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2021年5月

クラリネット五重奏ショパン ワルツ(19曲) 第10番 Op.69-2

クラリネット五重奏ショパン ワルツ(19曲) 第10番 Op.69-2
19 waltzes Valse No.10 h-moll Op.69-2 CT216
Frederic Chopin

編成はクラリネット4本、バスクラリネットです。
クラリネット1stはエスクラリネットに変更可能です。
サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版が別途発売中です。

ショパンの色彩豊かな名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

クラリネット五重奏ショパン ワルツ(19曲) 第10番 Op.69-2
19 waltzes Valse No.10 h-moll Op.69-2 CT216
Frederic Chopin

編成はクラリネット4本、バスクラリネットです。
クラリネット1stはエスクラリネットに変更可能です。
サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版が別途発売中です。

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参考音源
https://youtu.be/ikVS-rCDxHo

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

ワルツ第10番ロ短調作品69-2は、フレデリック・ショパンが1829年に作曲したワルツです。
死後の1852年に友人のユリアン・フォンタナにより出版されました。
ショパンが19歳のときの作品で構成は簡潔ながら、その美しい旋律とスラヴ的な憂いのある曲想に、ショパン後年の円熟を予感させます。
第9番「別れのワルツ」と同様に、感傷的にすぎることから生前の発表が控えられたとされています。

ショパンの『ワルツ第10番op.69-2』は、その感傷的で情緒的な旋律の中に、どこか舞曲らしい雰囲気の漂う曲です。
ショパンのワルツにもいろいろな作品がありますが、その中でもこの曲はわりと簡単なほうだと言えます。
現存しているショパンのワルツの中ではもっとも早い時期の1829年に作曲されました。ポーランド時代である1829年から1830年の間に、
ショパンは5つのワルツを残していて、これらの曲はショパンの死後、姉のルドヴィカが「未出版作品リスト」に含めて、
その後それぞれ出版されたものです。

初版譜や、残された写譜家不明の手稿譜の多様さから、ショパンが様々な形で試行錯誤していたことが分かります。
曲構成はいずれも単純な三部形式ですが、初期の写譜およびポーランド初版がA-A’-B-Aの形とするならば、フォンタナ版はA-A’-B-A-A’と再現部が引き延ばされ、
ショパンの特徴であるいびつな対称性が修正されてしまっています。また写譜と各初版譜で異なるのは、冒頭嬰へ音の扱いです。
すなわち初版譜では、アウフタクトで一拍早く始まるこの音を、次の小節へとタイでつなげていますが、初期の写譜に基づく版では、
打ち直したりアウフタクトにアクセントをつけるなど多彩です。それだけショパンが最初の一音を大切にしていたということでしょう。

初期のワルツが集中的に作曲された1829年、まだ19歳のショパンはワルシャワ音楽院の歌姫コンスタンツァにはじめての恋をしていました。
友人ティテュスとのウィーン旅行から戻った10月3日、「僕にとっては不幸なことかもしれないが、僕はすでに理想のひとを見つけた」と
ティテュスに打ち明けています。1829年から30年にかけて作曲された8つの歌曲はいずれも恋の不安と憧れを歌っていて、恋の病にとらわれた青年の
悩ましげな「うた」はこのロ短調のワルツにも脈づいています。

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  2021/05/21   animato

サックス五重奏「ファイブ・ステップ・ワルツ」

サックス五重奏「ファイブ・ステップ・ワルツ」
Five Step Waltz
ジョン・M・ロレッツ
John M. Loretz (1840-1912)

編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
アルト2ndはテナーに変更可能です。
金管五重奏版、木管五重奏版は発売中です。

アメリカの隠れた名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

サックス五重奏「ファイブ・ステップ・ワルツ」
Five Step Waltz
ジョン・M・ロレッツ
John M. Loretz (1840-1912)

編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
アルト2ndはテナーに変更可能です。
金管五重奏版、木管五重奏版は発売中です。

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https://youtu.be/5OxVwvIVBYw

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「ファイブ・ステップ・ワルツ」はピアノのための小品で、ロレッツの豊かで旋律の自然な流れの音楽を
十分に感じ取れる秀作です。

ジョン・M・ロレッツは家族とともに9歳の時にフランスからアメリカへ渡った作曲家です。
アメリカのオルガニストでドラマチックな作風の作曲家です。
アメリカではピアニストとしてコミックオペラでデビューし、その豊かで旋律の自然な流れの音楽とユーモアで好評を博しました。
ブルックリン・フィルハーモニック・ソサエティや、いくつかの教会のオルガニストを務めています。
ブルックリン、パーク劇場の指揮者、ニューヨークのバンドマスター、オペレッタなどでも活躍しました。
聖ステファン教会(ニューヨーク市)、続いてクリントンアベニュー会衆教会(ブルックリン)でオルガニストを務めました。 
1880年代初頭にオルガニストを引退しました。

時はさかのぼり、彼の父であるジョン・B・ロレッツは1812年にフランスのアルザス・ロレーヌ地方のミュルーズで生まれました。
少年の頃、彼は建築家であった父親のもとで大工の見習いをしていました。12歳になる頃には音楽に強い興味を示し、
ミュルーズの大聖堂のオルガニストに弟子入りしました。ジョンが大聖堂のオルガニストになったのは19歳の時で、
13年間務めました。ジョン・M・ロレッツはミールハウゼンで1840年に生まれました。父の影響で音楽豊かな幼少期を過ごしました。
ロレッツ氏はミュルーズ大学の教授となり、1848年の革命の際には、教区の共和党代表に選出されました。
ロレッツ氏は、ルイ18世に強く反対した共和党を支持したため、1849年に家族とともに国外に出なければなりませんでした。

