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2022年11月

金管五重奏 トラベッス(わんぱく坊主)、タンゴ

金管五重奏 トラベッス(わんぱく坊主)、タンゴ
Travesso, Tango
エルネスト・ナザレ

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。
「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。

金管五重奏 トラベッス(わんぱく坊主)、タンゴ
Travesso, Tango
エルネスト・ナザレ

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アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/PULyOggr164

Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

Travesso, Tango  トラベッス(わんぱくな)、タンゴ
 この曲はナザレの末息子Ernestinhoに献呈されました。ヘ短調、A-B-A-C-A-B-A形式です。題名の割にはしみじみとした雰囲気の曲で、
「わんぱくな」自分の子供に対する親の暖かい眼差しが漂ってくるようです。Bメロは変イ長調、Cメロはヘ長調に転調します。
短調が基調になっていますが、挟まれている他の2箇所は長調であることと、弾むようなメロディとタンゴのリズムによって
軽快さを感じさせる曲になっています。

「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。
南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。
ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、
カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。
特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」

エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。
一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。
そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、
残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。
しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。
中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。
早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、
リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。
1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。
最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。
その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、
アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。

長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。
外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。

1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、
客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、
解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。

ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。
ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、
演奏するのに振り当てられました。
そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。
ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。

ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。
また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。
作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう
民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。

ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。
フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。
ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。
その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。

ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。
ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。
しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、
ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。
また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、
リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。
ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、
ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ
「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。

およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。
ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、)
アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。
ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、
そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、
実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。
もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。

最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』
『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。
ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、
さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。

晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。
ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。

作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、
作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、
クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。

アトリエ・アニマート
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  2022/11/20   animato

Solo+木管四重奏「6つのロマンス」から第6曲”ただ憧れを知る人だけが”

Solo+木管四重奏「6つのロマンス」から第6曲”ただ憧れを知る人だけが”
None but the lonely heart Op.6-6  
from 6 Romansov

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.およびSoloパートです。
同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、
in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、
in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、
in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、
Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。
in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、
in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。
多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は次の編成も含め4種類から選ぶことができます。
金管四重奏版、クラリネット四重奏版、サックス四重奏版は発売中です。

感傷的なチャイコフスキーの醍醐味を味わえる名曲を、ぜひお楽しみください。

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None but the lonely heart Op.6-6  
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ただ憧れを知る人だけが(ゲーテ詩、チャイコフスキー)は「6つのロマンス」の第6曲目です。
この詩は、ゲーテの「ウィルヘルムマイスターの修行時代」の中で、ミニヨンという不思議な少女によって、歌われる詩のひとつです。
「孤独」「憧れ」「焦燥」...不安と希望が短い詩文の中に印象的にあらわれ、「自分を知ってくれる人」の出現を待つ気持ちに共感できる作品です。
すさんだ気持ちを励ましてくれる歌でもあります。
このチャイコフスキーの曲がとても甘美でセンチメンタル。チャイコフスキーの曲はロシア的哀愁と西洋音楽の洗練がよく調和され、
洗練されてかつ歌謡的な仕上がりになっていて、ゲーテの詩のもつ感傷性に非常によく合致しています。

ドイツ語歌詞
Nur wer die Sehnsucht kennt     ただ憧れを知る人だけが、
Weis, was ich leide!                    私が何を悩んでいるかを知っています。
Allein und abgetrennt                    独りで、そして、あらゆる喜びから
Von aller Freude,                          引き離され、
Seh ich am Firmament                 私ははるかかなたの大空を
Nach jener Seite.                          仰ぎ見ます 

Ach! der mich liebt und kennt,      あゝ!わたしを愛し、知る人は
Ist in der Weite.                              とても遠くにいるのです。
Es schwindelt mir, es brennt        それを思うと、私は目が眩み、
Mein Eingeweide.                         体の内が燃え上がります。
Nur wer die Sehnsucht kennt      ただ憧れを知る人だけが、 
Weis, was ich leide!                     私が何を悩んでいるかを知っています。

この詩・曲は、英語圏では、「None but the lonely heart」というタイトルで、ポピュラーソングとして有名です。
フランク・シナトラが情感たっぷりに甘く歌っています。

英語歌詞(日本語訳)
None but the lonely heart    孤独な心の持ち主だけが
Can know my sadness    私のさみしさをわかってくれる
Alone and parted  一人、喜びや楽しみから
Far from joy and gladness     遠く引き離されて
Heaven's boundless arch I see   天上に無限に広がるアーチが
Spread out above me     私の上に広がってる
O(h) what a distance dear to one   あゝ、私を愛する人との間は
Who loves me     なんと遠いことか


None but the lonely heart     孤独な心の持ち主だけが
Can know my sadness     私のさみしさをわかってくれる
Alone and parted     一人、喜びや楽しみから
Far from joy and gladness    遠く引き離されて
Alone and parted far    一人、喜びや楽しみから遠く
From joy and gladness    引き離されて

My senses fail     私の感覚はうすれ
A burning fire Devours me    燃える炎が私を焼き尽くす

None but the lonely heart    孤独な心の持ち主だけが
Can know my sadness      私のさみしさをわかってくれる

日本語歌詞
チャイコフスキー作曲・堀内敬三訳詞 

我が悩みを知るはただ憧れを知る者のみ
悲しく我眺むる空
ああ愛しき君は いずこぞ
我が悩みをたれか知る
苦しさに力失せて
身も心も痩せこがる
この悩みを知るはただ憧れを知る者のみ

