンに出ると、その後は各地で演奏旅行を行うようになりました。ところが、20代後半から耳の聞こえが悪くなる
症状が悪化していくと、28歳ではほとんど耳が聞こえない状態になってしまいます。そしてこの記事で紹介をする「月光」を作曲した翌年、遺書を遺して自殺を
考えるまでに至りますが、ピアニスト兼作曲家から作曲のみに専念するようになると、その後もたくさんの有名作品を作曲しました。

40歳くらいには耳が全く聞こえない状態になってしまったとされていますが、その後の作品には、現在ベートーヴェンの作品の中でも特に有名な交響曲第9番、
日本で「第九」と呼ばれている作品が作曲されています。
生涯独身だったベートーヴェンですが、恋多き人生だったということもよく知られています。また冗談好きの変わり者だったそうですが、
癇癪を起すと暴力的になるという一面も持っていたようです。さらに、父親に似てしまったのかお酒がとても好きだったということもよく知られています。

見た目に関しては、身長はあまり高くなく165cmくらいだったようです。また、弟子にはあのカール・ツェルニーがいました。ベートーヴェンの逸話には、
ツェルニーの証言がよく登場しています。
この作品は1801年に作曲され、弟子だった伯爵令嬢のジュリエッタ・グイチャルディに献呈されました。しかし、14歳も離れていたこの女性との恋愛は、
身分の差もあり上手くはいかなかったようです。またこのピアノソナタは「月光」として知られていますが、実際のタイトルは「ピアノソナタ 第14番 幻想曲風ソナタ」でした。
ベートーヴェン自身が付けた「幻想曲風ソナタ」というタイトルよりも、「月光」という名前の方が広く知られるようになったのは、ルートヴィヒ・レルシュタープという人物の
コメントからだったようです。
ベートーヴェンは生涯に(幼少期の作品・未完の作品を除けば)32曲の「ピアノソナタ」という作品を書いていますが、
その中でも特に有名な3つのピアノソナタが「悲愴」「月光」「熱情」で「三大ピアノソナタ」と呼ばれています。

特に「月光」はベートーヴェンのピアノソナタの中でも異色の作品となっています。
ベートーヴェンの2曲セット『2つの幻想曲風ソナタ 作品27』の2曲目が、有名な〝月光ソナタ〟〝ムーンライトソナタ〟です。
ピアノソナタといえばまずこの曲の名が思い浮かぶ、ソナタの王者です。

降り注ぐ月の光のように幽玄な雰囲気を湛えるな第1楽章。
短いながら憧れで軽快で心踊る第2楽章。
地下から湧き上がるかのような激しい情熱が圧倒する第3楽章。

この曲は、1802年に出版された際、伯爵令嬢ジュリエッタ・グイッチャルディ(1784-1856)に献呈されました。
ジュリエッタは本名はユリアで、当時ハプスブルク家領だったイタリアのトリエステで生まれました。
父のフランツ・ヨーゼフ・グイッチャルディは、1800年にウィーン駐在のボヘミア領事館員になり、家族を伴ってウィーンに出てきます。
ジュリエッタの美貌はたちまち社交界の評判となりました。彼女は15歳でベートーヴェンに弟子入りします。

既にベートーヴェンに師事していたハンガリーのブルンスウィック姉妹、テレーゼとヨゼフィーネ(ダイム伯爵夫人)の従妹にあたり、そのご縁だったと考えられます。
ベートーヴェンはこの美しく才気ある美少女に夢中になります。
彼は、親友ヴェーゲラーに宛てた1801年11月16日付の手紙で、持病である胃腸病と難聴の悩みを打ち明けたあと、最近あることで気分が晴れたと言って、
次のように述べています。
私の人生はいま一度わずかに喜ばしいものとなり、私はまた外に出かけて人々の中にいます。この2年の間、私の暮らしがいかに侘しく、
悲しいものであったか信じがたいことでしょう。今回の変化は、ひとりの可愛い魅力に富んだ娘のためなのです。彼女は私を愛し、私も彼女を愛しています。
2年ぶりに幸福な瞬間がやってきました。結婚して幸せになれるだろうと考えたのは、これが初めてです。ただ、残念なことに身分が違うのです。
そして今は、今は私は彼女と結婚などできやしないのです。