アメリカに渡り、ニューヨークのブルックリンに来て音楽協会で活躍し、すぐにニューヨークの聖ステファン教会のオルガニストに任命されました。
同教会を離れた後は、ブルックリンの「ボディントン博士教会」(クリントン・アベニュー集会教会)のオルガニストとなりました。
1881年にボディントン博士が亡くなると、ロレッツ氏は辞職し、音楽教育に専念しました。
ジョン・ロレッツは水彩風景画の画家としても活躍し、その多くはニューヨークで展示されました。

ジョン・B・ロレッツと彼の妻には3人の息子がいました。オペラ「バグダッドの真珠」のオルガニストで作曲家のジョン・M・ロレッツ、
商人のアルバート・ロレッツ、ブルックリン水道のエンジンを作ったエンジニアのアーサー・ロレッツです。
ジョン・ロレッツは1887年5月12日、75歳で自宅で亡くなりました。
彼の死に際の願いは「花に埋葬されたい」というもので、その願いは叶えられました。
こうして父から息子へ受け継がれた音楽がアメリカで花開くこととなったのです。

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  2021/05/20   animato

金管四重奏 ガブリエリ :4声のカンツォーナ・ペル・ソナール第1番

金管四重奏 ガブリエリ :4声のカンツォーナ・ペル・ソナール第1番
(Canzon Prima a 4)C.186(K.C.43)(1608)

編成はTp.2本、Tbn.またはEup.2本です。
サックス四重奏版も発売中です。
ヴェネツィア楽派の壮麗な名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

金管四重奏 ガブリエリ :4声のカンツォーナ・ペル・ソナール第1番
(Canzon Prima a 4)C.186(K.C.43)(1608)

編成はTp.2本、Tbn.またはEup.2本です。
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ヴェネツィア楽派の壮麗な名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

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https://youtu.be/Gxc6GzADXgU

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ジョヴァンニ・ガブリエリ(c1554/1557~1612)は、ヴェネツィア楽派のポリフォニー音楽を語る上で最重要の作曲家の一人です。
ガブリエリの「4声のカンツォーナ・ペル・ソナール第2番」は、1608年に出版された作品です。
現在でも金管楽器や木管楽器で頻繁に演奏されています。

ジョヴァンニ・ガブリエーリは、当時流行の多くのジャンルで作曲したにもかかわらず、明らかに合唱のための宗教曲と器楽曲を好んでいました。
声楽のための世俗曲は、すべてかなり初期の作品です。後半生においてガブリエーリは、声楽と器楽のための宗教曲に専念して、
音響効果を最大限に追究しました。

聖マルコ大寺院のジョヴァンニ・ガブリエーリに前後する作曲家と同じように、彼もまたこの大寺院の異例な空間配置を利用しようとしようとしました。
左右両陣の互いに向き合う聖歌隊席(と、それぞれに1つずつしつらえられたオルガン)が、著しい空間効果――エコーやディレイ、
一種のステレオ効果――が得られるのです。

ほとんどのジョヴァンニ・ガブリエーリの作品は、合唱集団ないしは器楽集団が、まずは左手から聞こえ、
それを右手の音楽家集団が追うというように、一種のアンティフォナ様式によっています。このような分割合唱様式は、数十年来の伝統があり、
少なくともヴェネツィアにおいて開祖はおそらくアドリアン・ヴィラールトであったにせよ、ジョヴァンニ・ガブリエーリは、
楽器法において二つ以上のグループを厳密に方向付けることにより、器楽集団や声楽集団の利用を、細心の注意をもって決定した
最初の作曲家となったのです。

聖マルコ大寺院のアコースティックはこの400年の間にほとんど変化していないので、楽器は、適切に配置すれば、
遠い地点でも完全に明晰に聞き分けることができます。したがって、たとえば弦楽器の独奏者と金管楽器の集団というような楽器編成は、
文字にすると奇妙に見えても、聖マルコ大寺院で響かせてみるなら、完璧なバランスを保っているのです。
ガブリエーリは楽器の活用においてだけでなく、強弱記号の展開においても独創的でした。
《ピアノとフォルテのソナタ Sonata pian' e forte》は、おそらく強弱法を用いた最初期の作品です。
しかもその上、通奏低音を用いた最初の作曲家の一人でもありました。通奏低音は、1602年にロドヴィコ・ヴィアダーナの曲集によって
一般化した作曲技法だったからです。 

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  2021/05/19   animato

サックス五重奏 ニムロッド(「エニグマ変奏曲」より第9変奏)B dur

サックス五重奏 ニムロッド(「エニグマ変奏曲」より第9変奏)B dur
Nimrod (from Enigma Variations)
Edward Elgar/1857-1934

編成はサックスのソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
またはソプラノ、アルト、テナー2本、バリトンです。
アルト2ndをテナーで演奏するパート譜はセットに同梱しています。
クラリネット五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。

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サックス五重奏 ニムロッド(「エニグマ変奏曲」より第9変奏)B dur
Nimrod (from Enigma Variations)
Edward Elgar/1857-1934

編成はサックスのソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。
またはソプラノ、アルト、テナー2本、バリトンです。
アルト2ndをテナーで演奏するパート譜はセットに同梱しています。
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https://youtu.be/m8gQKxitpjM