アトリエ・アニマート
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  2022/11/19   animato

クラリネット五重奏 グリーグ :抒情小品集 第2集 Op.38-1 子守り歌

クラリネット五重奏 グリーグ :抒情小品集 第2集 Op.38-1
子守り歌
Lyriske smastykker op.38-1
Berceuse
Grieg, Edvard Hagerup

編成はBbクラリネット4本、バスクラリネットです。
サックス五重奏、金管五重奏、木管五重奏版は発売中です。

北欧グリーグの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

クラリネット五重奏 グリーグ :抒情小品集 第2集 Op.38-1
子守り歌
Lyriske smastykker op.38-1
Berceuse
Grieg, Edvard Hagerup

編成はBbクラリネット4本、バスクラリネットです。
サックス五重奏、金管五重奏、木管五重奏版は発売中です。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

1867年、《ピアノ協奏曲イ短調 作品16》で一躍有名になったグリーグは、この年から1901年にかけてこの作品集を書き上げました。
生涯にわたって作曲されているため、グリーグの作風、ピアニズム、その変遷すべてがその中にあらわれていて、グリーグの作品の中でも中心的な存在です。
いずれも1分~6分程度のかるめの小品であり、ステージ用というよりは、主にサロンや家庭で広く親しまれていました。
いずれの曲も標題がつけられていて、それぞれの曲に対して、一つの感情、気分、情景が表現されています。
1867年、第1集を発表しましたが、その後ピアノ、作曲、指揮など多忙だったこともあり、第2集が発表されたのは、その16年後でした。
第2集から第10集は間隔をおきながら続けて作曲されました。全10巻で、計66曲の作品がおさめられています。

グリーグ : 抒情小品集 第2集 / Lyriske stykker No.2 op.38

大成功をおさめた第1集の出版から16年がたち、芸術家としての成熟がみられる時期に書かれた作品です。

1.子守歌 / op.38-1 "Vuggevise"
ゆりかごのようなリズムにのせて、優しい旋律が愛情深く歌われます。
中間部では曲想が変わり、ノルウェーの舞曲風の部分がみられます。

2.民謡 / op.38-2 "Folkevise"
ノルウェー舞曲の、はずむようなリズムが終始貫かれています。
声部ごとに一拍目や、二拍目に強拍があり、演奏には注意が必要です。

3.メロディー / op.38-3 "Melodie":断片的であり、シューマン風。穏やかで、優しい雰囲気が非常に魅力的です。
掛留があるところでは、緊張感をもって、全体的にハーモニーを意識して演奏しましょう。

4.ハリング / op.38-4 "Halling"
歯切れがよく、敏捷な動きをもって奏される。アクセントとテヌートを効果的に演奏しましょう。

5.スプリング・ダンス / op.38-5 "Springdans"
舞曲のリズムにのせて、おどけたようなリズムをもった旋律が歌われます。
ポリリズムで書かれていて、また強調がおかれている部分が不規則ですので、それを正確に演奏する点に注意が必要です。

6.エレジー / op.38-6 "Elegie"
タイトルどおり、悲しみが表現されています。長く伸ばされる緊張感のあるE音が印象的に響きます。

7.ワルツ / op.38-7 "Vals"
ワルツのリズムにのって、悲しげのある旋律が、時々おどけたようなリズムを加えながらで歌われていきます。
途中で登場するプレストの箇所は、技巧的で激しく、曲の緊張感を一気に高めて効果をあげています。

8.カノン / op.38-8 "Kanon"
2つの声部が対話的におかれ、それに伴奏がそえられながら、アジタートへ向かって曲がすすみます。
中間部ではピウ・モッソ・トランクイロになり、広大な響きをつくりあげていきます。この曲においてもシューマンの影響がみられます。

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  2022/11/18   animato

サックス八重奏 第二組曲 作品28 から第1楽章 マーチ

サックス八重奏 第二組曲 作品28 から第1楽章 マーチ
Suite for Military Band Op.28
1. March
Gustav Holst

編成はソプラノ2本、アルト2本、テナー2本、バリトン2本に加えて打楽器1~2名です。
クラリネット八重奏版、木管八重奏版、金管八重奏版は発売中です。
上記4種類の各編成五重奏で第一組曲も発売中です。

ホルストのイギリス情緒豊かな名曲を、ぜひお楽しみください。

サックス八重奏 第二組曲 作品28 から第1楽章 マーチ
Suite for Military Band Op.28
1. March
Gustav Holst

編成はソプラノ2本、アルト2本、テナー2本、バリトン2本に加えて打楽器1~2名です。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

吹奏楽のための第二組曲(Suite for Military Band)作品28は、グスターヴ・ホルストが作曲した吹奏楽のための組曲です。
第1組曲変ホ長調作品28aと第2組曲ヘ長調作品28bの2曲があります。

当時はまだ吹奏楽というジャンルが完全には確立されておらず、イギリス軍楽隊もオーケストラからのアレンジ曲などを中心に演奏していました。
そんな中でホルストは管楽器と打楽器の編成からなる「第1組曲」「第2組曲」を書いたわけですが、やはり編成の関係もあって作曲された当初から
すぐに取り上げられたわけではありませんでした。
しかし、1920年代に入ってから公の場で演奏されるようになってくると、「第1組曲」「第2組曲」共に徐々に評価を上げるようになります。
そしてついには他の作曲者にも管楽器・打楽器の編成で独自の曲が構成できることを認識させるに至ります。
そういった点でホルストが吹奏楽の歴史において果たした役割は非常に大きいと言えるでしょう。
「吹奏楽の原点」とでも言ってもよい作品です。

