もう一つの表現「音価」指導教材

このページではアトリエ・アニマート扱いでも発売中の吹奏楽譜教材に付録として付いている指導資料の一部をご紹介するものです。これは、私の研究課題でもあります。


「エネルギー思考」でもう一つの表現「音価」を考えよう

 私達が学校吹奏楽で演奏表現を追及した指導を行う時、どんな視点で深化させてゆけばいいのでしょうか。本教材ではエネルギー思考に基づいて、学校吹奏楽が「より深い音楽の演奏表現」を教授する方法論について一つの提案をいたします。(図解なしの文章のみです、悪しからずご了承ください→出版譜Adagio cantabileには図解付きの資料が添付されます)


第1章 音量の変化だけでいいの?

1-1 エネルギー思考による演奏表現の必要性

 音楽体験は作曲・演奏・聴体験の三つの要素から成り立っています。音楽の演奏とは、作曲者が楽譜として提示した作品を、実際の音として再現して伝えることです。保科 洋は望ましい演奏を次の2点に要約しています。

1)楽譜として客観化された作品の音楽的内容や意味を的確に分析・理解するとともに、

2)作品の根底に内在する精神性や芸術性に感応して演奏者自身の創造的な解釈を加え、それを自己の技術力によって表現すること、(注1)

即ち、演奏に際しては客観的な楽曲分析と、それに基づく創造的な演奏解釈が必要となってくるのです。しかし、この楽曲分析において作品の持つ音楽的意図とは演奏者の主観によって勝手な答えを出せるものではないということも、肝に命じなくてはなりません。

 また、演奏解釈においては、楽曲分析に基づいた音楽的な内容に演奏者の創造性を加えた表現方法を導き出すという視点を忘れてはならないのです。

 国安 洋は『音楽の解釈では最終的に問われるのは他者ではなく、体験の主体としての「我」である。』(注2)としています。これは聴取する側が音楽を享受する段階で、その作品に向けられる外的な視点ではなく、聴衆自身がどう享受できるかというところに音楽という芸術の独自性を見るのである。そういった点からも、演奏者は聴衆が十分理解・享受し得る演奏表現を創造することが求められます。

 H.リーマンやH.メルスマンが提唱したエネルギー説(注3)では、音楽をエネルギー、すなわち「力」として捉えました。リーマンは3つの絶対音楽の効果注9を挙げています。すなわち1.音の高度、2.音の強度、3.変化の速度である。これらの原質的要素の他にも構成的要素、連想的要素も加わり、音楽を演奏表現するという行為が成り立っています。

 保科 洋は「旋律(演奏されている)とは音のエネルギーが様々に変化する様相を、音長と音高の組み合わせによって記述したものである。」(注4)といった音楽認知の方法を提示しています。『音のエネルギーとは「音の高さ」(つまり振動数)と「音量」(つまり振幅)という二つの側面として表わされる』注11、即ち、音高が上がれば振動数は増え、エネルギーをより多く必要とします。また、音量が上がれば振幅が増し、これもエネルギーをより多く必要とするのです。従ってエネルギー量が同じ二つの音があれば、音高が高い音の方が音量が小さいということになります。本教材ではこれに加えて「音価」を共にエネルギーの要素として音高・音量・音価の三つの観点から考えたいと思います。

 次に、この振動のエネルギー原理を踏まえて、どんな演奏表現を教授する必要があるのかについて考えてみます。本教材では特に、アーティキュレーション(演奏における隣接した音相互のつなぎ方、あるいは切り方注13)など、演奏技術の問題をクリアした指導段階以降を想定しています。即ち、基本的な演奏技術を習得したうえで、次に「どう演奏するか」という演奏解釈に焦点を当てて進めます。

1-2 音価による表現手法「ルバート」

 我々が演奏に際して読譜するとき、しばしば目にする指示に「ルバート」(rubato)があります。学校吹奏楽などのアマチュア音楽で、専ら音量のみによる表現に偏重した演奏に出会うことが多いのは私だけではないでしょう。エネルギー思考によって演奏表現を追究する上で着目したい速度標語がいくつかあります。

 ルバートは「盗まれた」を意味するイタリア語であり、個々の音価を伸ばしたり縮めたりすることによって、テンポを自由に扱うよう奏者に促す速度標語です。事典には次のような記述があります。