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『威風堂々』などでも知られるエドワード・エルガーの代表作の一つ、オーケストラのための変奏曲『エニグマ変奏曲』。
『エニグマ変奏曲』における変奏14曲には、楽譜上にそれぞれサブタイトル的なイニシャルや人名・愛称などが付記されていますが、
第9変奏では、エルガーの親友アウグスト・イェーガー(August Jaeger)の愛称「ニムロッド Nimrod」が記されました。
第9変奏「Nimrod」 アダージョ、4分の3拍子、変ホ長調。 この変奏曲の中で最も有名で、アンコールピースとして単独で演奏されることも多い曲です。
親友のイエーガーという名は、ドイツ語で「狩人」という意味があり、旧約聖書に登場する狩りの名手「ニムロデ」になぞらえて付けられました。
イエーガーは音楽誌の編集者で、スランプに陥ったエルガーのことを勇気づけ、励まし続けたエルガーにとってかけがえのない存在でした。
イエーガーは落ち込むエルガーに、同じく度重なるスランプと戦い続けた大作曲家ベートーベンを引き合いに出して、エルガーをスランプの淵から救い出しました。
この曲には、そんな2人の想い出の曲として、ベートーベンの〈月光〉の第2楽章の主題がエッセンスとして散りばめられています。
穏やかで感動的な曲調のため、単独で取り上げられることも多い曲です。F.フェネル編曲による吹奏楽版があります。


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  2021/05/18   animato

金管五重奏ショパン ワルツ(19曲) 第10番

金管五重奏ショパン ワルツ(19曲) 第10番 Op.69-2
19 waltzes Valse No.10 h-moll Op.69-2 CT216
Frederic Chopin

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
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19 waltzes Valse No.10 h-moll Op.69-2 CT216
Frederic Chopin

編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。
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ワルツ第10番ロ短調作品69-2は、フレデリック・ショパンが1829年に作曲したワルツです。
死後の1852年に友人のユリアン・フォンタナにより出版されました。
ショパンが19歳のときの作品で構成は簡潔ながら、その美しい旋律とスラヴ的な憂いのある曲想に、ショパン後年の円熟を予感させます。
第9番「別れのワルツ」と同様に、感傷的にすぎることから生前の発表が控えられたとされています。

ショパンの『ワルツ第10番op.69-2』は、その感傷的で情緒的な旋律の中に、どこか舞曲らしい雰囲気の漂う曲です。
ショパンのワルツにもいろいろな作品がありますが、その中でもこの曲はわりと簡単なほうだと言えます。
現存しているショパンのワルツの中ではもっとも早い時期の1829年に作曲されました。ポーランド時代である1829年から1830年の間に、
ショパンは5つのワルツを残していて、これらの曲はショパンの死後、姉のルドヴィカが「未出版作品リスト」に含めて、
その後それぞれ出版されたものです。

初版譜や、残された写譜家不明の手稿譜の多様さから、ショパンが様々な形で試行錯誤していたことが分かります。
曲構成はいずれも単純な三部形式ですが、初期の写譜およびポーランド初版がA-A’-B-Aの形とするならば、フォンタナ版はA-A’-B-A-A’と再現部が引き延ばされ、
ショパンの特徴であるいびつな対称性が修正されてしまっています。また写譜と各初版譜で異なるのは、冒頭嬰へ音の扱いです。
すなわち初版譜では、アウフタクトで一拍早く始まるこの音を、次の小節へとタイでつなげていますが、初期の写譜に基づく版では、
打ち直したりアウフタクトにアクセントをつけるなど多彩です。それだけショパンが最初の一音を大切にしていたということでしょう。

初期のワルツが集中的に作曲された1829年、まだ19歳のショパンはワルシャワ音楽院の歌姫コンスタンツァにはじめての恋をしていました。
友人ティテュスとのウィーン旅行から戻った10月3日、「僕にとっては不幸なことかもしれないが、僕はすでに理想のひとを見つけた」と
ティテュスに打ち明けています。1829年から30年にかけて作曲された8つの歌曲はいずれも恋の不安と憧れを歌っていて、恋の病にとらわれた青年の
悩ましげな「うた」はこのロ短調のワルツにも脈づいています。

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  2021/05/16   animato

組曲「王宮の花火の音楽」第1曲 序曲 サックス四重奏

組曲「王宮の花火の音楽」第1曲 序曲 サックス四重奏
Royal fireworks
1.Ouverture

編成はサックスのソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
金管四重奏(五重奏)版は発売中です。

バロック期の壮麗な名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

組曲「王宮の花火の音楽」第1曲 序曲 サックス四重奏
Royal fireworks
1.Ouverture

編成はサックスのソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。
金管四重奏(五重奏)版は発売中です。

バロック期の壮麗な名曲をコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。

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組曲は5つの楽曲で構成されています。

序曲(Ouverture, ニ長調)
ブレー(Bouree, ニ短調)
平和(La paix, ニ長調)
歓喜(La rejouissance, ニ長調)
メヌエットI(Minuet, ニ短調) - メヌエットII(ニ長調)

序曲は祝典曲にふさわしく華麗で、後に舞曲(軽快な「ブレー」とゆったりした「メヌエット I&II」)が配置されており、
変化が楽しめます。

ヘンデルが作曲したこの曲は,「アーヘンの和約(戦争を平和的に解決するための約束)」の祝典で行われる
花火大会のための音楽としてつくられたもので,初演は野外で行われました。 
 この組曲は,花火が打ち上げられる前に演奏される序曲と,
花火の合間に演奏されるいくつかの小品からできています。トランペットを中心としたはなやかなものや,
木管楽器を中心とした軽やかなものなどがあります。 
 ヘンデルはこのほかにも,「水上の音楽」という組曲をつくっていますが,
この曲も舟遊びをしている人たちを楽しませるために野外で演奏されました。