ホルストは吹奏楽曲を複数残していますが、これらの組曲はその中でも初期の作品であり、ブラスバンドのための『ムーアサイド組曲』(1928年)などより
20年ほど前に書かれました。フレデリック・フェネルは「この作品における楽器法は、バンド編成を念頭に考え抜かれている」
「もしこのスコアを真に理解したならば、それは音楽と指揮というものすべてを理解したのと同じだ」と述べていて、
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの『イギリス民謡組曲』、パーシー・グレインジャーの『リンカンシャーの花束』などと並び、
吹奏楽の分野における古典的な演奏会用作品としてきわめて重要な作品です。
2曲を揃えた世界初録音は、フェネルとイーストマン・ウィンド・アンサンブルによって1955年に行われました。

第2組曲
1911年に現在の第3楽章を欠いた3楽章の形で作曲され、1921年に軍楽隊の編成が変更されたことを反映してか、
1922年に改訂が行われました。
現行の形での初演は1922年6月30日にロイヤル・アルバート・ホールで、王立軍学学校の吹奏楽団によって行われています。
1922年に出版され、コールドストリームガーズのバンドマスターを務めていたジェイムズ・ウィンドラム(James Causley Windram)に献呈されました。
1923年には初録音、1924年にはラジオ放送が行われ、第1組曲よりも早く一般に知られていました。

各楽章はそれぞれイングランドの民謡や舞曲に基づいて構成され、ホルストのそれへの関心の高さが窺えます。
民謡素材はジョージ・ガーディナー博士(Dr. George B. Gardiner)がハンプシャーで採譜したものからとられました。
用いられた民謡のいくつかは『6つの合唱曲』作品36b(1916年)でも扱われています。
のちにゴードン・ジェイコブによって『ハンプシャー組曲』("A Hampshire Suite")として管弦楽に編曲されています。

第1楽章 マーチ (March)
Allegro ヘ長調 - 変ロ短調 - ヘ長調 2/2拍子 三部形式
「グローリシャーズ」("Glorishers")と呼ばれるモリス・ダンス(英語版)の旋律、「スワンシー・タウン」("Swansea Town")と呼ばれる水夫の歌(Sea Shanty)、
「クローディ・バンクス」("Claudy Banks")が用いられています。

第2楽章 無言歌 (Song without Words "I'll love my love")
Andante ヘ短調 4/4拍子
「私の恋人を愛す」("I'll love my love")が用いられています。

第3楽章 鍛冶屋の歌 (Song of the Blacksmith)
Moderato e maestoso ヘ長調 4/4拍子
「鍛冶屋の歌」("Song of the Blacksmith")が用いられています。
作品36bの一曲として無伴奏合唱のために書かれたものが、ほぼそのまま転用されました。

第4楽章 ダーガソンによる幻想曲 (Fantasia on the "Dargason")
Allegro moderato ヘ長調 6/8拍子
「ダーガソン」("Dargason")と呼ばれる8小節の循環旋律が、冒頭から終結まで奏されています。
また「グリーンスリーブス」が対旋律に現れます。
弦楽合奏のための「セントポール組曲」の終曲にも転用されました。現行版は初稿よりも拡大されていて、
弦楽に移されたときのアイディアが改訂の際に採り入れられたと考えられています。

ホルストは1900年代中ごろに、学友のヴォーン・ウィリアムズらと共にイギリス各地の民俗音楽の採取と研究を行っていますが、
その優れた成果のひとつがこの組曲であると言えます。
 この作品の民俗的な節回しの旋律の醸し出す独特の哀感は、イギリス音楽ファンには堪えられない魅力です。
管楽器の表現力の豊かさも特筆すべきもので、吹奏楽の醍醐味を存分に味わえる作品でもあります。全曲の演奏時間は約12分です。

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  2022/11/17   animato

金管六重奏+ 剣闘士の入場(雷鳴と稲妻)

金管六重奏+ 剣闘士の入場(雷鳴と稲妻)
Entry of the Gladiators
Julius Fucik

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.2本、TubaおよびDrum Setです。
木管六重奏、サックス六重奏、クラリネット六重奏版は発売中です。
チェコのマーチ王と讃えられるフチークの音楽を、ぜひお楽しみください。

金管六重奏+ 剣闘士の入場(雷鳴と稲妻)
Entry of the Gladiators
Julius Fucik

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.2本、TubaおよびDrum Setです。
木管六重奏、サックス六重奏、クラリネット六重奏版は発売中です。
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ユリウス・フチーク(1872年-1916年)は チェコのプラハに生まれ チェコが「オーストリア・ハンガリー帝国」という大国だった頃に活躍しました。
44歳の若さでベルリンで亡くなるまで 300曲以上のマーチ・ワルツ・ポルカを作曲し チェコのマーチ王と呼ばれています。

フチークはドヴォルザークに作曲を学び、250曲以上の行進曲を作曲したので「ボヘミアのスーザ」と呼ばれています。
彼は94曲のマーチをはじめ、ワルツや独奏曲、管弦楽曲等の約320曲の作品を残しており、今でもヨーロッパを中心に親しまれています。