ベートーヴェンはなかなか女性との交際について書き残していないので、珍しい記述です。
病に打ちひしがれ、2年間、人との交わりを避けて引きこもっていたのが、彼女との出会いで、再び世間に顔を出せるようになった、というのです。
ジュリエッタの人となりはあまり伝わっていませんが、明るい性格だったようです。
あの頑固なベートーヴェンの心を融かし、外に引っ張り出した女性です。
ベートーヴェンのことを好きだったのは間違いありませんが、真剣な恋愛というより〝先生大好き!〟といった感情だったかもしれません。

彼女は16、7歳。ベートーヴェンは30歳になっていましたが、自分の年を勘違いしていましたから本人は28歳くらいのつもりです
久しぶりに彼女ができて、しかも初めて結婚してもいいと思った、と告白しているのです。しかし、相手は伯爵令嬢。
身分違いで、結婚は最初からあきらめていたことも分かります。
このソナタが〝月光〟と呼ばれるようになったのは、音楽評論家のルートヴィヒ・レルシュタープ (1799-1860)が、
第1楽章を『スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう』を評したことによります。ベートーヴェンの死後5年経った、1832年のことでした。
そして、このキャッチコピーは、曲のイメージにベストマッチして、10年も経たないうちに〝ムーンライトソナタ〟の名が印刷物で出回ることになりました。
そして、この曲を聴く人は、誰もが静かな湖面に映る月の光を思い浮かべることになったのです。
しかしそれは、ベートーヴェンが全く意図していなかったことなのは言うまでもありません。

第2楽章 アレグレット
前楽章の最後の和音が消えるや否やに弾き始めるように、という指示があります。
ダンパーを上げる、という第1楽章の指示からも、「余韻」というのがこの曲のコンセプトかもしれません。通常のソナタでは第3楽章にあたる舞踏楽章ですが、
形式としてはメヌエットともスケルツォともいえません。フランツ・リストはこの曲を〝2つの深淵の中の一輪の花〟と評しました。
主部はレガートとスタッカートが呼応し、軽快なステップの中にも、何ともいえない甘美な想いがあふれます。
トリオはさらに幸福感が満ち、愛の言葉をささやいているかのようです。この楽章は、主調の嬰ハ短調の異名同音となる変ニ長調をとっていますが、
異名同音でも五度域が違っていますので、不思議な効果を生み出します。この手法はロマン派に大きな影響を与え、ショパンも『幻想即興曲』で使っています。

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  2023/02/06   animato

サックス八重奏+ 第二組曲 作品28 から第3楽章 鍛冶屋の歌

サックス八重奏+ 第二組曲 作品28 から第3楽章 鍛冶屋の歌
Suite for Military Band Op.28
3.Song of the Blacksmith
Gustav Holst

編成はソプラノ2本、アルト2本、テナー2本、バリトン2本に加えて打楽器1~2名です。
クラリネット八重奏版、木管八重奏版、金管八重奏版は発売中です。
上記4種類の各編成五重奏で第一組曲も発売中です。

ホルストのイギリス情緒豊かな名曲を、ぜひお楽しみください。

サックス八重奏+ 第二組曲 作品28 から第3楽章 鍛冶屋の歌
Suite for Military Band Op.28
3.Song of the Blacksmith
Gustav Holst

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

吹奏楽のための第二組曲(Suite for Military Band)作品28は、グスターヴ・ホルストが作曲した吹奏楽のための組曲です。
第1組曲変ホ長調作品28aと第2組曲ヘ長調作品28bの2曲があります。

当時はまだ吹奏楽というジャンルが完全には確立されておらず、イギリス軍楽隊もオーケストラからのアレンジ曲などを中心に演奏していました。
そんな中でホルストは管楽器と打楽器の編成からなる「第1組曲」「第2組曲」を書いたわけですが、やはり編成の関係もあって作曲された当初から
すぐに取り上げられたわけではありませんでした。
しかし、1920年代に入ってから公の場で演奏されるようになってくると、「第1組曲」「第2組曲」共に徐々に評価を上げるようになります。
そしてついには他の作曲者にも管楽器・打楽器の編成で独自の曲が構成できることを認識させるに至ります。
そういった点でホルストが吹奏楽の歴史において果たした役割は非常に大きいと言えるでしょう。
「吹奏楽の原点」とでも言ってもよい作品です。