 後期バロックにおける権威のある理論家のなかには、小節内での音符のリズム変更のことであり、装飾の一種と解する者もいる。この場合「盗まれた」音価は小節全体としては過不足がないよう調節されているので「借用した音価」といったほうが正確であろう。現在の使い方ではルバートは、1つまたはそれ以上の音符、あるいはフレーズ全体についての厳密なテンポを、何らかの形で歪めることを意味している。また、テンポどおりのアーティキュレーションの切れ目以上にフレーズの分離をはっきりし示したいときに、本来のテンポの流れに付け加えられた休止や中断を意味することもある。(注6)

 

 ルバートの類似語としてアド・リビトゥム(ad libitum)、ア・ピアチェーレ(a piacere)、センツァ・テンポ(senza tempo)があります。このような奏者に委ねられた自由な音価による表現手法も併せて、エネルギー思考による演奏表現を考察する必要があるでしょう。

1-3 アナクルーズとデジナンス

 旋律の音群は小さなグループに分けることができます。それを合わせた複合的で大きなグループを演奏する際、起伏の頂点を境にしたアナクルーズとデジナンスが形成されます。アナクルーズとは、頂点に向かってエネルギーが増幅し、緊張・不安・期待・集中していく音群を指しています。デジナンスとは頂点の後、エネルギーが減衰し、弛緩・安定・満足・拡散していく音群を指します。演奏表現にあたっては、このエネルギーの連続的推移を認知できる能力を指導者と演奏者が、ともに持つことが必要です。演奏表現にはアナクルーズとデジナンスを楽曲の形式的な統一の中で繰り返しながら、一つの音楽作品を構築していく作業が求められます。旋律の上では、音高や音価によるエネルギーの蓄積と放出、音型の拡大や縮小による変化を、横のつながりとして考えることができます。しかし、実際の楽曲ではそればかりではありません。和声的なエネルギーの推移やオーケストレーション全体にも総合的な概観を必要とします。

 和声上では不協和から協和へのエネルギー変化、旋律上では倚音や繋留音・変化音などの非和声音によるエネルギー変化について観る必要があります。また、代理和音も含めたTonic、Dominant、 Subdominantの機能和声からもエネルギー変化を観る必要があるでしょう。特にDominant和音の配置は緊張感と安定要求といった性格を持つことから、音楽エネルギーの変化に関連する重要な要素です。オーケストレーション全体では、音域の拡張・収縮(高音域と低音域の反進行)や打楽器にも注目しなくてはなりません。こうして十分に演奏解釈された音楽表現を吟味し、指導していく必要が不可欠なのです。

 昨今の学校吹奏楽では、関連論文の第4章第2節で定義している「良いサウンド」の要素中で、1.豊かな音色、2.正確なピッチとハーモニー、3.心地好いバランス、4.幅広いダイナミクスが得られた後に、5.深い音楽表現の段階で二の足を踏むという状態に陥っているバンドのケースが多々あります。このことは、指導者がD深い音楽表現を今後の重点的な研究課題としなければならないことを、如実に表わしているのです。

1-4 アゴーギク

 さらに、楽曲に対してアナクルーズとデジナンスを設定して表現していく過程で、1.の項で触れた「1.音の高度、2.音の強度」だけでは表現し得ない場合に出会います。それはテンポの変化であったりアゴーギグなどの「3.変化の速度」という要素です。アゴーギクとは「特にアクセンチュエーションとアクセントを加減することによる表現をいう。音の強弱よりも音価の変化によって行われる。注15」といった言葉です。音価が微妙に揺れ動く表現は、音楽をエネルギーとして捉えるとき、ごく自然な表現手法です。rit.やaccel.などの指定が記譜されている場合はともかく、何の指定も記されていない箇所でも、私達はしばしば音価が意図的に揺らいだ表現に出会います。

 私達が日本で育ち、日本の文化に浸り、無意識のうちに自然に受け入れている表現技法も、他国の環境から見れば極めて特化された価値観上のものです。反対に学校吹奏楽の根幹となる西洋音楽において、我々にとって無意識では理解しがたい音楽語法があることも疑えません。アゴーギクとは、意識して望まなければ理解できない表現手法として、これまで私自身も触れることを躊躇していた部分です。