ユリウス・アルノシュト・ヴィレーム・フチーク(1872年-1916年)は、チェコの作曲家、軍楽隊指揮者です。
生涯の大半を軍隊の吹奏楽で指揮者として過ごしました。フチークは多産な作曲家で、300曲以上の行進曲やポルカ、ウィンナ・ワルツを
作曲して名を馳せました。作品のほとんどが軍楽隊のために作曲されていることから、時に「ボヘミアのスーザ」とも呼ばれています。
現在でも、チェコではフチークの行進曲が愛国的な楽曲として演奏されています。しかしながら彼の名声を世界的なものにしているのは、
最も有名な《剣闘士の入場》が世界各地のサーカスで、ピエロ登場のテーマ曲として用いられているからに他なりません。

『剣闘士の入場』(英語: Entrance of the Gladiators)作品68は、チェコの作曲家ユリウス・フチークが1897年に作曲したブラスバンドのための行進曲です。
『剣士の入場』と表記される場合もあります。

この曲は半音階が多用されており、元々フチークは『半音階的大行進曲』といった題名を想定していましたが、彼が皇帝ネロの時代のローマ帝国に興味を持ち
剣闘士が競技場に入場する場面をイメージした音楽です。そして、現在の題名となりました。

曲は3つの部分から成っています。最初の部分はトランペットのファンファーレに続いてメロディと伴奏、2番目の部分は低音のトロンボーン等
金管楽器 (主にチューバ) が半音階で転がり進んでいきます。3番目の部分はトリオでゆっくりとした旋律的な部分であり、金管低音と木管楽器の
コントラストが強調されています。トリオでも2番目の部分と同じような半音階的な音形があります。

曲は全体が2分の2拍子で、速さには標準的なマーチ・テンポが指示されています。しかしサーカスマーチとしては、もっと速く演奏されるのが普通です。

この作品の編曲は1910年にカナダの作曲家ルイ=フィリップ・ローレンドー(英語版)がこの曲を小規模な編成に編曲した譜面が
『Thunder and Blazes』(雷鳴と電光、といった意)という題名で北米向けに販売されました。以降現在に至るまで、代表的なサーカス音楽(英語版)として
人気を誇っています。サーカスではピエロの入場にこの曲が使われることもあり、そのためもあって曲名や作曲者はともかく、曲だけは広く知られています。
ローレンドー版は移動式遊園地のオルガン (フェアグランド・オルガン) 用にも編曲されており、またさまざま演奏会に数多く取り上げられています
 (例えば2007年のBBCプロムスの最後など)。
また、1974年にはイギリスの歌謡曲『ショー・マスト・ゴー・オン(英語版)』のイントロ部分とメロディーに使われています。
主題の一部はサックス奏者ブーツ・ランドルフのヤケティ・サックス(英語版)で使われています。この曲はベニー・ヒル・ショーをはじめとする
コメディ番組でよく使われています。またピエロをモチーフにしたアメリカ合衆国のプロレスラー、ドインク・ザ・クラウンの入場曲として当曲の一部が使われています。

フチークはオーストリア=ハンガリー二重帝国治下のボヘミアに生まれました。学生時代はファゴットやヴァイオリンなど、様々な楽器を弾きこなし、
後にドヴォルザークに作曲を師事しました。
1891年にオーストリア=ハンガリー第49歩兵連隊に軍楽隊員として入団。当初はドナウ川沿いの町クレムスで、ヨーゼフ・フランツ・ワーグナーの指揮のもと
演奏を続けましたが、後にウィーンの軍楽隊に入りました。1895年には軍隊を離れ、プラハはドイツ劇場の第2ファゴット奏者の地位に就任しました。
1年後に、プラハ市管弦楽団の首席指揮者や、クロアチアはシサク市のダニツァ合唱団の指揮者に就きました。この間にフチークは、たくさんの室内楽曲、
なかでもクラリネットやファゴットのための小品を作曲しました。
1897年にサラエヴォ第86歩兵連隊の楽隊指揮者として入団、その直後に、最も有名な作品《剣闘士の入場Einzug der Gladiatoren》を作曲しました。
原題は《半音階的大行進曲Grande Marche Chromatique》だったのですが、フチークはローマ帝国の歴史に興味があり、曲名を変更しました。
また、カナダの作曲家・編曲家であるLouis Philippe Laurendeauが、小編成のバンドのために編曲しThunder and Blazes(雷鳴と稲光)というタイトルで出版したところ、
サーカス公演においても演奏されるようになり、人気が出ました。今でも世界的に、サーカス公演における道化師の登場に使われていて、他にも
「スクリーマー Screamer」などの愛称でも親しまれています。

フチークの楽隊は1890年にブダペストに配転すると、フチークは自作を演奏してくれる楽隊を他にもいくつか見つけましたが、より注目を浴びるには、
多くのライバルに立ち向かわなければならなりませんでした。フチークはより多くの演奏家を任意に使うことができるようになってから、
管弦楽曲の編曲を試みるようになりました。
フチークは1909年に再びボヘミアに戻り、テレジン王立第92歩兵連隊の楽隊に入隊しました。当時その楽隊は、オーストリア=ハンガリー二重帝国で最も優れた軍楽隊でした。
フチークはこの楽団と共にプラハやベルリンに演奏旅行を行い、総計1万人以上の聴衆を集めました。