ホルストは吹奏楽曲を複数残していますが、これらの組曲はその中でも初期の作品であり、ブラスバンドのための『ムーアサイド組曲』(1928年)などより
20年ほど前に書かれました。フレデリック・フェネルは「この作品における楽器法は、バンド編成を念頭に考え抜かれている」
「もしこのスコアを真に理解したならば、それは音楽と指揮というものすべてを理解したのと同じだ」と述べていて、
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの『イギリス民謡組曲』、パーシー・グレインジャーの『リンカンシャーの花束』などと並び、
吹奏楽の分野における古典的な演奏会用作品としてきわめて重要な作品です。
2曲を揃えた世界初録音は、フェネルとイーストマン・ウィンド・アンサンブルによって1955年に行われました。

第2組曲
1911年に現在の第3楽章を欠いた3楽章の形で作曲され、1921年に軍楽隊の編成が変更されたことを反映してか、
1922年に改訂が行われました。
現行の形での初演は1922年6月30日にロイヤル・アルバート・ホールで、王立軍学学校の吹奏楽団によって行われています。
1922年に出版され、コールドストリームガーズのバンドマスターを務めていたジェイムズ・ウィンドラム(James Causley Windram)に献呈されました。
1923年には初録音、1924年にはラジオ放送が行われ、第1組曲よりも早く一般に知られていました。

各楽章はそれぞれイングランドの民謡や舞曲に基づいて構成され、ホルストのそれへの関心の高さが窺えます。
民謡素材はジョージ・ガーディナー博士(Dr. George B. Gardiner)がハンプシャーで採譜したものからとられました。
用いられた民謡のいくつかは『6つの合唱曲』作品36b(1916年)でも扱われています。
のちにゴードン・ジェイコブによって『ハンプシャー組曲』("A Hampshire Suite")として管弦楽に編曲されています。

第1楽章 マーチ (March)
Allegro ヘ長調 - 変ロ短調 - ヘ長調 2/2拍子 三部形式
「グローリシャーズ」("Glorishers")と呼ばれるモリス・ダンス(英語版)の旋律、「スワンシー・タウン」("Swansea Town")と呼ばれる水夫の歌(Sea Shanty)、
「クローディ・バンクス」("Claudy Banks")が用いられています。

第2楽章 無言歌 (Song without Words "I'll love my love")
Andante ヘ短調 4/4拍子
「私の恋人を愛す」("I'll love my love")が用いられています。

第3楽章 鍛冶屋の歌 (Song of the Blacksmith)
Moderato e maestoso ヘ長調 4/4拍子
「鍛冶屋の歌」("Song of the Blacksmith")が用いられています。
作品36bの一曲として無伴奏合唱のために書かれたものが、ほぼそのまま転用されました。

第4楽章 ダーガソンによる幻想曲 (Fantasia on the "Dargason")
Allegro moderato ヘ長調 6/8拍子
「ダーガソン」("Dargason")と呼ばれる8小節の循環旋律が、冒頭から終結まで奏されています。
また「グリーンスリーブス」が対旋律に現れます。
弦楽合奏のための「セントポール組曲」の終曲にも転用されました。現行版は初稿よりも拡大されていて、
弦楽に移されたときのアイディアが改訂の際に採り入れられたと考えられています。

ホルストは1900年代中ごろに、学友のヴォーン・ウィリアムズらと共にイギリス各地の民俗音楽の採取と研究を行っていますが、
その優れた成果のひとつがこの組曲であると言えます。
 この作品の民俗的な節回しの旋律の醸し出す独特の哀感は、イギリス音楽ファンには堪えられない魅力です。
管楽器の表現力の豊かさも特筆すべきもので、吹奏楽の醍醐味を存分に味わえる作品でもあります。全曲の演奏時間は約12分です。