 しかし、演奏解釈の中でも論理的解明を長らく避けられてきたアゴーギクという表現手法にこそ、模倣から分析へ、そして普遍的公式化を望むのは、演奏(音楽という文化を伝達)しようとする者にとっては、当然の欲求でもありましょう。アゴーギクをスピリチュアルで広義な民俗性ゆえの表現技法と片付けてしまえない壁が、ここに現れたと感じるのです。それとともに、指導者にとっては「エネルギー思考」でこの問題を分析・考察する方法が最も容易に理解でき、指導できると考えるに至りました。緩急法とも呼ばれる重要で深い表現手法としてアゴーギクを理解し、学校吹奏楽の場面でも表現・教授したいものです。

 アゴーギクを考察するとき、次の3点の相関関係に注目したいと思います。それは音高・音量・音価です。(図1)演奏者が演奏に音楽エネルギーを注いでいるとき、その音楽エネルギーに変化が生じれば音高・音量・音価の何れかが変化する。言い換えれば次のようにまとめられます。

1)音量が一定の時、音高が高い方がエネルギー量をより多く必要とする。

2)エネルギー量が一定の時、音高が高い方が音量が弱くなる。

3)音量と音高が一定の時、エネルギー量が増せば音価が伸びる。

 管楽器では高音を出すために、緊張させて狭くなった発音体に息を通す腹筋力が音楽エネルギーの源です。従って吹奏楽では管楽器が主体なので、音楽エネルギーを「息の圧力」と考えても概して差し支えありません。

 ここで図2のように音高と音価を設定し、便宜上音楽エネルギー量の変化を表わしてみる。この3点のうちでも、音高は音楽エネルギーがどう変化していくかを探る重要な要素です。音高は作曲者によって指定されているので、演奏者によって変えることはできません。従って演奏者は音量・音価どちらかの要素で、表現領域にある程度の許容範囲が与えられています。もっとも作曲者によるテンポや音量の大まかな指定もしばしばあります。しかし、演奏者に委ねられた許容範囲内での自由な表現があるからこそ音楽に息吹が与えられ、演奏者と聴衆は、ともに心揺さぶる演奏表現を楽しめるのでしょう。次に、図3のように音楽エネルギーを増加させる手段として、音量を変化させる表現を試みます。

 結果として音高の流れに必然的な音楽エネルギーが付加され、音楽エネルギーは図4のような概念図で表わすことができます。図5は図4の鏡像で、音量側から見た音楽エネルギーの概念図です。演奏者が設定する音楽エネルギーが音量だけでは発散しきれない状態になったとき、この音楽エネルギーと音量との絶妙なバランスで音価を変化させるアゴーギグが発生する。アゴーギグについて、いくつかのスタイルを以下に挙げてみましょう。

1)倚音や印象づけたい音へのアゴーギク

 旋律上の倚音や繋留音では、作曲者の意図的な音楽エネルギーの発散地点である。表現に十分な必然的音楽エネルギーを注ぐことで、倚音や繋留音の前後で局所的なアゴーギグが生じます。また、フレーズの冒頭音(ハンガリー狂詩曲第2番 譜例1-1)や装飾音を伴った音(ハンガリー狂詩曲第2番 譜例1-2)など、演奏者が特に印象づけたい音にも、音価を十分に取るアゴーギクがあります。ルバートなどの速度標語がこれに含まれます。

2)アナクルーズやデジナンスに伴うアゴーギク

 アナクルーズの部分やその頂点で増加する音楽エネルギーがあるとき、たとえ音高が上行しても、一定のテンポの中での音価では、そのエネルギーを発散し切れず音価が伸びるアゴーギグがあります。(威風堂々第1番 譜例2-3)また、デジナンスの部分でエネルギーが減少することで音量は変化せず音価が戻って短くなります。(威風堂々第1番 譜例2-4)逆にデジナンスの部分でエネルギーが減少・終息する変化の度合よりも、音量が極端な変化の度合で弱くなったり音高が下降すると、必然的に音価が伸びてテンポが緩むといったアゴーギグもあります。フレーズを終結させる部分(デジナンス)では、一般的に音量の減少を伴ったテンポの緩みをしばしば確認することができます。