フチークは1913年に結婚してベルリンに居を構え、そこで自前の楽隊と楽譜出版社を結成して、自分の作品を売り出そうとしました。
しかし彼の人生は第一次世界大戦の勃発と共に曲がり角に来ていました。戦時中の貧窮のもとで商売は頓挫し、健康面も損なわれ、
1916年に急病を患い、プラハに戻るや否や急死してしまいました。

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  2022/11/16   animato

木管七重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第1巻 「狩人の歌」

木管七重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第1巻 「狩人の歌」 Op.19-3
Lieder ohne Worte Heft 1 "Hunting Song" A-Dur Op.19-3
Mendelssohn, Felix

編成はFl.2本、Ob.、Cl.3本、Bsn.です。
Fl.2本+クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。

勇ましい狩りの情景が描かれたメロディーを、ぜひお楽しみください。

木管七重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第1巻 「狩人の歌」 Op.19-3
Lieder ohne Worte Heft 1 "Hunting Song" A-Dur Op.19-3
Mendelssohn, Felix

編成はFl.2本、Ob.、Cl.3本、Bsn.です。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

『無言歌集 Lieder ohne Worte』は、メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集です。
全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。
メンデルスゾーンのピアノ作品として最も有名で、しかもロマン派の教材として取り上げられることの多いのが「無言歌集」です。
ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。
この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。
歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要です。

メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。
そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。

《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。
1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を
もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。

標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。
実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。

3曲目の「狩人の歌」は、勇ましい狩りの情景がえがかれます。第3曲〈狩人の歌〉という標題は、
メンデルスゾーン自身もみとめていたニックネームです。
6曲中で最も有名な曲です。曲想が特に快活で勇壮なことが特徴です。

第1巻

1.ホ長調「甘い思い出」 / op.19-1 (1831)

全体を流れるなめらかな16部音符の上に、抒情的な旋律がうたわれます。

2.イ短調「後悔」 / op.19-2 (1832)

3.イ長調「狩人の歌」 / op.19-3 (1832)

4.イ長調「信頼」 / op.19-4(1829)

5.嬰ヘ短調「眠れぬままに」 / op.19-5 (1831)

ポコ・アジタート、四分の六拍子で情熱的な趣をもつ。無言歌の中ではめずらしいソナタ形式をとっています。

6.ト短調「ヴェネツィアの舟歌 第1」 / op.19-6 (1830)

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  2022/11/15   animato

サックス四重奏「3つの祈り(3つのオラゾン)」から第1曲

サックス四重奏「3つの祈り(3つのオラゾン)」から第1曲
Alexandre Guilmant Trois Oraisons Op.94-1
Oraison No.1, Andante quasi adagio (A-flat major)

編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
金管四重奏、クラリネット四重奏、木管四重奏版は発売中です。

フランス.ロマン派のコラールで、深く心安らぐ音楽をお楽しみください。

サックス四重奏「3つの祈り(3つのオラゾン)」から第1曲
Alexandre Guilmant Trois Oraisons Op.94-1
Oraison No.1, Andante quasi adagio (A-flat major)

編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
金管四重奏、クラリネット四重奏、木管四重奏版は発売中です。

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

アレクサンドル・ギルマン - Alexandre Guilmant (1837-1911)は、フランスのオルガニスト・作曲家です。
アレクサンドル・ギルマンは、コンサート・オルガン奏者として国際的な名声を博していました。30年間パリのトリニテ寺院のオルガニストを務め、
ウィドールの後任としてパリ・コンセルヴァトワールのオルガン科教授に就任しました。弟子にはマルセル・デュプレがいます。
ギルマンの名は、ウィドールと並んで、フランスのオルガン交響曲の発展に大きく寄与しました。
彼は同世代のオルガン音楽の第一人者であり、多くのオリジナル曲や初期のオルガン曲の編曲を提供しました。

父親の手ほどきを受けた後、ベルギー人のジャック=ニコラ・レメンスに師事し、郷里でオルガン奏者と音楽教師を務めました。
1871年にパリの聖トリニテ教会(後のオリヴィエ・メシアンがオルガニストを務めたことでも知られる)のオルガニストに任命されました。
1878年以降は旧トロカデロ宮でコンサートを開くなど、ヴィルトゥオーソとしての道を歩み、ヨーロッパの各地で演奏旅行を行い、
オルガン音楽のレパートリー拡大と普及に尽力しました。 また、後にアメリカでも演奏旅行を実現させ、フランス人で初めてアメリカで演奏会を行った
作曲家として認められる様になりました。
1894年にシャルル・ボルド(フランス語版)やヴァンサン・ダンディと共同でパリ・スコラ・カントルムを設立。
1897年にはシャルル=マリー・ヴィドールの後任として、パリ音楽院オルガン科教授に就任。門下にはマルセル・デュプレなどがいます。 
1909年に最愛の妻が亡くなると、自身も病に冒され、1911年に亡くなりました。 
アンドレ・ピロと共同で『オルガンの巨匠の書庫Archives des Maitres de l'Orgue 』を刊行、フランスの古典的なオルガン音楽が、
1894年から1914年にかけて10巻にわたって出版された。外国の古典的なオルガン音楽については、同じような曲集
『オルガン楽派の古典 l'Ecole classique de l'Orgue 』を出版しました。
主な作品
自分の楽器であるオルガンのための作品が多く残っています。 その他のジャンルにおける作品は演奏機会が稀ですが、2曲のオルガン付き交響曲をはじめ、
充実した和声語法、堅固で保守的な形式を備えています。また、「交響的断章」は、トロンボーンの主要レパートリーとして定着しています。