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  2023/02/05   animato

金管五重奏 オーストリア民謡「レントラー」

金管五重奏 オーストリア民謡「レントラー」
Laendler
Austrian Folk Song

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
木管五重奏、サックス五重奏、クラリネット五重奏版は発売中です。

サウンド・オブ・ミュージックの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

金管五重奏 オーストリア民謡「レントラー」
Laendler
Austrian Folk Song

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

この曲は映画『サウンド・オブ・ミュージック』で、マリアとトラップ大佐が踊っている場面で使われているレントラーです。
二人の想いがはじめて通う重要なシーンでした。
素敵な踊りです。パーティー会場内では、正装をした参加者がレントラーを踊り、テラスではトラップ大佐とマリアが子どもたちに見守られながら
二人で踊っていました。
二人の目が合うと、マリアはそれ以上踊り続けられない、顔を赤くして立ち尽くすマリアが印象的な宮廷舞踊としてのレントラーです。

オーストリアの踊りは、他のアルプス圏と共通します。3拍子のカップル・ダンスが主に踊られます。
世界的に有名なウインナー・ワルツ、ワルツと同じルーツのレントラー、ほとんど男性だけで踊られるシュープラッターなどはいずれも3拍子です。
他には、ポルカ、ショティッシュ、マズルカやカドリールも踊られます。

レントラー(独:Landler)は、3/4拍子の南ドイツの民族舞踊です。
18世紀末頃まで、現在のオーストリア、南ドイツ、スイス、スロベニアなどのアルプス山脈地方で踊られていました。
歴史的には13世紀頃から今日のチロル州とバイエルン州の農民が踊っていたヴェッラー(Weller)から発展した民族舞踊です。
2人一組で、飛んだりはねたりもする踊りです。レントラーの伴奏音楽は、純粋な器楽のこともあれば、ヨーデルのような歌が混ざることもあります。
19世紀ヨーロッパで舞踏会が一般的になると、レントラーはより速いテンポになり、より優雅さが追求されるようになり、
男性はHobnail(そこに釘が打ち付けてある長靴)を身につけるようになりました。これはワルツの前身だと考えられていますが、
系列的にはワルツ、ウィンナ・ワルツの親戚です。
クラシック音楽では、ベートーヴェン、シューベルトらもレントラーを作曲しています。
また、ブルックナー、マーラーは自身の交響曲の舞曲楽章で通常のスケルツォの代わりにレントラーを採用しました。
ベルクがヴァイオリン協奏曲で引用したケルンテンの民謡もレントラーであり、オペラ『ヴォツェック』の第2幕でもレントラーが演奏されます。
モーツァルトやハイドンのドイツ舞曲もレントラーに似ています。
ブリテンの『ピーター・グライムズ』でも、舞踏会のシーンでレントラーが演奏されます。

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  2023/02/04   animato

木管四重奏 チャイコフスキー :ロマンス Op.5

木管四重奏 チャイコフスキー :ロマンス Op.5
Romance f-moll Op.5
Tchaikovsky, Pytr Il'ich

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。
他の編成(サックス四重奏・クラリネット四重奏・金管四重奏)も発売中です。

チャイコフスキーの優しいく叙情豊かな名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

木管四重奏 チャイコフスキー :ロマンス Op.5
Romance f-moll Op.5
Tchaikovsky, Pytr Il'ich

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https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

チャイコフスキーのピアノ曲はあまり知られていませんが、その作品の数は非常に多く、現在残されているものだけでも百曲にも及びます。
作曲家として、また音楽院の教官として活動をはじめた頃、とりわけ1867年から1872年にかけて、
チャイコフスキーは多くのピアノの小品を次々に作曲しています。その中の一曲が《ロマンス ヘ短調》作品5です。
1868年に作曲され、チャイコフスキーが想いをよせていたメゾ・ソプラノ歌手デジレー・アルトーに献呈されました。
演奏所要時間は約5分でヴァイオリン編曲も有名です。

ヘ短調、4分の4拍子。アンダンテ・カンタービレで歌われる悩ましげな旋律は、ポリフォニックな発展をみせています。
彼女を求めてやまないチャイコフスキーの熱い想いが感じられる作品です。中間部は、アレグロ・エネルジーコ。
力強く、情熱的に。横の流れが中心になっている第1、第3部とは対照的に、縦のリズミカルな刻みが曲をひきしめています。
和音の内声の響きを充実させて演奏します。