曲はフランス風序曲の形式をとっています。

ヘンデルはドイツのハレで生まれ、若くしてイタリアに留学、名声を得て、
ドイツのハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長となりました。
しかし、楽長の仕事はさぼって、英国のロンドンでオペラを上演し、大人気を得ていました。
しかし、よりによって不義理をした主君のハノーヴァー選帝侯ゲオルクが、英国王に即位してジョージ1世となります。
そのご機嫌を取るために『水上の音楽』を作曲したというのは有名な逸話です。

優雅な宮廷文化とは無縁な英国にとって、大陸のフランス、イタリア両先進音楽を自在にあやつれるヘンデルは、
王室、貴族、市民いずれにとってもこの上なく頼りになる存在だったのです。
最後は英国に帰化し、英国人として亡くなり、栄光のうちにウェストミンスター寺院に葬られます。

この頃、8年に及んだこの泥沼の戦争は、1748年10月7日にアーヘンの和約で終結しました。
しかし、どの国も〝勝った〟と主張しているようなあいまいな終わり方だったので、国民の盛り上がりも今一つでした。
自ら戦ったジョージ2世としては、それに不満で、英国の勝利をはっきり国民に示すため、
盛大な 「平和条約祝賀行事」をやろう!と思いつきます。
イベントは、正式に講和が宣言される翌年の1749年2月のあと、4月に予定されました。
そして、会場となるヴォクソールのグリーンパークに、巨大な木造パビリオンの建設が始まりました。
それは、古代建築に範をとったパラーディオ様式で造られ、中央に勝利のアーチ、
周りにはギリシャ式の柱廊、ポセイドンやマルスといった神々の像、、
英国を擬人化した女神ブリタニアに〝平和〟を手渡している国王ジョージ2世の巨大な像が配置されました。
そして、イベントでは盛大な花火とともに壮大な音楽を演奏することになり、それがヘンデルに依頼されたのです。

ヘンデルが以前、プリンス・オブ・ウェールズの結婚祝賀のために作曲したオペラ『アタランタ』の中の花火の音楽は、
その後、花火大会の定番のBGMとして使われていて、すでに〝花火といえばヘンデル〟でした。
このイベントは、元祖〝音と光のページェント〟で、ジョージ2世は、
建設途中のパビリオンを何度も見に行くほどの熱の入れようでした。
国王は、ヘンデルの音楽にも注文をつけ『弦楽器を使わず、軍楽器の吹奏楽だけで行うように』との意向を示しました。
その方が勇ましく、戦勝記念にふさわしい、と考えたのでしょう。

しかし、ヘンデルはそれでは音量、音質ともに不足と考えたのか、どうしても弦楽器を加えるべき、と言って譲りません。
間に挟まった大臣は、ヘンデルの頑固さにいらだちます。
最終的にはヘンデルは国王の意向に従い、増強した吹奏楽で演奏することに決定しました。
それはトランペット9本、ホルン9本、オーボエ24本(!)、ファゴット12本、ティンパニ3対という編成でした。
自筆譜には、オーボエとファゴットに弦楽器を重ねるという指示が書き加えられているのです。
さらに後から、最後のメヌエットだけその指示が外され、管楽器だけになっており、紆余曲折のあとがうかがえます。
リハーサルは100人のオーケストラだったという記録がありますから、実際の演奏ではヘンデルは弦楽器を加えました。
4月21日に実現した公開リハーサルには、なんと1万2千人以上が詰めかけ、ロンドン橋は馬車の渋滞で3時間にわたって
通行止めとなった、ということです。
ヘンデルの演奏ののち、礼砲まではうまくいったのですが、花火はどうしたわけか一向に始まりませんでした。
間が悪いので、ヘンデルがもう一度演奏を繰り返したところ、ようやく花火が打ち上がり始めました。
しかし、観衆が歓声を上げたのもつかのま、また再び沈黙。
そのうちに木造のパビリオンに火が付き、国王の像も含めて焼け落ちてしまったのです。

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  2021/05/15   animato

木管五重奏「ファイブ・ステップ・ワルツ」

木管五重奏「ファイブ・ステップ・ワルツ」
Five Step Waltz
ジョン・M・ロレッツ
John M. Loretz (1840-1912)

編成はFl.、Ob.、Cl.、BsCl.、Bsn.です。
オーボエはクラリネットに変更可能です。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能です。
同じくバスクラリネットはファゴットに変更可能です。
サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。

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木管五重奏「ファイブ・ステップ・ワルツ」
Five Step Waltz
ジョン・M・ロレッツ
John M. Loretz (1840-1912)

編成はFl.、Ob.、Cl.、BsCl.、Bsn.です。
オーボエはクラリネットに変更可能です。
ファゴットはバスクラリネットに変更可能です。
同じくバスクラリネットはファゴットに変更可能です。
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ジョン・M・ロレッツは家族とともに9歳の時にフランスからアメリカへ渡った作曲家です。
アメリカのオルガニストでドラマチックな作風の作曲家です。
アメリカではピアニストとしてコミックオペラでデビューし、その豊かで旋律の自然な流れの音楽とユーモアで好評を博しました。
ブルックリン・フィルハーモニック・ソサエティや、いくつかの教会のオルガニストを務めています。
ブルックリン、パーク劇場の指揮者、ニューヨークのバンドマスター、オペレッタなどでも活躍しました。
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1880年代初頭にオルガニストを引退しました。