バイオグラフィー
ギルマンはムードンで生まれました。最初は父親、後にベルギーの巨匠ジャック・ニコラ・レメンスの学生であり、彼は生まれ故郷でオルガニストと教師になりました。
1871年に彼はパリのラトリニテ教会で定期的にオルガンを演奏するように任命され、この役職を30年間務めました。
ギルマンは、コンサートと教会の両方での即興演奏で知られていました。彼のインスピレーションはグレゴリオ聖歌から来ました、そして
彼はメロディーの彼の習得のために彼の同僚の間で大いに注目されました。それ以来、ギルマンは名人としてのキャリアをたどりました。
彼はアメリカ(その国をツアーした最初の主要なフランスのオルガニスト)、カナダ、そしてヨーロッパでコンサートを行い、特にイギリスを頻繁に訪れました。
彼のアメリカでの業績には、現在フィラデルフィアのワナメーカーオルガンの中核として保存されている世界最大のオルガンであるセントルイス万国博覧会での
40回以上のリサイタルの1904シリーズが含まれていました。
ギルマンは、彼の若い同僚であるアンドレピロとともに、1750年以前のフランスの多数の作曲家の作曲をまとめたスコアのコレクション、
ArchivesdesMaitresdel'Orgue(オルガンの巨匠のアーカイブ)を出版しました。コレクションは10巻で印刷され、最初は1898年、最後は1914年に印刷されました。
ギルマンは外国の作曲家によるオルガン作品のかなり類似した調査を提供し、l'EcoleClassiquedel'Orgue(オルガンの古典派)。
これらのアンソロジーは、ギルマン自身の時代から起こったすべての音楽学的発展にもかかわらず、古楽の非常に貴重な情報源であり続けています。
1894年、ギルマンはシャルル・ボルドとヴァンサン・ダンディとともにスコラ・カントルムを設立しました。
彼は1911年にパリ近郊のムードンにある自宅で死ぬまでそこで教えました。
さらに、1896年にシャルル・マリー・ウィドールをオルガン教師として引き継いだパリ国立高等音楽院で教えました。
教師として、ギルマント彼の優しさと細部へのこだわりで有名でした。彼の生徒たちの回想は、攻撃、解放、性格など、
メモのすべての側面に特に焦点を当てた説明を特徴としています。マルセル・デュプレは彼の多くの学生の中で最も有名でした。
その他にはオギュスタン・バリエ、ジョセフ・アーサー・ベルニエ、ジョゼフ・ボンネット、アレクサンドル・ウジェーヌ・セリエ、アベル・ドゥコー、
ガブリエル・デュポン、チャールズ・ヘンリー・ギャロウェイ、フィリップ・ヘイル、エドガーHenrichsen、エドゥーアード・ミナン、
およびエイミール・ポイロットがいます。
マルセル・デュプレに対するギルマンの関心は、マルセル・デュプレが子供の頃に始まりました。有名なマルセルの父であるアルバート・デュプレは、
息子が生まれる前の7年間、ギルマンにオルガンを学びました。デュプレの回想録には、ギルマンが生まれたときに母親を訪ね、
子供がオルガン奏者になることを宣言するという逸話が含まれています。幼少期を通して頻繁に訪れた後、マルセルデュプレは、
11歳で正式にギルマンに師事し始めました。この時から彼の死まで、ギルマンは若い巨匠を擁護し、彼のキャリアを前進させるために多くのことをしました。

クラレンス・エディとアレクサンドル・ギルマン、1898年
ギルマンは、熟練した非常に多作な作曲家でした。すべての主要なジャンルで大量の音楽を制作したウィドールとは異なり、
ギルマンはほぼ完全に自分の楽器であるオルガンの作品に専念していました。彼のオルガンの作品には次のものが含まれます。
「実用的なオルガニスト」、12冊の本で出版されました。18の「新しい部品」; と「L'Organisteliturgique」、10冊の本で出版されました。
ギルマンの8つのソナタは、ラトリニテのカヴァイレコルオルガンを念頭に置いて考案されたため、スタイルと形式がシンフォニックであり、
セザールフランクのシンフォニックオルガン作品やシャルルマリーウィドールのオルガン交響曲と並んでいます。
オルガンとオーケストラのためのソナタ第1番/交響曲第1番、作品42は、1930年代にセルゲイ・クーセビツキーによってプログラムされましたが、
イゴール・ブケトフがバトラー大学オーケストラとの1977年のライブ録音のためにそれを復活させるまで再び聞こえませんでした。
数は少ないですが、オルガン以外の楽器の作品も完全に無視されていません。たとえば、シンフォニックピースは、最も頻繁に演奏される
トロンボーンソロのひとつであり、プロと上級生の両方のトロンボーン奏者の間で長年の人気を誇っています。

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  2022/11/14   animato

クラリネット四重奏 バッハ『オルガン小曲集』 復活祭 《この日、神の子は勝利した》BWV630

クラリネット四重奏 バッハ『オルガン小曲集』 復活祭 《この日、神の子は勝利した》BWV630
Heut triumphieret Gottes Sohn
J.S.Bach