3)反作用によるアゴーギク

 音楽エネルギーの変化がない場合でも、音量を一定に保つ場合、音高が下がれば余剰エネルギーが生まれて、音価が伸びる傾向にあります。同じく、音楽エネルギーの変化がなく、音価を短くしていく(accellerandoなど)表現では余剰エネルギーが生まれて、General pause(反作用的無音状態)を必要としたり、続いて余剰エネルギーの発散が行われる場合があります。(ハンガリー狂詩曲第2番 譜例3-5)特にDの場合はG.P.を伴って尚且つ、Tuttiの強奏へと続きます。

 学校吹奏楽においては、関連論文の第4章で触れている「サウンドの時代」から「より深い演奏表現の時代」へ更なる教育内容の充実を進めるために、演奏する生徒がアゴーギグが生まれることの必然性を、エネルギー思考によって理解することを回避できません。そのためには、目的を明確にし、音楽的に豊かな表現の可能性を具えた教材を準備し、演奏する生徒に音高・音量だけではなく、音価も自由に表現できる感性と技術を習得させなければなりません。同時に豊かな演奏表現ができるようになるための教授法も確立する段階ではないでしょうか。

1-5 教材開発の視点

 関連論文の第4章で触れている「より深い演奏表現」の指導にあたっては、既存の楽曲を用いて行うこともできるでしょう。しかし、明らかな目的を持った教材であれば、より効率的にピントを絞った教授法を展開することができます。本教材で述べたエネルギー思考によって、アゴーギグの演奏表現を指導するとき、この内容にピン・ポイントに絞った新たな教材への要求が発生しました。ここで教材にすべき作品の設定をしなければならなくなりました。

 計らずも学校吹奏楽においては、学校を卒業してからも演奏活動を続ける生徒ばかりではありません。現実には学校吹奏楽で演奏活動を終える生徒の方が圧倒的に多いのです。従って指導者は在学中においてある程度の完結した音楽体験をプログラミングする必要を迫られます。音楽の基礎的な力を付けながら、より多くの音楽スタイルに触れさせてやりたいと願うのです。

 とかく後期ロマン派以降、近代の作品を演奏する機会が多い学校吹奏楽では、古典派の音楽に触れることは稀です。アゴーギグをはじめとする楽曲分析を伴う教材で無くとも、楽式や和声が平易で取り組みやすい古典派の音楽を教材とする価値は、今一度見直されなければならないと思います。

 そんな理由から教材としてピアノ・ソナタ ハ短調 作品13「パテティーク」第2楽章Adagio cantabile 非圧縮.mid(194k)スコア196kを選び、演奏表現の指導を行うのが最適と考えました。この編曲に際しては原調(変イ長調)で差し支えなく、小編成でも演奏が可能であるよう心掛けました。

 この教材開発では、特に楽曲分析を必要とするため、敢えて古典派の作品から選ぶこととしました。中でも和声と旋律の関係及び非和声音についてはロマン派的なテクスチュアを持ったL.V.ベートーベンに注目しました。中でもrit.やaccel.などの速度や音価の指定がない(フェルマータ付き終結音を除く)緩叙楽章にという観点をもって採用しました。

 また、関連論文の第3章第1節で触れている学校吹奏楽における第二の現状、即ち「多忙な出演回数に振り回される日常」を根拠に、本教材は基礎練習のみに終わる練習曲ではなく、時間をかけて仕上げ、演奏会などの機会に使えるピースです。

 

第2章 教材の楽曲分析と演奏解釈

 本章ではアナリーゼの方法論につて述べることを目的とするのではありません。今回の教材であるAdagio cantabileに関して、生徒に演奏解釈を教授する際に限定し、最低限の理解を促すための要素に触れてみたいと思います。

2-1 楽曲構造の分析

 楽曲を分析する第一歩は楽式分析から始めるのが一般的でしょう。さらに和声構造、主題の識別・整理、旋律のグルーピング、アクセンチュエーションなどの要素へと作業を進めていくことになります。一つの作品を分析する上で、確固たる唯一の結論が得られる例は希少です。様々な解釈が存在してこそ音楽の多様な表現の楽しみも拡がるのだと考えます。

 本章では、音楽の専門教育を受けていない中学生および高校生に範囲を絞り、豊かな演奏表現を目的として、そのための予備知識を指導者が生徒に与えられるよう、簡潔に整理していきたいと思います。