チャイコフスキー(1840-1893 ロシア)
チャイコフスキーは,19世紀後半のロシアの作曲家です。幼いころから音楽に親しみ,才能にめぐまれていましたが,
法律学校で勉強して,いったんは法務省で働き始めました。しかし音楽への思いを捨て切れず,23歳のときにペテルブルク音楽院に入り,
音楽家として生きる道を選びます。
卒業後,彼はモスクワ音楽院で教えながら,ピアノ協奏曲第1番やバレエ音楽「白鳥の湖」のほか,たくさんの作品を発表していきます。
やがて,チャイコフスキーの作曲活動を支えるために,裕福なフォン メック夫人がお金の援助をすることになりました。
彼は音楽院の仕事を辞め,作曲に専念します。その後は,ヴァイオリン協奏曲をはじめ,さらに多くの作品が生み出され,彼の名声は西ヨーロッパへも広がっていきました。
たゆまぬ努力で作曲を続けたチャイコフスキーは,最後の作品となる交響曲第6番「悲愴」の初演を指揮した9日後に,その一生を終えています。

19世紀に世界を席巻した動きのひとつに、民族主義があります。
19世紀後半、ロシアでも文学や音楽において民族主義の動きが高まりました。
当時のロシアには、5人組と呼ばれたロシア民族主義の音楽家が存在しています。バラキレフ、キュイ、ボロディン、ムソルグスキー、リムスキー=コルサコフがその5人です。
この5人組の音楽は、現在も人気があります。しかし、5人が束になってもチャイコフスキーにはかないません。
チャイコフスキーは、この5人と同時代に生きながらその流れに逆行し、クラシックの正統を歩むことになります。
これはつまり、チャイコフスキーの音楽はロシアらしさに欠け、ゆえにロシアの国外でも広く受け入れられるという
幸運な要素を有していたのです。

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  2023/02/03   animato

クラリネット四重奏「3つの祈り(3つのオラゾン)」から第3曲

クラリネット四重奏「3つの祈り(3つのオラゾン)」から第3曲
Alexandre Guilmant Trois Oraisons Op.94-1
Oraison No.1, Andante quasi adagio (A-flat major)

編成はCl.3本、Bs,Cl.です。
金管四重奏、サックス四重奏、木管四重奏版は発売中です。
同じ4種類の編成で第1曲も発売中です。

フランス.ロマン派のコラールで、深く心安らぐ音楽をお楽しみください。

クラリネット四重奏「3つの祈り(3つのオラゾン)」から第3曲
Alexandre Guilmant Trois Oraisons Op.94-1
Oraison No.1, Andante quasi adagio (A-flat major)

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

アレクサンドル・ギルマン - Alexandre Guilmant (1837-1911)は、フランスのオルガニスト・作曲家です。
アレクサンドル・ギルマンは、コンサート・オルガン奏者として国際的な名声を博していました。30年間パリのトリニテ寺院のオルガニストを務め、
ウィドールの後任としてパリ・コンセルヴァトワールのオルガン科教授に就任しました。弟子にはマルセル・デュプレがいます。
ギルマンの名は、ウィドールと並んで、フランスのオルガン交響曲の発展に大きく寄与しました。
彼は同世代のオルガン音楽の第一人者であり、多くのオリジナル曲や初期のオルガン曲の編曲を提供しました。