編成はCl.3本、Bs.Cl.です。
木管四重奏、サックス四重奏、金管四重奏版は発売中です。
礼拝のために作られたバッハによるオルガン作品を、ぜひお楽しみください。

クラリネット四重奏 バッハ『オルガン小曲集』 復活祭 《この日、神の子は勝利した》BWV630
Heut triumphieret Gottes Sohn
J.S.Bach

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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

オルガンのための数多くの作品を残した J・S・バッハは、その数と質においてもオルガン作曲家として最高峰に位置します。
特質に値することは、多くのオルガン曲が礼拝のために作られていることです。
宗教改革(1517 年)後のプロテスタント教会では,会衆が礼拝に参与する時に、信仰の告白として讃美歌『コラール』を歌いました。
会衆は讃美歌(コラール)の歌詞と旋律を熟知して礼拝に参加していました。
宗教改革の168年後1685年3月21日に生まれた J・S・バッハは、そのコラールの旋律が持つ歌詞を、神学的に、礼拝学的に、
音楽的に解釈して作曲して、礼拝の時の会衆がコラールの讃美の後に後奏曲として演奏して、会衆に歌詞の意味を黙想させました。
時にはコラールに先立ち前奏曲として演奏して会衆の心をコラールとともに礼拝の主題に向けさせ整えさせるために使用されました。
この目的のために作られた最大の作品が『オルガン小曲集』です。
未完成で終わってしまった『オルガン小曲集』だが、バッハにとっては最初のまとまった重要な作品集であり、
非常に完成度の高いコラールの旋律を主題としたオルガン曲集です。 

「オルガン小曲集」より
復活祭
《この日、神の子は勝利した》BWV630
《今日 神の子は勝利の凱旋をなしたもう》BWV630
《神の御子はきたり、死よりよみがえりて》BWV630
Heut triumphieret Gottes Sohn

この讃美歌は、復活祭の喜びを舞踏風な3拍子で表していて、中間と終わりに『ハレルヤ』の喜びの挿入句が入り、
より讃美歌を復活祭に相応しく舞踏の喜びで華やかに盛り上げてます。ライプツィヒでは復活祭の基節から昇天日にも歌われていました。
作詞の K,シュトルツハーゲン(Kapar Stolzhagen,1550~1594)はベルリン近郊のベルナウに生まれ、
シュテンダルのギムナジウムの校長と牧師を務め、後に現在のチェコ,メーレン地方のイグラウでドイツ教会の監督も務めました。
宗教出版物の普及の印刷所を始めたことでも知られています。
作曲の、B,ゲジウス(Barthlomaua Gesius,1562 頃~1613)はドイツの東、オーダー河沿いのフランクフルトに生まれ、
神学を学び、音楽家としてシュレージエンのグロガウでシェナイヒ男爵に仕えました。
また、オーダー河沿いのフランクフルトの聖マリア教会のカントール・音楽監督も務めました。
数多くの讃美歌を作曲したことでも知られるが、特に、従来、多声楽曲ではテノールに旋律が置かれていましたが、
旋律をソプラノに置く『カンツィオナール』と呼ばれるスタイルを確立して、この種の編曲を多く残しています。

Evangelisches Gesangbuch 1993 年版【ドイツ・プロテスタント讃美歌集】第 109 番
J・S・Bach,389 Choralgrsange 171 番。
讃美歌 21 319 番。

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  2022/11/13   animato

金管五重奏1Tp.2Tbn.と打楽器のためのスザート・ダンスリー組曲 Vol.1

金管五重奏1Tp.2Tbn.と打楽器のためのスザート・ダンスリー組曲 Vol.1
Danserye Danses Vol.1
Tielman Susato

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.2本、Tubaに加えて打楽器2名です。
管楽器1パート2名ずつ+打楽器2名で演奏すれば
場面ごとに音量変化がつけられて効果的でしょう。
その場合は12名で演奏することになります。
繰り返しの際は装飾音などで様々なバリエーションを楽しみましょう。
Tp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tuba編成やサックス五重奏版、
木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。
スザート・ダンスリー組曲 Vol.2も発売中です。

中世・ルネッサンス音楽のシンプルで楽しげなメロディーを、ぜひお楽しみください。

金管五重奏1Tp.2Tbn.と打楽器のためのスザート・ダンスリー組曲 Vol.1
Danserye Danses Vol.1
Tielman Susato

編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.2本、Tubaに加えて打楽器2名です。
管楽器1パート2名ずつ+打楽器2名で演奏すれば
場面ごとに音量変化がつけられて効果的でしょう。
その場合は12名で演奏することになります。
繰り返しの際は装飾音などで様々なバリエーションを楽しみましょう。
Tp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tuba編成やサックス五重奏版、
木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ティールマン・スザート(Tielman Susato 1500年頃 - 1562年頃)は、ルネサンス期の作曲家で、
アントウェルペンにおける器楽奏者、出版業者です。
スザート(1550~1562)はフランドル地方のアントワープを中心に活動した作・編曲家です。
しかし彼自身の作曲した代表作といったものはなく、むしろ活版印刷機を用いて器楽編曲と自作曲を出版した、
いわゆる楽譜出版者としての方が有名です。
彼の名を有名にしているのは、フランドル(現在のオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)において
最初の音楽出版社を設立した功績でしょう。
1551年に出版された「ダンスリー」と呼ばれる曲集は、当時のヨーロッパで親しまれていた作者不明の
シャンソン、ポピュラー・ソングおよびポピュラー・ダンスなどのメロディをもとに編曲・編集し印刷出版されたものです。
なおこの曲集は、スザートが出版した唯一の舞曲集であると考えられていますが、
その素晴らしさから現在に至るまで多くの人々に親しまれ、彼の名を不動のものとしています。
今回「ダンスリー」を編曲するにあたって「原典」に近い楽譜、ショット社から1936年に出版された
F.J.ギースベルト(Giesbert)校訂の楽譜を使用し、次の6曲(全11曲)をセレクトしました。

