伏見わが街

―日本の夜明け酒蔵の町並み―

 筆者が。この世に生まれたのは京都市の南部に位置する伏見区だ。伏見城城下町の伝統を受け継ぐ商いの街であり、京都市中心部や大阪方面へのベッドタウンとしての性格をもつ下町情緒あふれる界隈だ。京阪電車の中書島駅から北に向かって散歩する機会に恵まれた。

 711年(和銅4年)深草稲荷神社が置かれ、1594年(文禄3年)に豊臣秀吉によって伏見城の城下町として町の原型が形作られた。徳川家康が1603年(慶長8年)伏見城にて将軍宣下を受け、天下を掌握した徳川家康は商業港湾都市として整備し、淀川三十石船などの船が行き交う港町として繁栄した。

宇治川の派流、濠川の散策路におりてみる

 江戸時代から「伏水(ふしみ)」と呼ばれ豊かな地下水にも恵まれた地で「黄桜」「月桂冠」「松竹梅」「桃の滴」など銘酒の里でもある。筆者の父も酒蔵勤めであった。

 1862年(文久2年)薩摩藩尊皇派が薩摩藩藩主の父で事実上の指導者・島津久光によって粛清された「寺田屋騒動」もこの地を舞台にした。

 明治維新の「鳥羽伏見の戦い」により町の大半が焼失し、後に再建された寺田屋。

濠川に程近い長建寺

ほうらい橋から濠川の南を眺める

月桂冠の酒蔵が見える

濠川の月桂冠大倉記念館裏乗船場から約45分で1周する十石舟

筆者は現在も伏見で勤める毎日である。時間がある時にでも、伏見稲荷大社なども追記して行きたい。絶好の撮影スポット松本酒造の写真はこちら。(2007年10月21日)

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