父親の手ほどきを受けた後、ベルギー人のジャック=ニコラ・レメンスに師事し、郷里でオルガン奏者と音楽教師を務めました。
1871年にパリの聖トリニテ教会(後のオリヴィエ・メシアンがオルガニストを務めたことでも知られる)のオルガニストに任命されました。
1878年以降は旧トロカデロ宮でコンサートを開くなど、ヴィルトゥオーソとしての道を歩み、ヨーロッパの各地で演奏旅行を行い、
オルガン音楽のレパートリー拡大と普及に尽力しました。 また、後にアメリカでも演奏旅行を実現させ、フランス人で初めてアメリカで演奏会を行った
作曲家として認められる様になりました。
1894年にシャルル・ボルド(フランス語版)やヴァンサン・ダンディと共同でパリ・スコラ・カントルムを設立。
1897年にはシャルル=マリー・ヴィドールの後任として、パリ音楽院オルガン科教授に就任。門下にはマルセル・デュプレなどがいます。 
1909年に最愛の妻が亡くなると、自身も病に冒され、1911年に亡くなりました。 
アンドレ・ピロと共同で『オルガンの巨匠の書庫Archives des Maitres de l'Orgue 』を刊行、フランスの古典的なオルガン音楽が、
1894年から1914年にかけて10巻にわたって出版された。外国の古典的なオルガン音楽については、同じような曲集
『オルガン楽派の古典 l'Ecole classique de l'Orgue 』を出版しました。
主な作品
自分の楽器であるオルガンのための作品が多く残っています。 その他のジャンルにおける作品は演奏機会が稀ですが、2曲のオルガン付き交響曲をはじめ、
充実した和声語法、堅固で保守的な形式を備えています。また、「交響的断章」は、トロンボーンの主要レパートリーとして定着しています。

バイオグラフィー
ギルマンはムードンで生まれました。最初は父親、後にベルギーの巨匠ジャック・ニコラ・レメンスの学生であり、彼は生まれ故郷でオルガニストと教師になりました。
1871年に彼はパリのラトリニテ教会で定期的にオルガンを演奏するように任命され、この役職を30年間務めました。
ギルマンは、コンサートと教会の両方での即興演奏で知られていました。彼のインスピレーションはグレゴリオ聖歌から来ました、そして
彼はメロディーの彼の習得のために彼の同僚の間で大いに注目されました。それ以来、ギルマンは名人としてのキャリアをたどりました。
彼はアメリカ(その国をツアーした最初の主要なフランスのオルガニスト)、カナダ、そしてヨーロッパでコンサートを行い、特にイギリスを頻繁に訪れました。
彼のアメリカでの業績には、現在フィラデルフィアのワナメーカーオルガンの中核として保存されている世界最大のオルガンであるセントルイス万国博覧会での
40回以上のリサイタルの1904シリーズが含まれていました。
ギルマンは、彼の若い同僚であるアンドレピロとともに、1750年以前のフランスの多数の作曲家の作曲をまとめたスコアのコレクション、
ArchivesdesMaitresdel'Orgue(オルガンの巨匠のアーカイブ)を出版しました。コレクションは10巻で印刷され、最初は1898年、最後は1914年に印刷されました。
ギルマンは外国の作曲家によるオルガン作品のかなり類似した調査を提供し、l'EcoleClassiquedel'Orgue(オルガンの古典派)。
これらのアンソロジーは、ギルマン自身の時代から起こったすべての音楽学的発展にもかかわらず、古楽の非常に貴重な情報源であり続けています。
1894年、ギルマンはシャルル・ボルドとヴァンサン・ダンディとともにスコラ・カントルムを設立しました。
彼は1911年にパリ近郊のムードンにある自宅で死ぬまでそこで教えました。
さらに、1896年にシャルル・マリー・ウィドールをオルガン教師として引き継いだパリ国立高等音楽院で教えました。
教師として、ギルマント彼の優しさと細部へのこだわりで有名でした。彼の生徒たちの回想は、攻撃、解放、性格など、
メモのすべての側面に特に焦点を当てた説明を特徴としています。マルセル・デュプレは彼の多くの学生の中で最も有名でした。
その他にはオギュスタン・バリエ、ジョセフ・アーサー・ベルニエ、ジョゼフ・ボンネット、アレクサンドル・ウジェーヌ・セリエ、アベル・ドゥコー、
ガブリエル・デュポン、チャールズ・ヘンリー・ギャロウェイ、フィリップ・ヘイル、エドガーHenrichsen、エドゥーアード・ミナン、
およびエイミール・ポイロットがいます。
マルセル・デュプレに対するギルマンの関心は、マルセル・デュプレが子供の頃に始まりました。有名なマルセルの父であるアルバート・デュプレは、
息子が生まれる前の7年間、ギルマンにオルガンを学びました。デュプレの回想録には、ギルマンが生まれたときに母親を訪ね、
子供がオルガン奏者になることを宣言するという逸話が含まれています。幼少期を通して頻繁に訪れた後、マルセルデュプレは、
11歳で正式にギルマンに師事し始めました。この時から彼の死まで、ギルマンは若い巨匠を擁護し、彼のキャリアを前進させるために多くのことをしました。