時はさかのぼり、彼の父であるジョン・B・ロレッツは1812年にフランスのアルザス・ロレーヌ地方のミュルーズで生まれました。
少年の頃、彼は建築家であった父親のもとで大工の見習いをしていました。12歳になる頃には音楽に強い興味を示し、
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13年間務めました。ジョン・M・ロレッツはミールハウゼンで1840年に生まれました。父の影響で音楽豊かな幼少期を過ごしました。
ロレッツ氏はミュルーズ大学の教授となり、1848年の革命の際には、教区の共和党代表に選出されました。
ロレッツ氏は、ルイ18世に強く反対した共和党を支持したため、1849年に家族とともに国外に出なければなりませんでした。

アメリカに渡り、ニューヨークのブルックリンに来て音楽協会で活躍し、すぐにニューヨークの聖ステファン教会のオルガニストに任命されました。
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1881年にボディントン博士が亡くなると、ロレッツ氏は辞職し、音楽教育に専念しました。
ジョン・ロレッツは水彩風景画の画家としても活躍し、その多くはニューヨークで展示されました。

ジョン・B・ロレッツと彼の妻には3人の息子がいました。オペラ「バグダッドの真珠」のオルガニストで作曲家のジョン・M・ロレッツ、
商人のアルバート・ロレッツ、ブルックリン水道のエンジンを作ったエンジニアのアーサー・ロレッツです。
ジョン・ロレッツは1887年5月12日、75歳で自宅で亡くなりました。
彼の死に際の願いは「花に埋葬されたい」というもので、その願いは叶えられました。
こうして父から息子へ受け継がれた音楽がアメリカで花開くこととなったのです。

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  2021/05/14   animato

ビッグバンド編成「ムーンライト・セレナーデ」

ビッグバンド編成「ムーンライト・セレナーデ」
Moon Light Serenade
Glenn Miller

編成はクラリネット、サックスのアルト2本、テナー2本、トランペット4本、トロンボーン4本
エレキベース、ヴィブラフォン、ドラムスです。
エレキベースはチューバ、バリトンサックスに変更可能です。
トロンボーンはユーフォニアムに変更可能です。
トランペット4th、トロンボーン1stはホルンに変更可能です。
ビッグバンド編成16名の奏者で演奏できます。

スタンダード・ジャズ・ナンバーの金字塔をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。
 

ビッグバンド編成「ムーンライト・セレナーデ」
Moon Light Serenade
Glenn Miller

編成はクラリネット、サックスのアルト2本、テナー2本、トランペット4本、トロンボーン4本
エレキベース、ヴィブラフォン、ドラムスです。
エレキベースはチューバ、バリトンサックスに変更可能です。
トロンボーンはユーフォニアムに変更可能です。
トランペット4th、トロンボーン1stはホルンに変更可能です。
ビッグバンド編成16名の奏者で演奏できます。

スタンダード・ジャズ・ナンバーの金字塔をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

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https://youtu.be/2MIvPH0X478

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3

『ムーンライト・セレナーデ Moon Light Serenade』は、1939年にトロンボーン奏者のグレン・ミラー(Glenn Miller/1904-1944)により
作曲されたスウィング・ジャズの代表曲のひとつです。
この曲がグレン・ミラー楽団のバンドテーマとなっています。
元々は、クラリネットを主体としたビッグバンド向けのスローナンバーで、後にミッチェル・パリッシュにより歌詞がつけられました。
カバーしたアーティストはレイ・コニフ(1957)、ヘンリー・マンシーニ(1963)、フランク・シナトラ(1966)
デオダート(1974)、ボビー・ヴィントン(1976)、タキシード・ジャンクソン(1978)、シカゴ(1995)が知られています。

楽団を率いるグレン・ミラー(Glenn Miller/1904-1944)は、当初トロンボーン奏者として活動していたものの、あまり目立つ存在ではありませんでした。
ところが、1937年に自身のオーケストラを結成して以来、バンドリーダー、作編曲家として人気は急上昇。1942年に兵役に赴くまで、
『インザムード』、『茶色の小瓶』など、数多くのヒットを生み出しました。
その後、不幸にも1944年の飛行機事故で帰らぬ人となりましたが、バディ・デフランコやラリー・オブライエン他のミュージシャンによって
楽団は引き継がれ、現在も世界各地で公演を続けている。

「セレナーデ」とは、「愛人の窓の下で聴かせるための甘美な歌曲」を意味します。日本語では「小夜曲」と訳されています。
グレン・ミラーがまだトロンボーン奏者兼アレンジャーとしてレイ・ノーブル・オーケストラに在籍していた1935年当時、
ジョセフ・シリンガーに師事して編曲法などを学んでいました。
この曲はその頃、作曲と編曲の練習のために作ったものです。やがてエドワード・ヘイマンが歌詞を書き、
「ナウ・アイ・レイ・ミー・ダウン・トゥ・ウィープ(身を投げてすすり泣く)」という歌曲になりました。
クラブなどで歌われましたが、当初はまったく注目されませんでした。
このエピソードは、映画「グレン・ミラー物語」でも観ることができます。
できたばかりの曲を愛妻にピアノで弾いて聴かせる場面、初演の時の演奏が、
ミラーの抱く楽想とまったく違ったものになっていて、聴きに行っていたミラー夫妻がガッカリする場面、
などが再現されています。
その後ミラーはテンポをスローにし、アレンジにも手を加え、タイトルを変えて1939年にビクターで録音、
フランキー・カール作曲の「サンライズ・セレナーデ」とのカップリングで発表したものがミリオン・セラーの
大ヒットを記録しました。 
間もなくミッチェル・パリッシュが歌詞をつけ、歌曲としても歌われるようになりました。
サックスなどの木管楽器の柔らかい音色を生かしたテーマは、ちょっぴり甘く、ちょっぴり切ないサウンドです。
ブラス・セクションの出す音色はあくまでまろやか。中間部のクラリネット・ソロと、間を縫うように弾かれる
ピアノ(ヴィブラフォン)がとても印象的です。まさに月の夜、愛しい人の窓の外で優しく奏でられるにふさわしい名曲です。
グレン・ミラー・オーケストラの演奏のほか、フランク・シナトラやエラ・フィッツジェラルドの歌も有名です。
1976年にはボビー・ヴィントンの歌ったものがヒットしました。
また、ブラス・ロック・バンドのシカゴが16ビートにアレンジしたものが1997年に発表され、
フジテレビ系ドラマ「シングルス」の主題歌に使われました。
小野リサによるボサノバのアレンジも知られています。
映画『スウィングガールズ』(2004年公開)の演奏シーンにも登場しました。
近年は、カーリー・サイモンもこの曲を取り上げているようです。
2007年7月には三菱・デリカD:5のCM曲としてブラッドホームズが歌ったバージョンが取り上げられました。

