「オルフ 学校作品〜Carl Olff-Schulwerk」要約

1.カール・オルフ

 カール・オルフーCarl Olff(1895〜1982)はドイツの作曲家、音楽教育家。オルフはまとまった音楽教育論を書いていない。そのかわりに音楽教育の理念や方法の原則を『シュールヴェルク』のなかの教材で集約・具体化した。この「解説」はオルフ自身の著述ではないが、彼の教育論を代弁していると言ってよい。1924年オルフはギュンターとともにギュンター学校という体操とダンスと音楽の教育をすすめる学校を設立。身体のリズム・表現と音楽のリズム・表現とは総合的・統合的であるべきことを実践を通して確信した。同時に、そこで使われる楽器も生徒自ら「音楽する」のに適したものが要求された。即興・自作の音楽をするのに高度な技術がなくても表現可能な「オルフ楽器」が考案・製作されていった。こうしてオルフ・シュールヴェルクの大枠がつくられ実践が進められた。しかし第二次大戦で学校・資料等が焼失。[野村 幸治 中山 裕一郎『音楽教育を読む』(音楽之友社 1998 : 74)]

 

2.『オルフ・シュールヴェルク子どものための音楽』(全五巻)

 オルフによれぱシュール・ヴェルクはシステムでもメソッドでもない。バイエルン地方の子どものための音楽とその教育のアイディアにすぎない一で述ぺている音楽教育の理念・方法上の原則はおよそ次の六つ。

(1)子どもが生得的にもっている音楽語法による即興表現

(2)言葉の音楽的特質一リズム・抑揚・フレーズ感など一から活動を始める

(3)子ども自らが音楽創造にかかわれる楽器を用いる

(4)言葉・身体表現・ダンスと統合・総合された音楽の追究とその教育

(5)子どもの実態そのものから始める。したがって民族性・地域性等の差異によって教材・方法は異なる

(6)当然、すべての子どもたち(能力の有無にかかわらず)が参加可能。

[野村 幸治 中山 裕一郎『音楽教育を読む』(音楽之友社 1998 : 74)]

 

3.概括論

1)性格

 「オルフ学校作品」は時流にかなった一般教育確立への音楽上の一寄与で、それゆえに生徒たちの特別な楽才も予備教育をも条件としない。そしてまた逆に、それは真の才能ある子どもたちに不当な制限を強いるのではなくて、むしろいろいろな課題を与えて一子どもらしい和音や音階のすべての共通基礎をそこなわずに一自分たちの能力を試み、確認するような活動の場を与える。「オルフ学校作品」が正しく用いられるならば、器用な子どもたちにも不器用な子どもたちにも価値多い課題を与えることができるから、ある子どもには適するが、ある子どもには抑制になると思われるようなことは起こらない、しかも「学校作品」の本来の目的は個人的および超個人的な力の実り多い合同演奏の喜びの中に実現される。オルフの場合、音楽の創作、再現、聴取の諸課題は、それぞれ互いに分離した学習領域に分割されるのではなくて、一つの基礎音楽過程として一体となって行なわれる。「オルフ学校作品」はそのままでは方法論といえるほどのものでなく、道しるべである。後に述べるすべての方法諭的なものは、上に暗示した諸原則によっていて、多くの可能なもののうちの、二、三の方法を示しているにすぎない。それゆえにすべての記述事項は、いつでも変えてよく、またときどきの事情に合わせるぺきである。

 

2)グループの大小

 「オルフ学校作品」は主としてグループで学習する。もちろん演奏曲の中には個別練習やソリスト的な課題もあるが、すべての残りの音楽する者たちを支配的な一声部の伴奏者の役割におしつけるソリストはいない。最小の可能なグルーブは、楽曲の再現や即興的形成に同価値に関与する二人の音楽する者がいるならぱ成立する。グループ音楽の最大数は決められない。なぜなら、それは手持ちの楽器の数、場所の制約、その他の事情によることで、他と無関係に絶対的に決められるものでなく、相対的にしか限定できない。もしある組合せの発音体の響き具合がよく聴き分けられ、それに応じて強弱のニュアンス付けが行なわれるときは、グループの大小にかかわらず学習できる、としかいえない。今日の先生方は口を開けぱ彼らの学級の生徒数が多過ぎると嘆くが(まったくもっともだが)、しかしそのときどきの状態に即応して正しく取り扱われるならぱ、人数が多くても「オルフ学校作品」の練習の妨げにはならない。むろん、音楽する全員に手拍子、足拍子、ひざ打ち、楽器演秦の十分かつ自由な動きができる部屋はなげれぱ困るが。しかし学校ではたいていの場合、体操ホールや共通大教室があっておおかたは間に合うだろう。