 本教材Adagio cantabileを簡単にまとめると図6の楽曲構造図になります。楽式はA-B-A-C-Aというロンド形式にCodaを加えた極めて美しい緩叙楽章です。A1とA3は呈示と確保がありますが、A2は呈示のみです。ぞれぞれの部分は均衡の取れた小節数でバランスを保っています。強弱指定の変化についてはAになく、BやCおよびCodaで変化が著しいことが読み取れます。

 次に調性構造について触れてみましょう。変イ長調を始まりとしてAの主題は一貫して変イ長調です。主題の呈示は8小節間で行われ、続く確保は主題が一オクターブ上がります。3声であった呈示に対して確保は充実した4声で演奏されます。Bでは変イ長調の平行調であるハ短調で始まり、短いト短調を経て平行調である変ホ長調に転調します。Cでは同主調の変イ短調で始まり、で嬰ト短調にエンハーモニック転調します。その後、下属調(嬰ハ短調)の平行調であるホ長調に転じます。ここでは曲中で最も緊張感が高まった頂点としての役割を担っています。減七の4小節間でエンハーモニック転調を行い、変イ長調に帰って三たびAの呈示・確保を奏します。ここではCで現われた三連符がそのまま和声充填の音型として使われています。その後、穏やかな表情のCodaで曲は締めくくられます。

 全体の調性構造を見るとBでの属調方向への転調、Cでの下属調方向への転調といった構造を持ち、前半の推進性と後半の収束性が対を成しています。

 演奏表現を行う前の楽曲に対する概観をすることは、指導者・演奏者にとって重要なプロセスである。これを通して解るように、本教材には繰り返し現れる美しい旋律Aをより多くの奏者に体験させたいとの「ねらい」があります。

2-2 名演奏に見られるアゴーギク

 本教材を通して演奏表現を試みる際に、古今東西の名演奏に触れることは避けて通るわけにはいきません。生徒が様々な名演奏を鑑賞する中で、旋律のグルーピングやアクセンチュエーションに注目しながら微妙なアゴーギグを捉えさせたいと考えました。そのため、少なくとも指導者は名演奏について、演奏表現の細かな研究を必要とします。願わくば生徒にもその一部を紹介して、指導の深化を図りたいところです。

 最初に、名演奏として取り上げたピアノ奏者について述べたい。解説は『ニュー グローヴ 世界音楽大事典』(1995)講談社によります。

1)バックハウス,ヴィルヘルム Backhaus,Wilhelm(1884-1969)

[解説]ドイツのピアニスト。-中略-ライプツィヒのピアノ奏法の偉大な伝統を受け継ぐ最後の演奏家である。彼の演奏は概して飾りけがなく毅然としており、気品のある古典派音楽の解釈で知られる。-中略-作曲家の「献身的なまでの無私な代弁者」と評されるほどであった。-後略- 録音年 : 1954

2)ケンプ,ヴィルヘルム Kenpff,Wilhelm(1895-1991)

[解説]ドイツのピアニスト。-中略-時としてフレーズに装いを持たせることもあるが、彼の最善の演奏は、明快なテクスチュアへの集中力、歌うような音質、極端なテンポの回避により高貴な気品を醸し出している。-後略- 録音年 : 1965

3)ルビンステイン,アルトゥル Rubinstein,Arthur(1887-1982)

[解説]ポーランドのピアニスト。-中略-彼の演奏は、名人的な技巧においては必ずしも完璧ではないが、洗練されていながら情熱的な雄弁さを持ち、貴族的な詩情をたたえた無類の精神に満ちている。-後略- 録音年 : 1962

4)アシュケナージ,ヴラディミール Ashkenazy,Vladimir(1937-)

[解説]ソヴィエト連邦のピアニスト。-中略-同世代のロシアのピアニストのなかでも最も洗練された演奏家として注目されている。彼の演奏は、知的な誠実さと温かく心のこもった感情を兼ね具えており、特に音色と繊細な指使いに対しては稀有な感受性を示す。-後略- 録音年 : 1980

5)バレンボイム,ダニエル Barenboim,Daniel(1942-)

[解説]イスラエルのピアニスト。-中略-ベートーベンの作品解釈において、全体を犠牲にしてまで細部に彩りを与えるべく、テンポを柔軟にしたり、自己陶酔的傾向に走るなどロマンティックすぎるように感じられる点が批判された。-中略-しかしながら、彼の即妙な反応は、切迫的で洞察力に富み、思考に裏打ちされた音楽的才能の現われであること、そしてその音楽的才能は、成熟するにつれて全体を透視するすぐれた感覚を獲得していったことが明かになってきた。-後略- 録音年 : 1966

