波の届かぬ磯もいい

 JR北陸線の武生(たけふ)駅から1日に4本のバスに間に合えば1時間、日本海に面した福井県越前町には波も穏やかな磯近く、米ノと呼ばれる集落がある。筆者が40年来、毎年墓参に訪れる場所である。急傾斜の危険地域に指定される集落の背後には山が迫り、平坦地が極端に少ない。肩を寄せ合うように建っている家々と、それらを縫うように入り込む縦横無尽の路地。独特の景観は半世紀近く変わることが無い。変化があったことと言えば海沿いの県道が2車線に広がり、港の近くが埋立られて駐車場になったことくらいである。城崎南小学校は廃校になって久しい。


寄り添うように建て込む集落

 集落のはずれに傾斜の急な階段がある。それを5分ばかり昇ると、丘の上に猫の額ほどの畑に囲まれた小さな灯台がある。日本海の向こうには敦賀半島がかすみ、碧を分ける水平線が僅かな湾曲を描いている。敦賀を出港した苫小牧行の新日本海フェリーが左から右へゆっくりと進む光景に時折出会う。額の汗を拭いながら見下ろす眺めも、これまた変わることがないのだ。


小さな灯台越しに漁港が見える(敦賀半島は画面左欄外に位置する)

 小さな漁港の様相も旧来とあまり変わった点は見つからない。2002年に訪れた標津のような地域HACCP(ハサップ)といった先進の規格もなく、漁協の運営も定置網漁が主流のオーソドックスなスタイルである。30年ほど前と比べれば、いくぶん清潔感は向上したかも知れない。獲れる魚種は「はまち」が主体だ。カジキマグロが揚がった時もあれば、捨てられる小魚を失敬して食卓に並べさせてもらった思い出もある。


やはり磯は楽しい(廃校後の福祉施設も見える)

 海岸一帯に広がる磯では温帯性の魚が泳ぐ様をシュノーケリングで眺めながら、サザエやアワビにタコなどを捕まえて楽しむのも毎年の習慣となっている。閑散とした広い磯に重そうなボンベを背負ったスキューバーダイビングの講習が10年ほど前から見受けられるようになったことも数少ない変化だ。それでも海水浴客でいっぱいになることはまず無い。


個人で楽しむ程度の量だ

 越前町の南には河野村が位置している。キャンパー達が重宝するような駐車スペースとトイレや水道が設けられ、村全体が賑わいを見せている。それを横目に通過しながら、毎年変わらぬこの地へ足を踏み入れると時代が戻ったような錯覚を覚えるのだ。この磯には時代の波が届かないように思えてならない。取り立てて景勝地も無いし観光資源を誘致することも無い、質素で地味な生活の場を無欲に守っているようにも見える。これは賢明なのか無頓着なのか自問こそすれ答は明白にならないでいた。最近になってようやく筆者自身の考えが傾き始め、こうしてレポートすることに躊躇が無くなった。


集落を登る道は武生につながっている

 以前はこの違いをいぶかしく思っていた頃があったのだ。もっと便利にならないものかと不満げに語ったこともあった。しかし何が価値ある変化なのかは住民が決めることであり、よそ者がとやかく言う筋合いではない。俗に言うところの繁栄をどの程度受け入れるかによって、それぞれ地域の味わいの違いができてくるのは当然である。ただ、趣向が合致する人がそこにいれば自然な光景であり続けるのだということが見えてきた。筆者にとっては墓参の地であり強いて比較・選択をする必要は無い。ここが変わらずあれば、それで十分なのだ。


海岸線の道路に夕日が沈みゆく

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