スウィング・ジャズの巨匠、トロンボーン奏者でバンド・リーダーのグレン・ミラー(1904~44)によるスロー・ナンバーの名曲は、
彼の楽団のテーマ曲でもあり、サクソフォーン・セクションの美しい和音とクラリネットの優美なリードで知られています。
グレン・ミラーの存在が日本で一気に広まったのは、1953年の伝記映画『グレン・ミラー物語』(アンソニー・マン監督、ジェームズ・スチュワート主演)でした。
ラストシーン、ラジオ放送でこの曲が流れると、アナウンサーが「いま彼はここにいません。この曲をご遺族に捧げます」と告げます。
ロンドンで飛行機に乗ったまま、行方不明となってしまったのだ。この映画のおかげで、多くの人々にとって
《ムーンライト・セレナーデ》は、単なるスロー・ダンス音楽ではなく、彼の死を惜しむ追悼曲となったのです。

【ムーンライト・セレナーデ歌詞】
私は君の家の戸口に立って 
月の光を歌う
私は6月の夜に 
君が手を差し伸べてくれるのを待つ
バラはそっとため息をつく 
ムーンライト・セレナーデ

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  2021/05/13   animato

鍵盤打楽器『きらきら星変奏曲』 C Dur

鍵盤打楽器『きらきら星変奏曲』 C Dur
Twinkle Twinkle Little Star Mozart Variation
W.A.Mozart

編成はグロッケン、シロフォン、ヴィブラフォン、マリンバです。
クラリネット四重奏 As Dur版、サックス四重奏 As Dur版、木管四重奏四重奏 C Dur版は発売中です。
このアレンジは一般的な音域で書かれています。

若きモーツァルトの魅惑の旋律をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

鍵盤打楽器『きらきら星変奏曲』 C Dur
Twinkle Twinkle Little Star Mozart Variation
W.A.Mozart

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「きらきら光る お空の星よ」の歌い出しで親しまれる童謡「きらきら星」。
これは英語圏で歌われている『Twinkle, Twinkle, Little Star』(トゥインクル・トゥインクル・リトル・スター)の歌詞が
日本語訳・アレンジされた曲です。
『Twinkle, Twinkle, Little Star』のメロディは、18世紀フランスの民謡「ああ、話したいの、ママ Ah ! vous dirai-je, Maman」が使われています。
このフランス民謡に『Twinkle, Twinkle, Little Star』の歌詞がつけられたのは19世紀初めごろのことです。
イギリスの詩人ジェーン・テイラー(Jane Taylor)の詩「The Star」(ザ・スター/星)の一部が用いられ、
1805年に詩集「ナーサリーライム(Rhymes for the Nursery)」の中で始めて発表されました。

【歌詞】
Ah ! vous dirai-je, maman,
Ce qui cause mon tourment ?
Depuis que j'ai vu Clitandre,
Me regarder d'un air tendre ;
Mon c?ur dit a chaque instant :
≪ Peut-on vivre sans amant ? ≫
【意訳】
ああ!ママ、言わせて
私の苦しみの原因はなんなの?
優しいClitandre(人名)
そんな彼と出会ってから
私の心はいつも語りかけるの
「私たちは恋人なしで生きていくことはできるの?」と。

『きらきら星変奏曲』は、モーツァルトがウィーンに引っ越した頃、1781年-82年に作曲したピアノ曲です。
 原題(12 Variationen uber ein franzosisches Lied “Ah, vous dirai-je, maman” )を直訳すると、
『フランスの歌曲「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」による12の変奏曲』で、当時フランスで流行していたシャンソン・歌曲です。
このフランス歌曲のメロディが、モーツァルトの死後、『きらきら星』の歌詞と結びつきました。
つまり、モーツァルトが生きていた頃は、まだ『きらきら星』という曲は存在していないため、このモーツァルトの変奏曲を
『きらきら星変奏曲』と呼ぶことに違和感はないのですが、今ではこのタイトルの方が馴染み深いことは間違いありません。
 私たちが知っている歌詞の元である「Twinkle, twinkle, little star」は、1806年にイギリスの詩人、ジェーン・テイラーによって書かれました。
それは、モーツァルトが亡くなってから15年ほど経ってからのことでした。