 

3)年齢

 基礎音楽練習は幾歳ででもできる。しかし歌のテキスト、声種、音楽的ならびに抜術的要求の選択では、それぞれ年齢層に即した差異を考量すべきである。われわれがここでかかわり合っている系列「子どものための音楽」は主として義務教育年齢(6−14歳)の範囲に合わされている。いうまでもないが、適切に形を変えれば(簡単化もしくは複雑化)、学齢前でも15歳以上でも「オルフ学校作品」の方法で音楽してよい。学校でのグループ作りは、各クラスが同年齢のグループであるから、自然に年齢層によっている。学校外や家庭では種々な年齢の子どもも学校作品グルーブに集められてよいだろう。これはまったく可能だが、しかし困難の程度の異なった課題の割振りの点に配慮が必要である。[ヴィルヘルム・ケラー フリッツ・ロイシュ 橋本 清司 訳註『子どものための音楽 解説』(音楽之友社 1971 : 11)]

 

4.オルフの課程

 すべてのレベルにおけるオルフの課程は、以下のことがらを含んでいる。

 

動きを通しての空間の探究

声と楽器を通しての音の探究

即興を通しての形式の探究

 

 

 オルフーシュールヴェルクの中で、課程(Prosess)という言葉は非常に大切であり、オルフの課程とは〈探求〉と〈経験〉である。まず最も単純で、ほとんどありのままの形式の音楽の要素が探究される。経験を通して、これらの要素は、より高度な探究と経験の水準へと洗練され、高められる。

《空間の探究》子供たちは、様々な動き(軽い、重い、下る、上る、中へ、外へ、なめらかな、ぎざぎざの、等)の性質を探究するように指導される。体の姿勢や動きは、話し合ったりせず、また教師が押しつけた定義などはぬきにして、探究や研究がなされる。探究を導く、次のような循環がある。

 

 動きを動機づける外的要素から(自然に行なわれる動き:歩行、走ること、スキップ、ホップ(跳ぶこと)、這うこと)動きを動機づける内的要素へ(呼吸に合わせて動く、心臓の拍を感じながら動く、脈拍を認識しながら動く。)そして、また外的な動機へ(しかし今度はより高いレベルのものへ)返る。(外的動機づけによる動きを呼吸し、脈拍を感じながら行なう。または型にはまった、歩行、走ること、スキップ、ホップ、這うことを、呼吸し、脈拍を感じることと関連づけて行なう。)

 

 このようにして動きを動機づける内的要素は、目に見える表現となる。動きは、

すべてのオルフの課程の基礎である。そして、他のすべての学習が依存するところの基礎である。

 

《音の探究》音の探究は、周囲の音や、何の組織的まとまりも持たない音で始められる。例えぱ、犬が吠える声、ドアがバタンと閉まる音、飛行機が飛んでいく音、何かが落ちる音などである。それから、ある組織としてのまとまりを持つ音へと進む。ドラムの音のパターンやスティックが打ち合わされる音などである。子供たちは、様々な音質で遊んだり実験したりする。(例えば、硬い音、柔らかい音、木の音、金属の音、鳴り響く音、重厚な音など。)始めに用いる楽器は、一般に用いられる普通の楽器である必要はなく、むしろ子供たちによって見つけ出されたものや、発明されたものの方が良い。(ひょうたんのガラガラ、中が空洞の丸太、乾燥させた豆のさやなど。)これらの天然の楽器で生み出された音は、始まりと終わりを持ち、限られた中ではあるが、音の長短が音楽的意味を成すような形式にまとめ上げられる。よく似た音を生み出す音源どうしがグループにまとめられ、全体は演奏のためでなく、次の段階の深究を行なうための成長・発達を求めて、一つの曲にまとめ上げられる。声も同様に、探索されるべき音源である。子供たちは、口から音を出す、色々なやり方があることに気づくだろう。そして、そのような色々な音は、後で、しゃべったり歌ったりする学習の際の重要な語彙になる。