1.モリスク(モーロ風)
2.四拍子のブランル
3.ファゴット
4.ロンド II "わが友"
5.パヴァーヌ IX "戦い"

以下はVol.2に収録
6.ロンド IX
7.私の望み
8.アルマーニュ(アルマンド)VIII
9.それは大きな間違い
10.パッセ・メディオ〔パッサメッゾ〕
11.ベルジュレ・サン・ロック

打楽器が、リズムをくり返しますが省略可能です。
当時、太鼓とタンバリンはとても重要な楽器とされていました。楽譜上で書かれていない部分でも、
複数の楽器を組み合わせて演奏するのも良いでしょう。
全38曲からなるこの曲集は、ありとあらゆる古楽器を駆使して描かれた舞曲によって構成されています。

次のような映画にスザートの楽曲が使われました。
娼婦ベロニカ(マーシャル・ハーコヴィッツ1998)
インポスターズ(スタンリー・トゥッチ1998)
エリザベス(シェーカル・カプール1998)
エリザベス ゴールデン・エイジ(シェカール・カプール2007)    
絵の中のぼくの村(東陽一1996)
暗殺(チェ・ドンフン2015)    
楽隊のうさぎ(鈴木卓爾2013)

16世紀、ヨーロッパ、美術、建築、文学、思想の世界では自由闊達に様々な形で花開く時代に突入しました。その豊かな文化の中で、
民衆が踊り楽しんだ音楽がこの楽譜集「ダンスリー」です。素朴で哀愁を帯びたメロディを聴きながら、ルネサンス時代を感じながら、
その時代に思いをはせて楽しめる曲集です。
これらの曲は今のオランダやフランス周辺で民衆が踊る時に使われていたものです。
当時、教会では禁止されていた「踊り」が街の中では楽譜集が出版されるほど盛んにおこなわれていたということも興味深い史実です。
その頃、日本は安土桃山時代。少しずつ西洋文化が日本にも伝わり始めた頃です。火縄銃やカステラが西洋から伝わった頃になります。
それらを想像しながら聴いてみるのも面白いでしょう。
「踊り」の音楽ですから、打楽器なども付け加えることで、より踊りやすく、聴きやすく、楽しくなっています。
このような、楽しい「ルネサンス舞曲集」なのですが、吹奏楽を経験されていた方はこれらの曲を演奏したことがあるかも知れません。
「スザートのルネサンス舞曲」というタイトルで、金管五重奏曲として幅広く演奏されています。
世界のブラスのトップ・プレーヤーたちの名演もたくさんCDとして出ていて、
吹奏楽コンクールのアンサンブル部門では定番の曲になっています。
小学校、中学校で学んだリコーダーアンサンブルの定番楽曲でもあります。
ルネサンス期、16世紀のヨーロッパ地方で流行していた旋律を、ダンス曲としてアレンジされた楽しい楽譜集、
スザートの『ダンスリー』はブラス・アンサンブル「ルネサンス舞曲集」でおなじみのメロディのオリジナル楽譜として、
一方では、リコーダー愛好家にとってはバイブルとなっている作品です。

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  2022/11/12   animato

木管五重奏 トラベッス(わんぱく坊主)、タンゴ

木管五重奏 トラベッス(わんぱく坊主)、タンゴ
Travesso, Tango
エルネスト・ナザレ

編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。
金管五重奏版、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。
「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。

木管五重奏 トラベッス(わんぱく坊主)、タンゴ
Travesso, Tango
エルネスト・ナザレ

編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。
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アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

Travesso, Tango  トラベッス(わんぱくな)、タンゴ
 ナザレの末息子Ernestinhoに献呈されました。ヘ短調、A-B-A-C-A-B-A形式です。題名の割にはしみじみとした雰囲気の曲で、
「わんぱくな」自分の子供に対する親の暖かい眼差しが漂ってくるようです。Bメロは変イ長調、Cメロはヘ長調に転調します。
短調が基調になっていますが、挟まれている他の2箇所は長調であることと、弾むようなメロディとタンゴのリズムによって
軽快さを感じさせる曲になっています。

「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。
南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。
ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、
カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。
特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」

エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。
一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。
そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、
残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。
しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。
中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。
早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、
リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。
1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。
最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。
その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、
アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。

長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。
外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。

1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、
客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、
解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。

ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。
ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、
演奏するのに振り当てられました。
そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。
ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。

ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。
また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。
作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう
民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。

ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。
フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。
ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。
その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。

ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。
ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。
しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、
ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。
また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、
リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。
ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、
ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ
「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。

およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。
ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、)
アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。
ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、
そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、
実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。
もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。

最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』
『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。
ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、
さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。

晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。
ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。

作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、
作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、
クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

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  2022/11/11   animato