クラレンス・エディとアレクサンドル・ギルマン、1898年
ギルマンは、熟練した非常に多作な作曲家でした。すべての主要なジャンルで大量の音楽を制作したウィドールとは異なり、
ギルマンはほぼ完全に自分の楽器であるオルガンの作品に専念していました。彼のオルガンの作品には次のものが含まれます。
「実用的なオルガニスト」、12冊の本で出版されました。18の「新しい部品」; と「L'Organisteliturgique」、10冊の本で出版されました。
ギルマンの8つのソナタは、ラトリニテのカヴァイレコルオルガンを念頭に置いて考案されたため、スタイルと形式がシンフォニックであり、
セザールフランクのシンフォニックオルガン作品やシャルルマリーウィドールのオルガン交響曲と並んでいます。
オルガンとオーケストラのためのソナタ第1番/交響曲第1番、作品42は、1930年代にセルゲイ・クーセビツキーによってプログラムされましたが、
イゴール・ブケトフがバトラー大学オーケストラとの1977年のライブ録音のためにそれを復活させるまで再び聞こえませんでした。
数は少ないですが、オルガン以外の楽器の作品も完全に無視されていません。たとえば、シンフォニックピースは、最も頻繁に演奏される
トロンボーンソロのひとつであり、プロと上級生の両方のトロンボーン奏者の間で長年の人気を誇っています。

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  2023/02/02   animato

サックス四重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第2巻 作品30-1「瞑想」

サックス四重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第2巻 作品30-1「瞑想」
Lied ohne Worte, Op.30-1 Contemplation
Mendelssohn, Felix

編成はサックスのソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
金管四重奏版、クラリネット四重奏版、木管四重奏版は発売中です。

可愛らしくもロマンチックで優美なメロディーを、ぜひお楽しみください。

サックス四重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第2巻 作品30-1「瞑想」
Lied ohne Worte, Op.30-1 Contemplation
Mendelssohn, Felix

編成はサックスのソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
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可愛らしくもロマンチックで優美なメロディーを、ぜひお楽しみください。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

『無言歌集 Lieder ohne Worte』は、メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集です。
全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。
メンデルスゾーンのピアノ作品として最も有名で、しかもロマン派の教材として取り上げられることの多いのが「無言歌集」です。
ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。
この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。
歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要です。

メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。
そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。

《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。
1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を
もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。

標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。
実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。

この第1曲《瞑想》は滑らかなアルペッジョに乗せて優美な旋律が終始流れます。
原調は変ホ長調ですが中間部では頻繁に転調を繰り返し、表情をめまぐるしく変化させます。
瞑想している中での心の揺らぎを表現できれば素晴らしい演奏になるでしょう。

第2巻 作品30
出版年代:1835年

1.変ホ長調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《瞑想》 (作曲年代不明)
2.変ロ短調、アレグロ・ディ・モルト 《安らぎもなく》 (作曲年代不明)
《心配》と呼ばれることもあります。
3.ホ長調、アダージョ・ノン・トロッポ 《慰め》 (作曲年代不明)
カトリック聖歌集第100番「しずかに神と」、讃美歌第30番および讃美歌21・第211番「朝風しずかに吹きて」として教会で歌われています。
4.ロ短調、アジタート・エ・コン・フォコ 《さすらい人》 (1834年1月30日作曲)
《道に迷って》とも呼ばれます。
5.ニ長調、アンダンテ・グラツィオーソ 《小川》 (1833年12月12日作曲)
6.嬰ヘ短調、アレグレット・トランクィロ 『ヴェネツィアの舟歌 第2』 (作曲年代不明)
メンデルスゾーンが自分でつけた『ヴェネツィアの舟歌』の第2番。

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  2023/02/01   animato