 意味のない言葉や音は、子供たちを喜ぱせる。大人でも同様である。これは、完全なる音楽経験に、また一歩近づいた練習である。この種の声を使った遊びをたくさん行なった後、話したり歌ったりするための標準的な教材が導入される。

 

《形式の探究》形式の探究は、空間と音の探究と同時に行なわれる。動きはパターンヘと組み立てられる。よく似たいくつかのフレーズ、あまり似ていないいくつかのフレーズ、前奏とコーダなどにまとめ上げることによって、音は一つの作品になる。動きや音の形は図で示され、その際に用いられる記号も考え出される。これが、大ざっぱなようではあるが、効果的な記譜への導入である。この学習方法の結果として、よく石器時代の絵のようなものが描かれる場合がある。これは、オルフが提唱した、学習課程における原初的側面を反映するものである。

[板野和彦『音楽教育メソードの比較』(全音 1994 : 146-152)]

 

また課程の一つ一つのステップで、学習者は以下のように動いていく。

 

模倣から創造へ

部分から全体へ

単純から複雑へ

個人からアンサンブルヘ

 

《模倣から創造へ》オルフ-シュールヴェルクでは、模倣は、創造性のもとになる模範を確保するために用いられる。模倣は最も古い学習法である。中世の職人とは、親方になる前の見習いの期間だった。アフリカのドラマーは・マスター(名人)・ドラマーとなる前に、長い見習いの期間を経なくてはならない。シュールヴェルクの教師は、〈マスター(名人)〉または模範のようなものである。子供たちが、徐々に独立する力を見せ、様々な課程の後で、ついには彼ら自身の問題や自分たちで作った課題の解答を見つけるようになるにつれて、教師が模範を示す必要はだんだん少なくなる。

 

観察→模倣→実験→創造

 

 上記のパターンは、新しい概念が示きれるたびに繰り返される。ウィルヘルム・ケラー(Wilhelm Keller)は、この課程について次のように述べている。「生徒たちが、だんだん、教えてくれる人たちを必要としなくなるように導いてやるのが、教師と教育者たちの主要な職務である。」

 

《個人から合奏へ》子供たちは、自分自身のために、空間や音や形式の様々な性質を発見してゆかなくてはならないが、一方、個人個人が同時に全体やグループに貢献するため、このような個人の集団が〈合奏〉になるのだ。このような集団もしくは合奏に関する学習は、オルフ-シュールヴェルクの主要な目標である。生徒がグループに参加しているときも、個人が良も重要なのである。このような合奏における意識は、シュールヴェルクのすべての段階において必要である。集団のないところに音楽は生まれないのである。

 

《音楽の読み書き》シュールヴェルクの一つ一つの学習段階は、完全な音楽経験を最終目標とする課程全体の一部を構成する。子供たちが、わずか数年間言葉をしゃべった後に読むことを学ぶように、オルフ-シュールヴェルクでは、音楽の音に関する経験を数多く積むと、すぐに読譜を学ぶ。オルフの教育法の中では、音楽の読み書きは体系づけられていない。いつ、どこで、どの程度までの読み書きの技術を指導すべきか、前もって決定されていない。一般的な読譜の指導は、普通、リコーダーの指導を始める際に同時に、つまり、他の音楽的経験を数年間積んだ後に始められる。体系的な読譜の指導は、教師の創造カと感受性とに委ねられている。歌い、演奏し、音楽に合わせて踊り、それと同様に、読み書きもできる子供を育てることが、この指導法の最終的なねらいである。

 

●学習課程を支えるシステム:オルフ楽器

《声と身体》オルフの学習の中で、最も重要な楽器は身体であり、そして2番目に重要なのが声(なぜなら、声は身体に含まれているから)である。身体のあらゆる部分が、基磯となる拍とフレーズのまとまりの、どちらをも表現することができる。また、学習の初めの段階において、身体は、話したり歌ったりすることの伴奏をする第1番目の楽器となる。その際、他のいかなる楽器をも伴わない。この方法の原形は、昔の文化の中に見いだされる。つまり、〈原初的〉なものといえる。後には、身体は楽器として、異なる空間的レベルにある4種類の音を表現するのに用いられる。

高い

指を鳴らすこと

拍手

(身体の部分を)軽く叩く

低い

足踏み

 