音源についてはアトリエ・アニマート(瀬)までメールでお問い合わせください。

 これらのピアノ奏者による演奏を題材として、細かなアゴーギクについて分析を行いました。この5人の奏者の他にもギレリス、ブレンデル、シュナーベル、エッシェンバッハの演奏も参考音源としました。その結果は以下に示す図7のようになります。図表では特に音価の変化が見られる部分のみを矢印で記述しました。音価が伸びるアゴーギクと縮むアゴーギクがあるが、音量も合わせて変化する場合は斜線で表記することとしました。

 この図表を概観して着目しなければならない3点の要素を提示したいと思います。第1点めは、3小節(図7-1)に現れる旋律の上行音型である。前半には音量を増しながら音価を短くとり、最後の八分音符で音価を長くとるアゴーギクです。ここでは音高の頂点は最後の八分音符であるにも関わらず、音量が減少した表現になっています。これは4小節目のドミナント和音で半終止する際に、旋律線は5度の隔たりをもって下降します。この旋律のエネルギーが描く曲線をなめらかに表現するために、敢えて最高音であるB音の八分音符に対して無理なエネルギーを与えない表現になるのでしょう。加えて、ここでは音量ではなく音価が伸びることによって急激なエネルギー量の減少にさせていないという点も注目すべき要素です。

 第2点目は多くの演奏表現で用いられる手法の確認である。7小節に見られるフレーズの終結部や8小節のフレーズ開始部に見られる音価が伸びるアゴーギクです(図7-1)。全曲を通して、この一般的な表現手法をいくつも確認することができました。とりわけ5人が揃ってこの表現を用いているのは、35小節(図7-3)から36小節(図7-4)にかけての主題確保を終止する部分と、曲の最終小節の73小節(図7-8)です。

 第3点目は奏者によって表現方法の分かれる部分である。即ち21小節(図7-2)から27小節(図7-3)にかけての部分です。ここでは回音(turn)を伴った即興的な旋律が現われ、奏者独自の自由な節回しが見られます。

 以上の3点を含めて、視点を遠ざけて曲全体を概観すると、A-B-A-C-Aのロンド形式において、それぞれの楽節における開始と終止については「印象づけや丁寧な処理」といった一定の共通点が見られます。これはルバート的な要素を含んでいます。

 一方フレーズの中では奏者の自由な表現が行いやすい部分があります。指導者はベーシックに押さえなければならないアゴーギクと、比較的自由な解釈でアゴーギクを扱える部分とを識別しながら教授できる資質が求められるでしょう。

 従って本教材は児童・生徒にアゴーギクを教授するためにプライマリ・インターフェースとしての題材を提供するものであり、指導者が凡ゆる作品の多種な演奏表現に接し、見識を深める必要を免れるといった効果を期待したものではありません。また、アゴーギクの指導にあたって本節で述べた内容について適切な形で生徒に紹介できれば、一層発展的で深い指導となるでしょう。

 最後になりましたが、本教材で指導を行う前に生徒に対して意識調査のアンケートを取ると指導者側の資料となり、効果的に進めることが出来ると思います。豊かな表現の幅を拡げられる一助となれれば幸いです。

引用・参考文献

注1.4.5 保科 洋 『生きた音楽表現へのアプローチ』(1998)音楽之友社

注2 国安 洋 『音楽美学入門』(1998)春秋社

注3 Hugo Riemann 伊庭 孝 訳『音楽美論』(1954)音楽之友社82

注6.7.8 柴田 南雄・遠山 一行 総監修『ニュー グローヴ 世界音楽大事典』(1995)講談社

熊田 為宏 『演奏のための楽曲分析法』(1974)音楽之友社

大木 正興 ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13「悲愴」『最新名曲解説全集』第14巻 独奏曲I

(1982)音楽之友社

瀬 浩明 『ハンガリー狂詩曲第2番』(1998)アンサー音楽教材出版

瀬 浩明 『威風堂々第1番』(1997)アンサー音楽教材出版

注*関連論文 瀬 浩明 『学校吹奏楽における演奏表現の教授法』(2002予定)


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