変奏曲の構成は次のようになっています。
主題   主題の提示だが、現在『きらきら星』として知られる曲よりも少し修飾がなされている。
第1変奏 16分音符と巧みな半音階の導入できらびやかな効果を出している。
第2変奏 ずっしりとしたアルペジョが速いパッセージで登場
第3変奏 アルペジョで美しい音色を出す。
第4変奏 10度飛ぶ厄介な部分。気まぐれな雰囲気を出す。
第5変奏 ここでは一度静まり返る。軽々しい和音に不協和音が一部混ざることにより、更にかわいらしさがあふれる。
第6変奏 速いパッセージと共に右手がメイン。途中から右手に速いパッセージが来る。
第7変奏 1オクターブのスケールで始まり壮大さが生まれる
第8変奏 ハ短調に転じる。ここでは短調の雰囲気で重々しく流れる
第9変奏 ハ長調に戻る。軽快な音が響き渡る。
第10変奏 細かな分散和音と共に盛り上がる。
第11変奏 速度がアダージョになる。少々主題に手が加えられた部分もある。ゆっくりめで温和な雰囲気。最終変奏の前の緩徐楽章的な役割。
第12変奏 3拍子になる。左手の速いパッセージで始まり、非常に速い。最後は、大いにクレシェンドして終わる。

モーツァルト[1756~1791]はオーストリアの作曲家です。ハイドンとならぶウィーン古典派音楽の代表者で、器楽・声楽の両分野にわたり、600曲以上の作品を残しました。
作品では、交響曲・協奏曲・室内楽曲・ピアノソナタのほか、オペラ「フィガロの結婚」「ドン=ジョバンニ」「魔笛」などが代表作です。
モーツァルトは古典派中期の大作曲家です。
古典派の中期から興隆期を日本の歴史に例えると、徳川幕府の中後期の名老中の一人=松平定信(1759-1829)の生きた時代と同じころだと言えます。
モーツァルトの生きた時代は、神聖ローマ帝国の最末期にあたりますし、またイギリスで起こった第1次産業革命の時期にも重なっています。
ドイツ・オーストリア圏は、最末期とは言えまだ神聖ローマ帝国の支配下でしたから、基本的には封建社会が続いていたので、
音楽家の生活は今日の自由な社会から見れば窮屈なものだったかもしれません。
その中で、アマデウス・モーツァルトの父=レオポルドは、息子の天性の素質と才能を見抜き、雇い主のザルツブルグ大司教から相当に無理をして
許諾を得て、伝統的にヨーロッパ文化のトップモード発進地であったイタリアへの演奏旅行を何度も敢行したのでした。

そのような環境の下で天性を開花させていったモーツァルトは、遂に1781年には雇い主であるザルツブルグ大司教と決別して、
ウィーンにフリーの音楽家として定住するに至ったのです。これは当時としては破天荒以外の何物でもない思いきった行動で、
フランス革命以後の芸術家の在り方を先取りしていたのです。
しかし結局、晩年(といっても30歳台半ばですが)には困窮を極める生活に陥り、遂に病に倒れてこの世を去ったのでした。

モーツァルトは古典主義音楽の中心的存在として、どんな特徴があると言えるのでしょうか? 
ソナタ形式というのは、第1主題と第2主題を提示し、それらにもとづく展開部をそれに続け、最後に、再び2つの主題を再現するという方式、
いいかえれば、きわめてメカニックな論理性に支配される形式といえます。
ベートーヴェンがハイドンから受け継いだものは、その論理性にほかなりません。
モーツァルトは、その論理性に豊かな色づけと楽しさを与え、そのメカニズムから堅さを取り除いたのです。
天才ならではの流れるような優雅な旋律、しかもそれがやや断片的に現れながらも、けっして散漫になりません。
そして副主題らしきものを多く出しながらも、微妙で、不規則で多様性に富む旋律様式を生み出す巧みさは、
その反面、構成的、論理的には脆さを見せることもないではありません。しかし、それを、モーツァルトはその天才的な能力で、
見事に縫合し、まとめ、その脆弱性を逆に利用して、音楽的な情緒性を盛り立てるのに成功したのです。

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  2021/05/12   animato

金管四重奏「すみれ」 K.476

金管四重奏「すみれ」 K.476
Das Veilchen
W.A.Mozart

編成はトランペット2本、ホルン、トロンボーンまたはユーフォニアムです。
サックス四重奏版、クラリネット四重奏版、木管四重奏(オーボエ・クラ・ファゴット)版は発売中です。

ドイツ・リート(シューベルト)につながる名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。

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Das Veilchen
W.A.Mozart

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『すみれ』(ドイツ語: Das Veilchen)K.476は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した歌曲です。
モーツァルトの歌曲の中で有名なものの1つです。表記については、『菫』と漢字で表記されることもありますが、平仮名の表記が一般的です。

1785年6月8日にウィーンで作曲された作品です。作曲の詳しい経緯については不明ですが、モーツァルトはこの作品を単なる有節歌曲として作曲せず、
各連ごとに曲想・調性を変え、小型ながら素晴らしい芸術品に仕上げていて、物語としての展開を持つ原詩に即応して音楽を変え、
それぞれの詩句に適した描写を行っていく通作形式で書かれています。
ここでは詩の内容に密着したリリシズムとドラマティックなものが、見事な調和が見られます。
このあたり(1785年)から、モーツァルトの歌曲というジャンルに対する考え方に変化が見られます。

歌詞はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの詩によっており、モーツァルトが唯一作曲したゲーテ作品となりました。
内容は「スミレの花が付近を歩く少女の姿を見つけて彼女に摘まれたいと望むが、その少女に踏み付けられる。。
しかし、スミレは幸せだった。」というものです。
ゲーテはこの詩をバラードに分類しています。なお、モーツァルトはラストの部分に2行付け加えています。

この詞はゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)の詞で、ジングシュピール「エルヴィーンとエルミーレ」のなかの一節ですが、
この詞をモーツァルトがどのように手にしたのかは不明です。 ゲーテといえばドイツを代表する大詩人であり、
その人物とモーツァルトとの唯一の接点となるこの歌曲の誕生は大変関心を集める部分ですが、
アインシュタインはモーツァルトがこの歌詞と出会ったのは偶然だったと言っています。