これらの音を伴った身振りは、身体的発達とも見合った組織的な順序に従って、子供たちに紹介される。これらは単独で、または組み合わせて、チャント(chant)や歌の伴奏に用いられる。次に、話すこと(speaking)や歌うことは、音楽の持つ積み木のような構造を解明していくための基礎とならなけれぱならない。子供の名前、目常的なフレーズ、食べ物、自然環境といった単純なものからでも、時間と旋律を作り出す要素を見つけることができる。音楽的形式は、これらの要素をまとめて一つの作品にするために用いられるだろう。実際の学習の中で、子供たちの能力を段階的に発達させるために、歌声はシュールヴェルクの中では大変に重要なものであるが、これまで、動きや器楽よりも軽視されてきたのが実情である。何人かの教師たちは、歌の練習(singing execises)と、声の発達を促すように考案されたオルフ・スタイルとを組み合わせることを始めている。優れた歌の技術は、子供の音楽的発逢のあらゆる側面において不可欠であり、シュールヴェルクの最も良い演奏のためにも不可欠である。

 

《インストゥルメンタリウム(The Instrumentarium)》オルフの方法の中で用いられる一 揃いの楽器は、様々な音質、音色、音の重なりを生み出し、子供たちにも演奏しやすいものであろう。インストゥルメンタリウムと呼ぱれる一揃いの楽器の内容は、以下の通りである。

 

[音板を持つ楽器(Barred Instrument)]

木琴(柔らかく乾いた木の音を生み出す、アフリカに起源を持っ楽器/バス、アルト、ソプラノ)メタロフォン(柔らかく、長く続く、〈濡れた〉ような鉄の音を生み出す、インドネシアに起源を持つ楽器/バス、アルト、ソプラノ)グロッケンシュビール(鋭く、くっきりしたベルのような鉄の音を生み出す、ドイツに起源を持つ楽器/アルト、ソプラノ)

[リコーダー]

ソプラニーノF管、ソプラノC管、アルトF管、テノールC管、バスF管

[太鼓と太鼓の系列の楽器]

バス・ドラム、ボンゴ・ドラム、コンガ・ドラム、スネア・ドラム、ハンド・ドラム、タンブリン、ティンパニ、タムタム

[木製の楽器]

クラベス(拍子木)、ウッド・ブロック、スリット・ドラム、ギロ、木魚、マラカス、木製のガラガラ

[金属性の楽器]

吊るしたシンバル、合わせシンバノレ、フィンガー・シンバル、カウベル、(そりの)鈴(Sleighbells)、手首または足首に付けて用いる鈴、トライアングル、金属性のガラガラ、ウィンド・チャイム(windchimeチューブ・ベル)

[弦楽器]

ギター、ダブル・べ一ス、セロ

[板野和彦『音楽教育メソードの比較』(全音 1994 : 146-152)]

 

5.すぐに学べること(まとめ)

 現在の我が国での音楽教育にどのように採り入れられ、実践されているのかについては、今回触れることはできなかった。しかし、多くの先進的な取り組みがなされていると聞いている。私自身が教育実践の中で参考にすべき点は最も共感できる部分として「われわれ民族の過去と未来の文化価値に対して真の伝統を前にして畏敬の情を抱かせるか、はおそらく今日の教育の中核問題である。なぜならば、かかる生きた伝統の結び付きからのみ、生活様式や精神的態度というものが、作りあげられうるからである。」註1ということばに集約されると考えた。特に昨今、若者の芸術音楽離れは教育現場でも実感として強く、教師の立場からも確固たる芸術音楽の価値観を語れない場合が多い。また、何を教えるのかといった核心の部分をしっかりと持ちながら授業やクラブ指導に当たれることは最も肝要なことがらであると再認識した。

 加えてアンサンブル能力の育成や適宜挿入される創作的教育内容についても我が国の実状に合わせ、教材開発等でシュールヴェルクからの学びを生かしながら研究に努力していきたいと考える。

 

註1 ヴィルヘルム・ケラー フリッツ・ロイシュ 橋本 清司 訳註『子どものための音楽 解説』(音楽之友社 1971 : 86)

 

引用文献

野村 幸治 中山 裕一郎『音楽教育を読む』(音楽之友社 1998)

ヴィルヘルム・ケラー フリッツ・ロイシュ 橋本 清司 訳註

『子どものための音楽 解説』(音楽之友社 1971)

板野和彦『音楽教育メソードの比較』(全音 1994)

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