なぜなら彼がこのテクストを見いだしたのは、1778年刊のシュテファンの『ドイツ・リート集』(Sammlung deutscher Lieder)のなかであり、
そこではテクストがゲーテの名の代りにグライムの名で発表されていたからです。
つまりモーツァルトはゲーテという大作家を意識していたわけではなく、創作意欲を起こさせる歌詞をたまたま目にしたというわけなのです。
 そのリート集から見出したのかどうかは分かりませんが、モーツァルトの自筆譜には「ゲーテの詩による」と書かれていますので、
作詞者が誰であるかについては知っていたことになります。 当時ゲーテのこの詩は単独でよく知られていて、多くの作曲家が曲をつけていたというので、
何かの機会にモーツァルトも作曲しようということになったのかも知れません。 
自作目録には歌曲が並んでいるので、それらと同じ目的で作曲され、たぶん仲間うちで演奏して楽しんでいたと思われます。
恐らく「交友曲 Freundstuck」の一つなのでしょう。
ゲーテの詩は次のように、7行で一つの節となり、「第1節は野の情景を歌い、羊飼いの娘がやってくる様を歌い、
つづく第2節は乙女に対するすみれの気持ちをあらわし、そして第3節は、その気持ちが踏みにじられてしまう悲しい結末を語っている」物語になっています。 

Ein Veilchen auf der Wiese stand
gebuckt in sich und unbekannt;
es war ein herzig's Veilchen.
Da kam ein'junge Schaferin
mit leichtem Schritt und munterm Sinn
daher, daher,
die Wiese her, und sang.    

一本のすみれが牧場に咲いていた
ひっそりとうずくまり、人に知られずに。
それは本当にかわいいすみれだった!
そこへ若い羊飼いの少女がやって来た
軽やかな足どりで、晴れやかな心で
こっちの方へ近づいてくる
牧場の中を、歌をうたいながら。

Ach denkt das Veilchen, war'ich nur
die schonste Blume der Natur,
ach, nur ein kleines Weilchen,
bis mich das Liebchen abgepfluckt
und an dem Busen matt gedruckt!
ach nue, ach nur,
ein Viertelstundchen lang!
    
ああ、とすみれは思った、もしも自分が
この世で一番きれいな花だったら、と
ああ、ほんのちょっとの間だけでも
あの少女に摘みとられて、
胸におしあてられて、やがてしぼむ
ああ、ほんの
十五分間だけでも

Ach, aber ach! das Madchen kam
und nicht in Acht das Veilchen nahm,
ertrat das arme Veilchen.
Es sank und starb und freut' sich noch;
und sterb'ich denn, so sterb'ich doch
durch sie, durch sie,
zu ihren Fusen doch!    

ああ、それなのに!少女はやってきたが、
そのすみれには眼もくれないで、
あわれなすみれを踏みつけてしまった!
すみれはつぶれ、息絶えたが、それでも嬉しがっていた
ともあれ、自分はあのひとのせいで
あのひとに踏まれて
死ぬんだから、と!

この詩をゲーテは、1773年か翌74年はじめに書き、それを1775年に発表した歌謡つき芝居『エルヴィーンとエルミーレ』の中に含めたほか、
独立した詩としても『詩集』(1806年)の中に発表しています。
その『エルヴィーンとエルミーレ Erwin & Elmire』の最初の場で、この詩は「人知れぬ恋ののぞみを、ひそやかに抱いて歌う」青年の心を歌うものです。
エルミーレを深く愛したエルヴィーンは、謙虚な心からあえてエルミーレのもとを去り、そのさい、一片の詩、すなわち「すみれ」を残していきました。 
それを読んだエルミーレは、彼の真意に気づいてさすらいの旅に出、やがて幸運から彼と再会し、結ばれたそうです。 
「すみれ」はいわば、一夜のジングシュピールの焦点となる、ドラマの象徴だと言えます。
これを単独の歌曲として取り上げたときモーツァルトは最後に次の2行を書き足したのでした。

Das arme Veilchen!
Es war ein herzig's Veilchen.
かわいそうなすみれよ!
それは本当にかわいいすみれだった。

モーツァルトが、この詩を選び、自分で歌詞を付け足してまで作曲したことには何らかの動機があったにちがいありません。
当時の作曲家たちは有節形式で民謡風に曲をつけていたのに対し、
モーツァルトは物語の展開に応じて音楽描写を変えていく通作形式で曲をつけていて、
その革新的な作曲によりロマン派リート(シューベルトなど)への展望を開いた傑作と言われています。

こうしてモーツァルトは、この小曲を、ゲーテのジングシュピール全体に匹敵するような、大きな世界を表現したのです。
現在、この自筆譜はロンドンの大英博物館にあります。
モーツァルトがゲーテをどう思っていたかはわからないのですが、ゲーテの方はモーツァルトを高く評価していたことは有名で、
自身の代表作「ファウスト」に曲をつけることができるのはモーツァルトしかいないと言っていたほどです。 
二人の実際の唯一の出会いは、1763年(モーツァルト7歳)の6月9日にありました。 モーツァルト一家は西方への大旅行に出発し、
その途中、8月18日にフランクフルト・アム・マインで幼い姉弟の演奏会が開かれたとき、聴衆の中に当時14歳のゲーテがいたのです。
 ゲーテは晩年になってもそのときの幼いモーツァルト少年の姿をはっきりと覚えていると語っています。

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  2021/05/11   animato